第8話「聖女派閥」

 裏庭のベンチに揃って座らされたナハトと人型スライムは、目の前で腕を組んで仁王立ちするケイジの威圧を受けていた。

 人型スライムはあちらこちらに視線を動かしているが、決して騎士達と目を合わせないようにしている。ただし心細そうに洋燈を両手で握っている。

 対してナハトは少し冷静になったらしく、足を組んで楽な姿勢で待ち構えている。緑の猫目で幼馴染を見上げながら、続きを話す。

 

「聖女って十六歳だろ?その年齢で婚約者がいないのはどうなんだって、社交場で話題になったらしくてさ」

「それで俺に白羽の矢が立つ理由はなんだ!?」

「聖女が粉かけてるからじゃね?」

 

 婚約者以外の女性に興味がなかったケイジでも、なんとなくそんな気はしていた。

 しかし聖女自体は友達以上恋人未満のような関係を楽しんでいる節があり、他の若い騎士に話しかけている様子は何度も見ている。

 すでに婚約者がいる者でなくてもいいはずだ。苛立ちで蕁麻疹が出てきそうなほど、腹が立って仕方ない。

 

「で、俺の兄貴も一枚噛んでるらしくてさ……」

「フォーグ殿が?」

 

 五人兄弟の末っ子であるナハトだが、五人の年の差はほとんど開いていない。

 それでも長兄であるフォーグとは八歳差。ドラコー家とは違い、当主交代も行われて約三年ほど。

 三十歳の若い当主が口を出せて実行できたことに違和感を抱く。下手すると根が深い問題になりかねない。

 

「キトラちゃん家が事業に失敗したらしくて、その補填をウチが出したんだって。聞いてるか?」

「……」

 

 最近は忙しくて、婚約者として全く出会っていない。

 聖女関係のいざこざや儀式の立ち合い人として打ち合わせ、魔導学会から代表として立派に務めてほしいの圧力。

 疲れて弱ったところを見せたくなかった。家のことは父や兄達に任せ、目の前の仕事に集中していた。

 

 離縁いたしましょう。

 

 その言葉の重みを、嫌でも痛感する。

 婚約という契約に甘えて、未来は決まっていると安心していた。全て上手くいくはずだと、根拠もないのに信じ続けていた。

 

「まあ気長な返済計画も、キトラちゃん家なら大丈夫なんだけどさ。そこに聖女派閥がつけこんだってわけ」

「返済金免除の婚姻か?」

 

 こくり、と真剣な様子で頷くナハト。軽薄で女運は悪いが、仕事や察知能力に関しては信頼できた。

 

「クラウド家とレイニー家は遠縁でもあるから、ちょうどいいってことで話がとんとん拍子に進んだってよ」

「?」

「あ、俺はナハト・クラウド。キトラちゃんがレイニー家ね」

 

 横で話を聞いていた人型スライムに対し、人懐っこい笑みを浮かべたナハトが簡単に説明する。

 まず家名自体が魔物には縁遠いだろうが、語るほどのことでもないだろうと話を続けようとした矢先。

 

「そういえば君の名前は?」

 

 気軽な調子で投げられた問いかけは、魔導騎士にとって衝撃を伴う内容だった。

 魔物は種類名はあっても、固有名があるのは人類が「脅威」と認定した個体だけ。

 少なくとも人型スライムにその知識はないだろうし、名前も最初から存在しない。

 

「名前とはなん」

「ライムだ!」

 

 言葉を遮るように、適当な名前をつける。

 体型的には男だと思うが、詳細は不明。とりあえず即座に思いついたのはス「ライム」だった。

 

「ライムっていうのか。いい名前だね」

 

 ナハトは特に気にした様子もなく、にこにことしている。

 人型スライム――ライムから不満そうな視線を向けられるが、最初から名乗らないのが悪いのだ。

 

「ていうか、どうして今日も一緒にいるんだ?」

「ドラコー家のセバスの使いです」

「セバスさんの!じゃあ安心だ」

 

 一日に何度も言い続けたせいで、よどみなく答えられるようになった人型スライム。

 昨夜の離縁騒動で心神喪失状態だったケイジは、なんだかんだでお世話されていることを思い出してしまった。

 しかも執事のお墨付きをいつの間にか手に入れている。おかげで幼馴染は深掘りはせず、全面的に信用したらしい。

 

「ちなみに何歳?」

「見かけは十八歳」

 

 肝を冷やした魔導騎士の気持ちとは裏腹に、人型スライムはさらりと答える。ただし視線はまたもやあちらこちらに動いている。

 その奇妙な仕草を癖と捉えたのか、幼馴染は軽く頷いて世間話を続けようとした。

 

「じゃあ家族とか……」

「そんなことより!さっきも出てきた聖女派閥とはなんだ?」

 

 どうにか軌道修正するために、ずっと引っかかっている単語を指摘する。

 王宮や教会、学会などはまだわかる。しかし聖女に関する派閥など初耳であり、三大派閥の均衡が崩されると大変だ。

 学会は一番立場や歴史が弱いが、強大な二者の中立としては最適だ。

 そこに新しい派閥が発生し、下手に王宮や教会に手助けするとなったら争いになりかねない。

 

「聖女が第二王子に言い寄られてるのは知ってるか?」

「ああ」

 

 聖女の教育は三大派閥に分割されて、王宮騎士団は礼儀作法や文化等の分野を担っている。

 そこに割り込んできたのが第二王子である。外交で鍛えた力で支えようと言い出し、王宮騎士団が受け持つ授業の一部を強引に奪ったのである。

 実態は時間が許す限り聖女を口説き、親交を築こうとしていると噂が流れている。

 そのせいか聖女は第二王子の名前が出るだけで、嫌そうな表情を浮かべていた。

 

「第一王子は文武両道の優秀な方だが、公正を重視しすぎて一部から反感を買っているだろう」

「まさか……」

「反第一王子派閥と第二王子派が集まってるのが、聖女派閥だ。まあ隠れ蓑だな」

 

 最悪の内容だった。

 第一王子の敵は多い。自堕落な貴族や、汚職に染まった聖職者。

 悪評の多い者達に加え、媚びへつらうことが得意な者達が集まっているのが第二王子派閥である。

 あの聖女は波乱を呼ぶ天才かもしれない、とケイジは頭の痛みで倒れそうだった。

 

「待て。じゃあ第二王子と婚約の方に向かうのが自然だろう!?」

「ばーか。聖女派閥に足りない要素を、お前が持っているだろ?」

 

 魔導学会。世俗から少し離れて、魔法を学ぶ者達を支える派閥。

 頭脳明晰、純真無垢。奇天烈権化から変人奇人まで揃っており、新発見一つで文明を進めることができる可能性の原石。

 そこの代表として儀式立ち会い人に選ばれたのが、魔導騎士団第二隊長――ケイジ・ドラコー。

 

 貴族や聖職者ばかりの集団が、全ての派閥を取り入れたいと願った時。

 最も必要な立場を全て持っているのが……。

 

 その場で膝をつかなかったことは褒められてもいいだろう。

 ふらふらと立ち眩みを起こすケイジは、卒倒して意識を失いたいと望む。

 しかし寝ている間にどれだけ事態が進められてしまうか、わかったものではない。

 

「……俺はお前とキトラちゃんのことずっと見てきた」

 

 真面目な声で呟く幼馴染は、真剣な表情を浮かべている。

 幼馴染。貴族社会でその関係性は貴重なものだ。身分差も問わず、いざという時に信じることができる相手。

 にかっ、と笑うナハトは自信満々に告げる。

 

「恋愛に関しては、お前より達人の俺に任せろ」

「ナハト……」

 

 でもお前、悪女に騙されすぎてるよな。

 

 その言葉が喉あたりまで駆け上がってきたが、理性で押し込む。

 微妙に不安は残るが、信頼できる幼馴染。彼の体から空腹を知らせる音が鳴り響いた。

 

「よし、腹ごしらえだ!食堂から三人分の食事をもらってくるぜ!」

 

 そう言って身軽に走り出すナハトの背中を見送り、姿が消えた瞬間に人型スライムを睨む。

 

「で、貴様は何をした?」

 

 幼馴染に使うような言葉ではなくなっていた。

 相手に威圧と恐怖を覚え込ませるように、冷めた目で見下す。

 

「縁結び」

 

 からん、と鎖の先で洋燈が揺れる。

 小さな糸車を中心に白炎が燃えており、金粉のような輝きを灰のように散らしていた。

 

「許可が出た。できるだけ話そう」

 

 油断を見せないように気を張り詰める人型スライムは、魔導騎士と正面から睨み合った。

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