第7話「スライムだって疲れるもん」

 婚約者に離縁を申し込まれて、一晩経過した朝。

 ケイジは騎士団の詰め所で呆然としており、仕事は何一つ進んでいない。

 隊長専用執務室といえば聞こえはいいが、仕切り板で区切られた空間で放心している。そのため部下達が心配して、仕切りの陰からこっそり様子を伺っていた。

 

 事情を全て把握しているであろう当主――父は社交場に出て不在。

 次に家の中で発言力がある兄二人は、仕事の都合上で遠方に。手紙を出しても二週間は返事がない距離だ。

 そして女傑として有名な母親は、友人と久しぶりの小旅行中である。

 

 使用人達は口を揃えて「当主様にご確認ください」の一点張り。

 執事のセバスに半ば脅迫気味に迫ったが、返事に変化なし。余計な一言を告げなかっただけ、温情はあった。

 

 婚約者であるキトラに至っては、離縁を持ち出した後に一礼して屋敷から去ってしまった。

 彼女の実家まで訪ねることも考えたが、状況が全く把握できない。もしも嫌がられたら二つにぽっきりと折れた心がばらばらに砕ける。

 

 悶々と悩んでいる内に朝が来て、いつも通り準備を整えて出勤。

 羽ペンを手に取ったまま動かずに一時間。副隊長がいないため、古株の騎士が代表して声をかける、

 

「あのー、隊長……」

 

 返事はない。呼吸音は聞こえるが、これでは屍と同じだ。

 しかし耳を塞いでいるわけではないので、話の続きを口に出す。

 

「お連れ様が寝ておりますが、よろしいのですか?」

 

 隊長専用執務室には、来客用ソファと机の一式が用意されている。

 普段であれば副隊長がここに茶菓子などを持ってきて話に花を咲かせるのだが、今はすやすやと眠る青年が一人。

 古株騎士は知る由などないが、人型スライムは疲れていた。

 

 昨晩。初めての修羅場遭遇後。

 すっかり放置されてしまった人型スライムに、執事が声をかける。

 

「お客様。もしよろしければ簡単なお仕事を受けませんか?」

 

 仕事。魔物であった頃は無縁のものだ。

 労働というのは基本的に人間や動物の群れで行われる。役目を与えられて、それに沿った行動を起こすことだ。

 知能を得て共同体を作り上げる魔物ならば覚えがあるかもしれないが、スライムは基本的に水分補給してぷるぷる震えているだけ。

 分裂はしても、それは効率的に水分を集めるための手足を生やすようなものだ。たまに個性を獲得したものは、そのまま別のスライムとして同じ水場にいるだけ。

 基本的に群れは作らない。水分が枯渇してしまえば、共食いにより一つの個体に集約されて終わるだけだ。

 

「報酬は前金でこれほど」

 

 数枚の金貨を手の平に乗せられる。その価値や金額を、人型スライムは知らない。

 単純な者は幸運だと思い、知恵が回る者は手切れ金の可能性を考える。しかし人型スライムは、それ以前の問題だった。

 仕事の内容は聞いていないが、人型スライムの目的としてはケイジの近くにいた方が早く達成できる。

 

 なにより興奮した声がずっと鼓膜に響くのだ。

 

 ――これは見逃せないわ!

 

 声は一定の位置から届くのではなく、飛び回る虫のようにあちらこちらから聞こえてくる。

 スライムだった時は生命核に直接だったのが、人型を得てからは耳に直撃するようになった。

 転生失敗したとはいえ、女神の支配下であることは変わらない。人型スライムは頷くことで了承とした。

 

 それが間違いだったかもしれない。

 

 魂が抜けたようなケイジは、なすがままだった。

 朝の準備や朝食、その他諸々は執事を始めとした有能な使用人達のおかげで手間はかからなかったが、詰め所に向かうまでが大変だった。

 魔導騎士団の詰め所は貴族街、商店街、住民街を抜けた先の結界の壁近くである。

 

 まずは貴族街で巡回の騎士に怪しまれたが、事前に執事から「ドラコー家のセバスの使いです」と言えば大丈夫だと伝えられていたので、その通りにした。

 すると巡回の騎士達は何かを納得したように頷き、人型スライムを見逃してくれた。

 

 次に商店街だったが、ここが一番の難所だった。

 朝に買い出しに来た主婦やメイド達が、一斉にケイジの方へ振り向いたのだ。

 人型スライムの審美眼が未熟すぎるのが問題なのだが、騎士の中でも玉の輿候補の美形として有名な男がいきなり現れたのだ。

 普段のケイジであれば裏道を使うなど工夫して隠れるのだが、スライムは昨日の道筋を逆に辿っただけである。

 

 迫る人波。おばさん集団の濃い圧力。期待する若い女性のギラギラとした気配。

 滅多に見れない貴族の美形騎士目当てな乙女パワーに、スライムはあっさりと突き飛ばされた。

 からーん、と洋燈が石畳を転がったので、慌てて腕を伸ばして体に寄せる。壊れた心配はしなかったが、硝子扉が勝手に開いた場合が危険だった。

 

 その間も女性陣の真ん中で左右に揺らされているケイジは、どんどん沈んでいる。

 男性の平均身長よりもかなり高いのだが、逃がさないように引きずり込まれているようだった。

 さらには商店の店員が貴族御用達の箔がほしいために、自慢の商品を手に駆け寄ってくる始末。

 

 人型スライムが渋い顔をしながら、洋燈の硝子扉を開く。

 びゅるん、と伸びた真っ黒な糸が青空商店の屋根テントに突き刺さる。

 布地に溜まった水の重みに耐えきれず、細い支え棒が勢いよく折れる。下に並べていた商品が潰され、渡来品の硝子玉が石畳の上へ散らばった。

 

 それを踏んだ商人が手に持っていたクリームケーキを空に飛ばし、髪型自慢の男に当たる。激怒の拳が喧嘩を呼び、悲鳴が轟く。

 平和な朝の商店街で大乱闘が起きて、さすがの女性陣も取り乱しながら逃げ始める。その隙を突いて、人型スライムは騎士の腕を掴んで住宅街へと抜け出した。

 

 住宅街では商店街の騒ぎを聞きつけた人々が集まっており、壁のような状態で立っていた。

 その密度へまともに正面でぶつかったが、回り道など知らない。声をかけて進むしかなく、様々な視線が集まってしまう。

 次第に商店街の喧嘩が住宅街へと波及してしまい、自警団出動などの大事件となってしまったのを、人型スライムは背中越しに聞いていた。

 

 詰め所に辿り着く頃には疲労困憊で、食堂で水を大量に飲んだ後は魔導騎士団で働く人々に騎士の業務部屋を聞き回る羽目になった。

 ケイジが椅子に座ったのを確認した後は、柔らかな来客用ソファで健やかに寝息を立てるスライムだった。

 

 部下の騎士達は不思議に思いながらも、青年が「ドラコー家のセバスの使いです」と告げたので、新しい小間使いと勘違いしていた。

 ドラコー家のセバス。その名前を使うだけで信用を勝ち取れる。それだけの実績と経歴を、とある執事は獲得しているのだ。

 貴族社会を全く知らない人型スライムは、予想外の信頼を得ているのだが、自身だけがそれをわかっていないのである。

 

 昼前。あと少しで昼食の鐘が響く時間。

 羽ペンを持ったまま動かないケイジの耳に、ドタバタと落ち着きのない足音が迫っているのが聞こえた。

 

「ケイ!」

 

 速度を緩められず、仕切り板に額を打ちつけてしまう。

 大きな音で人型スライムはようやく目を覚ました。倒れかけた仕切り板を支えているのは、ナハトであった。

 休日用の動きやすい服装で、シャツにベスト、ズボンにブーツ。どれも赤や青など派手な色合いをしているが、布地が一級品なので調和を保っている。

 赤髪が多少乱れているのを手櫛で直しながら、軽薄騎士は幼馴染に問いかける。

 

「お前、聖女と結婚するって本当か!?」

「はぁっ!?」

 

 今日一番の動きであった。

 驚きすぎて混乱したのか、執務机を薙ぎ倒してまでの立ち上がりである。どこん、と床がへこみそうな音と一緒に飛散する書類達。

 勢いに押されたナハトが数歩下がっており、スライムもソファで身を隠すように縮こまっている。

 

「だって俺のところにキトラちゃんの縁談が来て、お前のところは聖女が嫁ぐからって……」

「な、は、うぇっ!?」

 

 美形で有名な幼馴染の百面相と、奇怪な叫びを初めて聞いた。

 重要書類がこぼれ落ちた墨汁で汚れていっても、見向きすらしない。赤い瞳を驚愕で見開き、口をぱくぱくと開閉させている。

 

「しかも俺なんかキトラちゃんの縁談のためってことで、ジェーンにクラリス、サナやニーア、さらにはミランダとも絶縁させられたんだけど!」

 

 並べられた名前には、ケイジも覚えがあった。

 軽薄な幼馴染が熱中して惚れ込んでいた悪女達であり、ここぞとばかりに彼の金を使って豪遊していた者達だ。

 それらと縁が切れたのは嬉しい話だが、自分の婚約者と縁談話が進んでいるのは無視できなかった。

 

 何が起きているかわからず、頭の中で疑問が渦巻く中。

 

「あ」

 

 人型スライムが、間抜けな声を出した。

 

 そういえばと、思い出す。

 金の気配が薄い奴。縁結びを知らないのか。金運上昇。

 謎の洋燈から伸びた金色の糸、幼馴染の背中で燃え上がった赤黒い五本の糸。

 

「詳しく話を聞かせてもらおうか」

 

 人型スライムと幼馴染の首根っこを掴み、魔導騎士は裏庭へとずんずん進んでいく。

 それを見送る部下達は、昼食の鐘が鳴り響いたのを合図に食堂へと向かうのであった。

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