第6話「魔導騎士の受難は続く」
頭上には星と月。帰宅時間から少し外れた夕飯時。
魔導騎士と人型スライムは、騎士団の詰め所から住民街、商店街、貴族街と渡り歩く。
首都ラトラは王城を中心に広がっており、街の区分は生活していく上で自然とできあがったものである。
王族達による訪問客対応及び簡易住居などの役割を持つのが王城であり、王宮は政務や公務のような職場である。
職場に近い場所を貴族達が優先的に土地を買い、商人達が組合を作って貴族街を囲む形で店を広げた。そして一般民衆は裕福な者ほど商店街に近く、貧しいほど遠くなるような位置付けとなった。
しかし首都内の結界間際が貧民街というわけではない。
首都を囲む壁と跳ね橋の向こう側――結界内ではあるが、生活圏から外れたゴミ捨て場を中心に貧民街は広がっている。
瘴気問題が増えている中、壁の外について具体的な対策案。
ナハトが残した書類内容に目を通しながら、ケイジは背中に気を配っていた。
常に視線を動かす人型スライムは、住民街の暗い夜道も平気らしい。夜になると街の明かりは家の中から溢れる生活の火だけだ。
窓硝子の向こうで橙色の光がぼんやりと輝いている。
木枯らしが吹く季節なので暖炉で煌々と燃える火が、家族の団欒を静かに見守っている。
商店街では夜店や酒場が賑わうため、住民街よりも明るい。
扉の向こうから酒を飲む男達の喧騒や、路地裏では金銭目的の逢瀬などが繰り広げられている。
客引きの女性に声をかけられたスライムの首根っこを掴み、そそくさと貴族街へと足を踏み入れる。
街灯が輝く、明るい街並み。
しかし住民街や商店街よりも静かなのが貴族街である。
塀と門構えの先には庭、その奥に屋敷があるのが基本的な貴族の住まいである。警備用の私兵を雇っている家もあるが、貴族街では王宮騎士団が定期的に巡回していた。
商店街のような組合が雇った傭兵による警護や、住民街の有志を集めた自警団とは練度が違う。
なので。
「恐れ入りますが、お連れ様の身分についてご確認の協力を」
魔導騎士の第二隊長であっても、不審者を連れて堂々と歩くのは難しいことだった。
人型スライムはあちらこちらへ視線を動かす。それは物色しているようにも見えて、巡回している騎士にとって明らかに怪しい動きだ。
着ているのも貴族の服とはいえ古着である。巡回担当は使用人達の顔も大体は把握しているため、見慣れない顔はすぐにバレてしまう。
「ドラコー家の客人だ。余計な詮索は不要である」
「聖女様の安全が優先されるため、身分のご提示を!」
引き下がらない王宮騎士団の騎士は若く、仕事に対して真面目に働いている。
適度に経験がある騎士の場合は融通がきくが、新入りの場合は指南書通りにしか対応してくれない。
家名を出しても引き下がらなかったことを踏まえ、次の言葉を出そうとした瞬間。
かちり。
振り向く前に答えが飛び出る。
洋燈の硝子扉が開き、青い糸が巡回騎士の胸に突き刺さった。
ケイジの背中に隠れた状態で、人型スライムはまたもや怪しい行動をしたのである。
巡回騎士はナハトのように糸が見えていないらしく、糸が体内に入り込んでも反応しない。
ぼんやりと体の輪郭が青く発光したかと思うと、巡回騎士は急に口元を押さえた。
「語気を強くして申し訳ありません。お恥ずかしいところをお見せしました」
頭が冷えたのか、自分よりも身分が高い相手に追求しすぎたことを反省しているらしい。
「仕事を真面目にこなしている証だろう。気にしていない」
「あ、ありがとうございます。その、もしかしてケイジ・ドラコー様でしょうか?」
次はもじもじとした様子で、瞳を輝かせて見つめてくる。
それは憧れと尊敬を込めたものだったが、ケイジはなんとなく嫌な予感がした。
「聖女様の指導役をしているとお聞きしております。栄誉あるお役目、おめでとうございます!」
「ああ……うん。ありがとう」
「お疲れのところを引き止めて申し訳ございませんでした。聖女様のため、共に頑張りましょう!」
手を差し出されたので、握り返す。すると両手でガッチリと固定され、上下にぶんぶんと揺らされる。
若い騎士なりの激励だったらしく、満足するとそのまま巡回の続きへと戻っていった。その視界に、人型スライムは映っていない。
ケイジの大きな背中に隠れて気配を消していたスライムは、騎士の姿が見えなくなる頃に話しかけてきた。
「聖女?」
「今は何も聞くな」
謎の青い糸と巡回騎士の態度の変わりようは気になったが、屋敷の中に入ってからでないと安心できない。
早足で歩き出したケイジを、人型スライムは小走りで追いかける。一際大きな門構えの屋敷に辿り着くまで、他の巡回騎士に声をかけられることはなかった。
ただ背後で何度も硝子扉の開閉音が聞こえたので、スライムが小細工をしていることは把握していた。
「坊っちゃま。お帰りなさいませ」
秘密の裏口からこっそりと入ったはずなのに、老年の執事は慣れたように屋敷前の扉で待ち構えていた。
「セバス、その呼び方はやめてくれ」
「この爺やの世話が不要になる日まで続ける所存でございます」
実家暮らしを享受しているケイジにとって、一番痛いところを突いてくる。この老人は昔からそうなのだ。
ぐうの音も出ない主人の背中に隠れる存在を、執事は片眼鏡を動かしながら見つめる。
「失礼ですが、そちらは?お客人でしたらあらかじめご連絡をと毎度……」
「裏口から入ってきた時点で察してくれ」
「全責任は坊っちゃまが担うとのこと、承知いたしました」
絶妙に刺々しい。ただでさえ聖女の件で疲れているのに、実家でもあまり安らぐことができない。
さらに人型スライムという厄ネタまで背負ってしまったので、ため息すら出てこなかった。
玄関は広く、扉は複数。正面に階段はあるが、真っ直ぐ進む道はない。豪華なようで、人を迷わせる構造。
壁に飾られた絵画は歴代の当主だけでなく名画も多く、花瓶や置物も家名に由来する竜に関するものばかり。
ケイジにとっては慣れた光景だが、スライムは驚きすぎ視線の動かし方が激しくなっている。
首を振りすぎて痛くなりそうな動きだった。こんなオモチャを昔は持っていたかもしれない。
「ケイジ様」
可憐な声に、スライムの首振りが止まる。
全ての疲れが吹き飛ぶ。正面の階段から降りてくる淑女に向けて、ケイジは穏やかな笑みを浮かべた。
「キトラ。来ていたのか?」
「ええ、まあ」
曖昧な返事だったが、淑女――キトラはたおやかに微笑む。
少し癖のあるふわっとした長髪は華やかな金色で、瞳は温かい海のような青緑。ドレスは楚々とした水色を基調としており、誰もが褒め称えるほど美しい容姿をしている。
人型スライムは一時放置。執事が目を光らせているので、怪しい動きもできないだろう。
二人が揃えば絵画の美男美女も負けを認め、釣り合った美しさは黄金比として讃えられるだろう。そんなこともケイジは全く気づいていない。
ただキトラに対する愛は昔から変わっていない。婚約も和やかに進んでおり、あと少しで式の話が出てくる。
年の差は四歳ほどで、キトラは十八になった。彼女の美しさは衰えるどころが、増すばかりの花盛りだ。
今はまだお互い実家暮らしのため毎日とはいかないが、なるべく会うように仕事量を調整していた。
聖女が来る前までは。
「今度一緒に出かけないか?次の休みには」
「ケイジ様。お話があります」
凛とした佇まい。浮世離れした深窓の令嬢といった外見のキトラだが、芯は強い女性である。
そこがケイジは気に入っているが、彼女が言葉を遮ってまで意思を伝えようとするのは珍しかった。
静かながらも真剣な声で、美しい淑女は告げる。
「離縁いたしましょう」
人型スライム、生まれて初めての修羅場遭遇である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます