第5話「え?」

 止める間もなかった。

 金色の糸が額に突き刺さった幼馴染は、立ったままぴくりとも動かない。

 

「ナハト!」

 

 しゅるり。

 

 吸い込まれるように糸が体の内部へと入り込んでいく。尾のような先端には白い炎が小さく灯っていた。

 すると何かを思い出したようにナハトが急に振り向き、ケイジへと声をかける。

 

「ケイ、悪いんだけど残ってる書類仕事は明後日でもいいか!?」

 

 切羽詰まった様子で頼み込んでくる幼馴染はいつも通りで、少し困った顔で見上げてくる。

 ただ体の輪郭がほんのりと金色に光っている。温かい輝きに包まれて、清浄さも感じ取れるほどだ。

 謎の怪奇現象が起きているのだが、ナハト自身は光が見えないらしい。顔の前で両手を合わせているというのに、気づいていない。

 

「明日の準備するの忘れてた……兄貴、怒ると怖いんだよ」

「あ、ああ。フォーグ殿に呼ばれているんだったか?」

「そう。大事な話があるとかでさぁ、手紙じゃ駄目とか」

 

 いつも通りの会話。発光はしているものの、普段の幼馴染と差異はない。

 金色の光が少しずつ収束し、消えていく。聖女関係の仕事で疲れすぎたせいかと、頭痛の片鱗を覚えた瞬間――。

 

 火柱が立った。

 

 実家に帰ることを面倒だと愚痴る幼馴染の背中から、五本の糸が噴き出た。

 それは気味の悪い赤黒さで、のたうち回る巨大ミミズのような太さと動きをしている。

 その全てが白炎に全身を包まれて燃えており、悲鳴をあげそうな勢いでぐねぐねと暴れ回ってた。

 

 異様な光景を前に呆然とするが、ナハトの愚痴は途切れることがない。

 痛いや熱いを訴えることもないまま、白い火柱を背負っている。その内部で燃え続ける赤黒い糸達は、少しずつ形を失い始めていた。

 ケイジは横目で人型スライムへと視線を向ける。そもそもの原因は、それが持っている洋燈のせいだ。

 

 え?なにこれ、怖。

 

 スライムが浮かべている表情からは、そんな感情が読み取れた。

 もしかして説明不可能な事態が起きているのかと困惑した矢先、赤黒い糸が全て焼き尽くされた。灰すら残っておらず、白い炎も役目を終えたように消える。

 愚痴を言い終えた幼馴染は、ケイジの珍しい表情に目を丸くする。

 

「どうした?口なんかぽかんと開けて」

「あ、いや……せ、背中側に糸屑がついているぞ」

「正面から見えるくらい大きいのかよ!?取ってくれないか?」

「ああ。後ろ向いてくれ」

 

 背中には何もない。燃えた痕跡や、赤黒い糸の破片さえも。

 まるで悪夢を見ているような気分だったが、怪我一つないナハトの様子にほんの少し安堵する。

 

「取れたぞ。まあ書類は俺がやっておくから、今日はもう帰れ」

「悪いな。今度奢ってやるよ!」

 

 相当急ぎの用事を思い出したのか、それだけ言い残すと風のように去ってしまう。

 食堂には再びケイジと人型スライムだけの状況。床に転がっていた六つの樽は、いつの間にか壁際で綺麗に並べられていた。

 

「……何をした?」

「金運上昇」

 

 スライム自身も釈然としない部分があるらしく、思い悩んだ表情で告げてきた。

 

「もっとわかりやすく説明できないのか?」

「少し待ってくれ」

 

 またもや耳を塞ぐ動作をしており、片頭痛で苦しむ人間のように目を細めている。

 数十秒ほど経過した後、人型スライムは鎖の先で揺れる洋燈をケイジの目前まで吊り上げる。

 

「女神の役目は知っているか?」

「当たり前だろう」

 

 天の女神、地の男神。

 二柱による創世神話は、子供の頃から寝物語に教えられる。

 

 原初には混沌の海しかなかった。あらゆるものが内包されているが、全てが混ざって分離できない状態だったという。

 それを遠くから見つけた二柱は、女神の糸と男神の針を使って世界の要素を釣り上げることにした。

 煌めく星と一緒に月と太陽を飾れば空に、土を盛れば山に。逆に土をあえてへこませて、そこに水と塩を注げば海になった。

 

 途中までは上手くいった。

 しかし混沌の海が二柱以外を全てを呑み込んでしまった。

 

 二柱は気づく。これは一度「滅んだ世界」なのだと。

 混沌の海は成れの果て。原因は瘴気だとわかった男神は、世界全てと言っても過言ではない混沌の海を飲み干した。

 そして体を丸めた男神は、言葉を残す。

 

 ――私が土台となり、世界を作る。

 ――代償として自由に動くことはできないだろう。

 ――女神よ。天から私を見守っていてくれ。

 

 創世の始まり。世界の基盤は男神の体であり、その内部では混沌の海から要素だけを針で釣り上げ、誕生を言祝いでいる。

 しかし混沌の海を作り上げた原因の瘴気を完全に抑えきることは難しく、男神の体を蝕んでいる。

 そこで女神は人類という形を整えた。男神の体を癒すために神子を運命の糸車で作り上げて、瘴気を浄化するように言い渡した。

 

 運命の根源は天から伸ばされる女神の糸。

 男神のため、世界のため。女神は古からずっと糸車を回している。

 

「慈悲深き女神は運命の糸で人々を正しい道に進ませる」

「……?」

「そして運命とは個人ではなく、世界のために必要なものだ。故に神子のような特別な存在にだけ与えられる。

 これも女神の尊きお考えによって我々に与えられた自由であり、試練である」

「……??」

「魔物には理解が難しいかもしれないが、信仰心が芽生えたら女神のご加護が与えられるかもしれないぞ」

 

 人型スライムが理解不能といった表情を浮かべ、ケイジの顔を凝視していた。

 神聖教会は女神と男神を奉る国教であり、ルビリア国民の多くは神聖教会の教えを受けている。ケイジも熱心というほどではないが、女神信仰を保持している。

 真面目な顔で女神について語る騎士に、スライムは憐憫と哀愁及びその他諸々な感情を抱いた。最終的には同情の微笑みで呟く。

 

「愚直もそこまで行けば美徳か」

 

 小さい声だったので、運よくケイジの耳には届かない独り言だった。

 

「効果が出るまで時間がかかるらしいから、すぐには信じてもらえないだろう。

 それでも自分はあの人間に幸せが起こるように、願っただけだ」

 

 貰った服の布地表面を撫でて、人型スライムは当然のように告げる。

 

「いい人間だったからな。お前とよく似ている」

 

 言葉が出てこなかった。

 いつも悪い女に騙されて、軽薄だけれど常に明るい幼馴染。騎士として人助けは当然だと言って、貧民に少しのお金を与えたのも一回や二回ではない。

 それを咎めたことは一度もない。ケイジから見てもナハトの行為は悪いことではなかったからだ。

 

 むしろケイジができないことを、ナハトは身軽にやってしまう。

 いつも無愛想な上に無表情が多いせいで、真反対な二人と言われるのも慣れていたのに。

 

「自分はできれば争いたくないが、どうする?」

 

 問いかけられる。目前ではペンデュラムのように揺れる洋燈。

 人型スライムも警戒し始めたらしく、ケイジの一挙手一投足を見逃さないように視線を固定している。

 倒す理由はいくらでも作れた。人型とはいえ、スライムの倒し方は山のように存在する。始末するのは簡単だった。

 

「……俺もだ」

 

 脅威の度合いは未知数だが、いつの間にかスライムにほんの少し好感を持ってしまった。

 それも全て幼馴染のせいにしておく。あの身軽さとお人好しな部分に、時折憧れていたのが敗因である。

 

「そうか」

 

 警戒は解いてないが、スライムは洋燈の鎖をズボンのベルトに括りつけ、腰で短く揺れるように吊り下げた。

 納刀の意味を込めているようだ。指先一つで動かせるものだと知っているケイジからすれば、恐ろしい道具のままである。

 

「もしもナハトの身に何かあったら、その時はすぐに細切れだ」

「え?」

 

 そこで何故か動揺するスライム。

 青い瞳であちらこちらに視線を動かし始め、耳を塞ぐ動作を時折混ぜている。


 謎は多い。しかし攻撃的でもなく、会話も可能。外観だけならばすぐに魔物とはバレない。

 有益と損害を天秤にかけて、ほんの少しの期待を込めて提案する。

 

「とりあえず俺の実家に来い。詳しい続きはそこで聞いてやる」

「え?」

 

 耳を塞いでいたせいで聞こえなかったらしい。

 この判断が正しいかどうか揺らいだが、もう一度同じ内容を告げるのであった。

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