第4話「軽薄騎士は気づかない」

 食堂の入り口に立っていたのは、魔導騎士団第二副隊長のナハトだった。

 肩まで伸ばした赤髪をひとまとめにしており、魔導騎士団を象徴する黒の騎士服もマントなどは脱いだ軽装状態。

 手にはインクが掠れた跡が残っており、事務仕事の合間に一休みを入れにきた姿である。

 

 緑の猫目で剣を振り上げているケイジを見つめ、次に銀の洋燈の硝子扉に指をかけてる来客を視認する。

 床には転がった空の樽が六つ。酒の匂いはしないので、目前の光景が泥酔の末に起こる惨劇ではないことを把握。

 

「ケーイ。騎士として恥ずかしくないのか?」

 

 幼馴染にいつもの呼び方をされた上、軽い説教をされる。そのことに現状が他者の目線でどう見えてるか理解した。

 武器を持たない一般人に剣を振り上げる騎士。人型スライムは外観だけならば完全に人間であることが、ケイジにとって悪い方向へ働いている。

 

「違っ、こいつは」

「……ぐすん」

 

 状況は悪化へと加速した。ケイジからすれば無表情で涙をこぼす人型スライムなのだが、手を使って上手く顔を隠している。

 

「で、どんな理由があれば泣いた相手に剣を振り上げるんだ?」

 

 咎める視線がつらいが、相手が魔物では剣を下ろすことも難しい。

 涙をこぼしながら視線を動かし続ける人型スライムは、表情が一番読まれやすい口元を隠してナハトの方へ顔を向ける。

 

「騎士様は僕のために、剣を引き離してくれたんです」

 

 一人称を変えて演技を始めたスライム。棒読みが気になるが、初対面のナハトからすればそういう喋り方なのだろうという程度だ。

 困惑するケイジを差し置いて、捏造が行われていく。

 

「僕、お金がなくて行き倒れていたところを騎士様が助けてくれて……」

 

 半分ほど真実なのが、口を挟みにくい要因である。

 おかげで床に転がる樽に関しても、水や食料を与えていた痕跡としか思われてない。

 数の多さに関しては、転がっていることから他の騎士の仕業かとナハトは勝手に勘違いする。

 

「せめてものお礼にこの髪をと思ったのですが、剣を借りようとしたら危ないからと取り上げられたんです」

 

 カツラ用に髪を売るのは、貧民の間では元手がかからない金稼ぎの方法だ。男女問わずに行えるのも利点の一つである。

 ケイジやナハトには縁がない商売だが、行き倒れていた一般人の身分説明としては申し分ない内容だ。

 どこからそんなことがスラスラと出てくるのか不明だが、人型スライムは視線を動かしながら話し続ける。

 

「やっぱり僕からのお礼なんて嬉しくないですよね……」

 

 くすんくすんと泣くスライムに同情したのか、ナハトは二人へと近寄ってくる。

 軽薄で女遊びが絶えない幼馴染。涙脆く、すぐに同情して悪い女に騙されるのが日常茶飯事なのをケイジは知っている。

 そのため次の言葉は考えるまでもなく、わかってしまう。

 

「誤解して悪かったよ。騎士として人助けは当たり前だ。お金なら俺が貸してあげるよ」

 

 そう言って女神が彫られた金貨数枚を机の上に置く。一週間くらいは食うのに困らない金額である。

 とうとう悪女だけでなく、魔物にも騙されるようになってしまった。詐欺に引っかかったことはないが、時間の問題かもしれない。

 心配するケイジを横目に、ナハトは泣き真似をやめたスライムの服装を見る。

 

「というか寒くない?外套もボロいし」

 

 ゆったりとした外套は裾が灰で汚れ、枝に引っかけて千切れたような破れ方が複数箇所。

 その下は袖なしのワンピースの形にした布地一枚と帯紐。木枯らしが吹く季節には、誰が見ても季節外れと言うだろう。

 靴も藁を編んだもので、ほつれて今にもバラバラになりそうだった。旅人というには軽装すぎるが、貧民街の住人と呼ぶほどやせ細っているわけではない。

 

「俺の古着をあげるよ。ちょっと待っててくれ」

 

 返事も聞かずに詰め所の個人用物入れへと向かったナハトの足音が聞こえなくなった頃、人型スライムはポツリと呟く。

 

「あの人間は用心を覚えたほうがいいと思うぞ」

「お前が言うな」

 

 騙した方まで心配になるお人好し。短所ではあったが、同時に長所として後輩に慕われる性格だ。

 スライムは初めて見る金貨をじっくり眺めた後、ケイジへと差し出す。手の平に乗った金貨に罠の気配はない。

 

「あの人間に返してくれ」

「は?」

「金の気配が薄い奴からの施しは貰いにくい」

 

 ナハトは軽薄が真っ先に出てくる印象だが、身なりや顔立ちは上の中だ。趣味のピアスも細工が美しい銀飾りを愛用している。

 一見は遊び慣れた貴族の次男坊だ。実際は五人兄弟の末っ子で、将来的には騎士業等の功績で爵位を手に入れないと危ない立ち位置ではあるが。

 しかし一人暮らしをしながら、実家の仕送りはちゃっかり受け取っている。少なくとも現在は貧乏からは縁遠く、お金に困ることはない。

 

「受け取ったらさっきの洋燈で攻撃するつもりか!?」

「あれは攻撃ではない。縁結びを知らないのか?」

 

 これが部下の戯言だったら訓練追加を言い渡し、ナハトの冗談であれば軽く小突いていたところだ。

 魔物の言葉は聞かない方がいいかもしれない。鞘に戻していなかった剣を静かに動かそうとした矢先、ぱたぱたと小走りの音。

 

「お待たせ。おいおい、ケイ!いつまで剣を出しているんだよ?」

 

 ナハトに言われて気づいたのか、人型スライムは視線を即座に剣の刃へと注いだ。

 スライムの体は透明な皮膜に覆われており、中身は水分が大半だ。

 この皮膜は伸縮性が高い。薄く伸びた後に元の形状へ戻れる性質は、魔法使い用の衣服に好まれている。

 だが叩かれるのには強くても、切断などにはさほど抵抗力はない。だからこそ衣服の材料として好まれる一面もあるのだが。

 

 すすす、と人型スライムは長椅子の上を滑るように移動した。違和感が出ない程度の距離だが、確実に離れている。

 生命核を壊すことが死亡条件ではあるが、それ以外の弱点も多いのがスライムだ。腕があっさり千切れたところを見ても、そういった特徴が失われていない。

 問題は人型――体が大きいことだ。生命核の位置も、透明ではないので不明。千切りは容易くとも、死亡に至るまでどれくらいの時間がかかるか。

 

 騎士団の詰め所。

 目の前には無警戒でなにもわかってない幼馴染。

 目的不明の人型スライム。

 

 わずかな逡巡を終えて、ケイジは剣の刃を鞘に戻した。

 かちん、と小さな音。それを聞き遂げたナハトは嬉しそうに笑う。

 

「なあなあ!ケイは無愛想であんまり笑わないけど、根は優しすぎて苦労背負い込むタイプだから!」

 

 食堂のテーブルに小さな山のようになった服を置き、人型スライムへ話しかける幼馴染。

 擁護なのかどうか判別はつかないが、なんとなく苛立ったのでふくらはぎを靴のつま先で軽く蹴ろうとした。

 長年の付き合いにより、ひょいっと膝を動かすだけで避けられてしまった。身軽さではケイジよりも上なのである。

 

「助けられたご恩がありますので」

 

 棒読みスライムはぺこりと頭を下げた後、服の山を崩して古着を手に取った。

 新品ほどではないが、丁寧に使われてきた白シャツにシミは見当たらない。ズボンも裾上げした痕跡はあるが、ほつれなどもなかった。

 冬用の上着や靴も一通り揃えてあったらしく、着替え終わる頃には人型スライムは貴族の下男程度の身なりとなっていた。

 

 生地の値段を見たら、貴族の子息と同等。

 中流階級の古着屋に流れてきたら、見る目がある人物があっという間に掻っ攫ってしまう一級品だ。

 水色のコートに茶色のベストと白シャツ。ズボンとブーツは黒に統一しており、人型スライムの白髪や青い瞳と調和する色合いだ。

 

 スライムも服の着心地が気に入ったのか、脱ぎ捨てた外套との質感を交互に触って確かめている。

 生まれて初めて豪華な食事を口にした子供のような反応を、ナハトは楽しそうに眺めていた。

 

「ありがとう」

「どういたしまして」

 

 先ほどまでの棒読みとは違う、心から出た言葉。

 しかしケイジの赤い瞳が捉えたのは、人型スライムの指先がさりげなく洋燈の硝子扉を開けようとしているところだ。

 白い炎の中心で糸車が激しく回転し、洋燈の内部から弾けるように扉が開いて糸が直進する。

 

 矢の如く、金色の糸がナハトの頭に突き刺さった。

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