第3話「魔導騎士と人型スライム」

「つまり新種ではないんだな?」

「特殊ではあるがな」

 

 そんな韻を踏んだ返しは不要だと、魔導騎士団第二隊長のケイジは心の中でぼやく。

 王都の中でも結界の壁に近い場所――魔導騎士団第一詰め所。

 窓の外では夕焼けもぼんやりと消えて、夜の闇が静かに広がる時間帯。騎士団の詰め所とはいえ、食堂は静かなものだった。

 

 まず料理人は終業の鐘を合図に帰宅準備を始め、暖かい我が家に帰る。詰め所に残るのは夜番担当と残業に苦しむ騎士くらいだ。

 そのためケイジが見知らぬ「何か」を連れて来ても、誰も咎めない。水が入っていた樽が五つほど転がっていても、問題はそれほど大きくならない。

 

 六つ目の樽を両手で支え、中身の水をぐびぐびと飲んでいく人型スライム。

 新入りを迎える際に行う宴会で、一気飲みをする同僚達の姿と酷似している。最近では健康に悪いとのことで、自粛が強まってあまり見かけない。

 

「美味しかった。ありがとう」

「……ん?」

「人類は助けてくれた相手にお礼を言うのだろう」

 

 予想していなかった言葉に、ケイジは把握する時間がかかった。

 目の前で無防備に水を飲んでいる人型スライムを眺めながら、手はいつでも剣を抜けるように構えていた。

 少しでも怪しい動きをしたら斬ろうと考えていたのが、人として恥ずかしい態度だったのではないかと考え込む。

 

 魔物。 

 瘴気を浴びて変質し、全く違う生命へと変貌する生物。一定の法則により発生する種類は把握されているが、新種も毎年増えている。

 その中でもスライムは代表的存在だ。瘴気を浴びた水からポコポコ大量発生し、基本が無害なので捕まえやすい。

 魔法学校でも教材として扱われており、魔道具作成の素材としても扱いやすく流通数も多い。

 

 それが人型になっているなど、異常事態だった。

 しかも言葉が通じる上に常識も通じる知能の保有など、固有名付与対象として扱われてもおかしくない。

 スライムで固有名付与対象になった個体は存在しない。歴史的な瞬間かもしれないが、それは前置詞に最悪がつく可能性もある。

 

「どうやって街中に入った?」

 

 王宮があるのは、ルビリア王国の首都ラトラ。

 神聖教会の国造神殿も存在し、三大騎士団の本部も備わっている。

 生活区域としても城塞都市として大型に分類され、女神の守護である結界も強化を重ねており、ここ百年は魔物の侵入を許したことな一度もないのが自慢だ。

 

 それなのにスライムが水を美味しそうに飲んでいる。

 改めて目前の現状について、座りながら目が眩みそうになった。

 

「……女神の許可をもらった」

 

 心底嫌そうに吐き出された言葉は、思考の回転率を鈍らせる類だった。

 

「許可を、もらう?神託ということか?」

「まあ……そう、なる……らしい」

 

 途切れる言葉に違和感を覚えるが、それよりも人型スライムが耳を押さえていることが気になった。

 虫でも飛んでいるのかと思ったが、季節は雪が降る手前。木枯らしのひゅうひゅうといった声が壁の隙間から耳に届く時期。

 虫達も雪を越すための準備を始めるなどして、人前に出てこなくなる。少なくともケイジには何も聞こえなかった。

 

「魔物が神託を授かったなど、ホラ吹きでも言わんぞ」

「自分だって聞きたくなかった」

 

 キッパリとした断言だった。

 誰が聞いても本心から出てきた言葉だとわかるくらい、強い感情がこもっていた。

 

「神聖教会の大神官様ならば納得できるが……」

「……美形の?」

「ハンス様はそうらしいな。って、知っているのか?」

 

 問いかけた先では、空中を見上げているスライム。青い瞳が視線を彷徨わせており、軽い舌打ちをこぼしてからケイジへと向き直る。

 しかし魔物も人類の美醜が理解できるのだろうか。今が人型であることから、感性が近づいたとなれば魔導学会が大盛り上がり間違いなしだ。

 

 スライムの外観は男性に近いが、断定はできない。

 腰まで届く長髪は白。ただし前髪は視界を遮られるのが鬱陶しかったのか、眉毛の上で乱雑に切られている。

 瞳は青で、妙にあちらこちらへと視線を動かしている。肌の色は健康的で、少なくとも青白くはない。胸や尻は平坦で、全体的に細長い青年という印象だ。

 ゆったりとした外套を羽織っているが、下の服装は古代の様式に近く、長い布を体に巻いて帯紐で止めている。細長い白のワンピースを着ているようなもので、決定打に至らない。

 

「知らないが、そう聞いた」

「誰に?」

 

 長い沈黙。しかし表情を隠すというのを知らないのが、スライムはうんざりした顔でため息を吐いた。

 そして耳を押さえている。ケイジの耳には何も聞こえないし、虫が飛んでいる気配もない。癖と呼ぶには、意識的な動作である。

 

「疑いたい気持ちはあるが、状況としては信じるしかないか」

 

 女神の守護。その信頼は人類の生活区域拡大が増え続けていることが証明している。

 目に見えない力場。人類を許し、魔物の侵入を防ぐ。その効果は強化することも可能で、三大派閥の魔導学会が権威の一つとして数えられる理由だ。

 結界なしの生活は考えられない。人型スライムが抜け穴で忍び込んだよりも、女神の許しをもらった方が説得力はある。

 

「だが騎士として魔物が街中にいるのを見過ごすことはできない。お礼よりも目的を言ってもらおうか」

 

 六つ目の樽を床に転がしたスライムを睨めば、机の上に置いていた銀色の洋燈に手を伸ばしていた。

 それは千切れたはずの腕だったが、水を一口飲んだだけでくっついていた。切れ目や傷もなく、滑らかに指を動かしている。

 

 ペンデュラム型の洋燈。

 吊り下げる鎖の先には、水晶のように先端が尖った六角柱の筒。

 

 かちり。

 

 洋燈の側面は両開きの硝子扉になっていた。

 内部で燃えていた白い炎が金粉のような輝きを散らしていたが、そこからゆるりと糸が伸びてくる。

 青い糸。きめやかに細く、絹糸のような光沢を宿している。

 それが鎌首をもたげたと思うと、蛇が獲物に襲いかかるように一直線に突き進んだ。

 

 剣で切ろうとしたが、糸は刃をすり抜けた。

 そこから先は反射神経と予測だけで首を動かし、高速で横を通り過ぎた糸に戦慄する。

 一流の槍使いが渾身の力を込めて放った刺突。それに比類する速度は、常人ならば認識するのも難しかっただろう。

 

「見えている?」

 

 スライムが初めて驚愕の表情を浮かべた。

 すると糸が巻き戻るように洋燈の中へ吸い込まれ、両開きの硝子扉が閉まる。

 静かに燃える白炎。睨みつければ、内部で小さな糸車が中心で回っているのが見えた。

 

「魔道具か!?」

「女神の備品」

「ふざけるなっ!」

 

 気まずそうに答えるスライムに対し、激昂して反論する。

 明らかに攻撃の意思を見せておきながら、まだ女神を建前に置こうとする姿勢にも苛立ちを感じていた。

 

「ふざけてるのは女神の方だ。転生失敗をやらかすわ、常に余計な口出しで意識を逸らしてくるわ……今もうるさいっ!」

 

 途中まで冷静になろうとスライムも努力していたのが、最後には日頃の鬱憤を晴らすように怒鳴った。

 その剣幕に若干押されかけたが、ケイジも騎士として場数を踏んでいる。迷わずに斬りかかろうと剣を振り上げた矢先。

 

「なにやってんだ?」

 

 声だけで軽薄だとわかるような男が、雰囲気最悪の二人に話しかけてきた。

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