第2話「一人目が酷かったんです」

 神子。それは女神が選んだ救世主であり、世界の希望。

 浄化の力で瘴気を中和し、星の器を魔力で満たす。この世の土台となった男神を癒し、未来を約束する存在。

 

 なのだが。

 

「ケイジ様。本日もよろしくお願いしますわ」

 

 鳥肌が立つほどの甘い猫撫で声。艶々とした肌は化粧水のおかげだとか。

 ふわふわとしたショートボブは妖精の髪型と言われているが、肉食獣の気配が強すぎる。足を見せるスカート丈はいかがなものだろうか。

 二人目の「聖女」を前に、魔導騎士団第二隊長のケイジは心の耐久力がすり減っていくことを覚悟した。

 

 約三ヶ月前、一人目の神子が死んだ。

 最も危険と言われる竜谷の浄化へ赴き、竜型の魔物に遭遇。早数分で護衛の騎士達に見捨てられ、呆気なく八つ裂き後に焼かれて灰も残らなかった。

 浄化の力は歴代最高の呼び声高く、性格は歴代最低を更新。いわゆるクズだったが、騎士に見捨てられた理由を知っているケイジは苦笑いで誤魔化すしかない。

 

 暴行、姦淫、消費癖、大食らい、怠惰に傲慢。

 欠点を挙げればキリがなく、長所は浄化の力以外は皆無。女神の人選について生まれて初めて文句が出そうだった。

 特に一番の悪評は「女神の森に火を放ち、ルビリア王国の広大な国土の五パーセントを灰だらけにした」ことである。

 

 そんなこんなで万々歳半分、後任を決めなくてはいけないの大混乱半分な状況が一ヶ月ほど続いた。

 ルビリア王宮、神聖教会、魔導学会の三代派閥の話し合いに一ヶ月。

 二人目を召喚しようと決定し、実行したのが一週間前である。

 

 そうして異世界から少女が召喚された。

 ゲンエキジョシコウセイだとかなんとか早口の自己紹介後、興奮した様子で「オトメゲー展開やったるぞぉ!」の叫びは歴史書に刻まれた。

 儀式立ち会い人として、魔導学会代表のケイジもその場にいた。ギラギラした黒い瞳と目が合った瞬間、嫌な予感で寒気がした。

 

 そして何故か魔法学の先生に指名。歪な口調を使う聖女の相手をさせられる毎日だ。

 一人目の神子が最悪すぎたので、二人目の神子は「聖女」と呼ばれるようになった。

 主に神聖教会の印象戦略なのだが、瘴気被害が急速に広まっている現在において民衆達にはわかりやすい内容だったらしい。

 

 街では聖女饅頭が売られるほどの大人気だとか。

 土産でもらったのを一個食べてみたが、場末で買った類だったらしく人生で五番目くらいに不味いものだった。

 そうやって思考を彼方に飛ばすケイジの二の腕に、聖女がぴっとりと寄り添ってくる。

 

「ケイジ様。ここはどういう意味ですの?」

 

 三日前に教えた内容だ、阿呆。

 その言葉をぐっと飲み込んで、ケイジは一から説明をする。

 浄化の力は神子だけが使えるわけではないが、同等のことを一般の魔法使いが行うには最低限で百人ほど用意する必要がある。

 そのため魔法の基礎と一緒に、浄化の力が使えるように指南する。それがケイジに与えられた先生の役目だ。

 

 一人目は魔法使い一万人と同等の浄化を行えた。

 聖女にも同じくらいの能力を求められているのだが……。

 

 魔法使い百十人くらいの浄化しかできなさそう。

 

 授業をしながら感じる魔力量から、ケイジはそう計測していた。

 すごく心許ない。一人目は最低のクズだったが、歴代最高峰の魔力を保有していたのが理不尽に感じる。

 魔法使い百十人揃えるよりは、聖女一人の方が有益ではある。それでも歴代神子の伝説を聞いていた側としては、頼りなさすぎる。

 せめて二百人、いや千人くらいの魔力がほしかった。

 

「というわけで、本日はここまで」

 

 ようやく終業の鐘が鳴る。窓から差し込む茜色の日差しに、ほんの少し心が救われるようだった。

 

「そんなぁ。もっとお話してくださいな!」

「魔法の授業ばかりでは退屈でしょう?明日は文化の授業を第二王子が直々にしてくださると聞いておりますが」

「げ……い、いえ。なんでもありませんわ、おほほほほ」

 

 明らかに不満そうな表情を一瞬だけ浮かべた。そっちの方が好感を持てるのだが、聖女は隠したがるのだ。

 貴族令嬢の口調を真似ているようだが、使い慣れていないせいで聞いている方も違和感しかない。

 表面を取り繕った聖女は、明後日を楽しみにしていると微笑む。しかし瞳は相変わらず肉食獣のままだ。

 

 王宮の長い廊下を歩く。ケイジの騎士服は黒色で、赤の騎士服を着た王宮騎士団が嫌悪感を隠さずに横を通り過ぎていった。

 王宮警護及び王族とその関係者については王宮騎士団管轄だ。本来ならば王宮主導で行われた聖女召喚の功績から、聖女の教育係も王宮騎士団が全て務める予定を立てていたのに。

 神聖教会が横槍を入れて、三大派閥で担当授業を分割。一番立場が弱い魔導学会は指名の件から学会担当授業を全てケイジに一任。

 

 各方面の妬み嫉みを一身に受け取る羽目になり、人生で初めて白髪が生えそうなほど心労が溜まっている。

 真っ黒な髪に、紅玉のような瞳。侍女達の熱い視線を集める美貌。二十二歳の若さで隊長就任、魔導学会が認める魔法学校主席卒業や名門貴族の三男坊など。

 その全てが悩みの種を育てる原因になっており、ため息を吐いても軽減することはなかった。

 

 王宮から街路へ出て、騎士団の詰め所へと足を向ける。

 夕焼けに照らされた街中では帰宅する人々が笑顔を浮かべており、明日の約束を慣れた様子で結ぶのだ。

 その日常が眩しすぎたので、細くて薄暗い裏道を使おうとした矢先。

 

 人が倒れていた。冷たい日陰の下、石畳に全身を預けている。

 急病人かと、慌てて駆け寄る。体を持ち上げれば柔らかく、ぐにゃりとした感触が手の平に返ってきた。

 銀の洋燈を掴んでいた右腕がぶつりと千切れた時、異常なのは状況ではなく倒れている「何か」自身だったと気づく。

 

 千切れた腕の断面は、ぶよぶよとした透明な皮膜。

 ぼたぼたと石畳を濡らすのは大量の水。臭いなどは皆無で、煙を発生させることもない。

 顔や髪などは人間そのものであることが、柔らかく千切れた腕の異様さを際立たせていた。

 

「スラ、イム?」

 

 瘴気から発生する魔物の一種。水場で誕生し、水分さえ摂取していれば無害であると報告されている。

 ただし水分を大量に失うと見境がなくなり、近くにいる生物の水分全てを奪って干からびさせてしまう危険性を備えている。

 透明な体の中にある生命核さえ壊してしまえば、子供でも倒せてしまう弱点によって脅威とは見なされていない。

 

 今までは。

 

 人間にそっくりに擬態する生態も、それを使って街中に侵入した前例も初めて。

 村や街など、人類の生活区域には女神の守護――結界が張り巡らされている。擬態する魔物はそれで概ね防げるはずが、適用されていない。

 騎士として即座に始末しようと剣に手をかける。銀色の刃が鞘から抜き出る途中、人間型スライムは声を出す。

 

「おみずください」

 

 スライムは水分さえ摂取していれば無害である。

 魔法学校入学直後の授業で教わる、超初歩的な内容が頭の中を駆け巡った。

 授業でスライムの世話なども体験し、長期休暇を経て干からびたスライムの生命核を魔法石に加工なども修得済み。

 

「……」

 

 スライム一匹くらい助ける方が楽なのでは?

 聖女の相手で疲れていた騎士は、倒すことさえ面倒になっていた。

 騎士服装備であるマントを取り外し、千切れた腕ごと人型スライムを包んで持ち上げる。

 

 全身がほぼ水分なのは人間と変わらないらしく、ずっしりとした重みが両腕に負担をかける。

 

「どれくらい飲みたい?」

「樽三つは……余裕……」

 

 このスライム図々しいぞ。

 そう思いながらも騎士団の詰め所まで運ぶのであった。

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