第22話

虚無感に支配された体を動かす気は起きなくて僕は家にこもり続けていた。誰にも会いたくなかった。ネオンやツユハにも会いたくなかった。二人に対して僕は酷い人間といえる行いを沢山おかしてしまった。僕が彼らの立場ならどれだけ苦しんでいたのだろう。親友である二人が記憶を失えば。その片側が病気で死ぬ時期が決まっていたのならば。僕はそれを自分の胸の内に隠し続けて二人と良好な関係を気付くことができただろうか。最後には見守った人間に見捨てられる可能性がありながらも見守ることができるだろうか。できるのかもしれない。愛がなければできるのかもしれないが、彼らは重たい重圧の中で生きていたに違いない。例えこのいかれた空間で過ごしている住民であっても苦しかったことに違いない。二人できっと悩みながら決断をしたのだろう。僕とユリナが仲良くしていた頃に思いを馳せながら、涙ぐみながら決断をしたのかもしれない。ロアルスの皮に入っているのは別の人間でそれは僕であることを嘘をついていたのに。彼らは当たり前に真摯に受け止め悩んで決断した。

 本当に僕はなんなのだろうと僕は思った。

 気付けば二週間が過ぎ去っていた。

 死にたい気分なのに空腹で食事をとり生きている自分が心底情けなかった。憎んでいた父親が部屋の前に置いているのを取って部屋で食べるのはとても悔しい気分だった。自分の人間としてのちっぽなところを突きつけられているかのようで情けなかった。僕は所詮この程度の人間で世界には何の影響ももたらさない人間なのだと主ながら飯を食った。そう考えるあたり僕は僕が思っている以上に自分が特別であると考えているのかもしれなかった。あと一か月と半月で世界は滅びるのだと思いながら僕は眠ろうとして、眠れなくて、それでも寝る日々を送った。そのような日々を送っているとネオンとツユハが家に来た。きっと僕のことを心配しているのだろう。だがこの世界の住民はもうユリナのことを忘れてしまっている。ユリナという恋人がいない人間であると僕は認識されている。その考えに至った瞬間に僕は嫌なことを思い出してしまった。ツユハが僕に告白してきたことを思い出してしまった。ツユハは苦しみから解き放たれたような顔で僕に告白をしてきた。神様を尊ぶような顔で僕に告白をしてきた。全てに感謝をしていた信仰者のような雰囲気で涙をぽろぽろと流しながらだ。僕は思い出すだけで泣き出しそうになった。断ったからではなくて自分が惨めで仕方がなくて泣きそうになった。逃げるという選択を取っている自覚はあったが扉の前に気配を感じた瞬間に僕は言った。帰ってくれと。そこにいたのだろう二人の小声が微かに聞こえた。二人は足音を鳴らして帰っていった。なんだろう。僕が精神的に苦しい状態に経たされていることを声や空気感で悟ったのだろうか。だとするならば僕はもっと酷い人間になってしまうではないかと僕は自重気味に笑った。

 次の日になると先生が押しかけてきた。仮病は許さんぞとドアの外から聞こえた。入って言いですよと布団に入ったまま僕は言った。ネオンやツユハたちを追い出したことへの罪悪感からなのか人が恋しくなっているのかもしれなかった。

「魂が死んでいる」と先生は言った。

「魂が死ぬのって命がなくなることくらい辛いですよ」

「命を失くしたことがないだろうお前は」

「ユリナと言う名前に聞き覚えはありませんか」と俯いて先生に訊いた。

「なんだそれは。魔獣の名前か」

「もういいです」

 僕は布団の中に潜った。真っ暗だった。暗いのかは悲しいが何も見えないから楽だなと思った。

「お前にただならぬ事情があることは言外に伝わってくる。本当にな。大会が始まるまでの期間、おまえたちは三人で修練に励んでいたからな。それくらいの気概を有して特訓に臨んでいたお前がそうなったんだ。優勝までして幸せの有頂天のはずだったのにもう学校にも来なくなっていた」

「優勝しても虚しいだけでしたよ。意味なんてなかった。でもその優勝には価値があったのかもしれない」

 大切な人がいてくれたのならと言おうとして口をつづんだ。ネガティブな内容を言葉にしたら楽になれていたのは最初だけだった。今となっては暗澹とした世界に迷い込んだような気持ちになるようになった。自らの発言で傷つのは面倒くさい。無意識に反芻してしまう過去だけで僕を傷つける要素は十分だった。

「来いよ、学校に」と先生は言った。

「帰ってください。もう話したくない。疲れた」

「帰れるわけがないだろう」

「努力をしている僕に価値を感じていただけでしょう。努力家っていう拍は無くなりました」

「そんなことはどうでもいい。とにかく学校にはこい」

「強引ですね。義務感に突き動かされているんですか」

「私情だ」と先生は言った。「連中たちはお前を心配してるんだ」

「連中と言うのはクラスのみんな?」

 先生は肯いた。ふざけるなと僕は思った。ユリナの存在が消えたことにより、クラスメイト達が僕に抱く価値観が自動的に変わったのだろう。大会で優勝した強い男と言う認識に変わったのだろう。無慈悲に回り続ける世界は心の底から憎悪するにたりほど腐っていると僕は思った。ユリナの存在を感じようとすれば遠ざかっていく。遠ざかっていくユリナは幻影で、僕はそれがわかっていても追いかけてしまう。これが延々と続くのなら僕の自尊心はやがてガラス片のような無残な姿へと変わるだろう。

「もう嫌なんですよ」と震える声で僕は言った。「何も見たくない。景色だって見たくない。人の顔だって見たくない。もう何を見てしまっても感じてしまうんだ。だからもう見たくないんです。お願いです。帰ってください」

 泣きそうな声で僕が頼むと先生はため息を吐いて部屋から立ち去った。呆れたのだろう。それでいいと僕は思った。呆れられて諦められるのは楽だ。それでいいに違いない。

 僕は布団にもぐって静かに泣いた。

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