第16話

祭りが終わると僕らはまたすぐに特訓の日々に戻った。ユリナは朝でも夜でも暇があればすぐに外を走っていて、一方で僕はユリナと一緒に走ることもあれば今までと同じメニューもこなしたりしていた。経過してゆく時間の流れはとても早かった。それは努力をすることに慣れたからなのか、この世界で生きる時間に幸せを見出しているからなのかはわからないが、とにかく早かった。

 ゆるやかな風が机の上に置かれているカレンダーをぺらぺらと捲るかのように日々は過ぎ去り、大会までの残りの日数が三日になったころにユリナは体調を崩した。また崩した。

 僕は学校に行ってネオンについてユリナのことを問い詰めた。こんなにも体調を崩すのは可笑しいだろうし、そもそも僕に何も伝えてくれなかったことが不自然で仕方がなかった。

「ユリナは病気を持って生まれたんだよ」とネオンは言った。

 廊下は僕とネオンの二人だけということもあって声はよく響いた。全校生が三十名で教師が一名なのにとても広い校内には本当によく響いた。

「どうして僕には何も言わなかったんだよ」

「雑念になると思ったからだよ」

「それでも言ってくれればよかったじゃないか」

「似てきたよお前」

「は?」

「俺が知っているお前にな。記憶があったころのお前もユリナのことで一喜一憂してたんだよ」と郷愁に浸るような顔で言った。「好きになったか?」

「何度目の質問だよ。ああ僕はユリナが好きだよ」

「やっと認めたか」とネオンは笑いながら言った。

「だから怒ってるんだろ」

「悪かったよ。でもこれだけは信じてくれ。俺はお前に心配をかけたくなかったんだよ。病気だということを話せば意識せざるを得ないだろ。それじゃあ屈託なく関わり合いになることができないんだ。そうなるとお前はユリナと今みたいに慣れてたか? 慣れてないだろう」

「そうだけど」と言ったあと言葉が続かなった。

「なあ記憶は戻ったか」

「それも何度目だよ」

「俺も何度も言うべきか迷ったよ。だって親友に隠し事をするだなんてしたくないからな。例え俺の知っているロアルスじゃなくてもそれは変らないよ」

 ネオンは悲しそうな顔で仕方なさそうな笑みを浮かべた。その顔を見てしまえば僕は口をつぐむことしかできなかった。唇を嚙みしめてながら僕は自分が酷い秘密をしていることを思い出した。

「ごめん」と僕は下を向いて誤った。「ネオンはこの秘密を世界が滅びる日までもっていこうとしてたの」

「当たり前だろ。なあロア」とネオンは言った。「前にも言ったようなが気がするが、俺だけが知っている以上選択権は俺にある。俺には決める権利があるってことだよ。誠実じゃないなんて思わないでくれよ、秘密をすることが誠実じゃないことではないからな」

 よくない秘密をすることは誠実と言えるかいと訊きたかったが飲み込んだ。そんなことを聞けるはずがなかった。それは僕が僕であるから訊けなかった。僕は自分が秘密があることを忘れたくて、神経を逆なでるその話題を頭から消し去りたかった。自然消滅してくれることを願う意味で触れたくなかった。

「ありがとう。全部ネオンの言う通りだよ」とネオンが満足し、僕が自己肯定を出来る言葉を僕は生み出し吐いた。

 余計に自分の人間としての汚さが顕著になったような気がした。当然ネオンには感知できないだろうが僕の心は泥団子の表面のように汚いのにその上から更に新たな泥を被ったみたいになった気がした。僕は何様なのだろうと自虐的に自問した。だが答えなど出てくるはずもなくて僕はネオンの皮肉そうに笑っている顔を見ることしかできなかった。

「俺は嬉しいよ」と皮肉そうな笑顔のままネオンは言った。「ユリナを好きなのことが今のお前からはよく伝わってくるから」

「そっか」と僕は言うしかなかった。どうしてそう言う風な捉え方をするのかと抗弁したくなった。自分の過失を都合よく受け止められるのは不愉快なんだなと僕は初めて思った。

「お前は感情をよく見せるようになったな」とネオンは言った。「ユリナのことになると感情の起伏がとても目立つけどそれだけじゃない。お前は笑うようにもなったし怒るようにもなった。全部に対してな。お前は本当に変わったよ。昔のお前じゃないぞ。半年前の記憶のなくなったころのお前からだ」

 自分でも気づいていたことだがネオンに言われて僕はそれを再認識した。僕の中に湧き出る感情は種類も多くなった。大きさも膨らんだ。この世界に来た時と比較すると僕は精神的な面に置いてある程度は矯正されたのではないだろうかと思う。そのことの中心にいたのはユリナで他にもネオンやツユハや父さんの存在が与えた影響は計り知れないものだっただろう。過去を振り返りながら肉眼では捉えていたが意識できていなかったネオンをしっかりと見た。

「本当に嬉しそうだね」と僕は暗い声で言った。「僕は君の知る僕ではなくなってしまったよ。君が親友と言っていた僕では完全にないんだ。それなのに嬉しそうだ。それは嬉しいことなのかい?」

「当たり前だろう。記憶を失ったお前といたのは半年間だが、半年間もいればお前が別人でもなんでも親友と同じようなものだろ」

「とは思ってないでしょ実際」

「まあそうだよな。親友と定義してもいいのかは怪しいよ。時間と関係性を比例させて考えるのは無意識的に現実から逃避をしている証拠だ」

「いつものネオンで安心したよ」と僕は笑った。「改めて、ごめん。何も知らなかったとはいえ怒って」

「気にするな。伝えてなかった俺にだって責任はあるんだ」とネオンは言った。

「まあとにかくユリナは酷い病気にかかってるわけではないんだね」

「かかってたらどうしてた? それこそ命にかかわるような病気だとしたら」

「さあね。ここ最近はよく僕が知らない僕が出てくるんだ。まあ分からないってことだね」と、僕はネオンへの苛立ちを隠すのを意識しながら言った。「病院はどこにあるの?」

「なんだよ病院って」

 声を出すことに使う労力が無駄だと僕は思った。

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