第14話
風邪が治り、僕はまた早朝の特訓に参加するようになった。ジンメンとジュエラを見つけた次の日にネオンは風邪をひかなかったそうだった。そしてそれとは別にジンメンとジェラの二匹は無事に帰ることになったそうだ。他の人に死んでもバレないようにしろと言われた直後に親に顔面をぶん殴られたが許諾されたそうだった。
色々とありながらも大会まであと一か月を切っていることを十分に意識しながら僕はネオンと模擬戦をした。僕はまだネオンに勝つことはできないが勝算はあるのではないかとこの戦いで欠片くらいの実感を得られた。ユリナも魔法の発動速度と射出の精度を上げる練習を多くこなして実力を上げているような気がした。僕らが木の下の影に座って休憩をしていると先生が近づいてきた。先生は最近では僕らの練習を眺めているときがあった。今日もその時だった。
「ユリナはこれからは体力をつけろ」と先生は言った。「魔法の射出速度も精度も上がっている。努力したこともありしっかりと熟練された。あとは体を動かすことができるようになった方がいい。お前の魔法の威力は弱小だ。コントロールを大切にするお前の戦い方は単純だ。攻撃を躱しながら攻撃を放つ。それしかないだろう」
先生はそれだけ言い残すと校舎に入っていった。
「運動はあまりしたくないな」とぽつりとユリナは零した。
「それにしても先生って変わったよな」とネオンが言った。「いや違うな先生が変わったんじゃない。ちょっとしたイベントを前にして俺たちが変わっただけだな。先生はいつだってあのままだ。あの人はおそらく努力する人が好きなんだけだろうな」
ネオンは生い茂る雑草の一部分を右手の親指と人差し指の腹でくるくるした。
「だけど私たちにはあまり助言をくれないよね」とツユハが雑草を見ながら言った。
一人一人の表情や仕草が、僕らが疲れ果てて無気力になってしまった証明をしていた。
「きっとユリナがお気に入りなんだよ」とネオンが言った。「俺たちがこういうことを始めたきっかけもユリナだからな。ユリナが一番頑張ってるから多分ユリナに優しいというか気にかけてるんだろ」
「今までは目の敵にされてたもんね」とツユハは苦笑を浮かべた。
確かに授業中に居眠りをして怒られていたなと僕はこの世界に来たばかりの頃を振り返った。勿論それからも授業中に眠って怒られているところを多々見た。それでも今まではテストでで一位を取っていたというわけだから努力家だったのだろう。努力をしている今のユリナがそれを裏付けているなと僕は思った。僕はユリナのような人間になれればなとだけ思った
「先生はあれだよ。一人ひとりへの態度が平等なんだよ。評価する点では評価する。どんな前科があってもあの人は讃えるべきことは讃えるんだ。そこに私情は介在しないのさ」
「私もそういう価値観を持った大人になれればなと思うよ」とユリナが言った。
「大人にはなれないよ俺たちは。それにみんなの価値観が皆同じだと色々と成り立たないだろう。だからユリナは今ある価値観を大切にした方がいいと思うよ俺は」
「私もユリナちゃんは今のままでいいと思うよ。ユリナちゃんは無理に変わろうとする必要はないと思うな」
「私の価値観ってみんなにはどう映ってるの」とユリナは訊いた。
素朴な疑問であることをユリナの瞳が純粋に語っていた。どうしてなのか不明だがその瞳は僕らの空気をほんのちょっとだけぴりっとさせた。そんな悪寒のようなものを僕は感じたし、ネオンやツユハも感じているだろう。それが伝わってきた。
ユリナはもう一度同じことを訊いた。私の価値観ってみんなにはどう映っているのと訊いた。
その瞳が意味するのは彼女の本質そのものであるのかと思う程に強い感情を宿していることだけは確かだった。感情の種類は不明だが、感情の強さだけは明白だった。
「価値観は心なの?」とユリナは訊いた。
ユリナが場の空気に緊迫感を与えた瞬間からユリナは人が変わったようになった。人が変わったままセットされてそのまま凍てついてしまったかのようだった。
「落ち着けよユリナ」とネオンが言った。「一旦落ち着くんだ」
「価値観は心なの?」
「ダメだこりゃ」と諦念を顔に出してネオンは言った。「価値観が心なのかはわからない。でも心に近しいなにかだとは思うな」
「もっと具体的に言ってよ」
「価値観っていうのは過去にどういう人生を歩んできたかによって決まるものだ。その人間がどれくらい心が荒んでいるのか、今までの経験とそれを常に受け止める感受性によって決まるものだろう。つまり価値観も心もいくらでも変わるんだ」
ユリナの質問は神妙な面持ちを浮かべた。そしてなるほどと小さく呟いた。
「みんなには私の心が分かるの?」とユリナはまた訊いた。「心も価値観も同じなんだよね。だとするならみんなには私の心がわかるの」
ユリナは明らかに怒っているようだった。
「いい加減にしろよ。ただユリナと今まで一緒にいた時間を元におおよその価値観を把握した。本当にそれだけに過ぎないだろう」
「誰にも私のことはわからないよ」
「まあそれはそうなんだけど」
「あまり気持ちいい気分にはなれないから、これからはそういうことを言わないでね」
「あまり謝罪する気にはなれないけどまあいいか」とネオンは言った。「悪かったよ」
「どうして謝るの?」とツユハは真顔で言った。
かちんと場の空気が一段と凍り付いたようなな気がした。ユリナがどういう感情でいるのかが僕にはわからなかった。僕がユリナに出逢った中で今が異様である一番の瞬間であることだけが確かだった。今でさえもユリナに関しては分からないことだらけだなと僕は思った。
「どうして謝るのか? ユリナにはわからないのか」とネオンは言った。
口調は静かだがその静けさは嵐の前の静けさと同じ類のものだった。ネオンは我が強い性格だ。自分を確かに持っている男だ。看過できないものは看過できないのだろう。間違えを正さなければきっと気が済まないはずだと僕は思った。
ユリナはわからないと答えた。
「ああそうか」とネオンは白々そうに言った。「ユリナが怒っているのは理不尽な気がするが、お前は俺の親友だ。仲直りをしないのは未来を加味して考えれば悪手だろう。あとで必ず後悔するだろうと思うから謝罪した」
「適当だね」とユリナは軽い声で言った。
ツユハがユリナの肩を掴み強引に自分の方へと振り向かせた。
「ちょっといい加減にしようよユリナちゃん」とツユハが真剣な顔で言った。
ツユハとユリナの二人は互いに見つめ合った。双眸が交錯し合うその時間にユリナが何を思っているのかはわからなかった。僕はそれがわかりたいと思った。そう思いながら二人を見守っていると、ユリナの瞳から突然涙が滲んできた。指の腹に針を刺したときの血の出方と似ていた。痛みも含めて似ているのかもしれないと僕は思った。
「ごめんね」とユリナは泣きながら言った。それは消え入りそうな声だった。
「ううん。こういうことだってあるよ」とツユハはユリナを包み込むように言い、ユリナを抱きしめた。
ツユハはユリナを落ち着かせるように何度も背中を擦った。それをネオンは決まり悪そうに眺めていたが、頭をぽりぽりと掻いたあと何かを決心したような顔つきになった。ネオンもユリナとツユハが体を離れさせるとネオンはすまなかったと誤った。
「ごめんなさいごめんなさい」とユリナは幾度となく謝った。しきりにごめんなさいごめんなさいと言って誤った。
もうその言葉には謝罪の意は込められていないように感じられた。僕らに謝ると言うよりも神様に謝っているかのような、ある種の異常性を含んでいるようだった。ツユハがもう一度ユリナを抱きしめた。そして大丈夫だからと何度も囁くように口にした。
ヒステリックという単語が一番しっくりくると僕は思った。不覚にも思ってしまった。ユリナの怒りの沸点が僕にはいまいちよくわからなかった。学校の生徒にどれだけ嘲笑されても怒らない。怒らないが、つい先ほどにユリナはちょっとしたことで激怒した。それは静かない怒りだったが、魂が込められていた。やっぱりユリナは不安定だと僕は思いながら、僕は一言も喋っていなかったことを思い出して疎外感を感じた。ユリナの涙を見るとたまらなく悲しいのに、何も言うことができない僕は不甲斐ない男でしかなかった。
朝練が終わり学校が始まると、休憩時間にユリナの席へと人が集まった。集まったクラスメイトたちは口々にユリナを罵倒し始めた。ほんの些細なことでも罵倒をするための武器へと変えてユリナに投げつけていた。朝に練習しても無駄だ、お前には才能がないから努力してもこれ以上伸びない、そこまで必死になって負けたらダサい、勉強だけして自己肯定してろなど、散々な言われようだった。随分と貶すためのボキャブラリーが多いことだという感心が二割くらいで苛立ちが八割くらいの僕は自分の席を立ちあがった。ネオンは辟易した顔でそちらを見ていた。ツユハは苛立たし気に見ていた。実際にユリナが気にしていないということもあってか、あるいはこいつらに何を言ってもエネルギーの無駄遣いであることを理解しているからか二人はもう立ち上がらなかったのだろう。僕はそんなことを考えながらユリナの席の前に立った。
「やめろよ」と僕は言った。はっきりとした声で言えた。
僕の中にはもう彼らに対する恐怖が全くなかった。僕の中にあるのは自分が強くなっていることの自負だけだった。自負があることゆえに彼らは僕よりも脆弱な生物のように思えた。恐怖をする理由が今まではあった。いじめられていた生徒を助け、自分が苛められる対象になったことがあった。そのせいで僕が今まで努力で積み上げてきたものは崩れ去った。人として成長するために県内で一番有名な高校を目指し勉強をして合格したのに砂の家みたいにさーっと崩れ去った。何もかもが台無しになった。その上、殴られ、水をかけられ、休み時間にはトイレにも行かせてもらえない。常に嘲笑の標的が僕へと向いたまま学校生活は始まり、そして終わった。殺意が霧散するのもそう早くなく、僕の中には無力感だけが残った。生きることの希望の目を見ず知らずの奴らに摘まれ、ボロボロだった。
その見ず知らずの奴らと同じ人種の奴が目の前にいるのに僕は怖くなかった。それはおそらく鬱々とした日々が彩りのある日々に変わり、僕のねじ曲がった考え方が矯正されたこともあるだろう。しかしそれ以上に、僕が僕を誇るための力を得たことが大きいだろう。仲間もいれば、魔法を扱う力だって手に入った。それらは僕に多大な自信をくれた。
そんな色んなものが合わさりあっているからこそ恐怖をする理由などどこにもなかった。
僕がやめろよと言うとユリナの前にいた三人がこちらを振り向いた。
「なんだよ」と女子生徒は言った。「ロアルスには関係ないでしょ。あなた最近はもうこいつのことを見捨てていたんだものね。才能にも家族にも見捨てられてユリナは本当におしまいね」
「君たちの頭の中だけでおしまいにしておけばいい」と僕は言った。「僕は思うんだ。ユリナを見ていると時々感じるんだよ。そしてユリナも感じているんだろ」
「は?」と他の女子生徒が言った。「自分に何もないこと?」
「もっと別のことさ。君たちはユリナの人生に必要のない人間なんだ。言い換えれば不純物とでもいうのかな。君たちはそんな人間なのさ。でもこれは仕方のないことなんだ。君たちはそういう人間に生まれそういう人間になりそういう行動を取る人間になった。きっと筋が通った物語の末にそういう人間になったんだ。だから君たちは悪くない。そう、誰が悪いとかではないんだ。この場合に必要なのは君たちが改心することだと思うな。君たちが改心して謝罪をすることが必要なんだよ。元から君たちはユリナの人生に干渉するべき人間ではなかったんだ。相容れる人間じゃなかったんだ。もう一度言うよ。君たちが悪いわけじゃないんだ。強いて言うなら悪いのはこの世界だ。誰一人として悪い人はいなんだ。世界は君たちを咎めるかもしれないけど君たちは悪くない。でも悪いのはこの世界であっているけどね、僕は今とても中立な立場からものを言ったよ。悪い人はいないとね。でも僕はユリナの兄で彼氏だ。だから言わせていうよ。ユリナと同じで僕の人生に全く必要性のない君たちにね。次にユリナを苛めればもしかすれば殺すよりも酷いことをしてしまうかもしれない」
僕が怒気を込めて言うと女子生徒たちは舌打ちをして自分の席へと戻っていった。
「ありがとうお兄ちゃん」とユリナが言った。
「どういたしまして」と僕は言った。
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