第12話
世界が滅びるまで残り三か月となった。本当に滅びるのかは不明だが、この世界の人間の様子を見ていると恐らく事実なのだろうと思わざるを得なかった。思い返せば僕は世界が滅びることなど忘れながら生活していたような気がした。僕は学校から帰ったあと家で働きながらそのことを思い出し、懸命に考えた。考えるにつれて深まっていく集中力の糸は酔っぱらった客の客の声によって断ち切られた。今日も客の数はそこそこで、席はある程度埋まっていた。相変わらず椅子に腰かけているのは常連の男たちがほとんどだった。
「最近は過酷な日々を送っているようだなユリナちゃん。どうだ、手ごたえはありそうか」と顔を真っ赤にして男が肘をついて訊いた。
「最近ではほとんど顔を見ないから心配してんだよみんな。けどな、それ以上にユリナちゃんには結果を残してほしいと思っているから気にしないでくれ」と他の男が言った。
「寂しいよお」と更に一人の男がうつぶせになりながら言った。
こうして嬉々として話している客たちはユリナが好きで仕方がないのだろう。きっとユリナが小さい頃からこの店に通っていたのだろう。だからこそここまで可愛がるのだろうと僕は憶測を立てながら、じゃあ僕はどうしてユリナのような扱いを受けないのだろうと思った。不遇というわけではなく親しみを持って接してくれるのだがこれは男と女の違いだろう。そんな風に考えている僕の視線の先ではユリナが楽しそうな笑顔を弾けさせていた。
「心配かけてごめんなさい。だから大会のときはその分応援してくださいね。よろしくお願いします」
その言葉を受け、男たちはむせび泣く信者のように応援の言葉を送った。盛り上がりの熱が冷めてきた頃に男たちの話題が段々と僕へと移り変わった。
「ロアルス、お前も応援をしているぞ。最近はどんな感じなんだ? いい感じなのか?」
「はい。いい感じだと思います」
「ユリナちゃんは?」
「僕に興味がないのが垣間見えるんですけど」
「安心しろ。お前にも興味はある。だがお前への興味の数倍上なんだ、ユリナちゃんの方が。だがお前のことも応援しているのも事実だからな」
「それはどうも」
他の男たちが笑い声を上げて喧騒はまた一段と膨らんだ。
「でも二人とも夜遅くまで特訓したりと、なんだか色々と凄い頑張ってるんだろう。それをもう三か月ほど」
「僕は三か月もやっていませんよ。僕よりもユリナの方が頑張ってます。これだって、最初はユリナから始まったんです。ユリナが頑張ったから僕も頑張ろうと思ったんです」
「やめてよもう。私は別に自分がしたいと思ったから頑張ってるだけだから。お兄ちゃんはそうやって自分も頑張っているのに私を持ち上げようとするの。ありがたいけど恥ずかしいよ。好きっていう気持ちは伝わるから嬉しいけどね」
僕はユリナの言葉を受けて過去の出来事を思い起こした。半月前の、ユリナとキスをした夜のことだ。僕はあの日にユリナとキスをした。ユリナが熱で弱っているときに求められ、唇を躱した。だが僕はそれ以来ユリナとキスをしていない。本当にユリナは僕のことを好きなのだろうかと、一瞬だけそんな疑問が浮かび上がった。そしてすぐに打ち消した。
「どうしたのお兄ちゃん?」とユリナが僕を見ていた。他の客も僕を見ていた。どうやら考えこみすぎて自分の世界にいたらしい。
「なんでもないよ。あと、僕はユリナのことが好きだよ」
「本当に?」
「本当だよ」と僕は言った。
ユリナは笑った。嬉しそうな笑顔には慈愛の念があるように感じられた。目の前の幸せをぎゅっと抱きすくめるような笑顔は儚ないようにも感じられた。それは紛れもなく、ユリナが僕に抱く感情を確証づけるものであると僕は思った。強く思った。
「仲が良いことで」と酒を飲みながら一人の男が言った。他の男たちもけらけらと笑った。
「そういえば二人にはなんかあるのか。例えば目標だとかあるのか。そこまで頑張ることってそう簡単にできるもんじゃねえだろ。まあお前らがどれくらい頑張ってるのか知らねえから想像で話してるけどよ。でも実際そうだろ? 目標があるなら聞かせてくれよ」
「ただ好きだからやってるだけですよ」とユリナが即興で応えた。
「好きって何が? 魔法を扱うことがユリナちゃんは好きなのか?」
「そこは想像にお任せします」
「ユリナちゃんがそういうなら仕方ねえな」
男は苦笑を浮かべた。他の客も苦笑した。僕は彼らの苦笑を聞きながら考えた。考えながら思い返した。ユリナが頑張っているのはなぜか? 僕の問いに、ユリナは好きだからそうしているだけと答えた。しかしその答えは明らかに言葉足らずだった。この前、朝早くに学校に来て特訓をしているときにユリナは言っていた。僕やネオンや先生がいる前で、可能性があるという事実に酔いしれたいから、努力をする。他の人間と同じラインに立っていると自覚できるから努力をすると言っていた。一勝したいとも言っていた。それが本当に心の底からの本音だったのかはわからないが、しかしその日のユリナの表情を思い浮かべた僕はそう思った。無論根拠はないがそう思った。僕の妹はすぐにはぐらかすような態度を取ったり、僕が真面目に何かを尋ねてものらりくらりと躱したりしてくることがある。他にも、つかみどころがない感じがする。もう三か月も一緒に居るが僕はそう感じてしまうことが多かった。不安定という言い方がしっくりくるだろう。僕はまだユリナという少女を何も知らないという事実を、この瞬間の思考の中で僕は改めて実感した。
「ロアルスはどうなんだ? 目標とかあるのか」
「僕の目標は親友に勝つことです」
「親友というとラドル・ネオンに勝つということか。物凄く大きな目標だな」と男は難しそうな顔を浮かべた。その顔は間違いなく僕のことを真剣に考えてくれている顔だった。笑われるのかと思っていたが何やら作戦会議でも始まりそうな空気が広がっていた。
「笑わないんですね」と僕は言った。
「笑う訳がないだろう。それにお前なら勝つことができるかもしれない」
「彼に勝つということは優勝することと同義ですよ」
「そこまで論理的に説明しなくても知ってるよ。確かにネオンは恐ろしく強い。去年の大会での躍進も見たが一言で言い表すのなら神の子だよ」
「神と石ころが戦おうとしてるんですよ」
「おいおい自分を卑下してどうするんだよ。ネオンが神でお前が石ころ? ネオンが神でお前が宝石だろうが。何が言いたいかって言うと、神様とやらの神々しさにも負けない可能性をお前は持ってるってことだよ」
他の客も同調するような言葉を口に出し始めた。僕もここ最近の特訓では手ごたえを感じていた。ネオンの実力に段々と近づいているような感覚があった。だがおそらくそれは、僕とネオンの能力に差がありすぎるために僕が一人で成長をしているのに過ぎないということだ。僕は特訓に手ごたえを感じ、楽しいという感情を抱き、充実感もあるが、僕の実力がまだ大きくネオンには及ばないということを僕はつい最近の特訓で自覚した。
「だけど、どうして僕にそこまで期待をするんですか」と僕は訊いた。僕の何を見て、僕に才能があると言っているのか僕にはわからなかった。「僕は去年の大会で予選で負けたんですよ」
「知ってるよそんなこと。緊張してて、滅茶苦茶な魔力を込めて魔法を放って外して、観客を脅かして、敵も脅かして、自分の脅かして、負けたんだ。でも有能な力を持っているのは確かだろう」
そういうことかと僕は思った。去年、大会に僕が出場したことは聞いていた。。予選に、緊張をして負けたことも聞いていた。しかし予選で緊張をして負けたというのにどうして僕の才能について豪語するのだろうと思っていた。学校で僕が魔法を扱うところ見ているネオンが言うのならわかるが、どうして客人が知っているのだろうと思った。しかしなるほどだと思った。僕は無残に負けだけではなく才能の片鱗を見せつけ負けたということが彼の話から読み取れた。道理で僕をリスペクトするわけだった。
「私も応援してるからねお兄ちゃん。お兄ちゃんが頑張ってるのも、お兄ちゃんが凄いのもよく知ってるからね」とユリナが言った。
ユリナはいつもと浮かべるのと同じ笑顔を浮かべていた。少なくとも感情の機微らしきものは見えなかった。ここまで僕がリスペクトされるのを見てどこか負い目を感じていないのかと思ったが気にしている様子はなかった。
「ありがとう」と僕は言った。
ユリナは笑った。笑うユリナを見て男たちはまずいことを思い出したような顔をした。
「ユリナちゃんも絶対勝てるよ。ロアルスも勝ってユリナちゃんも勝って二人でうはうはだぜ」
「そうなれば宴だな」
「宴っつっても俺達いつも宴しているみたいに賑やかじゃねえか」
「確かに」
男たちはまた盛大に笑いだした。ぎゃははははと地響きでも起こりそうな声量で笑っていた。
「とにかく、ユリナちゃんもロアルスも絶対勝てる」と目の涙を指で拭いながら男が言った。「根拠はないけど俺のカンは昔から当たるんだ。三分の一くらいだ」
「低いじゃねえか当たらねえじゃねえか。大丈夫だ二人とも。こいつはカンがどうとか言っているが、努力さえしていればきっと運命に引き寄せられて気付いた時には王になっている」
「なんだよ王って」
「最強になっているってことだよ」
「なんだそれ」
「そして最強を超えていつしか神様になるんだ」
一人が噴き出して、それを皮切りに他の男たちも笑いだした。笑いのツボがどこなのか分からないが、笑いのツボが相当緩くなっているようだった。それが鮮明に表れた光景だった。
僕は目の前の光景を見ながらこの前にあったアリーゼさんが今日はいないなと思った。頻度はたぶん二週間に一度くらいで、目立たない格好をして目立たない席で黙々と食事をしていた。この男たちが声をかけると滑らかに受け流すので人見知りと言うわけではないのだろう。アリーゼさんは対人にも慣れているように見えた。
「そういえば、今日はいつも来ている女性はいませんね」と僕は何気なく言った。
「ああそうだな」
「いつくらいからこの店に来ていましたか」
「ロアルスやユリナちゃんが魔法学校に通い始めた頃くらいだろ。それくらいまでは全く来ていなかったよ。なんだお前、お前にはユリナちゃんがいるだろう。それなのに惚れたのか。ユリナちゃん、気を付けろ。こいつは浮気性かもしれないぞ」
僕は男たちのヤジと笑い声を聞き流しながら考えた。魔法学校に通い始めたのが十五歳の頃だ。つまり僕とアリーゼさんには、僕が十五歳の頃から何かしら関係があったのだろうか。あのときアリーゼさんは、なぜ僕のことを知っているのか問題を出した。そして僕の答えがゼロ点だったことを僕は思い出した。どうなのだろう。僕にはもしかするとアリーゼさんともっと深い関係があったのかもしれなかった。
仕事を終えると僕はご飯を食べてお風呂に入った。そしてすぐに睡眠の体制を作った。ユリナも同じだ。月の光が差し込んで仄かに照らされた空間は客観的に見れば、夜空に輝く星を連想させるような美しさがあるだろう。僕は自分を覆い囲む世界をそう表現するべきだろうと思った。
「ユリナはさあ、僕のことをどう思ってる?」
「大切な人だと思ってるよ」
「どうして?」
「だってお兄ちゃんだから」
「そこをもっと具体的に」
ユリナは天井を見上げながら、黙った。
「大好きだから」
「どういう好き?」
「恋愛的な好き」
「ほんとに?」
「証明しないと分かってもらえない?」
体をごろんとさせて、ユリナは僕の方に体を向けた。僕も体をごろんとさせて、ユリナの方に体を向けた。
「わからないかな」と僕は言った。
ユリナはゆっくりと布団を除けて、満月を背景にした一匹の獣のような雰囲気を纏い僕を見降ろしていた。それは月の光の恩恵を受けて、気高くて美しかった。神秘的な気配があった。
ユリナは美しいまま、僕の唇を奪った。奪ってなおも求めるように、いじらしく最後の一滴までと言わんばかりに僕の中に入り込んできた。心地のいい温もりは僕の臓器の中まで侵食していくようでそれは快感だった。抗うこともせず、僕は右手をユリナの頭の後ろに持っていった。離れないようにして、そして僕も強く求めた。僕が求めたことを認識したからか、ユリナはここまでと言わんばかりに僕からそっと離れた。そしてもぞもぞと自分の布団に戻った。
「信じた?」と、ほんのりと赤くなった顔で訊いた。
「信じるよ」と僕は言った。
「ありがとう」とユリナは赤い顔で言った。「じゃあ私も訊くね。お兄ちゃんは私のことが本当に好きなの?」
「好きじゃないように見える?」
「ううん。そうじゃないよ。ただ、私が認識したいの。お兄ちゃんが私を好きであることを。そうじゃないと私が嫌なの。辛いの」
「好きだよ」と僕は言った。
「どういうところが?」
「努力家なところ。嫌いな人も傷つけないところ。なんでも楽しめるところ。時間を誰よりも大切にしてること。他にもいっぱい」
「お兄ちゃんは私のことが好きなんだね」
「証明できたのならよかった」
「少し恥ずかしそうで、赤くなった顔が証明してるよ」
「言葉では証明できてなかった?」
「うん。まだ足りないな」とユリナは言った。「だから、今度あるお祭りに一緒に行こうね」
「わかった。一緒に行こう」と僕は言った。
学校に到着すると、早々に生徒の欠席を確認したのちロザリア先生が今日は森で特訓をすると言った。誰もが億劫そうな反応を見せたが、ロザリア先生がぴしゃりと黙らせた。しかしその動機について追及する者はやはりいた。するとロザリア先生は、僕らに一段と強くなってもらうためだと答えた。するとどうして強くなる必要があるのだとある生徒は言った。ロザリア先生はこれ以上は何も答えず、僕らを先導して森まで移動した。森は奥の方には凶暴な魔獣が多く存在していると聞くが、そこまで深い所にはいかなかった。
「ただ魔法を放つことしかできないだろうお前らには、応用力を付けてもらう。あらゆる事態に対応するため、体と頭を両方動かしながら特訓してもらう。何も考えずに魔法を放つことは誰にだってできるからな」と先生は言った。「では魔獣を呼び出すぞ」
生徒たちは明らかなに困惑していた。僕も困惑していた。そもそもなんのためにこんなことをするのかを僕は理解できなかった。魔獣と戦うということは命というリスクが付きまとうことでもあるはずだ。
「先生は僕らがけがをしたら責任を取れるんですか」と眼鏡をかけた生徒が訊いた。プライドが高そうな男だ。
それに他の生徒も同調して段々とやかましくなっていった。しかし先生はそれに気圧されることもなく、どこふく風といわんばかりの態度だった。
「安心してくれて構わない。被害がでないように私も手を回すからな。だがあくまで最小限だ。怪我をしないがギリギリまで助けるつもりはない。ゆえに心の傷を負うことはあるかもしれないが、逆境を経験することも大切だ。それもまた今回の授業の大切な要素だ」
先生は右手に青色の球を生成し、それを空に打ち明けた。青色の球は爆発すると、その欠片は僕らの近くの一帯にぱらぱらと舞い散る雪のように落ちてきた。この魔法に魔獣を呼び出す力があるのだろう。
がさがさと草木が揺れる音や、駆けてくる足音が辺りから聞こえてきた。空気が変わるのを、ここにいる全員は感じているだろう。僕もそれを感じた。
ほとんどの生徒がガタガタと恐怖で震えていた。肉を食いちぎられる姿でも想像しているのだろうか。一度嫌な想像をしてしまうともう止められないのだろう。生徒たちは冷汗を垂らしながら目を血走らせていた。やってやろうという気になっている生徒はごくわずかだ。
魔獣たちはこちらを警戒しているのか姿は現さなかった。だが気配は感じられた。野生のカンではなく辺りから未だにがさがさと音がしていた。僕らのことを三百六十度見渡しているのかもしれなかった。
僕があらゆる要素を一つ一つ観察していると、僕の肩に手が置かれた。ネオンだった。
「どうしたの?」と僕は訊いた。
「ロア、これは強くなるチャンスだぞ」とネオンは笑った。
「かもしれないけどもしかすれば死ぬかもしれないんだよ。怖くはないの」
「別に怖くなんてないよ。なあロア、俺がどうしてここまで強いか知っているか? ここまで人間離れした強さを得るために何をしていたか知らないだろう。たぶん話してなかったよな」
「ここで魔獣を虐殺してたの?」
「虐殺はしてない。殺しはしないよ。前にも言っただろう。俺は全ての命を平等に見るんだよ俺は。だからサンドバックになってもらっただけだ。ところでお前は怖くはないのか?」
「怖くないよ。自分でもここ最近は手ごたえを感じてるんだ。だから少し楽しみかな」
「顔つきが変わってやがるな。お、来たぜ」
魔獣は一斉に現れて、僕らの退路を断った。中々に上手く取れた陣形はただただ見事だと僕は感心してしまった。僕が感心していると、辺りの生徒は魔法を次々と放った。なりふり構わず放ちだした。しかし魔獣たちにはその魔法が命中することはない。魔獣たちはそのまま僕らに迫ってくる。生徒たちが次々に悲鳴を上げる。現実世界でこのような授業があれば間違いなく学校の教師全員が解雇になるだろうと僕は思った。僕は思いながら、僕は少しの魔力量を凝縮した魔法を放った。それは魔獣の額に命中して、その魔獣は逃げ去って行った。
「別に殺しても俺は何も言わないぞ」
「上手い加減に力を抜く練習だよ」
「言うようになったな。俺は嬉しいよ。緊張で倒れるんじゃないかと正直心配してたからな」
そう言われて僕はこの世界に来た初日の出来事を思い出した。この世界に来て早々魔法を放てと言われた。何もわからない世界で、しかも人前で魔法を放てと言われた。そのときの恐怖は現実で虐められたというトラウマと相まって物凄い恐怖に押しつぶされそうになった。その様子ははた目にも確かだっただろう。ネオンも当然それに気付いていたから、僕の不安定な部分を気にかけてくれているのだろう。だが平気だ。僕はそれを実感していた。僕は強くなり、恐怖はもうなかった。
「緊張はないよ。ただ、今日は学校に来てよかったよ。この授業で僕は成長できるような気がする。欲しいものが、たくさん手に入る気がする」
「そうか。まあ妹も気に欠けてやりながらやれよ」
僕はユリナの方に目を向けた。ユリナはツユハと一緒に魔獣に応戦していた。丁度ユリナに魔獣が飛び掛かっていた。ユリナは焦ることもなく冷静に魔法を放った。魔法は魔獣の腹に炸裂した。吹っ飛んだ魔獣はまだ息はあり、逃げる必要はないと考えているようだ。もう一度立ち上がり襲ってくる魔獣をツユハが倒した。
僕は二人が魔獣と戦う光景を見ながら、ユリナは成長している思った。僕が最初にユリナを見た時は、魔法を放つことができなかった。生み出すことで精一杯だった。だがユリナは確かに今魔獣に魔法を当てた。魔力量は足りていないが、魔法を生み出し、当てたという事実は明らかに成長を証明していた。
「ユリナは明らかに成長してるな。ツユハも強くなってる。大丈夫そうだな。なあロア、どうしてユリナがあそこまで魔獣とちゃんとやりあえて、クラスの奴らはあそこまで怯えていると思う」
「ユリナが努力をしているからだろう」
「それもあるが、そうじゃないぜ。機械なんだよ。みんな機械人間なんだよ。一人一人が、周りの人間と同じことをしてれば間違いないと思って行動しているんだ」
「前にもそんなことを言ってたね」
「最初はそこに自分の意志がなくとも徐々に狂っていくんだよ。歯車が狂って、機械人間になるんだ。機械人間になってしまえば周りの人間と同じことをすることで自分を安心させられるんだ。そのまま依存的になっていって、気付いたころには周りの人間と少しでも違っていれば恐怖するんだ。恐怖は伝達されたんじゃないよ。奴らはただ、恐怖を抱くことは普通であり正しいと考えているのさ」
「君の言っていることは多分正しいんだろうけど、相変わらず物凄い考え方をするね」
「俺の考え方は特別でもなければ普通でもないだけ。凄くなんてないよ。気付いたときには自分の在り方を独創していた。この思考回路はその副産さ」
「君が何と言おうと君は凄いよ」
「照れるからやめれくれ」
「とかいいながら照れた顔を浮かべないところから、君と言う人間の深みを感じるよ」と僕は苦笑を浮かべながら言った。
それからも僕らは魔獣と戦い続けた。クラスメイトの中には恐怖で腰を抜かす者もいたが、先生の無慈悲ともいえるバックアップにより傷は受けなかった。だが先生は生徒が傷つく寸前まで手助けはしないので、そのような生徒は天国か地獄のどちらかが見えそうなスリルを味わっていただろう。そうでなくとも心にトラウマを刻み込まれた生徒は大半だろう。結局のところ、戦いが終わるまでの間悲鳴が止むことはなかった。いくらかの生徒はネオンや僕に近づいてきたのだが、僕らは彼らを助けなかった。というより見て見ぬふりだ。彼らのことが嫌いだから、僕は彼らがそこにいないものとして扱った。
戦いが終わったのはどれくらいの時間が経過したころだろうか。そのままの流れで解散となり、生徒たちは満身創痍の様子で森から出て行った。逃げるように、しかし歩きながら緩慢な足取りで帰っていった。おんぶをされていた生徒もいた。その光景はまるで規模の大きな戦いの生き残りのように彼らを映していた。彼らが歩く道のりには魔獣のグロテスクな死体から溢れ出し大地に固まった生々とした赤がべっとりと張り付いていて、それを全く意識の範疇に入れず歩いているらしい彼らは清々しくも見えた。なんだかかっこよくも見えた。戦場での戦いで勝利を収めて帰還しているかのような壮大さが背中にはあった。
その後僕らは四人で帰るはずだったがネオンは僕とここで修業をすると言い出した。何を言っているんだと心配をしたツユハがネオンを咎めたが、意味は判然としないがネオンが小さくアイコンタクトを取ってきたので僕は肯いた。そしてネオンに同調した。するとユリナも一緒に来たいといいだすのではないかと思ったがそうではなかった。ユリナは立ったままうとうととしていた。夢の中でダンスを踊り、その動きが体を操っているかのようだった。そのせいもあってツユハは諦めてくれて、仕方がなさそうな顔をして帰っていった。
「それで僕らはこれから何をするの?」と僕は訊いた。
「安心しろ。そう身構えるな」
「身構えるよ。ネオンが破天荒な奴ということはよくわかってる」
「記憶は戻ってないみたいだな」とネオンは言った。
「うん」と僕は答えた。
「まあ、それはいいとしてだ。今から俺たちがやることは難度の高い試練となる」
「何をするのさ」
「ジークの嫁を探そうと思ってな」
こいつは頭が大丈夫なのかと僕は思ってしまった。人間を喰らうような生物をネオンは一体に置き足らず更に育てようとしていた。僕はその言葉からそれだけの情報を読み取った。そして更に思考の深度を強めた。最悪とでもいうのか。酔狂なんて次元じゃないと思いながら、僕の脳裏に一つの発想が過った。
「ジークも子供が欲しいかと思ってな」とネオンは真顔で言った。僕の予想の的の中心に最悪な言葉の矢で穿った。
「育てるのはどうするの?」と平常を保ち僕は訊いた。
「魔獣を駆るしかないだろう」とネオンは言った。「俺が努力をすることによりジークを幸せにすることができるんだ。それはとてもいいことだろう。俺が努力をして、ジークがセックスをして、半年後に世界が滅びるなんて、これ以上の幕引きはないだろうと俺は思うよ」
「人間を襲うリスクもあることを自覚している?」
「当然だろう。ちゃんと育ての親として責任は持つつもりだ」
「第一両親にに隠し通すことができるの?」
「どう考えても無理だ。だから言うよ。躾はするつもりだが流石にバレちまうだろう。そもそも二体が同じ空間にいて静かに過ごせるわけがないからな。最初のうちはジークにストレスを与えてしまうかもしれない。だが俺は思うんだ、それでも分かち合う喜びをジークに感じて欲しいって」と雑然と並ぶ木々が隠したり隠さなかったりしている空を見上げながら言った。発言が発言なだけに僕は彼をかっこいいとは思えなかった。博愛を通り越して、凶器的な価値観の持ち主と思わざるを得なかった。
「一つ訊いてもいい?」
「なんだ?」
「ネオンは僕らの目の前にある光景を見て、何を思っている? 正直に応えて欲しい」と僕は目の前の光景に目をやりながら言った。
僕らの周囲は足場もなくなりそうなくらいに鮮烈な赤と魔獣の死体でいっぱいだった。血と死体から漂う異臭に他の生徒は一切の反応を示していなかった。おそらく恐怖ゆえにそういう感情が霧散していたのかもしれないが僕は逆だった。魔獣が襲ってくる恐怖などよりも、生々しく鼻を刺激してきて感性すらも捻じ曲げそうな匂いの方が嫌だった。だが僕が抱いている感情は今の僕を覆い囲んでいる環境そのものに対してだけだが、ネオンはきっと今の僕と違うことを思っているだろう。少なくとも僕のように辺りの匂いに嫌気が指しているだけでなく、何か魔獣という存在に対して抱いているのではないだろうか。
「何を思ってるんだろうな。自分でもよくわからないよ」とネオンは皮肉のような笑みを浮かべながら言った。「わからないなりに考えて感じようとしたってわからない。だって、少し違えばジークだって今日殺された奴らの立場だったわけだろう。魔獣からすれば人間は天敵なわけだ。力もあれば知能もあってすぐに自分たちを殺せる存在だ。実際に、今日も人間は魔獣を殺したよ。先生の命令だが、自分たちが強くなるための糧として俺たちは殺したよ。俺は殺してはいないが、それでも痛めつけたよ。そんな人間が魔獣を育てるだなんて死んでいったこいつらも許してくれないだろうって思う。俺が魔獣の立場ならこう思うよ。バカにしているのか、おちょくっているのかと」とネオンは暗い顔で語っていたが、次にはネオンの顔は明るくなっていた。「でも前にも言っただろう。ジークを幸せにするって。そのためなら俺はなんだってするよ。救うことは犠牲を払うことでもあるということだな。仕方ないとはいえないけど、この罪悪感は俺が感じなければならないものなんだろうな。そしてジークを育てるために乗り越えなければならないものなんだよ」
「語っている内容は悲壮なのに楽しそうだ」
「そういう風に振舞っているだけだ」とネオンの笑顔の純度はほんのちょっと落ちた。
「君を尊敬するよ。今でも僕とは価値観の違いがありすぎてなんだか理解しずらいところはあるけど尊敬するよ、本当に」
「やめろよ照れる」
「今回はさっきと違って本当に照れていそうだ」
「どうだかな」とネオンは満更でもなさそうに言った。
僕らはそれから森の奥の方へと進んでいった。辺りの魔獣はほとんど葬っていたし、魔獣の種類がまず多すぎてジークと同じ種類の魔獣が見つからなかった。僕らは辺りに視線を巡らせながら、ときに魔獣を葬りながら進んでいった。色んな人が言っていた通り、魔獣は森の奥に進むにつれて強くなっていった。
「ジークって強い魔獣なの?」と僕は訊いた。
「さあな」とネオンは言った。「でもいるとしたらもう奥に進しかないだろう。さっきの戦いではジークと同じ種類の魔獣は数体しか見かけてないからな。こっちの方に生息してるのかもしれない」
「個体数が少ないのかもね」
「ありえるな。俺は魔獣についてある程度詳しいつもりだ。でもジークのような種類の魔獣は何も知らない。あいつは本当に個体数が少ないのかもしれないな。振授業で習った記憶もないしな」
「いるのかな」
「どこかにはいるだろ」と言った後、ネオンは何かを思い出したような顔をした。「ところでユリナとは進展はあったが?」
「キスをしたよ」
「記憶は戻ったか?」
「キスによって?」
「キスによってじゃなくても戻ったか」
「戻ってないよ。ごめん」と僕は誤った。
「いいよ。気にするな」とネオンは言った。
ネオンはきっとこの世界が滅びる瞬間まで僕の記憶が戻ることを祈り続けるのだろう。一縷の希望を忘れられずにいるのだろう。僕は、どうして僕が記憶を失っていることを黙っているのだろうという考えが頭を過った。僕は冷静さを失ったまま言葉を口に出そうとした。僕が何かを言おうとしたのを察したのだろう。ネオンは手を前に出して僕を制した。
「言いたくなさそうな顔をしている」
「どんな顔?」
「泣きそうな顔だ」
「嘘だ」
「嘘じゃない。だから何も言わなくていい」
目の前に鏡や水面などの僕の顔を映し出してくれるようなものはなかった。だから僕に自分が本当に泣きそうな顔をしているのか確認する手段はなかった。手段がないので、僕は僕が今どんな子をしているのかわからなかった。しかし少なくとも僕の胸にはネガティブな感情がもやもやと内在していることだけは確かだった。
「ところでロアルス」と話を切り替えるようにネオンは言った。「ユリナのことは好きになったか?」
「前も言ってたように、記憶があるころの僕とユリナを見ているように、ネオンは思いたいんだね」
「純粋に気になっただけだよ。それでどうなんだ、どう思ってるんだ。ユリナに対してどんな感情を抱いている?」
「僕はユリナを尊敬してる」
「答えになってないぞロア」
「早く魔獣を見つけようよ」
「しょうがない、今は黙っておこう。今は黙っておくがそのうち聞かせてくれよ」
「ネオンの求める答えが出せればいいなと心から思うよ」
森を進んでいく中で様々な種類の魔獣に遭遇し、その度に魔法を放ち道を切り開いた。本当にたくさんの種類の魔獣がいて、そのたくさんの種類の魔獣を僕らはできるだけ傷つけないように追っ払っていった。そうしていく中でネオンの実力がまだまだ僕と比べて程遠いことに僕は少しだけ絶望しそうになった。ネオンの強さはやはり格が違うのだと再認識させられた。僕のネオンの認識が深まるにつれて、僕らは森の深みへと進んでいった。進み始めて三十分ほどが経過するがジークと同じ種類の魔獣はどこにもいなかった。辺りを囲む自然を象徴するかのような香りや緑の色が一斉に深みを増してきたと思えば空は薄暗くなっていた。一雨きそうだった。ネオンもそれを認識しているに違いないが僕らはそれでも進み続けていった。雨が降り始めても僕らは辺り一面に視線を巡らせ続けた。雨は空から発射された矢が地面に叩きつけられているかのようだった。足場はぬめぬめとしてきて、自然の香りが段々と雨の香りに紛れるようになってきた。だが僕らはそれでも進み続けた。持ち上げる足は段々と重くなっていった。
「懐かしいな、この感じ」とネオンは言った。「俺がジークを家に連れて帰ったのも雨の日の夜だったんだ」
びしょびしょの髪をがしがしとやりながらネオンは勇ましく笑っていた。ネオンにとって逆境と言うのは非常にやる気が刺激される一つの展開なのかもしれなかった。
「雨の日にジークを連れて帰った話はこの前聞いたよ。ところでだけど、随分と僕らの前に立ち塞がる魔獣の数が減ったね」
「そうだな。まあ雨の影響もあるんだよ。それでも俺たちは歩み続けるしかないんだ」
「ジークを救うために。ジークに女を作ってやるために」
「救いたいという気持ちと行動が上手くかみ合ってるのか僕にはよくわからないよ。少なくとも言っていることがカッコイイということだけは確かだね」
「きれいごとも結果が出てから初めてきれいごとになるんだよ」と言った直後、ネオンが驚いた表情を浮かべた。「いたぞ。ジークだ」
「ジークじゃないけど同じ種類の魔獣だね」と僕も歓喜の声を上げた。
だが魔獣がいる方向は雑然と立ち並ぶ木々によって視界が不十分となっていた。更には足場まで埋まりそうなほどドロドロになっていて、そのくせ魔獣はワニのような姿形であるがウサギのようなサイズだった。
「一応聞いておくけどジークはあれでも大人なんだよね」
「あ、そういえば大人と子供っていう概念を忘れてたよ」
「なんなのさもう」
「別にいいだろう。それより奴はまだ気付いていない」とネオンは小声で言った。「お前が木々をぶち壊して道を切り開いてくれ。奴が動き出す隙に俺が捕獲する」
「わかった」
僕は風魔法を発動した。眞空派のような刃が生きているかのように木々を切り裂きながら進んでいった。すぱりと切られた木々はがたりと地面に落ちていった。空気の矢は狩人の魂を宿したように突き進み、魔獣の前で霧散した。障害を失くすまでのこの瞬間に至るまでの時間がほんの一瞬のことで、魔獣は今更になりようやく尻尾を振って遁走し始めた。しかし遅かった。ネオンが魔法で生み出した氷の檻が既に空中で待ち構えていた。がたんと落ちてきた檻に魔獣の体は収まった。
「ここからが運命の時間だぜロア」
「捕獲できたのに随分と神妙な面持ちだね。水滴なんだろうけどその髪の毛から伝るのが冷汗に見えてきたよ」
「冷汗も混じってるよそりゃあ。ここまで苦労して捕まえたわけだからな」
「なるほど。ネオンが何を言いたいのか合点がいったよ」
「こいつが男だったら俺は発狂するぞ」
「そうなれば僕も発狂せざるを得ないな」
僕らが確認すると不運なことにオスだった。ネオンはやや難しそうな顔をしながら唸った。発狂すると言っておきながら発狂はしないらしかった。僕はネオンが何を考えているのかおおよそは理解できた。
「どうするの?」とその上で敢えて訊いた。
「こいつも家族にする」
「つまりお嫁さんも見つけること前提でこの子も買うということだね」
「ああ。見つけたからにはこいつも幸せにしてやろうと思う」
「両親は許してくれるの?」
「口だけで言っても無駄だろうからな。だからこいつの可愛さを理解させるつもりだ」
「既成事実で一刀両断するということだね」
「悪いい方をすればそうなる」と、そこでネオンは檻に持ち手を作り、檻に入った魔獣を持ち上げた。「よろしくジンメン」
ぼくらはそれからも魔獣を探し続けた。森の奥に進んでいくのではなく周辺を何度も探した。ネーミングのセンスについてはあえて追及しないが、ジンメンが生息していたここら辺に同じ種類の魔獣はいるのではないだろうかと僕らは考えた。
もしかすれば風を引くかもしんれないと思っていると、またもネオンが何かを見つけたら叱った。小さく声を上げ、その方向を指さしていた。そこにはジークやジンメンと同じ種類の魔獣がいた。僕らはゆっくりと近づいていった。そして今度もしっかりと捕獲した。ジークはまた一つ檻を作り捕獲した。今度は女の子だったので僕らは安堵の息を吐いた。ネオンはジュエラと名付けた。ネオンが両手に虫取りの籠を持った子供のような格好で歩いている姿は生涯僕の頭に残り続けるだろうと僕は思った。僕が一緒に持とうかと尋ねたのだが、ネオンは生まれたばかりの子供を抱く母親のような母性を感じさせる顔で自分が持つからいいと断った。だから僕は森を出るまで手ぶらで歩き続けた。雨が降っていたのは不幸中の幸いと言うべきか、外を歩いている人は誰もいなかった。僕はなんとなくネオンを家まで送り届けると家に向かって歩き出した。歩き出しながらもう一度思った。ネオンが虫取りの籠を持つ少年の如く魔獣を籠に入れて歩いているるところを生涯忘れないだろうと、強く思った。
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