第10話
四人で特訓をするようになってから一か月が経過した。ようやく返却されたテストでは僕は中の下くらいの順位だった。ネオンは上位でツユハは真ん中くらいだった。だがテストの返却後の感慨に浸るような暇は僕には無かった。この日も僕らは他の生徒よりも早い時間に学校に到着して、魔法を扱う練習をしていた。練習は、僕とネオンは模擬形式でやっていた。つい最近からだった。一週間ほど前から僕の魔力量と火力は飛躍的に上昇していた。あと必要になるのは応用力だ。僕の放つ魔法の精度はお世辞にも高いとはいえない。命中すれば敵を倒すことのできる火力を蓄えた攻撃でも、結局は当たるかどうかだ。魔力量の膨大さは才能だが、魔法の射出の精度の才はないようだった。
一方で、ユリナは最初こそコツを掴んでいるようだった。最初は見る見るうちに成長しているように思えた。そう思えたのは、紛れもなく、ユリナが僕よりも早くから魔法を扱う特訓に勤しんでいたからだろう。まさしく、努力の賜物といっても過言ではないだろう。だが、今ユリナに立ちはだかっている壁は努力でぶち壊せるようなものなのか、少なくと僕にはそう思えなかった。そう思うことができなかった。魔法を器用に扱うことがユリナにはできる。確かにできるようになった。魔法を起用に扱えるようになったのが、力の源がないと、その能力は発揮されない。ユリナの魔力量の増加は、最初の一週間ほどで完全に止まっていた。いや、終わっていたのかもしれなかった。芝に尻をつけて、僕はそんなことを思いながらユリナを眺めていた。僕の視線の先で、ユリナは難しそうな顔をしながら、炎の球を掌に生み出していた。ユリナは傍にいるツユハに何かを言われ、ふむふむと肯いていた。
「顔に出やすい奴だな」と僕の隣でネオンは言った。
「そうかな」
「ああ、そうだとも。お前、ユリナのことで思い悩んでるだろう。安心しろ、俺も思い悩んでるよ。だけど、あれは周りの助言でどうにかなるような問題じゃないぜ。おそらくはな」と、上手く魔法を放てず、首を傾げているユリナの姿にネオンは目を細めた。「ユリナには才能がない。それは魔法を扱う上で致命的すぎる」
「大会では勝てないということ?」
「勝てる確率はまあ低いだろうな」
「だよね」
「けれど、勝算はあるわよ。才能に限らずあるわ」と、後ろから聞えてきた声に振り替えるとロザリア先生が歩いてきていた。「地の利を生かすもいいし、ルールを元に作戦を画策するのもよし。一勝できるくらいの可能性は持っていると思うわよ」
黙々と特訓に打ち込んでいるユリナは今も精一杯やっていた。その証に先生が来ていることにも気付いていないようだった。ユリナが先生が来ていることに気付かない一方で、僕は先生が来たことに驚いていた。僕らが特訓しているのを見ても先生はいつも素通りだった。それなのにどういう心境の変化なのだろうと僕は思った。
「先生、もっとためになるアドバイスをしてくださいよ。実用性のある情報が訊きたいんです」と、ネオンは首だけ先生に向けて言った。「先生、ユリナは何をすれば強くなれますか?」
「よくもそこまで偉そうな態度で訊けるな。教えてやろうと思っていたが気が変わった」
「先生、すいませんでした。お願いします。先生の力が必要なんです」とネオンは立ち上がり頭を下げた。
「声に感情が籠っていない。よってお前のその行いを単なる愚行とみなす。感情の乗っていない行いは愚行だ。当然だろう」
「はいはいそうですか」とネオンは辟易した様子で頭を上げた。
そこで、ユリナとツユハはよくやくこちらに気がついたようだった。顔を見合わせるとこちらへ駆け寄ってきた。
「どうして先生がここにいるんですか?」とツユハが訊いた。
「いたらだめなのか?」とロザリア先生は聞き返した。聞き返され、ツユハは慌てた様相を呈した。
「そんなこと言っていません。ただ、いつもは素通りでしたよね。私たちが特訓しているのを目撃しても冷徹無比と言わんばかりの態度でしたよね」とツユハは早口で言い終えた。
「私に恨みがあるのか?」とロザリア先生は訊いた。「私のことをお前は恨んでいるのか?」
「恨んでいません。ですけど、いつも素通りしていたじゃありませんか」
「それはそうだが」と言ったロザリア先生は少しだけ狼狽しているようだった。
「ごめんなさい」と教師の顔色を伺ったツユハは謝罪した。
「なぜ謝る?」
「私、ひかえめな性格なんです。恥ずかしがり屋でおくびょうな性格なんです。それなのに、時々思ったことを無神経に言うんです。言ってしまうんです。最後には、周りの人は困惑するんです。それに、私は遅れて気付くんです。自分の行いに、相手の顔を見てから」と、曇った表情でツユハ言った。
「お前が独特な人間なのは知っている。空気を読めないところがあるのも知っている。お前は自分が異端であると理解しているんだな。そういえばお前の周りにいるこいつらも癖が強い奴らばかりだがなにか関係があるのか」とロザリア先生は双眸に純粋な興味の光を讃えて言った。
「そういうタチなのか?」と僕の隣にいたネオンが言った。「先生とは無縁なことだろう。なら理解しようとする必要がないだろうと俺は思うんだがな」
「私は知的好奇心が旺盛なんだ。とくに変人への知的好奇心がな。悪気がないわけではないぞ」
「はいはいそうですか。なら俺が先生の知的好奇心を満たしてあげますよ」と面倒くさそうにネオンは言った。「傷を舐め合う猫。同情し合う人間。それと、俺たち四人の関係は同じです」
「それで?」
「と言われましても、少なくともそう思っているのは俺だけかもしれない。憶測かもしれない。でも、少なくとも俺は異常者ですよ」
「人としてか?」
人としてですと、僕は思わず答えそうになった。この男は家で魔獣を飼うような男だ。人間を食う恐れのある魔獣と自分の部屋で過ごしている男だ。
「人として異常かどうかは想像にお任せします」とネオンは言った。「だけど、それはともかくとして、俺の周りにいる三人は自分が異常だと思っていますよ。俺にはそれがわかる」
そこで、ようやく僕らのことに気付いたユリナとツユハがこちらに駆け寄ってきた。ユリナとツユハが言葉を発する前に、ロザリア先生はユリナの名を呼んだ。ロザリア先生の瞳は静かにユリナの瞳を射止めているかのようだった。それくらいに、先生はユリナの核のような部分に触れようとしているかのようで神妙な空気を纏っていた。
「ルーン・ユリナ」と、もう一度ユリナの名を呼んだ。「なんのためにお前は努力をしているんだ。テストを受けられなかったのがそれほどまでに悔しかったのか? それゆえに、自己を肯定できずにいる自分に、新たな価値を見出そうとしているのか? それとも、そんな陳腐な同機以外になにかあるのか? 目的なような何かがあるのか?」
「先生は私に興味津々ですね」とユリナは楽しそうに言った。「ありますよ。私には目標があります。一回だけでも勝つことです」
「なぜ勝ちたいんだ?」
「素地があるからです。努力をするための環境が私にはあります。可能性があれば手を伸ばしてしまう性分なんです」と言い、ユリナは言葉を区切った。「というのは嘘ですよ。冗談です」
「だろうな。お前は大会で勝つためにエネルギーを消費するような奴ではなかった。お前はテストだけに力を注ぐ奴だったからな。改めて訊くがお前は何をどうしたいんだ」
「夢を見ていたいです」
「それはどういうことだ?」
「勝てるかもしれないというその可能性とか感覚に酔いしれたいんです。努力をするのは満たされるからです。ただそれだけです。周りの人が私のために行動をしてくれている。だから頑張る。そうあることによって満たされます。幸せを感じられるんです。魔法を扱う才能がなくても、しっかりと周りの人と同じラインに立ってやりあえているように思えるのが心地いいんです」
「それがお前の本音か?」
先程まで真顔で話していたユリナはスイッチが切り替わったかのように表情が変わった。まるでいくつもの人格を備えているかのようだった。いくつもの人格を備えているとして、今どんな人格で、どんな性質を持った人間が出てきたかを形容するのなら、僕は他人を困らせて楽しんでいる風な妹を自由人と不思議ちゃんのハーフだと称するだろう。
ユリナは意識してか知らずかミステリアスに笑った。ははは、と笑った
「そうですよ。それが私の本音です。だって、才能がないって認めて、努力をしないでいたら、ずっと疎外感を感じていないといけない。別の人間を、寂しい気持ちで見ていないといけないんです。この人は別世界の人間なんだって、認めるのは辛いことです。魔法についての観点で見ると、私からしたらみんな別の世界の人ですから」
僕は僕自身の精神を複雑なものだと思っていた。紐がほつれてぐちゃぐちゃになっていると思っていた。だが、もしかすればそれは他の人も同じなのかもしれなかった。ユリナが本音を吐露したのかははっきりとしないが、きっとその言葉には嘘がなかっただろう。言語化し難いのだが僕はそう感じた。
ユリナは場の空気を取り直そうと思ったのだろう。精一杯取り繕ったような笑顔を浮かべた。
「ごめんね。あまりこういうのって言わない方がよかったよね。よく考えてみれば失礼だったよね。空気も悪くしたし、私のこと嫌いになったかな」
「いいや。別に嫌いになんてならないよ」とネオンは言った。「むしろ少しくらい愚痴を吐いてくれた方がこっちとしては嬉しい。安心だってする」
ネオンにそう言われてユリナは笑顔を浮かべた。頬が吊り上がり、目が細まり、溶けてしまいそうなくらいに幸せを湛えたような笑顔だった。幸せを讃えたような笑顔のままユリナはありがとうと言った。
「そんなことで礼を言わなくてもいいんだよ」とネオンは仕方なさそうに笑った。
「ネオン君の言う通りだよ」とツユハも笑った。
気付いたころには穏やかな雰囲気に戻りつつあった。僕らは本当に仲が良かったのだなと僕は再認識した。三人の様子を間近で眺めながら僕は寂しくなった。申し訳なくなった。僕が、今間近で笑っている三人とは違う種類の人間だと思うと気分は重たくなった。もしも僕が、この人間の体を奪うようなことにならなければ、彼らはどういう風に笑っていたのだろうと思わずにはいられなかった。歯車が僕のせいで狂っているのは紛れもない事実であることを僕は強く感じた。僕の気分はありが群がるお菓子を食べるような速さで沈鬱になっていった。沈鬱な気分になったが、先生の声が僕の感情の急降下にブレーキをかけてくれた。
「ルーン・ユリナ。お前の魔力量はここから増加することはないだろう。以前の授業と比較すればそれは一目瞭然だ」
「本当ですか?」とユリナは素朴気に訊いた。
「本当だ」と先生は言った。「だから魔法の発動速度や射出の精度をひたすらに上げろ。勝ちたいのならそれしかないだろう」
先生はそれだけ言い残すと、校舎に向かって歩いて行った。
「先生は大会で私が勝つことができると思いますか」とユリナは大きな声で聞いた。
振り向かぬまま、お前が確信を抱かない内は勝てないだろうなと言い、ロザリア先生はいなくなった。ユリナの顔はいつも希望に溢れているように見えるが、今はもっとそう見えた。
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