第6話

この日も父が経営する飲食店を手伝っていた。飲食店はいつも繁盛しており常連客が多い印象だった。毎日接客をしているのだがそういう印象を受けた。

 酒をぐびぐびと飲んで止めていた息をぷはーっと吐き出した客の男が立ち上がった。男は僕の肩を強引に組んできた。男の名はビガルといい、酒癖が悪く非常に鬱陶しい絡みをしてくる。悪い人ではないのだが、酒が注入されると真っ赤な顔になり、踊り出しそうな様子へと変貌する。踊り出しそうなビガルさんを周りの男たちが煽り、大抵そこからやかましい喧騒が生まれるということを最近知った。

「なあロアルスくんよぉ」

「はい。なんでしょうか」

「彼女とは最近どんな感じなんだ? ごめんいなかったわ悪い」

 ははははは、と大半の客が大きく口を開いて、腹の底から声を出して笑った。

他の男性客が賑わいの空気に矢を飛ばす様に言った。「彼女ならここにいるだろう。妹さんがよぉ」

 笑い声が溢れかえるように場を満たした。

「そうだったなあ。悪いロアルスくん。ロアルくんの彼女はここにいるルーン・ユリナちゃんだった」

「好きですよユリナのことは。でも付き合っていませんよ」

「そーかよそーかよ。別にそんなに照れることはねぇだろ。俺達はみんな知ってんだからよ、お前さんがユリナちゃんのことをどれだけ愛していて、ユリナちゃんもお前さんのことをどれだけ愛しているのかと。純粋に応援してるんだぜ。どうなのよユリナちゃん的には」

「そうですね、お兄ちゃんさえよければ結婚したいです」

 ユリナはにこりと笑った。真偽のほどは判然としないが愛想笑いとしては完璧だなと僕は思った。僕の肩に巻き付いていた腕がようやく放れてくれた。

「そっかそっかユリナちゃんは正直でいい子だ。拍手」

 ぱちぱちぱちと、一人一人の性格と酔いの強度が現れた盛大な拍手が始まった。この人たちは本当になんなのだと思いながら、僕は壁際に移動した。ネオンから教えてもらった情報の一つにユリナは店でとても人気があるというものがあったが本当のようだった。

 僕は目の前の人たちが楽しそうに笑っているのを眺めながら思った。この人たちも心に闇を抱えながら生きているのだろうかと思った。大なり小なり抱えながら生きているのだろうかと思った。それが見えれば僕の闇なり重りと照らし合わせられるのに思いながら、喧騒を全身で感じていると、僕に気付いたユリナもこっちに来た。拍手がやむと、僕らから客の意識は外れた。

「お兄ちゃんは私を恋愛対象として見られない?」

「好きだよ」

「質問は恋愛対象として見られるか。はいかいいえの二択しか許されないんだよ。お兄ちゃんからは迷いが感じられるね。好きだよって言ってくれるのは嬉しいけど淡泊な気がするな。昔ならもっと熱烈に愛の言葉をぶつけてくれていたよね。愛が、熱烈から冷徹へと変わっているような気がするんだよね」

「じゃあ何をすれば愛を伝えられる?」

「愛と伝えるの組み合わせっていいね。さっき言われてみて思った」

「何をすれば愛を伝えられる?」

 僕とユリナは性的な行為もしているそうだ。ネオンの情報で、僕はそれを知った。それを知って以来僕には、羞恥心というものが消え失せていた。感覚がマヒし、感性がねじ曲がっていたのだった。恥ずかしい言葉を口に出すのも余裕だった。

「僕にはわからないんだ。今までいろんなことをしているから。どうすれば愛を伝えられるのかな」

「それはまあ、エッチなこととかじゃない?」

「どうして疑問形なの?」

「エッチなことするよりそういうこと訊かれる方が照れるからさ。ほら、エッチは二人ですることだから恥ずかしくないけど、お風呂だといつも一人で入ってるでしょ? だから他人が自分のプライバシーに踏み入るから恥ずかしいみたいな、そんな感じ」

「なるほど。確かに言われてみればそうかもしれない」

「わかってる? 本当に」

「信用ないなあ」と僕は苦笑を浮かべた。「どうすれば信用されるのかな」

「なら今晩、確かめる?」

 ユリナの言葉をしっかりと理解しようとしていると矢のように声が飛んできた。「ロアルスは魔剣大会でるのか⁉」

 ネオンから教えてもらった。魔剣大会とは、学校主催の大会だ。魔法と剣で競い合う、武道会のようなものだそうだ。参加は自由だが、毎年ほとんどのクラスメイトは出場するという。といっても、学校の生徒数は全体で三十人。僕たちの学年の、僕たちのクラスしか存在しないので、参加人数はたかが知れている。はい、そのつもりですよと僕は答えた。

「私も出ます」

 直後ユリナが言って、場が凍った。部屋の酸素が毒ガスに変質したかのように、誰もが息を止めたような緊張感だけが残った。ユリナの口から吐き出された言葉は一瞬の吹雪を呼び部屋一室を氷のオブジェへと変えてしまった。凝り固まった空気が三秒程続き氷解する気配を見せず僕はそう感じてしまった。だがそれも一瞬のことだった。一人の男が言った。「ユリナちゃんは本気で言っているのか?」

 その言葉が更なるブリザードの火種になるのか、それとも氷を解かす湯水になってくれるのか僕には分からなかった。ひやひやするしかなかった。ユリナは氷の世界の中で唯一行動を取ることができる神様のように、反応を示した。頬を持ち上げ、笑みを浮かべた。

「そうだよ。私は本気だよ。可能性があるのならやるしかないじゃん」

 ユリナの口から吐き出された言葉は鋭利な刃のように場の空気を引き裂いた。もう一つの次元が切り開かれたように場は喝采に満ちた。

「ユリナちゃんならできる! 頑張れ!」

「俺達にできることならなんでもするからな!」

「応援してるぜ!」

 ユリナを鼓舞する声が響き渡り初め、空間は喧騒の嵐に飲まれた。この話が落ち着くころには僕とユリナの応援団が結成されていた。ユリナが魔剣大会に出ることの話題性が大きかったが、僕が出場するだけでも驚くべきことであることを、僕は後に知った。仕事が終わると僕は風呂に入った。一番風呂なので清涼なお湯は微かに熱かった。程よい温度だった。僕が風呂から上がり廊下に出ると父さんがいた。

「ユリナは?」と僕は訊いた。

「疲れたから明日の朝に入るらしい」と父さんは答えた。

「まだ晩御飯も食べていないのにもう寝たの?」

「疲れたんだろう。寝かしてやろう。上がったら晩飯すぐ作るから、お前もそれ食ってすぐに寝ろ」

 店はいつも二一時三十分に終わる。ゆえに僕らの就寝時間は二十三時くらいになる。夕食を加味すればそれくらいの時間帯になるのだ。本当にそれなりに襲い時間帯になるのだ。ユリナが疲れ果てて眠ってしまうのも仕方がないだろう。僕は廊下に出ると、自分の部屋の扉を軽く開いた。真っ暗な部屋に、ささやかな廊下の光がほんの少し差し込み、うすらと中の光景が見えた。布団が二つ並んでいて、そのうちの一つの上でユリナは眠っていた。規則的に寝息を立てて眠っていた。僕は自分の布団を並べてくれていたことに心の中でありがとうと言って、扉を閉めた。

 僕が来る前、ユリナはあまり仕事をしていなかったと聞いた。客たちがそう言っていた。ネオンやツユハの話によれば、ユリナは勉強がとても出来て、夜の寝る間も惜しんでいたらしいしかし今は父さんの仕事の手伝いをしている。それも毎日だ。どうしてなのかはわからない。家庭的な事情が関与していると思い僕はネオンに訊いてみたが、その感じはしなかった。全てはユリナの気まぐれなのだろうと思いつつ、風呂を出てきた父さんと晩御飯の支度を僕は始めた。食べたあとの跡片付けなどのもろもろを終えて僕は部屋に戻った。布団に入り、ユリナの背中を見ながら僕は目を閉じた。今晩、エッチなことをする雰囲気が出来上がっていたことを思い返しながら眠った。

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