7、猛る炎は明日へと

 鉄ムカデは頭部が見る影もなくひしゃげ、大きな胴体も捩じり切れている。あかねが小突いても動く気配はない。


「……せ、先輩!すごいです!」

「やったね。あかねくん。僕の見立ては間違っていなかった」


 閃里は支えられながらもふらつき、座り込んで手ごろな壁に寄り掛かった。


「無理すんな。立てる体じゃないだろ」

「キミが思うより頑丈さ。ピンチに駆けつけられるくらいはね」

「気に食わないが、感謝する」

「役に立てて嬉しいよ。怪物はたまにああいった奥の手を隠し持ってるんだ。次からは気をつけるといい」


 次があるのか。あんな怪物と相対するのは二度とごめんだ。と口から出そうになったが、言いようのない違和感が走り、あかねは口をつぐんだ。


「あのー……これって、出られるんですか?」


 美影が小さく手を挙げていた。彼女の衣服が所々焦げている。あかねが放った炎によるものだろう。少しだけ申し訳ない気持ちになった。


「問題ない……はず。主が作る異界は主に依存している、と聞いたことがある」

「人から聞いた話か。信じていいんだな?」

「さあね。僕も魔法少女になってから日が浅いんだ。異界の話だって半分噂みたいなものだし」

「そうか」

「……そうですか」


 閃里は巻き込まれるあかねと美影を見て、自ら異界に飛び込んで行ったのだ。態度が気に食わないので表には出さないが、素直に感謝するべきだろう。


「あ」


 見上げれば、町を区切る半透明の壁にヒビが入り、ゆっくりと砕けていた。天井から注いでいた青い光が色あせていく。

 同時に三人の身体にノイズが走るようにブレた。痛みはないが、むず痒い感覚が全身を突く。


「え、あ、何ですか!?これ!?」


 美影はパニックになって自身の身体をまさぐっている。閃里は座ったまま、余裕の態度を保っていた。


「なんだろうね。空間が維持できなくなって、強制退去みたいな感じだといいんだけど」

「私たちも一緒に崩壊しないか?」

「え、えーーー!!!」

「さあ、どうだろう。僕は帰ってきた例を知らないからね」

「や、やだーーー!!!」


 次第にブレが強くなっていく。そして、ノイズは視界全体にも及んだ。全ての輪郭が三重になり、高速で縮小と拡大を繰り返している。

 美影が号泣して身体を抱くのと、その後ろで透明な壁がばらばらに砕け散るのを最後にあかねの視界は真っ暗になった。


 気が付けばアスファルトの上に立っていた。右手には小さな空き地、左手にはアパートがある。殺風景とは言わないまでも、面白みのない場所だ。

 夕焼けは既に沈んでおり、点滅する電灯があかねたちを照らしている。肌寒さがやけに懐かしく感じた。

 目の前にはボロボロの美影と、明らかに重症の閃里がいる。背後の建物を背もたれに座っていた閃里は体勢が崩れて、後ろに倒れた。

 少しだけいい気味だと思った。しかし、はっとして閃里はかなりの重症だったのを思い出す。普通なら身動きなんて取ってはいけないレベルの大怪我だ。


「おい……」


 駆け寄ろうと足を一歩前に出したところで、纏っていた衣服が赤く光った。何事かと下を見れば、衣服が元の制服に戻っていた。原理は分らないが、気が抜けたことで、変身が解けたようだ。

 制服が元に戻って良かったと安心した直後、あかねの足に力が入らなくなる。腰、腹部、腕の全てに力が入らない。体力の泉が尽きたような感覚。この感覚は初めてではない。身体を動かすのに必要な体力を全て使い切ったのだ。

 少しだけ前に進んでいたためか、前のめりに倒れ込む。ちょうど、倒れた閃里の隣に横たわった。


「ちょ、え、先輩?先輩!起きてください!」

「大丈夫だと思うよ。彼女、ガス欠さ。ていうか、僕も動けないから起こしてほしい」


 揺さぶってくる美影を頼もしいと思いつつ、あかねの意識は途切れた。


*****


 目が覚めると、駅の待合室にいた。体制としてはプラスチック製の椅子五つ分に横たわっている。これまでにないほど身体が重たいが、動けないことはない。


「目が覚めたようだね。気分はどうかな?」

「あ、み、水持ってきます!」


 視界には変身を解いて制服姿となった閃里と相変わらず焦げてボロボロの美影がいた。他に待合室に客はいないようだ。たった今、水を買いに美影が出ていった。


「死ぬほど身体が重い」

「キミの変身は体力を食うようだね。僕とは全く別タイプだ」

「お前、病院行かなくていいのか」


 閃里は脱力してはいるものの、怪我の苦痛を感じているようには見えない。待合室特有の固い椅子に深く座り、足を投げ出している。


「ああ、大丈夫だ。私は手数が売りでね。使い勝手は悪いけど、回復手段も備えているのさ。異界の主に吹っ飛ばされた後、キミを助けに行けたのも、少し回復したからだ」

「便利だな」

「あはは。そうでもないよ。回復は時間をかけて少しづつだし、回復してる間は一切動けない。あ、キミは足にヒビが入ってたみたいだから同じのをかけておいた。動けるならもう治ってるよ」

「そうか。ありがとう」

「まあね。お礼といってはなんだけど」

「なんだ?」

「キミの家まで運んでほしい。あとついでに泊まらせてほしいな」

「断る」

「え~動けないんだよ~お願いだよ~」


 閃里は力なく口を尖らせて抗議した。表情は動かせるらしい。


「……み、水、買ってきました」


 汗を流して疲労困憊の美影が待合室に入ってきた。美影もかなり疲労しているはずだ。倒れた二人を駅まで運んだのは美影らしい。二人同時に運ぶのは無理なので、一人づつ運んだんだとか。


「助かる」

「先輩……体は大丈夫ですか?な、何かあれば言ってください」

「ああ。美影も少し休め」

「美影くん。僕にも水を。僕は通り動けないから、キミの手で飲ませてほしい」

「は、はい!」


 美影は上から閃里の口めがけて水を注いだ。口から溢れた水が閃里の顔に広がっていく。


「おぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ」


 身動きのできない閃里は溺れかけていた。面白かったので十秒ほど眺めていたが、さすがに死にそうなので止めに入る。


「あ、すいませんすいません!こういうの本っ当下手で!」

「はぁーはぁー。いいよ、いいよ。美影くんのさらなる一面を知れた。満足さ。あ、運んでくれるのなら美影くんの家でもいい。興味が湧いてきた」

「ひ、ひぃ」


 なんやかんやあって、閃里はタクシーで帰らせることにした。

 とはいえ、今の閃里は一切身動きが取れない。よって、二人係で閃里を運ばなければならない。いつもの調子であれば、あかね一人で軽々と運べたが、今の状態は歩くのがやっとだった。


「そういえば、あかねくん」

「今きついから話しかけんな」

「もうタクシーは着いているからね。今話すよ」

「じゃあ、手短に話せ」

「キミは魔法少女になった。確かなことだ。あの怪物たちは毎晩、キミを狙って襲ってくる。成りたての僕が言えることじゃないけど、覚悟を決めた方が良い。これから命を懸けた辛い毎日が待ってる」


 あかねは目を閉じて回想する。変身した瞬間。巨躯を投げ飛ばした瞬間。思い切りぶん殴った瞬間を。

 自分でも気づかない内にあかねは笑顔を浮かべていた。怒りを帯びた歪な笑顔だ。

 最高にすっきりした。もっと殴りたい。もっと怒りをぶつけたい。先ほど感じた違和感の正体はこれだ。怒りを晴らすためならば、不条理を晴らすためならば、危険に身を投じても良い。そのための覚悟など、安いものだ。


「問題ない」

「そうかそうか。キミとは違うけど、僕も似た理由さ。心の内を、もっと見たい。今日は最高だった。キミたちとは良い友達になれそ――おぶっ!」


 停まっていたタクシーを開き、閃里を放り込む。優しく椅子に座らせる体力は二人に残っていなかった。

 運転手は驚いた表情で三人を見ている。


「駄賃はこれで。行先はコイツに聞いてくれ」


 ちなみにお金は閃里の財布から抜いたものだ。


「じゃあな。回復できても病院には行っとけよ」

「……あの、助けてもらってありがとうございました!」


 美影は深々と頭を下げた。対して、閃里は最後まで余裕ぶった笑みを崩さなかった。


「ああ!また会おう。今度は学校で、落ち着いてキミたちと話し合いたい!」


 扉が閉まると、タクシーは行ってしまった。他人の来歴蒐集を趣味とする変人、本倉閃里。これから彼女に付きまとわれると思うと、気が滅入る。だが、当分は退屈しなさそうだ。


「そろそろ、電車が来る時間だ。帰ろう」

「あ、はい!」


 乗った電車は終電だった。異界に飲み込まれてから時間がかなり経っていたようだ。家族は……驚きはするだろうが、そこまで心配しないだろう。中学までは夜遅くまで帰らないことが普通だった。

 乗客は少ない。今乗っている車両にはあかねと美影の二人しかいなかった。


「美影、怪我は?」

「……ないです。先輩は?」

「あったらしいけど、あいつが治した」

「すごいですね……閃里先輩。でも、鎖向先輩もかっこよかったです!でっかい鎖がバーンって!」


 美影は目を輝かせて、当時のあかねの様子を話した。陸上の成績を褒められたことはあっても、かっこいいと言われたことはなかったのであかねは素直に照れた。


「おう。そうか?」

「はい!そ、尊敬してます!」

「……」


 あかねは小さく笑った。表情が憤怒か無表情しかない彼女にとっては珍しい光景だった。


「いや、でも、は、はい……」


 美影は思い出したくない事実を唐突に思い出してしまったかのように、一転して不安げな表情を浮かべる。


「どうした?」

「いえ、閃里先輩に言われたんですけど、私にも魔法少女の適性があるみたいで……近いうちになるらしいんですけど、あんな怪物に襲われるって考えるとふ、不安で……」


 鉄ムカデがわざわざ美影も含めて襲ったのは偶然ではないらしい。思えば、美影はあの坂に潜む危険性を恐怖として認識していた。先に魔法少女に変身したのはあかねだが、あの坂には何も感じなかった。

 そこら辺は魔法少女ごとの特徴の違いなのだろうか。数多の魔法を扱う閃里と、パワー派のあかねのように。


「大丈夫なんじゃないか。ほとんどはあのムカデより弱いんだろう?」

「え、いや、そうじゃなくて。鎖向先輩は怖くないんですか?」

「怖い?うーん、怖くは……ないな」

「……すごいですね。私は鎖向先輩ほど強くないし、閃里先輩みたいに賢くないです。だから、怖くて怖くて」


 美影は俯いて震えている。思い返してみれば美影は常に震えているか怯えていた。最初に出会ったときも、声をかけたときもそうだ。しかし、異界で美影は怯えながらも満身創痍の閃里に付き添って鉄ムカデのいる危険地帯に踏み込んだ。

 それらを乗り越えた美影の顔は未だに怯えが見られるものの、坂道の悪寒に震えていたときとは違う気がする。恐怖を見極め、困難に突き進む意思があるはずだ。と、あかねは思った。


「よし!」


 あかねは膝を叩いて立ち上がった。突然立ち上がったので、美影が驚いてのけ反る。


「陸上部入って体力つけろ」

「え?」

「ビビるのは悪いことじゃない。それがお前なんだろう。だが、ビビったまま何もしないのは良くない。泣きを見る前にできることはやれ。あと、美影は自分が思ってるほど弱くない」

「え、はい」

「だから、入れ、陸上部」

「……考えておきます」


 あとは他愛のない話を続けた。趣味の話、中学の時の話、部活の話。美影は意外とおしゃべりだった。一定の気を許した人間には口が緩むタイプなのだろう。あかねは聞き役に回っていたが、悪い気はしなかった。


*****


 後日、あかねは嫌がる美影を引きずって陸上部へと仮入部させた。仮入部直後は、仲の良い部員や顧問を含めて全員が、あかねが後輩と交流があったことに驚いていた。

 美影は極端に体力がないので、種目選びの前に筋トレ等の基礎練習を徹底的にやる必要があった。ここ数日、美影は常に半泣きで練習を続けているが辞める気配はない。

 閃里はたまに顔を出してくるので追い払うが、のらりくらりと言い訳をつけて結局居座ることが多い。たまに入部志望の見学者と間違われている。

 あかねの生活はあんまり変わっていない。変わったことと言えば、閃里の言う通り夜になると怪物が来るようになった。大抵は一発殴れば倒せる。全力でぶん殴れるのは良い気晴らしだ。


 鎖向あかねは自身に滾る怒りと向き合い続けている。肩が当たれば誰であろうとボコボコにしたいと思うし、気に入らない不条理を目にすれば今すぐ現地に行って暴れ散らかしたい気分になる。こちらも依然、変わりはない。

 しかし、何の役にも立たないと思っていた行き場のない怒りが誰かの役に立ったと思うと、あかねはほんの少しだけ誇らしい気持ちになるのであった。

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インフェルノ☆チェーン 在雅 @saizaiga

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