6、炎上

 緑色の衣装をまとった少女が空から飛来してきた。この光景を目にするのは今日で二回目だ。

 飛来する閃里は出口を探すあかねたちを追い越し、いくつもの家々を破壊しながら飛んで行った。そして、近辺でもひと際大きな家を破壊し、勢いを止めた。

 あかねたちが慌てて駆け寄る頃には粉塵が舞い、周囲にちらついていた。閃里は壁を背にうなだれている。右腕が本来あるべき方向とは別の方向に曲がっていた。装飾過多な緑の衣装は腹の部分が破けており、そこから見える腹部は内出血によって青黒く変色している。あかねが近寄っても起きる気配はない。かろうじて息はあるようだ。


「あの……だ、大丈夫なんですか?」

「わからない。息も脈もあるから死んではいないと思う」


 別行動を開始してから多く見積もって三分ほどしか経っていない。現にあかねたちは街の端、半透明な壁が空に伸びている場所付近にたどり着いたばかりだった。

 とりあえず、横に寝かせる。身体の至る部分が赤く腫れており、不自然に柔らかい。つまり、折れている。全身複雑骨折。応急処置すら難しい重症だ。即刻、安静にして救急車を呼ぶべきだが、それが無理なのは百も承知だ。

 加えて、今すぐこの場所を離れなければならない。獲物に追撃を加えるために鉄ムカデは数秒と経たずにここまで来るだろう。現に建物が倒壊する音がここまで響いてきている。

 あかねは歯噛みした。この状況に対してあまりにも無力だ。


「さ、鎖向先輩!あれ、来てます」


 美影が指さす先には、鉄ムカデがいた。身体の半分を起こしながら、刃状の歯をカチカチと打ち鳴らして頭をこちらに向けている。

 速い。閃里を背負う暇すらない。まだ、距離はあるが鉄ムカデにとっては間合いの範疇だろう。抵抗できずに轢死される未来が目に浮かぶ。


「美影、こいつを連れて先に壁の方に行け。出れそうになかったら隠れてろ。こいつは私を追ってる」

「え、でも」

「いいから行け。三人まとめて死にたくない」


 あかねが睨んでも、美影は目をそらさなかった。ただ、目に涙を貯め、言いよどむように口をいろんな形に動かしたあと、小さく一礼して閃里を引きずって壁へと向かった。

 鉄ムカデは逃げていく二人を追わなかった。ただじっと、値踏みするように頭をあかねに向けている。鉄ムカデはあかねの力量を計っているようだった。


(警戒している?)


 純粋な破壊力で比べれば閃里の方が強いのは明らかだ。閃里はあかねを片手で持ち上げられるし、レーザーも放てる。あかねも一般的な高校生より強い自負はあるが、理外の存在に勝てる力はない。

 しかし、鉄ムカデは強い閃里を逃がし、より弱いあかねを狙っている。そういえば、鉄ムカデと初めて遭遇したとき、その場に閃里がいたにも関わらず、わざわざあかねを狙っていた。

 おかしな話だ。納得が行かない。あまりに不条理すぎて頭が沸騰しそうだ。

 金属の擦れる音がした。鉄ムカデが鎌首をもたげたのだ。頭を高く持ち上げ、上から荒廃した地面を見下ろしている。

 そして、動き出す。あかねは鉄ムカデの突撃を視認できなかった。ただ天性の直感が働き、来るタイミングは理解できた。次に轟音が鳴る。空気を裂いて地面を抉りながら、あかねの反応速度を超えて巨体が迫りくる。

 閃里と戦った時よりも速く、早急に狩る意思が籠っていた。並大抵の生物はあまりの速度に、動くことすら叶わない。まさに一撃必殺。

 あかねの身体は動かない。そもそも、視覚や聴覚は突進を知覚できていない。ただただ、攻撃がどのタイミングで来るかだけが浮き彫りになって理解できているだけだ。対処のしようがない。

 あかねの思考は迫りくる死の予感を感じながら加速していた。不条理、憤怒、懊悩。あまりにも断片的で思考、というよりも単なる感情の噴出に近い。

 倒壊した建物の塵が舞っている。天から青い光が降り注ぎ、この世とは思えない幻想的な光景が広がっていた。

 音速を超えて進む鉄ムカデは加速開始から一秒もかからずにあかねに肉薄した。閃里さえ吹き飛ばした圧倒的重量+速度の暴力。耐えられる生物はほとんどいない。

 しかし、鉄ムカデは突撃地点で停止した。巨大な壁にぶつかったようにそれ以上先に進むことが出来ない。


「お前、これであいつをぶっ飛ばしたのか」


 塵が晴れる。壁だと思っていたのは突撃で吹き飛ばしたはずのあかねだった。吹けば飛ぶような小さな人間の左手が鉄ムカデの頭に添えられている。

 あかねの怒りは反応速度を超えて動き、燃え上がる。


「じゃあ、死ねやーーーーー!!!」


 添えていない方の右手を握りしめ、腰だめに構える。小さい頃に親に勧められて少しの期間だけやっていた格闘技の構え。今や我流が混じり喧嘩殺法に最適化されている。バネを解放するように拳が勢いよく放たれた。

 放たれた正拳突きは鉄の外骨格に覆われた頭を捉え、そのまま鉄ムカデを吹き飛ばした。頭にヒビを入れながら、巨体は宙を舞い、建物を破壊しながら不時着した。

 身体の熱は最高潮を迎え、家屋の残骸や地面が溶けていく。動作を確かめるように腕を回すが、殴った反動の痛みはない。

 まだ殴り足りない。胴体を思う存分殴った後に足を引きちぎりたい、そう思うと、胸の前に赤い光が現れた。光は一層強く煌めくと、細く伸びて鎖へと形を変える。

 掴むと腕に巻き付いた。鎖はそのまま全身へと巻き付き、鎧のように身体を覆った。鎖の締め付けは痛いほど強かったが、不思議と身体に馴染む。痛みがあるというのに嫌な気はしない。

 鎖は高温の炎にさらされたように赤熱しており、炎を吹いていた。鎖の炎は学生服へと燃え広がり、炎を意匠とした刺々しくも女性的な服装へ変化させる。

 閃里がいれば「魔法少女」と言っただろう。まさに、この瞬間、鎖向あかねは魔法少女として覚醒した。


「ーーーーーーーー!!!!」


 咆哮を放つ。一帯が燃え上がり、天から注ぐ青い光に歯向かうように周囲を赤く染め上げる。

 態勢を立て直した鉄ムカデは咆哮に呼応するように外骨格を打ち鳴らした。

 鉄ムカデの本能は最初からあかねを警戒していた。紙の女は面倒だが、弱い。炎の女は強い。本能は弱い者よりも、強い者を優先して倒すように設定されている。そして、炎の女は姿が変わってからさらに強くなった。警戒度を最大に引き上げ、潰す。

 鉄ムカデは再び頭を高く持ち上げ突撃体勢に入った。さらに、駆動に邪魔な外骨格を取り外す。総計して半分以上の外骨格が失われ、速度は倍加する。

 対してあかねは両手を地面に置き、片膝をつき、もう片方の足を延ばした。クラウチングスタートの姿勢だ。

 一瞬、相対する二つは完全に静止した。先に動いたのは鉄ムカデだった。0.1秒遅れてあかねが地面を蹴る。

 足に返ってきた反動が骨を震わせている。あかねの膂力は変身によって強化された上に、脳のリミッターが外れることにより最大限に強化されていた。全力を超えた全力を保ち続ければ、身体が持たないのは確実だ。だが、怒りに突き動かされるあかねには手を抜くという発想はない。「最も最適な形で鉄ムカデをぶっ倒す」という考えに沿って動いている。

 膂力ではあかねが、速度では鉄ムカデに分がある。両者はついにぶつかり合う。力と力の衝突が辺り一帯を揺らす。その衝撃は壁付近まで移動した美影にまで伝わった。

 そして、一瞬の均衡の末、あかねは両腕で鉄ムカデの頭をがっちりホールドした。鉄ムカデは逃れようと暴れるが、強力な膂力を前に成すすべがない。刃状に尖った二対の歯は、レーザーによって使い物にならないほどまで溶かされてしまった。あかねは兜のような頭を持ち上げると、鉄球投げの要領で鉄ムカデの胴体が遠心力で浮くまで回転し、そのまま投げ飛ばした。

 即、空中に飛び上がり、追撃。


「っしゃオラーーーー!!!」


 蹴り、殴り、手刀、貫手。思いつく限りすべての暴力を鉄ムカデに食らわせる。放たれる暴力は閃里のレーザーさえ防いだ鉄の外骨格を破壊していく。

 最後に両手を組んで、思い切り振り下ろした。落石を思わせる重い一撃が鉄ムカデの腹部を強打する。そして、勢いを乗せた鉄ムカデは真下へと落下した。

 建物がさらに倒壊し、粉塵が霧のように立ち込める。追うようにあかねはすぐさま着地。閃里のように空を飛ぶ手段がないので、着地というよりは不時着のような形になった。

 鉄ムカデはまだ生きている。あかねの直感はそう訴えていた。一発一発、鉄ムカデの外骨格に穴を開けて殺す気で殴ったが、鉄ムカデのしぶとさはあかねの予想を超えていた。

 次の一撃で必ず仕留める。そう念じると、体中に張り巡らされた鎖が蠢き、右手へと集まっていった。右手と火を噴く鎖は一体化し、巨大な拳となった。

 そして、駆ける。粉塵で視界は悪いが、鉄が軋むような耳障りな音が標的の居場所を教えてくれる。

 鉄ムカデに迫り、最後の一撃を加えるべく右手を振り上げたところで、ふいに粉塵が晴れた。

 鉄ムカデは兜のような頭の下、顎に当たる部分に鋭い杭を露出させていた。それは虫のムカデが持つ最大の武器、毒針を担う部位に似ている。鉄ムカデにも似たような器官があるが、毒はない。代わりに杭状となった器官は勢いよく打ち出され、自身の外骨格さえ貫く威力を持つ。まさに鉄ムカデの奥の手だった。

 あかねは直感的に杭が危険であることを悟った。しかし、この至近距離では身を捩じっても避けきれない。鎖は右手に集まっているので装甲にも頼れない。


(……だが、絶対にてめぇの命は貰ってく)

 

 一か八かの回避を諦め、確実に鉄ムカデを屠る覚悟を決めたあかねは、振り上げた右手にさらに力を込める。鎖から火が吹き荒れる。

 同時に、鉄ムカデの杭が打ち出される。無骨で、兵器のような精巧さを持つ杭だ。しかし、杭は途中で見えない壁に阻まれたように停止した。見覚えのある障壁だった。


「いやぁ、間に合ってよかった」


 あかねの背後。倒壊したアパートの奥に片目が潰れ、腕がひしゃげてもなお、笑顔を崩さない閃里と、それを支える美影の姿があった。

 放たれた鎖の拳は、鉄の兜を溶かし、重量と膂力で以て、鉄ムカデの重要な器官をことごとく破壊していく。

 あとには三人の少女と、動かない鉄の塊だけが残った。

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