5、鋼鉄の百足

 鉄ムカデは巨大な体躯に反して、目で追えない速度で円を描くように走り出した。銃撃のような音が断続的に響く。それは節足動物特有の何本もの足が一斉に動いている音だとすぐに理解できた。目の前にある障害物を全て破壊しながら突き進んでいるらしく、空き地周辺の家々がことごとく破壊されていく。

 砂塵が舞い、視界が塞がれる。周囲の破壊音は聞こえるが、鉄ムカデがどこにいるのか把握できない。


「アレは標的をキミから僕に戻したみたいだ。不幸中の幸いだね」

「でも、またここに突っ込んでくる」

「そうだね。だから、キミと美影くんを一度担がせてもらう」

「あ?」

「いいから、いいから」


 振り向いた閃里が両手を伸ばしている。こっちに来いのジェスチャーだ。意図がいまいち掴めないが、抗議している時間はない。あかねに打開策があるわけでもないので素直に従うことにした。

 閃里は二人を両肩に担いだ。あかねは全体的に大きいので丸太を担ぐような絵面になっている。その上、鍛えているので平均的な女子高生より体重もある。しかし、閃里は軽々と持ち上げていた。


「二人とも、掴まっててね」


 言われて閃里の中肉中背な背中を両腕でがっしりホールドする。見かねた美影も慌ててホールドした。掴んで気づいた。閃里の腹回りに人間二人をやすやすと持ち上げられるような筋肉はない。筋肉量的に、さほど鍛えてもいないだろう。

 ひと際大きな音がしたので、反射的に顔を上げると鉄ムカデがこちらに向かって突進しているのが見えた。あかねが警告の声を上げる前に視界がブレる。

 担がれて緊張した身体に急激な重力がかかったかと思うと、次の瞬間に重力がなくなり、浮遊感へと変化する。実際に、浮いていた。光のない暗い街並みと、藍色の空が視界に広がる。閃里は建物で言えば三階くらいの高さへと、急上昇したのだ。


「まだ飛ぶ――」


 「よ」が聞こえる間もなく、横に重力がかかった。視界がブレる直前に、魔法陣が描かれた一枚の紙が舞っているのが目に付いた。首と腕が強制的に右向きにされる。振り落とされないように、閃里の胴体に抱き着いた。


「はい、到着。術式解除っと」


 気が付けば、知らない民家の屋根の上にいた。その場で降ろされた美影はよろよろ歩くと、膝をついて嘔吐した。

 いくら鍛えているあかねでも胃の中を攪拌されたような気持ち悪さを覚えたが吐くほどではなかった。


「僕はまたアレの相手をするから、その内にできるだけ遠くに逃げて、出口を探してほしい。僕も隙を見て離脱するからさ」

「速く飛べるならそれで逃げれないのか?」

「多分だけどあのムカデの方が速い。追いつかれてしまうね。逃げながら出口を探すのも難しいし」


 閃里は肩を軽く回すと、散歩にも出かけるような足取りで屋根の縁へ向かって歩き出す。しかし、放課後に見たような余裕は感じられない。気張っているようだが表情は硬く、手の震えが収まっていない。多かれ少なかれ、鈍感なあかねでも動揺しているのが見て取れた。


「おい待て」

「ん?」

「気を付けろよ」


 気休めにしかならない言葉だ。それでも言うべきだと思った。

 引き止められて振り返った閃里は一瞬、驚いたような表情を浮かべると、はにかむように薄く笑った。


「う、ありがとうございます。たすけてくれて……うヴぉえ~」


 そして、吐きながら感謝を述べた美影を見て、閃里の笑みは苦笑へと変わった。しかし、演技じみていたこれまでとは違う、暖かみのある笑みだった。


「いいね。励みになるよ。キミたちは面白い。ま、死にはしないから安心してよ。それじゃ」


 そう言うと、縁を蹴って飛び出し、宙に浮かんだ魔法陣を抜けると高速で空を駆けて行った。自分たちもああして空を移動していたのだろう。改めて見るとすごい速度だった。

 戦闘がはすぐそこで起こった。鉄ムカデに追いつかれるという予想は当たっていたようだ。左手に本を浮かべて、破れたページから炎や雷撃を放つ閃里と高速で突進を繰り返す鉄ムカデの姿がここからでもはっきり見える。


「鎖向先輩……」

「分かってる。さっさと離れるぞ」


 あかねは静かに怒っていた。閃里の強がった態度、身体に起きる不可解な現象、他人に自分の不始末を任せていること、何よりも現状置かれている理不尽な状況が許せない。だが、解決策はあかねの手にない。

 だから、今できることをやるしかない。

 必ず、全員でここを出る。そのためには、まず出口を探さなければならない。閃里が命を懸けて作っている時間を無駄にはしない。急がなくては。

 あかねは決意を固めた。美影はまだ怯えながらも、あかねと閃里の背中を見て自分にも出来ることを探し始めた。屋根を降りた二人は閃里とは逆方向に向かっていく。あてはない、とりあえず最短距離で町の端へ向かう。空へ浮かんだときに藍色の空がドーム状になっていることは感覚的に理解できた。この世界には端があるはず、とあかねは推察する。

 状況は悪い。しかし、逆境はあかねの足を止める理由にはならなかった。


*****


 本倉閃里は一か月前に魔法少女になった。突然、中空から分厚い本が現れ、彼女に魔法少女へ変身する能力を与えた。魔法少女の力は凄まじい。彼女はそれらの力を「趣味」に活用しようと考えていた。趣味とは他人の経歴や人生をまとめて本にしたためることである。

 しかし、それと同時に異形の怪物に襲われるようになった。助けてくれた先輩魔法少女の話によると、怪物は率先して魔法少女を狙うらしい。正体は不明。ただ、毎晩つけ狙うように襲ってくる。強さは個体によってまちまちだが、魔法少女に成りたての閃里でも一人で倒せるようなものばかりだった。

 怪物には「主」と呼ばれる強力な個体がいるらしい。「主」は普段は姿を見せず、町のどこかに身を潜め、獲物が着たら引きずりこんで食べてしまうんだとか。度々、強力な魔法少女の集団が挑んでは壊滅する程強力で、先輩からはそれっぽいのを見つけたらすぐ逃げろとも言われた。

 どこに隠れ、引きずり込むのか、聞いた限りでは見当も付かなかったが、今日、見て初めて理解した。彼らは別の空間に潜んでいる。そして、現実の場所に空間と繋がる門を作り、そこから獲物を引きずり込んでいるのだ。

 では、なぜ魔法少女ではない鎖向あかねと波並美影が襲われているのか。答えは簡単で、二人には近いうちに魔法少女になる兆候があるからだ。そして、その兆候を閃里は自身の魔法によって前もって知っていた。

 魔力の性質が一般人とは異なり、かつ、閃里と似ている人間が二人、それがあかねと美影だった。その後の趣味を兼ねた調査の結果、二人とも現状は魔法少女ではないことが分かった。魔法少女であったら声をかけるつもりだったが、違うのであれば別に良い。突然、魔法だの怪物だの話しかけても信じないだろうと判断し、二人が変身するまで放置することにした。

 そして、「もしかしたら、魔法少女の兆候があるだけでも怪物は襲ってくるのでは?」と思い至ったのが昨日。

 実際にあかねに声をかけて、怪しまれたのが一時間前。美影は途中まで尾行していたが、見失ってしまった。

 予想が的中し、二人の身体が光に包まれ、別空間に飲み込まれていくのを目撃したのが数分前。慌てて変身して門に滑り込むことができた。予想は当たったが、襲ってきた怪物が「主」なのは想定外だった。一刻も早くこの空間から抜け出さなくてはならない。

 現状、立ちはだかる問題は二つ。一つは「主」。これまで戦ってきた怪物とは強さが格段に違う。さっきは隙をついて離脱できたが、次はそうもいかない。奥の手として潜めていた光線も効いている素振りはなかった。倒すのは無理と考えて、二人が脱出する時間を稼ぐ方針で戦うしかないだろう。

 二つ目は出口。おそらく、この空間は現実の街並みを模倣して作られている。空を飛んだときに駅の線路に沿って境界が見えたので、無限に広がっているわけではない。規模は町一つ分くらいだろうか。出口がない場合は「主」を倒すほかないだろう。それは絶望的だ。

 閃里は笑みを崩して、鈍色のムカデを見据えた。高出力の光線は効かなかった。連発すればダメージは入るかもしれないが、あの現象は強力故に連発が出来ない。

 鉄ムカデはうねりながら突撃を行う。閃里は間一髪で上空へと飛翔する。そして、魔法陣から自動車ほどの大きさの岩石を生み出し、真下に落とす。岩石落とし。銃弾のように射出できない代わりに単純な重さの破壊力は抜群の力だ。

 鉄の外骨格は岩石をものともせずに弾き飛ばした。鉄ムカデは器用に方向転換し、一対の歯をカチカチ鳴らしながら再び突撃する。

 今度は避けらなかった。咄嗟に発動した防護壁でなんとか凌ぐ。速度が上がっている。あかねたちと別れるまではなんとか対応できるほどだったが、今では巨体を目で追えても体が反応しきれない。

 鉄ムカデの勢いは弱まらず、再度、Uターンと突撃を繰り返す。攻撃としてはあまりにも単純。反応さえできてしまえば避けるのは簡単だ。だが、それは速度二百三十キロで直進する巨体の怪物には当てはまらない。意思を持った新幹線に轢き殺されるようなものだ。

 二回、三回、突撃は繰り返される。速度は上昇し続けている。

 対して閃里は本のページを何枚か引きちぎり、中空へと投げた。それと同時に断続的に現象が発動する。足元に伸縮性のゴムが現れ閃里を引っ張る。突風で体が吹き飛ぶ。鉄ムカデの前に幻覚が現れる。

 閃里の強みは手数の多さだ。一つ一つの現象は他の魔法少女と比べて有効打に欠けている。その分、対応力に優れている。判断さえ間違わなければ、初めて接敵する格上でも十分に対応ができる。


「っ……右腕か。まずいな」


 突撃時に避けきれず右腕が接触した。腕はひしゃげ、あらぬ方向を向いている。応急処置は出来るが暇はない。猛攻を耐え抜き、出口が見つかり次第、隙を見て離脱する。それが、役割だ。

 かなり無理を通していることは理解している。


「あの二人とはもっと仲良くなりたいからね。だから、ここで死ぬわけにはいかないかな」


 命を張る理由はそれだけで良い。自分の欲求に素直な方がモチベーションが上がる。

 トランポリンを召喚し、真上に飛ぶ。即座に煙幕を放ち、目をくらます。距離を離すのは手の一つだが、すぐに詰められてしまうだろう。煙幕もそこまで長くは持たない。

 空中で身体をくるりと反転させ、鉄ムカデに向き直る。ひしゃげた右手と、まともな左手を前に突き出すと、二枚の紙がそれぞれの手に収まり、二つの魔法陣からまばゆい光が漏れ出る。

 さっきは一つでも効かず、外骨格が赤熱するだけだった。ならば単純な話だ。もう一つ、増やせばいい。


「行け。術式『秩序の光芒』」


 煙幕が晴れたとき、鉄ムカデに向かって二本の光線が放たれた。本能的に危機を感じた鉄ムカデは回避を試みるも、光の速度には勝てない。二重の光線が鉄ムカデの全身を飲み込んでいく。

 ダメージが通れば速度は落ちる。防衛はやりやすくなるはず、と閃里は判断した。その判断はもし相手が人間であれば有効だっただろう。

 光線が消えたとき、閃里の目が捉えたのは最高速で向かってくる鉄ムカデだった。赤熱した外骨格は所々が溶けており、何本もの足が失われ、場所によっては紫色の体液が溢れ出している。確かにダメージは通っていた。だが、規格外の怪物は光に蝕まれながらも対象の抹殺を選んだ。閃里の判断は間違いだった。

 回避の現象を用意する間もなく、ムカデの固い頭が閃里に衝突する。最初に口から空気が吐かれ、次に胃の中のものが全て吐き出された。腹部を中心に骨が折れる音が聞こえる。筋肉の多くは衝撃に耐えられず、破裂した。

 脳が急に揺れたことにより、意識はたちまち途絶え、閃里はちょうどあかねと美影がいる方向へと吹っ飛んでいった。

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