4、空洞の世界

 気が付けば、意識を失ったときと同じ場所で倒れていた。四肢は胴にしっかり付いている。感覚もある。スマートフォンを見れば、時間はそれほど経っていない。気絶したのは一分くらいだろう。

 斜め前には美影がうつぶせになって倒れていた。こちらも同じく異常ははない。美影の意識はまだ回復していないようだ。

 なぜか視界が薄く青みがかっている。あかねの手や傍にある空き地などが薄い光に照らされたかのように青い。空そのものが光源となり、青白い光を放っているように見える。

 奥に見える駅も振り返った先にある坂道も同様に青い。空からの光は街全体を包んでいるようだ。

 目をこすっても変化はない。意識を失った間に眼球に何かされたか。それとも、白い光によって体が消されたことによる不調か。どちらもあり得ない話ではない。

 そして、やけに静かだ。この人気のない寂れた道でもかすかな風を切るやわずかな生活音、電車が通る音は聞こえていた。それが今では全く聞こえない。あかねの鼓動と美影の緩やかな息が大きく感じられる。それらがなければ、耳が聞こえなくなったと勘違いしてしまうほどに音がない。

 

「美影、起きれるか?」


 とりあえず、美影を起こすために揺さぶる。細い首が小柄な胴の上でかくかくと揺れた。


「う……」


 すると、目をしばたかせながら辺りを見回し、緩慢な動きで胴体を起こした。目覚めたばかりでまだ頭が回っていないのか、顔に力が入っていない。


「あれ……わたしは、怪物に追われて、突然体が消えて……」

「よし、目覚めたな」

「ひっ!さ、鎖向先輩!い、いたんですか!」


 美影は目を見開き、その場から飛び上がって座ったまま後ずさる。本当に頭が回っていなかったようだ。


「そんなに驚かなくてもいいだろ。まあ、いいけど」


 あかねは呆れながら腕を組んだ。今まで関わったことのないタイプなのでどう接していいか未だに迷っている。


「す、すいません。ていうか……なんですかこれ。青い?」

「お前も同じか。私の眼だけおかしいってわけでもないのか」


 あかねがそうだったように、美影も視界の青さに目をこすっている。

 見上げると、一面の藍色の空が広がっている。雲が一つもないのにも関わらず、星や月が見当たらない。

 ――まるで別世界だな。

 見上げた空から地上に視線を戻したとき、アパートが目に付いた。先ほどは全ての部屋に電気が付いていたが、今ではどの部屋も真っ暗だ。

 あかねはアパートへと歩く。人がいるかどうか確かめたかった。

 最も手近な部屋を選び、ドアの真横に取り付けてある古い型のインターフォンを押す。カメラや通話機能すらない、押すとただ部屋の中で音が鳴るだけの古いインターフォンだ。

 しかし、音は鳴らなかった。というより、ボタンが押せなかった。人差し指に力を入れて押し込んでもビクともしない。隣の部屋も試したが結果は同じだった。ドアを強く叩いて呼びかけてもドアが開く様子はない。


「……変ですね。ハリボテみたい」


 いつの間にか美影が背後にいた。まだ道路の真ん中でダウンしているとばかり思っていたが動けるほどには元気を取り戻したようだ。


「ハリボテ?」

「あ、い、いえ。ノックをしたときにやけに響いてたんで……あのアパートの見た目だけを真似して作ったハリボテみたいだと思って……」


 試しにノックをすると、確かに建築物を叩いたにしては妙な響き方をしている気がする。


「そうか」


 ドアノブに手をかける。ノブを回してドアを引くが、動く様子はない。鍵がかかっているというより、その場に固定されてるみたいだった。

 次にノブを両手で掴み、すべての体重をかけて引く。ノブが手に食い込み、腕の骨が軋むのを無視してさらに引く力を強めた。

 ベキョギ。ドアが嫌な音を立てながら開いた。無理矢理開いたせいか、ドアの建付けは最悪だ。


「び、びっくりした……って、え?」


 開いた先は真っ暗だった。ただの黒ではない、少し青みがかった青。ちょうど空と同じ光を放っている。虚無とも言える空間が二人の前に広がっていた。


「何にもないな」

「え、え?うわぁ……」


 消えた体、藍色の空、空洞のアパート。その三つからあかねはここが元居た場所と違う場所であると推察する。確信はないが、そう思うのが妥当だ。

 隣で冷や汗を浮かべている美影もおそらく同じ考えに至ったのだろう。明らかに「分かってしまった」という表情を浮かべて歯を震わせている。

 ここがどういった場所であるとかはさすがに分からない。だが、長居するべきではないことは確実だ。

 「変わったこと」。あかねの脳裏に本倉閃里の心を見透かしたような態度が浮かぶ。この事態について一番怪しいのはあの少女だ。戻ったら本気で問い詰めなければならない。しかし、今は脱出が優先だ。


「とりあえず、駅まで……」


 駅まで行こう。と言いかけたところで爆発音と共に地面が揺れた。あかねは鍛えられた体幹でふんばったが、美影は尻もちをついてしまった。

 地震、ではない。地面を揺るがすほどの大きな衝撃。例え、、爆発のような。


「な、なななんですか!?」

「落ち着け。一旦、離れるぞ」


 膝が笑って動けないという美影の手を引いてアパートから向かいの空き地に移動する。

 衝撃の方向は学校だった。黒い煙が昇り、その下では赤い炎が上がっている。そして、先ほどまで静寂だった偽の町は炎が燃え盛る音と、複数の金属音、そして、判別不可能な衝撃音が響いていた。いずれも日常で聞くことのない異音だ。

 あかねは異様な光景を目の当たりにしても、冷静な自分に驚いた。自身の想定していない異常事態が降りかかったとき、程度の差はあれど決まってあかねは激情に身を震わせ、猪突猛進に動いていた。しかし、今は助かるにはどう動くべきかを冷静に考えている。

 ここに来てからいつもの苛立ちがない。調子が悪いときは箸が転がるだけで暴れたくなるような怒りが、今は沈黙している。ないならないで違和感があるが、今はありがたい。

 もしかしたら、初めての後輩の手前、気丈であろうと無意識に抑え込んでいるのかもしれない。ならば、より素早くかつ確実に行動するべきだ。


「学校が、燃えてる……」

「ああ。多分、あれはヤバい。逃げるぞ」

「逃げるアテはあるんですか?」

「ない。できるだけ学校から離れるつもりだ」

「は、はい。わかりました」

 

 とりあえず、駅に向かうことにした。そこから線路沿いに歩いていけば見渡しの良い大きな道路に出る。逃げる方向として出来るだけ広くて遮蔽物がない場所が良いと判断した。地震のような衝撃で建物が倒れて下敷きになるリスクを減らすためだ。

 駆けだすための一歩を踏み出した瞬間、


「あ?」


 身体が発火したように熱くなった。視界が蜃気楼のように歪んで、思わず膝をついてしまう。身体全身を巡る血液が突然炎に置き換わったような感覚。


「先輩?どうしました?」

 

 滝のような冷や汗をかいた美影が、怯えに心配を交えた表情を浮かべてあかねに寄る。


「わ、熱!」


 そして、あまりの熱にのけ反った。あかねが感じている熱さは比喩ではなく、物理的なものだった。人間の体温の限界は四十二度前後。今のあかねはそれを優に越している。

 しかし、あかねは倒れない。心臓が早鐘を打ち、身体が熱に浮かされるような感覚はあるが、思考は研ぎ澄まされるように冷静だった。

 身体は問題なく動く。むしろ、上昇する温度に比例して身体の動きがさらに良くなっている気さえする。今なら、美影を抱えたまま走っても自己記録を更新できそうだ。

 一度、深く息を吐く。熱を帯びた息が更なる蜃気楼として空間を歪ませる。気が付けば体から湯気が立っている。この体に何が起こっているのか、今は考えている暇はない。


「せ、先輩!なんか来ます!来てます!」


 美影が斜め上を見て叫んでいる。

 つられて斜め上、学校がある方の上空を見れば緑色の何かがこちらに向かって飛来してくるのが見えた。

 咄嗟に美影の腕を引いて、しゃがんだ状態から後方に飛び上がろうとする。揺れる視界が足をもつささせ、飛び上がった後に美影と共に転倒してしまう。

 緑色の物体はアパートへと落ちた。爆風があかねたちの頬を薙ぎ、轟音と共にアパートがひしゃげて崩壊する。あそこに留まっていたら自分たちも同じようにひしゃげていただろう。


「緑色の隕石?……熱!」

「あ、悪い」


 熱がる美影からすぐさま離れる。色々な事態が一挙に訪れたせいか美影は目を回しているようだ。

 するとアパートの瓦礫の一部が蠢き、にゅっと手が突き出る。緑色のリボンを巻いた細い腕だ。腕は瓦礫をどかすようにばたつかせると、一人の少女が瓦礫から這い出た。


「ふぅ~やれやれだね。まさかここまで強いとは」


 それは緑色のフリフリ衣装に身を包んだ少女だった。胸には大きなリボン。装飾過多としか言いようがないゴテゴテしたスカート。あかねの記憶は過去にほんの少しだけ見ていた日曜朝の魔法少女アニメを想起させていた。邪悪な怪物なり秘密結社を徒手空拳で叩き潰し、最後にはカラフルなビームで一掃する当時の女児の憧れの存在。

 美影は口を開けて呆けている。混乱がピークに達したのだろう。放心してしまっている。

 魔法少女はあかねたちに顔を向けると、にこやかに口を開いた。


「おや、あかねくんと、キミは波並美影くんだね?」

「あ、お前は」


 その顔に見覚えがある。余裕な態度と胡散臭い笑顔。服装や髪型が違うので気づかなかった。


「本倉閃里!」

「正解。無事でよかった。今は見ての通り取り込み中でね。色々聞きたいことはあるだろうけど、とりあえず飲み込んでここから離れてくれると助かる。どうかな?」

「言われなくても。おい、美影。行くぞ」


 体勢を立て直し、美影を揺さぶる。今度は数秒で目が覚めた。ぐるりと目を回し、あかねの顔を見た後に視線をその奥へと固定させる。そして、目を開いたまま再び固まってしまった。


「しょうがない。担ぐか」


 担ぐために美影の腰を掴んだところで、上空から風を切る音が聞こえた。方向は先ほど、大きな爆発音が聞こえた場所からだ。

 振り返れば、鈍色の大きな塊がすぐそこまで迫っていた。咄嗟に美影を持ち上げて走るが、間に合わない。巨体が勢いに任せて押しつぶさんとぶつかる直前で、緑色の光が間に入った。


「そっちを狙うか。危ない危ない」


 鈍色の塊は右手を突き出した閃里の直前で見えない壁に阻まれたようにぴたりと止まった。轟音が鳴り響き、衝撃が地面を揺らす。しかし、閃里とあかねたちはなんともなかった。

 目を凝らすと、閃里の前にはガラスのような壁がドーム状に展開されている。壁にはヒビが入っており、今の衝撃が二、三発入れば壊れてしまいそうだった。

 鈍色の塊は一メートルほど後退すると、火花を散らしながら体を広げた。塊の正体は金属で出来た大きなムカデだった。大きさはバスほどもあり、身体全体が鈍色の光沢を放っている。何本もある鋭い刃の足が地面に食い込み、少し動くだけで周囲の建物を破壊している。

 鉄ムカデはしなやかな動きであかねたちを一瞥すると、けたたましく甲高い叫び声を上げた。それは獣の咆哮と金属同士が擦れる音の中間のような不快な叫びだった。


「信用していいんだな?」

「はは、好きにしてくれて良いよ。こんな状況だしね」


 閃里は左手の上で図書館でしか見なような分厚い本を浮かせている。いかにも魔法使いっぽい本だ。空いた右手で空中を横なぎに振うと本は勝手に捲れ、そこから破れた一枚のページが空を舞う。古そうな紙質のページには意味の不明な記号や文字が羅列されていた。


「でも、信用してくれたら、嬉しいな!」


 間合いを計るように様子を見ていた鉄ムカデはページが現れた途端、閃里に向かって突撃し始めた。前進するだけで刃の足が地面を砕いている。

 閃里は手を前にかざすと、破られたページに光が走り、魔法陣を描く。吸い寄せられるように不自然な動きで手の前まで浮いたページは白い光を放ち始めた。あかねたちの身体を消したときの光とは違う、力強い意思を感じさせる光だ。


「術式起動」


 次の瞬間、魔法陣から一筋の光線が放たれた。光の奔流が鉄ムカデの頭を飲み込んでいく。鉄ムカデに当たって枝分かれした複数の光線が、地面や周囲の建物を溶かしている。


「お前、何者なんだよ」

「キミもその内分かるさ。あと、まだ下がっててね。終わってないから」


 光線が晴れた先には、原型を留めたままの鉄ムカデが佇んでいた。熱された鉄のように赤くなっているが、ダメージを受けている様子はない。むしろ、怒りに打ち震えているように見えた。


「少し、ヤバいかもね」


 不敵な笑みを浮かべた顔に汗をにじませながら、右手を構える。その右手はわずかに震えていた。浮いている本は絶え間なく捲れ続けている。

 そして、鉄ムカデはわずかに胴体を浮かせると、あかねたちの周りを目に追えない速度で走り出した。

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