3、恐慌少女

 高校から駅までの道のりは長い上に面白くない。小さな林が点々とあるだけの住宅街だ。極端に寂れているわけではないが、目新しいものもない。毎日眺めるにしては退屈な光景だ。かと言って心が休まるほど自然は多くない。通る度に微妙な気持ちになる。

 あかねはその道を、早歩きで通りすぎていく。下校時刻からは大分経っているので、生徒は見当たらない。この辺りは学生がいなくなると人気は少ない。車通りもちらほら見かける程度だ。その代わりに歩道が全くないので登校中の学生でごった返すときは非常に鬱陶しい。

 グラウンドで出会った妙な少女――閃里は電車通学ではないようだ。少なくとも、今は姿を見かけない。もし、電車通学であったら、毎日あの語り口調で話しかけられる羽目になりそうだ。さらに朝の電車が嫌いになってしまう。


「周りで変なこと、か」


 精神面は相変わらずだ。いつもどおり、かなり怒りっぽい。一般人と比べて抜きんでて怒りっぽい自覚はあかねにはないが、とりあえず怒りっぽいことは把握している。変わりはない。ある意味、安定していると言えるだろう。

 家族や陸上部の人たちにも変わった様子は見当たらない。父と母は年の割に元気だし、部員たちは来月の大会に向けて張り切っている。そういえば、仲の良い部員の一人がサウナにハマっていた。あかねなら絶対にハマると誘われていたのを思い出したが……別に変ったことではない。

 肉体的にはついさっき感じた違和感がある。疲れが全くない。悪い違和感ではないので、変なことと言われれば微妙な点である。

 ――そもそも怪しいやつからの質問だ。考えるだけ無駄か。

 ここで、あかねの頭に閃里がつけてきている可能性がよぎる。ほぼ同じタイミングで学校を出たのに見当たらないのは、こっそり尾行しているからではないだろうか。あの怪しい少女なら尾行くらいはやってそうな気がする。推察、というよりかは完全な勘だった。

 確認のために振り返る。電柱の隅に見覚えのある制服が目についた。ほとんどの人間は見落としそうな位置に隠れていたが、あかねの目ははっきりと紺色のブレザーを捉えていた。

 その制服が目についた瞬間、あかねは予備動作なしで走り出した。走り出して二歩目で前傾姿勢を取り、三歩目で学生用鞄を邪魔にならない場所に放り投げる。四歩目で走るのに最適な姿勢を完成させると、身体は一直線に加速を始めた。

 距離を詰めながら、あかねはどんな言葉で尾行を非難するか考えていた。 しかし、怒鳴らず、手を出さずに相手の非を問い詰めるビジョンが浮かばない。仕方がないのでやめてほしい旨だけ伝えることにした。


「――え、ええ!ななな、なんですか!え?ええ?」


 近づくと声が聞こえてきた。かなり焦っているようだ。記憶にある閃里の声と少し違う気がする。


「おい、お前つけるなって言っ……」


 対象まであと三歩という位置である事実に気づいた。

 電柱の隅にいたのは怯えた表情を浮かべた猫背の少女だった。顔は真っ青で、春先だというのに汗が滝のように流れている。彼女は突然の猛ダッシュを目の当たりにして、腰を抜かしているようだった。

 リボンの色から一年生であることがわかる。あかねはこの少女に見覚えがある。今朝、電車であかねに頭突きをかました一年生だ。話した時間は数秒だったが、おどおどした様子が印象的だったので覚えている。

 あかねは息を整え、背筋を伸ばした。そして、一度、呆けたように空に目をやってから再び少女を見据える。完全に誤認してしまったようだ。


「あー、すまん。人違いだ」

「え?あ、は、はぁ……そうなんですか。そそそそ、あ。へぁ~~~」


 少女は胸をなでおろし、しぼんだ風船のようにその場に座り込んでしまった。


「おい!大丈夫か?」


 似たようなやり取りを今朝もしたような気がする。と内心で思いながら駆け寄る。少女の顔は青を通り越して白くなっており、憔悴しきっていた。

 血走った目が辺りにいる何かを警戒するように絶え間なく辺りをぎょろぎょろと見回している。



「す、すいません。貧血です、たぶん」

「喋れるか?名前、言ってみろ」

「……波並美影です」

「しばらくそのままでいた方がいい」

 

 貧血の対応について知らなかったのであかねはスマートフォンで調べた。低めの姿勢を取って目を閉じる、今できそうな対応はこれくらいしかない。あとは水分補給か。

 美影に伝えると、ぎゅっと目をつぶって頭を手で守るように覆った。一挙一挙が手負いの動物みたいに大げさだ。


「お前、怖いのか?」

「……はい」

「私が怖い?」


 小刻みに震える少女は首を横に振った。あかねを怖がっているわけではない。少しだけ安心したあかねは辺りを見回して、美影が怖がりそうなものを探し出そうとした。もしかして、閃里が何かしたか?でも当の本人が見当たらない。


「ここを通るのがすごく怖いんです。り、理由とかはわかんないんですけど」


 美影は震えた声でとつとつと語り出した。


「何かに見られているような気がするんです。最初はストーカーかと思ったんですけど、誰かがつけてる様子とかはないですし……『気がする』ってだけで家に手紙が来るとかはないんです」

「はあ」


 美影は目を大きく見開き、瞳をぐるりと一周させる。


「幽霊かと思ってお祓いにも行きました。けど、全然効果はなくって、怖いのがどんどん大きくなるばかりで……今ではどこにいても怖くなるようになってきたんです」

「家に居ればいいんじゃないか?しばらく休めばいい」

「元々、不登校気味で……ずっと家にいたら怒られて締め出されちゃうんです。あとこのままだと留年しちゃうんで……」

「そうか、大変だな」


 じっと目を凝らしてみても閑散とした面白みのない家々や小さな商店があるだけで、ストーカーや幽霊らしき影は見当たらない。せめて、ストーカーであれば拳でぶちのめせるのだが。

 あかねにできることは、スポーツドリンクを買うことと貧血の介抱くらいだろう。


「立てるか?」

「は、はい。おかげで……うあ」


 美影は勢いよく立ち上がると、次の瞬間には糸の切れた人形のように倒れ伏していた。緩慢な動作で家の塀まで這って身を縮めている。


「ずびばぜん。だめみだいでず」

「いい。無理すんな」

 

 日は既に沈み、周囲は薄暗くなり始めている。

 ここに居ても美影の体調が良くなる兆候が見られないので、駅まで背負うことにした。


「ご、ごめんなさい。わざわざ……」

「まあ、なんだ、その、お互い様だ」


 美影の身体は想像していたより軽い。疲れがないのも相まってこのまま全速力で走っても問題ないくらいだ。

 二人分の鞄は後ろに組んだ手で持っている。高校生の鞄は教科書がみっちり詰まっており、振り回せば鈍器として使えそうなほど重い。体勢的に持ちづらいこちらの方が厄介だ。


「……」

「……」


 二人の間に沈黙が流れる。あかねも美影も積極的に話すタイプではない。あかねは沈黙が苦にならない性格だ。その上、母親や友人など周りにはおしゃべりが多く、積極的に話しかけた経験は皆無に等しい。

 対して、美影は対人関係にも臆病なことに加えて、体調的に話しかけるような状況ではない。恐怖とふらつく意識を保つので精一杯だった。

 閑静とした道路に靴音と、遠くで電車が過ぎる音だけが響く。

 

「……えーっと、美影は一年か」

「え?あ、はい」

「入る部活は決めたか?」


 唐突に、あかねは口を開いた。沈黙が気になったのではなく、怖がる美影の気を紛らわすためだった。

 あかねを知る者が見れば驚いただろう。ほとんど他人に無関心だった彼女が、曲がりなりにも人に気を遣ったのだ。


「い、いえ……まだです」

「陸上部なんかどうだ?」


 この時期はまだ体験入部が許されている期間である。部活に対して意欲のある一年生は様々な部活を体験し、最終的に一つの部活に入部する。

 あかねの脳裏に体験部員のあまりの少なさにやや残念そうな様子の部長と顧問の姿が浮かぶ。体験部員が必ずしも入部してくれるとは限らない。部長によると、練習態度的に入部してくれそうな一年は良くて二人くらいらしい。

 あかねには新入部員など関係ない話だ。一人で練習できればそれでいいと思っている。

 しかし、そんなあかねがわざわざその話を持ち出したのは、気を紛らわすのに適切な話題が見つからなかったからだ。美影が乗ってくれるとは思っていない。


「あ、え?あの、えーっとあなたは……」

「鎖向あかね。二年生だ」

「鎖向先輩は陸上部なんですか?」

「ああ」


 美影が困惑気味にぶつぶつ呟いている。実際に美影は突然の誘いに困惑していた。

 美影に運動の経験はほとんどない。中学ではテニス部に入っていたが、部活が強制だったから仕方なく入っていただけで幽霊部員だった。その上、運動神経はかなり悪い。少し走っただけで息が切れるし、球技をやればあらゆるボールが顔に当たる。

 陸上部なんて、考えたこともない。高校は部活が強制ではないので、そもそも入る予定すらなかった。心配性の親からは部活の一つでも入ったらどうだと言われてはいたが。

 この誘いも出来れば断りたい、が。


「え、えへ。い、いいですね!今度、体験入部したいです!」


 美影は介抱してくれたあかねに感謝している。だが、それでも体格が良く、そこにいるだけで威圧感のあるあかねが怖かった。下手なヤンキーより怖い。

 断ったら何をされるかわからない。そういった不安が膨らみ、本来の意思とは別に美影の首を縦に振らせる。


「え?そうなのか?」

「え?」


 想定外の回答にあかねは一度、立ち止まる。しかし、来るなら来るで構わないか、と勝手に納得し再び歩き出した。

 そもそも、この質問に美影の気を紛らわす以上の意味はないのだから。

 幸か不幸か、美影は困惑とあかねへの不安により、「道」への恐怖は幾分か逸れていた。


「じゃあ、部長に話はつけておく」

「あ、あ、ありがとうございます!」


 美影は泣きそうな表情を浮かべていたが、背負っているあかねが気づくことはない。

 駅までの残り五百メートルほど。一番早い電車に乗るためには少し歩くスピードを上げなければならない。身体的な辛さは全くない。むしろ、普段より調子が良い気さえする。今なら自己ベストの更新も出来そうだ。

 ふと、周囲に小さな違和感を感じて再び立ち止まる。


「ど、どうかしました……?」


 右手には小さな空き地、左手にはアパートがある。このまま直進すれば川を越えるための橋があり、そのすぐ先は駅だ。

 空き地。元々、何かしらの建物が建っていたのだろう。でこぼこの乾いた地面には小さな雑草が点々と生えている。

 アパート。ベージュ色の外壁をした二階建てのアパートだ。締められた窓のカーテンから明かりが漏れ出ているのを見るに、人は住んでいるようだ。

 おかしい点は一つもない。この一年、毎日見てきた光景だ。


「何だ?」


 異質な違和感がある。目に見えない、聞こえない、匂わない。しかし、そこに何かあるという確信がある。

 突然、降りてきた直感と言い換えることもできるだろう。

 ――これが、美影の言っていた「怖い」か?

 不思議と怖くはない。ただ、漠然とした焦りがある。


「走るぞ、掴まれ」

「は、ひゃ!」


 駆けだした瞬間、背後で異音がした。窓が割れる音と人間の悲鳴を幾重にも重ねたような、異音としか表現できな破裂音が。

 あかねの直感は後方の確認ではなく、全速力を選んだ。すぐさま鞄をその場に落とし、美影を落とさないように腕に力を込めると、姿勢を低く保ち足の回転を速めた。


「う、うあああああああ」


 美影の絶叫が聞こえる。どうやら美影は追ってくる何かを見たようだ。

 幾つもの歪んだ金属音が、背後に迫ってきている。この地点から駅まで、大きな遮蔽物や逃げ込めるような建物はない。

 だから、今できる最大速度を以て、何としてでも走り抜ける。目標は駅。推定距離は五百メートル強。

 最低限の状況の把握と、明確なゴールを設定したあかねは次の一歩を踏み出す。その瞬間


「!!!」


 地面を蹴るはずの右足が空を切った。反射的に見れば、右足がなくなっている。切断部分は白い光を放ち、足全体を包もうとしている。

 右足がなくなったことによってバランスが崩れ、よろめく。手を着こうと伸ばすが、右手も同じようになくなっている。

 地面に顔をぶつけながら、状況を把握すべく、全神経に意識を集中させる。今や、切断部分にある光は四肢を消し、身体を覆うべく腰や肩へと進んでいく。しかし、消えた足や手の温度や触覚はまだある。

 

「き、消え、やだ。たすけて」


 美影も同じように四肢から胴にかけて光と共に消えている。


「クソ……ふざけ」


 光が顔の半分に差し掛かる。怨嗟の声を漏らしても状況は変わらないあかねの意識が途切れる寸前に見たのは視界を覆いつくす、大量の不揃いな刃だった。

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