引っ込み思案の絵描き少女は、無邪気な幼馴染に片想いする

真山ブジン

引っ込み思案の絵描き少女は、無邪気な幼馴染に片想いする

「行ってきます!」


 そう言って、十歳の少女、沢渡佐和は小学校から帰るなり、ランドセルを置いてすぐさま家を飛び出した。

 スケッチブックを持って。

 佐和は母親が画家なのもあって、昔から絵を描くのが好きだった。特に風景画が好きだ。性格的に内気なこともあり、放課後に集まって遊ぶような友達を作らず、もっぱら友達はスケッチブック。家を飛び出して出かける先は友達の家ではなく、近所の河川敷。


 この日も河川敷にあるベンチに座り、画用紙の上に色鉛筆を走らせていた。夕方のこの時間しか描けない沈みゆく夕日と橙の空を描くために。


 しかし、今日はいつもと違った。


「あ、やっぱ沢渡さんだ!」


 突如同年代らしい女の子の声とともに、夕焼けの眩しさが遮られ、スケッチブックに影ができる。


「え?」


 顔をあげると、同じクラスの岸川千夏という少女が立っていた。


「岸川……さん?」


 彼女とはあまり話したことがない。佐和にとって彼女への印象は、〝なんだかいつも騒がしい子〟。友達が多くていつもみんなの中心にいて、自分のような引っ込み思案な人間にも遠慮なく距離をぐいぐい詰めてくる。


 ――正直言うと、少し苦手だ。


「近くに住んでたんだ! すっごい偶然!」


「う、うん……」


 早くどこかへ行ってほしかった。佐和にとって夕焼けを描くことのほうが、優先度は高い。日の入りまで時間制限があるのだから。


「ねえ、悪いんだけど、岸川さん、私――」


「沢渡さん、すっごく綺麗だねっ!」


「え……?」


 にひっと夕日を背に満面の笑みを自分に向ける彼女。逆光になっているのに、なぜかその笑顔は夕日よりも眩しくて――。


「わ、私なんて、そんな……」


「そんな綺麗な絵、初めて見た!」


「……!」


 直後、自分がとんでもない勘違いをしていたことに気づく。彼女の言葉は自分ではなく、自分の描いた絵に向けられていたのだ。


「どしたの?」


「……なんでもない。絵、そんなに綺麗……かな?」


「うん! あたしが見た絵で一番!」


 ――それでも、嬉しいと思ってしまった。

 なぜだろう、夕日に焼かれたように頬が熱くなる。


「あっ! やっば! お母さんに買い物頼まれてたんだった! じゃ、またねっ!」


「う、うん……!」


 慌てた様子で、彼女は手を振りながら走り去っていった。まるで嵐のような子だ。


「岸川……千夏ちゃん……」


 佐和は岸川千夏が少し苦手――〝だった〟。


     ×    ×    ×


「あー……ダメだわ。スランプね。何も思いつかない。世界の終わり。死にたいわ」


 高校二年生の夏休みのある日。沢渡佐和は美術室の机の上で、うなだれていた。すぐ横にはイーゼルに立てかけられた、真っ白なキャンバス。


「まーた今日もシナシナになってんねー」


 そういうのは岸川千夏だ。近くの席から拝借してきた椅子に座り、佐和と同じ机で頬杖をついている。


「そりゃね。というか、どうしてチーちゃんは今日もさも当然のように、美術室にいるのかしら? 部員じゃないでしょ」


「だって、バレー部はもう練習終わったし、暇だもん。だから遊びに行こーかなって」


「……邪魔」


「ひどっ!?」


「冗談よ」


「……んで、他の部員は?」


 そう言って周囲を見回す千夏に、佐和は答える。


「いないわ。そもそも今日活動日じゃないし」


 美術部が使うこの美術室には、今佐和と千夏しかいない。


「私だけ先生に許可をもらって、特別に使ってるの。コンクールも近いから」


「さっすが、将来を期待される美術部のエース! 憧れちゃうな~!」


「茶化さないでよ」


「茶化してないし。あたしとか、バレー部のエースでもなければ、部自体別に強豪ってわけでもないじゃん? それと比べりゃ、サッちゃんは本当にすごいよ~」


「……すごくなんかないわ。現に今コンクール用の絵の題材が、何日も思いつかないし。何を描くべきなのか、どんな題材なら勝てるのか……全然ダメ。もう時間もないのに」


 題材を決めて、下描きをして、色を塗って――しかも油絵なので、他の絵の具に比べて乾くのに時間がかかってしまう。コンクールの締め切りから逆算すると、本当はもう下描きが終わっていても良い頃合いなのに。


「うし! じゃあ、ちょっとあたしに付き合って! 休憩タイムといこー!」


「え?」


 唐突な千夏の提案に、佐和は困惑する。


「話聞いてた? 休んでる暇ないんだけど」


「だからこそだよ! こーゆーときこそ、気分転換も必要だと思うんだよね! 急がば回れ的な?」


 そう言って千夏は立ち上がると、佐和の手を引っ張った。


「はい、サッちゃん、きりーつ!」


「……まったく、もう」


 はあ、とため息を漏らす佐和。千夏はいつも強引だ。こちらの意見とか関係なく、振り回してくる。そしてそれを自分も心地よく感じてしまうのだから、世話がない。

 まあ、どのみちこのまま美術室でアイデア出しに苦しんでも、きっと何も浮かばないだろう。一度頭をリセットするために、外の空気を吸いに出るのも悪くない。




「お! 他に誰もいないし、ふたり占め~!」


 その後、千夏に連れてこられたのは、誰もいない校舎の屋上だった。元々高台にある高校なので、ここから街一帯をぐるりと見渡すことができる。ただ落下防止用に二メートル前後のフェンスが隙間なく囲んでおり、それが若干景色の邪魔をしているのが残念だが。


(もう日の入りの時間だったのね)


 佐和は橙に焼かれた空を見上げて、時間の経過に気づく。朝から美術室にいたが、結局今日一日無駄に消えてしまったようだ。


「あっ! 見て見て!」


 幼い子供のようにはしゃいで、千夏はフェンスのほうまで駆けていった。もう高校生だというのに背丈ばかり伸びて、中身はほとんど小学生の頃から変わりない。特に足元に転びそうな突起とかはないが、どこか危なっかしい。思わず彼女の母親か姉のような心情になってしまう佐和であった。


「まったく、そんなはしゃぐと――」


 転ぶわよ、そう言いかけたときだった。


「サッちゃん、すっごく綺麗だねっ!」


 フェンスの向こう――夕日を指さしながら、千夏は満面の笑みをこちらに向けていた。


「…………」


 思わず佐和は、その指の先にあるものよりも彼女自身に見惚れてしまう。逆光になっているのに、なぜかその笑顔は夕日よりも眩しくて――。


「……? サッちゃん?」


 今回は間違えない。自分でもなければ、自分の絵ですらない。言葉の矛先に。

 でも佐和の言葉は――。


「ふふ、とても可愛いわね」


「可愛い……? 綺麗とか美しいとかじゃなくて?」


「ええ、〝可愛い〟で合ってるわ」


「なにそれ。ゲージュツ家ってわかんないなー」


 そう言って両腕を組み、彼女には似合わない考える仕草。


「さてと、そろそろ戻ろうかしら」


「えっ!? まだ来たばっかじゃん!」


 驚く千夏に、佐和は余裕に満ちた微笑みを浮かべて、


「アイデアが浮かんだのよ」


 千夏はパタパタと駆け寄って、佐和の腕に絡みつく。


「なになに!? どんなの浮かんだの!?」


「秘密よ。できてからのお楽しみ」


「えーっ!」


 なんてやり取りをしながら、ふたりは屋上をあとにした。


     ×    ×    ×


 ――後日。佐和は一枚の絵を完成させる。


「……できた」


 美術室でひとり、溜め込んだ緊張をそんな言葉ともに吐き出した。これでなんとかコンクールにはギリギリ間に合うだろう。


 〝描きたい〟ものを描けた、そう思う。


 キャンバスには、夕日を背に正面を向いたある少女が描かれていた。しかし肩から上ははみ出ていて描かれておらず、その人物が誰なのかわからない。


 タイトルは、〝その憧れは、眩しくて〟。


 いつしか佐和は評価されるために、〝描くべき〟ものにばかりこだわっていた。でも自分にとって、絵は本来そういうものではない。無意識ではそれをわかっていたがゆえに、描くべきでも描きたくないアイデアは、一瞬脳裏に浮かんでも除外していたのだろう。そりゃ何も形にならないわけだ。

 でもちゃんと自覚できた。否、思い出せた。


「チーちゃん、なんて言ってくれるかしら」


 願わくば、また〝綺麗〟という言葉を、自分の絵に向けて言ってもらいたい。

 そしていつの日か、自分にも――。


(了)

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