番外編2 『努力の鬼』
タツヤが夜桜傭兵団に入って3ヶ月が経った頃、彼は団長室に足を運んでいた。
「そろそろ観念したらどうだ?」
「嫌だ!吾輩は絶対に飲まないからな!」
部屋に入るとアトスとコハルが取っ組み合いをしている最中であった。アトスはこうやって、吸血鬼のコハルに無理やり血を飲まそうとするのである。これはいつもの事なので気にしていないのだが、今日のアトス団長はいつもより少し強引な気がした。
「これはコハルの為なんだぞ。それにお前が強くなってくれたら、俺の仕事が楽になるしな!」
「絶対最後のだけが本音だろ!この鬼...ーー!くひをむひやり...」
赤髪の幼女は抵抗虚しく、その小さな口に自身の髪の色と同じ液体を注がれる。コハルは血が飲めない吸血鬼なのだが、それは単に嫌いだからという理由だけではない。
「ゴホッ。う~不味い。」
「...やっぱりダメか。」
彼女は飲まされた血を全部吐き出してしまったのである。身体が拒否反応を起こしてしまっているので、これでは飲ませようがない。人間の血を力の源とするのが吸血鬼という種族なので、つまり今の彼女は最弱の状態というわけだ。
だが拷問のような事をしてまで、コハルを強化する必要があるとも思えない。タツヤは怪訝な顔でアトスにその意図を問う。
「コハル先輩も嫌がってるし、そこまでする必要があるのか?」
「...最近王都で『鬼狩り』の目撃情報があったからな。」
「鬼狩り?でもコハル先輩は吸血鬼だろ?」
「吸血鬼やデーモンなど少しでも鬼に関連する存在なら見境なく殺す連中なんだ。吾輩もすっごく困ってる。」
タツヤの疑問に対して、コハルが鬼狩りについての追加説明をした。彼女は眉を顰めて、忌々しい彼らの事を思い浮かべている。どうやら鬼狩りと実際に会った事があるようだ。
それからアトスが気持ち悪い笑顔をこちらに向けた。それを見たタツヤはようやく、ここに呼ばれた理由を悟る。
「それじゃあ俺は忙しいから、こいつの護衛はタツヤに任せるぞ。」
「は、はい。」
「吾輩の護衛を出来る事を光栄に思うんだな。」
「なんで守られる側が偉そうなんだよ...。」
別に急ぐ用事もなかったので構わないのだが、少し先が思いやられる。だが外が危険なのであれば、アジトの中で大人しくしておけば良いだけの話だ。基本的にアトス団長は事務作業をしている為、ここが王都で一番安全な場所と言っていい。
だからコハルと共に団長室を出たタツヤは、彼女に念押しする。
「ほとぼりが冷めるまで、コハル先輩はアジトの中で大人しくしてろよ。」
「うぅ。それなのだが。」
しかしタツヤの忠告を受けて、コハルは気まずそうにモジモジしているのだ。それから彼女は決心したように真紅の瞳をこちらへと向けた。
「今日はペタタン限定グッズを販売するイベントがあって...。」
「それはまたの機会ということで。」
「今日だけなんだ!もうこれを逃したら一生手に入らないの!」
泣き喚いて必死に訴えかけるコハルの姿を見て、タツヤは故郷にいる妹の事を思い出す。
「それを買ったらすぐ帰るからな。」
彼はため息をついて、コハルのワガママを受け入れたのであった。
△▼△▼△▼△
ペタタンとは最近女子に人気のキャラクターである。アホそうな顔をしたペンギンのデザインが可愛いらしい。たしかによく見ると少し可愛く思えてきたのだが、タツヤは命を懸ける程手に入れたいとは思わない。
「これと、これもいいな。うへへ。」
「どんだけ買うんだよ。」
そしてコハルは大量のペタタングッズを手に取っていく。買う予定があるものを全て持たされているのはタツヤだ。護衛というよりは荷物持ちと言った方が正しい。
コハルは200年もの時を生きているらしいが、目を輝かせながら限定グッズを眺めている彼女は、中身まで幼女そのものに思える。まぁ彼女はよく見栄を張るので、年齢も嘘である可能性が高いのだが。
「なっ!?ぬいぐるみが売り切れてる!」
「結構早めに来たのに、凄い人気だな。」
もちろんタツヤ達も開場時間の前には来ていたのだが、その時には既に長蛇の列が出来ていたのだ。隣にいたコハルが分かりやすく落ち込んでいる。しょんぼりしている彼女を見ると、何とかしてあげたくなるが、売り切れたものはどうしようも無い。
しかしそこへ救世主が現れる。
「もしかしてこれを探していましたか?よければ差し上げますよ。」
「いいのか!?」
突然声を掛けてきたのは浪人笠を被った男だ。顔を覆い隠すその笠はタツヤの故郷、大和国でよく見かけるものである。彼は手にペタタンの限定ぬいぐるみを持っていて、それをコハルへと差し出す。
「はい。拙者には必要ないものなので。それではこれにて。」
「ありがとう!優しいお兄さん!」
迷うことなくぬいぐるみを受け取ったコハルは、笑顔を男へと返す。そのまま男は颯爽と、どこかへ行ってしまった。
優しい男性から思わぬプレゼントを貰い、コハルは完全にご機嫌を取り戻したようだ。その光景を見たタツヤは、世の中まだまだ捨てたものではないと思うのであった。
△▼△▼△▼△
買い物を終えたタツヤ達は会場を出て、アジトへと向かっていた。しかし先程から妙な視線がこちらへ向けられていることにタツヤは気づく。
「コハル先輩、俺たち尾行されてるかも。これ持ってくれ。」
「え?いったい何をするつもりだ!?」
路地裏へと入ったタツヤは手に持っていたグッズの袋をコハルへと押し付ける。それからタツヤは彼女をお姫様抱っこして、霊視の力を覚醒させたのだ。
「しっかり捕まってろよ。」
「嘘だろ?飛ぶのかよ!!」
マリーの能力、バネ足場を踏んでタツヤ達は空を飛んだのだ。グッズを落とさないように安定性を重視したので、距離はそこまで離せなかったが、尾行を撒くだけなら十分だろう。
「うぅ、少し酔ったかも。気持ち悪い。」
「ごめん。でもこれで追っ手から逃れ...てない?」
タツヤ達を追うようにしてやってきたのは銀髪の分銅鎖を持った男だ。もう隠れて尾行をする気は無いらしい。直接タツヤ達と決着をつけるつもりなのだろう。
「それにしたって追ってくるのが早すぎるだろ。まるで常に俺たちの居場所が分かってるような...まさか!」
タツヤはすぐさまペタタンの限定グッズが入った袋の口を開けると、男から貰ったぬいぐるみを取り出したのだ。そして勢いよくぬいぐるみをあさっての方向へ投げる。
「タツヤ!?何してるんだ!」
突然の意味不明な行動に絶叫するコハル。しかしその声は、
ーーぬいぐるみの爆発音によってかき消されたのだ。
「人目を気にせず、もっと早くに爆発させるべきだったか。勘が良いな、お前。」
「いや発信機がついてると思っただけだ。まさかそれだけじゃなくて爆弾の機能もあったのかよ...普通にドン引きだわ。」
謎の男から貰ったぬいぐるみはコハルを殺す為の罠でもあったのだ。ひとまずはその脅威から彼女を守れたことに安堵する。あとは目の前の銀髪男を倒すだけでいい。
「くふふ、いいねぇその闘志。でもこっちも喧嘩には自信があるんだぜ?」
典型的なチンピラの声を発した後に男が分銅鎖を放つ。手に持った刀を引っ掛けられたタツヤだったが、そこである違和感に気づいた。
「ん?お前、力弱くね?」
「なっ!?」
片方は男の手に巻き付けられているため、タツヤ達は綱引きをしているような状態である。しかし自分から作った状況なのにも関わらず、銀髪男はあまりにも力が弱かったのだ。そのままタツヤに振り回されて床に激突した男は気絶してしまう。
「素人かよ。ビビって損した。」
「物足りないですか?ーーそれでは本物の鬼狩りがお相手致しましょう。」
するとどこからともなく声が聞こえてきた。優しそうな男性の声を聞いてタツヤは思い出す。コハルにぬいぐるみを渡した男と銀髪の男は別人なのだ。つまり追っ手は二人。
タツヤはその声の主を探すが、どこにも見当たらない。
ーーそしてコハルの背後に刀を振り上げた浪人笠の男が現れる。
「というイカサマです。拙者の目的は鬼を狩る事、ただそれだけ。黒髪の少年と相手をするつもりなんてないですよ。」
「コハル先輩!!」
だがその時には既に身体が動いていた。出現した黄緑色のバネ足場は亡霊マリーではなく、タツヤの意思によるものだ。何故生成できたのかは分からないが、そのおかげで彼女を救えるのならなんだっていい。
ーーもう目の前で仲間を失うのは嫌なのだ。
コハルを突き飛ばして代わりにタツヤがその斬撃を受ける。一応全体シールドを展開していたのだが、男の刀はそのシールドをすり抜けたのだ。おそらくそれは男の能力だろう。
幼い少女の首を狙った一撃は、タツヤの心窩部を斬り裂く。そのまま床に倒れたタツヤは苦しそうな声で叫んだ。
「とにかく逃げろ!コハル!!」
「絶対に嫌だ!吾輩は後輩を見殺しになんてしない!」
「今はそんなこと言ってる場合じゃ...」
「ぐっ。」
そしてタツヤと同じく身体の中心を斬り裂かれたコハルは、隣で仰向けになって倒れる。すぐにトドメを刺されなかった理由は男の口によって直接告げられた。
「久しぶりにこのような美しい仲間愛を見た気がします。拙者は感激致しました。物語の終わりに二人は何を話すのか。それを見届けてから、仲良く二人とも殺してあげましょう。」
「本当にこいつイカれてやがるな。」
だが時間をくれるというなら好都合だ。タツヤは這いつくばりながら、逆転の一手を考える。すると突然、隣で倒れているコハルが、その真紅の瞳に涙を浮かべて謝ってきたのだ。
「タツヤ、ごめん。吾輩はワガママで見栄っ張りで、貧弱だ。ーーこんな私を守る価値なんて無かったのに。」
コハルの弱音なんて初めて聞いた気がする。そしてそれはあまりにも彼女に似合わない。だから今の発言には言いたいことが山ほどあった。
「二度とそんな事を口にするなよ。言葉ってのは不思議で、本当にそうなってしまう力がある。ーーだから俺はコハル先輩の嘘が好きなんだ。」
自分の実力以上に大きく見せようとする姿を人々は滑稽だと蔑む。しかしタツヤはそうは思わない。その嘘は目標なのだ。毎日自己暗示によって自分を鼓舞して努力した者は、いつか本物に届き得る。
コハルもそうやって嘘を真実に変えようと頑張っていることに、タツヤは気づいていたのだ。毎日魔法書を読み、筋トレを行う。常人より成長速度が遅くても、彼女は決して努力を辞めようとはしない。血が飲めない最弱の吸血鬼は、地道に最強へ至る道を歩んでいるのだ。
だからタツヤはこの作戦に自身の命を預けることが出来る。右手に持った刀で左腕を傷つけて、流れた血をコハルの口へと注いでいく。
「俺は今でも信じてるぜ。コハル先輩が世界最強の吸血鬼だって事をな!」
...血を口にしたのは何度目だろう。元々血が苦手ではあったが、あの事件以来、完全に血を受けつけない身体になってしまった。タツヤには悪いが、どうせ今回も同じ結果になるだろう。
ーーだが飲み込んだ血液は逆流してこなかったのだ。それどころか、
「あ...れ?おいしい?」
次の瞬間、コハルの意識が途切れる。
ーーそして最強の吸血鬼が降臨した。
コハルは急速に傷を治し、真紅の瞳には複雑な模様が浮かんでいる。突然の変貌に焦りの声を上げたのは浪人笠の男だ。
「おかしいですね。情報では彼女は血が飲めなかったはず。まぁトラブルに対応してこそプロというもの。吸血鬼を相手にするのはこれが初めてでは無いですし。」
男は一瞬で無数の斬撃を放つ。しかしコハルが出現させた紅の剣によって全て防がれてしまう。そのまま周囲に生成した複数の紅剣を男へと放つが、素早い彼は華麗な身のこなしで躱したようだ。
「ならこうする。」
「普通の魔法も使えるんですか!?そんな勤勉な吸血鬼見た事ないですよ。」
すると男の立っている地面が突如氷漬けになったのである。それだけでなく、氷は男の足まで侵食して動きを封じてしまう。一瞬で氷だけを削ぎ落とす曲芸を見せた男であったが、追撃の紅剣を避ける余裕は無かったようだ。左腕が吹き飛んで、血飛沫が舞う。
「こういう時シールドが欲しくなりますね。...これは撤退した方が良さそうです。命あっての物種というもの。」
浪人笠の男はすぐさま方向転換すると、この場からの離脱を試みる。素早い彼は撤退する速度も凄まじい。風よりも速い彼に追いつくのは不可能であるように思われた。
ーーだが最強の吸血鬼はそのスピードに追いついてみせたのだ。
「身体能力には結構自信があるんですけど...吸血鬼の分際で、何か鍛錬してます?」
「...筋トレ。」
「これだから鬼は嫌いなんですよ。」
そしてコハルに蹴飛ばされた男は地平線の彼方へと飛んでいったのであった。それからタツヤの元に戻ってきた彼女は、治癒魔法をかけてくれた。その効果は凄まじく、あのミリアと並ぶ程の実力かもしれない。
「助かった。えっと、コハル先輩...なんだよな?」
しかしタツヤの問いかけに返事することなく、赤髪の吸血鬼はただ苦笑しただけだ。そして限界を迎えた彼女は、その場に倒れてしまう。
「おい!?大丈夫かコハル?とりあえず急いでアジトに戻るか。ってかこのペタタングッズも俺が持つのか!?」
その後、大量のペタタングッズと気絶したコハルを背負って、タツヤはなんとか無事にアジトへと辿り着いたのであった。
△▼△▼△▼△
幸い、コハルは慣れない力を行使した反動によって気を失っていただけであった。ミリアの診察なので間違い無いだろう。
そしてタツヤの報告を聞いたアトスは珍しく驚いた表情を見せる。
「あいつ、とうとう血を飲んだのか。これからも飲んでくれると助かるんだが。」
「俺はコハル先輩が嫌がるなら飲ませませんよ。」
「あぁ、それでいい。別に戦力は足りてるしな。ーーだがコハルが死にそうになった時は別だ。」
その言葉を聞いてタツヤはアトス団長の真意に気がつく。彼が何故そうまでしてコハルに血を飲ませたかったのか。それは彼女の事が単純に心配だったからである。優しくて不器用な団長の思いに、タツヤは自然と頬が緩む。
「分かりました。俺もコハル先輩には死んで欲しくないので。」
翌朝、元気になったコハルがスキップをしながらタツヤの元へとやってくる。何か良いことがあったのだろう。本当に分かりやすい先輩である。
「タツヤ聞いてくれ!ミリアに身長を測ってもらったらな、なんと吾輩の背が2センチも伸びていたのだ!」
「マジか!全然分かんねぇけどおめでとう。...もしかして、血を飲んだおかげか?」
しかし血という言葉を聞いた瞬間、コハルがモジモジし始める。彼女いわく、昨日はタツヤの血を飲んだところで意識が途切れたらしい。
「悪い、怖がらせるつもりは無かったんだ。アトス団長はコハル先輩の好きにしたらいいって言ってくれたし、無理に飲まなくてもいいんじゃないか?」
「あっ、その、タツヤの血は...意外と美味しかったというか...なんというか。」
珍しくコハルがぼそぼそと小さな声で話しているので、タツヤはその内容を聞き取ることが出来なかった。けれど彼女が何と言おうと、タツヤは既に次の言葉を決めていたのだ。
「まぁコハル先輩は血を飲まなくても『最強』だからな!」
「ーー!そうだ吾輩は最強なのだ。血を飲まなくたってどんな相手でも小指一本で捻り潰せるんだからな!」
すっかり調子を取り戻して、いつものように平たい胸を張るコハル。その嘘がいつか本当になる日を信じて、タツヤは彼女を見守っていくだけだ。でも彼女なら必ず辿り着けると信じている。
ーー何故ならコハル先輩は世界最強の努力家だからだ。
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