第一章13 『泣いて泣き喚いたその先に』
「きょ、今日は一緒に寝てもいい?」
セレイネの衝撃的な一言にタツヤは思考が一瞬停止する。
今、なんて言った?たしか一緒に寝ようと言っていたような。多分俺の聞き間違いだろう。
「えっと、今なんて?」
「だから!タツヤと一緒に寝たいって言ってるの!!」
だがそれはタツヤの聞き間違いなどではなかった。セレイネは顔を真っ赤にしながら、はっきりと添い寝を所望してきたのだ。
嬉しくない訳では無い。むしろ思わずその場で飛び上がってしまうほど、気持ちは舞い上がっているのだが、それを上回る程の戸惑いを感じているのも事実。
本当に何度も言うが、タツヤとセレイネは今日知り合ったばかりなのだ。その夜にいきなり押し掛けてくる絶世の美女なんて、罠以外の何物でもない。
タツヤは怪訝な顔でセレイネにその意図を問う。
「理由を聞いてもいいか?」
「私、ちょっと前にフィロアを大量に消費する事をやっちゃったって言ったじゃない?それでそのフィロアを手っ取り早く回復する為の手段が、あなたとの添い寝ってわけ。」
「いや添い寝でフィロアが急速に回復するとか、聞いた事ねぇよ。」
「そういう魔女の能力なの!」
一般的なフィロアの回復手段は食事、睡眠などの生物らしい行動。他には感情の昂りといったものでも一時的にフィロアが回復する。もしかしたら、愛する人との添い寝なんかでフィロアが回復することはあるのかもしれないが、残念ながらタツヤとセレイネはそんな関係では無い。
そんなタツヤの指摘に対してセレイネは「魔女の能力」という言葉で反論してきた。それはタツヤの知らない知識なので、これ以上討論することは出来ない。しかし、
「添い寝なら俺じゃなくてもよくないか?やりやすそうな女性団員いただろ。ほら、エナとかと仲良くしてたじゃん。」
「...効率が全然違うの。と、とにかく今日だけだから。ちょっとだけでいいから!」
強引にタツヤの腕を掴んでベッドに引きずり込もうとするセレイネ。しかしタツヤの頭の中には「寝首を搔かれるな」というリューンの警告がこだましていたのだ。そしてその白くて細い腕を振り払う。
「あ...。」
「ごめん。俺たち今日知り合ったばかりだしさ。一気にそんな心の距離を縮められないっていうのもあるし、流石に警戒しちまうよ。」
死と隣り合わせ、そして人から恨みを買うことだってある傭兵業。もちろんハニートラップに引っかかって命を落とした傭兵もタツヤは知っている。
他人への警戒、それはこの業界において、必須の心得なのである。それがたとえ、命の恩人であったとしても。
タツヤから拒絶された魔女は、ひどく切なげで愛おしげな目を彼に向けた。それはいつも笑顔を絶やさない彼女が、ふとした瞬間見せる、暗い孤独な影。その後、すぐに彼女はまたいつもの笑顔に戻ってしまうのだが、今回は違った。
ーーセレイネの目から大粒の涙がポロポロと零れ落ちたのだ。
夜の闇がその切ない瞬間を包み込み、窓から差し込む月明かりが彼女の涙を銀色に輝かせている。
「そうだよね。意味わからないよね。気持ち悪いよね。タツヤにとって私は、出会ってから間もない赤の他人なのに。」
セレイネの泣く姿を見て、タツヤは慌てふためく。てっきりまた「満更でもないくせに」とか言って、反論してくるものだとばかり思っていたからだ。
「いやそんなことねぇよ!?セレイネは俺の命の恩人だしな!俺なんかでよければ、添い寝なんていくらでもしてやるって!」
額に汗を浮かべながら、セレイネと共にベッドに入るタツヤ。我ながら、女の子の涙一つでこうも簡単に信条を曲げてしまう自分が情けない。
それでも、タツヤはセレイネに泣いて欲しくないのだ。彼女の涙を止めるには一緒に添い寝する他ない。
「ちょっ!」
「頑なに添い寝を拒否していた割には、心臓の鼓動が速くない?」
すると突然セレイネがタツヤを抱きしめてきた。タツヤの胸に耳を当てて鼓動を聞いた後、妖艶な笑みを浮かべてこちらを見上げるセレイネ。
お互いに息のかかる距離。その美貌を間近で見てしまい、タツヤの鼓動は更に速くなる。
さっきまで泣いていたのが嘘のように、彼女はご機嫌を取り戻していたのだ。
ーーだがその笑顔は作り物だ。
「な、何よ。そんなに真剣に私を見つめて。もしかして見惚れちゃった?」
「なあセレイネ。君の言っていた世界一大切な人って今も生きてる?」
その突然のタツヤの質問にセレイネはキョトンとした顔をする。それから彼女はバツの悪そうな顔で曖昧な返答をした。
「えっと、死んでるって言うこともできるし、生きてるとも言えるわね。」
「俺も同じようなもんだ。大切な仲間をみんな失って、奇妙な再会を果たした。ーーだから分かる。」
「ーーー。」
今までその突飛な言動に気を取られて、タツヤは気づくことが出来なかったが、さっきの涙でようやく分かった。
あれがセレイネの本心なのだ。大切な人を失って心が憔悴しきった彼女は、ずっと胸の奥底で泣き続けている。
「俺の前では虚勢を張らなくていい。ーー泣きたい時は泣けばいいんだよ。」
その言葉を聞いた瞬間、セレイネの笑顔の仮面が剥がれ落ちる。そこには妖艶な魔女の面影なんてどこにもなく、ただ悲痛な顔をした少女の姿だけがあった。
だからタツヤは優しくセレイネを抱きしめる。それからまるで泣きじゃくる娘をあやすように、その頭を撫でた。
「なんで...なんで分かるのよ。今日知り合ったばかりなのに!」
「俺も詳しくは分かんねぇけどよ、何か辛いことがあったんだろ?必死に足掻いて、それでも負けて、大切なものを全て失ったって顔だ。俺と同じ。ーー大変だったよな。」
「ーーー!」
そして再び堰を切ったように、彼女の瞳から涙が零れ落ちる。タツヤの寝巻きの胸の部分が、彼女の温かい涙で滲んでいくのが分かった。
つられてタツヤの目からも涙が溢れる。そうして彼はやっと気づいたのだ。自分も彼女と同じように虚勢を張っていた事実に。
大好きな仲間達の顔が、その思い出が、頭に浮かんでは消える。
「大変...だったよ。怖かった、辛かった。みんなが死ぬ姿を見るのが、何よりも一番辛いの。」
「あぁ。」
ーー自分が傷つくより、みんなが死ぬ姿を見る方が辛いよな。
「私、凄く頑張ったの。必死で、無我夢中になって、持てる力全てを使って、それなのに運命には抗えない。」
「そうか、よく頑張ったんだな。」
ーー頑張っても、頑張っても報われないのは悔しいよな。
「でもみんなのことが好きなの。彼の事が大好きだったから諦めることなんて出来なくて。私は、私は!」
嗚咽まじりのセレイネの泣き声は、その全てが魂からの叫びだった。それをタツヤは優しく相槌で返す。
まるで赤ん坊のように、セレイネはタツヤの胸の中で泣き続ける。
泣いて、泣き喚いて、いつしかその涙は遠くの夜闇に消えて、静かな可愛い寝息だけが部屋の中に聞こえていた。
△▼△▼△▼△
窓から朝日が差し込み、目を覚ましたタツヤ。その胸の中には薄紫髪の超絶美少女がいる。セレイネがタツヤを抱き枕のようにして、眠りこけている形だ。
彼女の良い匂いに包まれながら、その柔らかな胸が身体に当たる。正直、理性が吹っ飛んでしまいそうなので程々にして欲しい。
「あまりにも無防備すぎるだろ。正直、セレイネの事が心配だよ。」
ため息をつくタツヤ。セレイネの今後の為にも、しっかりと注意しておく必要がある。まあ結局ベッドに連れ込んだのは自分なのだが。
するとタツヤの独り言で、セレイネも目を覚ました。
彼女は現状に気がつくと、頬を赤く染めて、バッとタツヤに背中を見せる。流石のセレイネもこの状態は恥ずかしかったようだ。
「うぅぅ。泣きじゃくる姿をタツヤに見られた。恥ずかしい。」
「そっちかよ!まず一緒に添い寝したことを恥ずかしがれよ!」
あくまで彼女が恥ずかしがったのは自分の泣いた姿を見られたことだけ。
タツヤとの添い寝に関してはまるで気にしていない様子であった。本格的に彼女は、タツヤの事を男として見ていないのではないかと思えてくる。
それからセレイネはクルッとこちらへ振り返ると、妖艶な笑みを浮かべた。その表情はよからぬ事を考えている証だ。
「うわぁ!!」
そして突然彼女はタツヤに飛びついてきた。
「まぁ恥ずかしい思いをしたお陰で、こうしてタツヤとの距離をグンと近づけることが出来たからよし!」
「よくねぇよ!」
組んず解れつしているタツヤとセレイネ。
すると突然部屋のドアが勢いよく開いた。
「いつまで眠っているつもりですか下僕。昨日、さんざんこき使ってあげると言った...」
「「あ。」」
部屋に入ってきたのは空色髪のミニツインテールをした美少女、シノンだ。彼女は絡まりあっている二人を見ると、その視線をより一層鋭くさせて、氷よりも冷たい声音で言い放った。
「不潔。」
そのまま部屋を出ていくシノン。バンッと音を立てて、ドアが荒々しく閉じられる。
どうやら彼女のタツヤに対する好感度は、もう取り返しのつかない所まで下がってしまったようだ。これからが思いやられる。
「じゃ、じゃあ私は朝の支度してくるわね。」
「お、おう。」
気まずい空気に包まれ、脱兎のごとく、セレイネが部屋から出ていこうとする。
そして扉の前で、クルッとセレイネはこちらに振り返った。少しモジモジしながら、顔を赤くした彼女はタツヤにお礼を言う。
「ありがとね。タツヤ。」
「それはお互い様だ。こっちこそありがとうな。」
セレイネのお陰で、タツヤも自分の奥底に隠していた本心に気づくことが出来たのだ。これでタツヤは前を向いて歩いて行ける。
窓から差し込んできた陽光は、タツヤ達のこれからを祝福しているかのようであった。
△▼△▼△▼△
場所は団長室。契約内容など諸々の説明をアトスから受けた後、彼がとある質問をタツヤに投げかける。
「なあタツヤ。世界を救うには一番何が必要だと思う?」
「やっぱり圧倒的な力とかか?」
しかしそんなタツヤの回答を、アトスが首を横に振って否定する。それから彼は、その三白眼を更にギラつかせて答えを言った。
「...金だよ。」
「夢も希望もねぇ!」
「そりゃそうだろ。金がなけりゃ、何も出来ねぇ。ただそれだけの話だ。」
アトスの言葉にはやけに重みがあった。今までそうやって世界を救ってきたのかもしれない。
「だから、これから任務を頑張るんだぞ。もちろんとんでもない難易度のものばかり受けるから、簡単に死んでくれるなよ?」
清々しいほどのアトスの笑顔。そんな彼の表情を見て、タツヤはこれから待ち受けるであろう苦難を想像した。そして苦虫を噛み潰したような顔で返事をする。
「が、頑張ります。」
こうしてタツヤの新たな傭兵生活が幕を開けた。
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