第一章8 『運命の邂逅』
甘い香りが鼻腔をくすぐる。その香りは華やかでありながらも控えめで、色とりどりの花畑を彷彿とさせる。そんな幸せな匂いに包まれながら、タツヤの意識が徐々に覚醒へと向かう。
「あっ。起きた?」
慈しむように、愛おしむようにその声はかけられた。その甘く澄み透った天使のような美声は鼓膜を心地よく叩き、タツヤの心を震わせる。
目の焦点がようやく合い、タツヤのすぐ真上、顔と顔が触れ合いそうな近くに美少女の顔が映った。その瞬間、タツヤはあまりの美しさに呼吸すら忘れてしまう。
腰まで届くほど長い薄紫色の艶やかな髪。神の造形物かと思うほど整った目鼻立ちをしており、そのきめ細やかな肌は瑞々しく光を放っているかのように見える。
そして彼女は慈愛の眼差しをこちらに向けたまま、柔らかな手で優しくタツヤの頭を撫でたのだ。その姿はまるで、
「女神様?」
タツヤの第一声。その内容に目を丸くした後、少女は口の前に軽く手を当てて、クスクスと笑った。その柔らかな笑顔は、まるで陽光のように周りを照らし、見る者の気持ちを晴れやかにさせる。
「出会って最初に口にする言葉がそれ?」
完全にタツヤの発言が冗談だと思っている少女の反応。しかしタツヤはここが本当に天国だと考えている。何故なら意識が途切れる直前、タツヤはリューンに完全敗北したからだ。
敵陣の中での気絶。そしてそんなタツヤを助けてくれる都合の良い人物などいるはずがない。つまりは死あるのみだ。
「だってここって天国だろ?倒れてるのに、頭に硬い地面の感触じゃなくて、雲みたいなふわふわの柔らかい感触がするし。」
「そ、それはだって私が...その、膝枕してるから。」
少女はその白い頬を赤く染めて、照れ臭げな声で現状の説明をする。彼女の美貌がすぐ目の前にあり、頭の下には柔らかい感触。そしてダメ押しの彼女の発言で流石のタツヤも理解した。
「わ、悪い!気を使わせちまったな。」
「そんなすぐに飛び起きなくてもいいのに。別に私がやりたかった事だから気にしないで。」
少女に膝枕をされていると分かった途端、タツヤは急いで上体を起こす。あまりのタツヤの焦りように、少女は不機嫌そうな顔をした。だがタツヤも恥ずかしさで顔から火が出そうだったのだ。許して欲しい。
立ち上がって辺りを見回すタツヤ。そんな彼につられて少女もその場で立ち上がる。
ちょうどタツヤの目線辺りに少女の頭が来る形だ。タツヤの身長が175センチなので彼女の身長は160センチくらいか。
「ここは芝生の公園?でも周りにある建物の見た目はさっきとあまり変わってないから...」
「エリュール領マイミア貿易都市よ。そして私は協力者。」
タツヤの推察に少女が追加の説明をする。どうやら彼女はタツヤの逃走を手伝ってくれるようである。だがその前にやるべきことがある。
タツヤは少女に向かって右手を差し出した。
「えっと俺の名前はタツヤ。君の名前は?」
「あっ...」
とりあえずお互いの名前くらいは知っておくべきだろう。タツヤは自己紹介をして、見知らぬ協力者の名前を聞く。そんなタツヤを見て、彼女はか細い声を上げた。
紫紺の瞳を揺蕩う感情は複雑で、タツヤには彼女の気持ちを推し測ることができない。
そしてその感情をすくい取られることを嫌うように彼女は後ろを向いた。それから大きく深呼吸をする。
「えっと、何してんの?大丈夫?」
不自然な彼女の行動に怪訝そうな顔を浮かべるタツヤ。それから自分の両頬を左右の手でパシリと叩いた彼女は、振り返ってこちらを向いた。
「大丈夫。ちょっと気合いを入れるおまじないをしてただけ。」
「いや、自己紹介にそんな気合いを入れなくても。」
「第一印象って大事なのよ?」
「なんかよく分からないけどすげー説得力。」
やけに重みのある彼女の言葉。そして彼女は上目遣いでこちらを見る。その可愛いらしい仕草に思わず胸がドキッとしてしまう。
「私の名前はセレイネ。通りすがりの魔女よ。よろしくねタツヤ。」
とんがり帽子を被り直して、タツヤに微笑みかけるセレイネ。黒のローブを身にまとい、下は動きやすいように短いスカートを履いている彼女の見た目は、魔女そのものだ。
魔女は一部の地域では迫害の対象となっていて、一般的にもあまり好ましく思われていない存在である。だがタツヤはそんなこと全く気にしていない。むしろ同じ人間であるのに差別するなんておかしいと思っているほどだ。
「よろしくセレイネ。」
タツヤも笑顔で右手を差し出す。2人は握手を交わし、和やかな雰囲気に包まれた。
そんな時、タツヤが自身の身体の変化に気づく。
「あれ、俺の体。ボロボロだったのに全部治ってる。」
見ればリュウ団長に負わされた傷も、リューンの突進によって受けた傷も完全に消失していた。
目を見開いて自身の回復に驚いているタツヤ。すると隣にいたセレイネが腰に手を当て、その豊満な胸を張る。
「ふっふっふ。それは私の治療魔法のおかげよ。」
それは魔法理論、人体構造を理解し、さらには慈愛の心まで無ければ扱えないとされる超高度な魔法だ。知識と心と技術を全て求められるこの魔法は、世界中を探しても扱える人はほんのひと握りであろう。
「ありがとう。凄いなセレイネは。」
「そうでしょう。私、凄いんです。まあこれ、普通の治療魔法とはちょっと違うのだけれど。」
「そうなのか?身体の調子すげー良いし、全く問題ないと思うんだが。...そういえば、倒れた俺を逃がしてくれたのもセレイネか?俺は化け物みたいな追っ手に追われてたんだが。」
タツヤにはリューンから逃げ切れるビジョンがまるで思い浮かばなかった。それなのにセレイネは、気絶したタツヤを運びながらそんな化け物から逃げ切ったとでもいうのか。
「そう、瀕死のタツヤを追っ手から逃がしたのも私。こう見えても私、タツヤより強いんだから。」
「マジかよ。ほんとセレイネ様には頭が上がらねぇ。」
はっきりと自分はタツヤより強いと宣言するセレイネ。あのリューンから逃げ切ったのだから本当なのだろう。
予想外の強力な助っ人の登場。それはあまりにも都合の良すぎる展開だ。正直タツヤはこれが夢なのではないかと疑っているほどである。
「俺、まだ生きてるんだよな。」
「信じられない?...それなら確かめてあげよっか?」
すると突然セレイネがとんがり帽子を脱いで、タツヤの胸に耳を当ててきた。彼女の髪からふわっと良い香りがして、タツヤは顔が赤くなる。
「タツヤの鼓動、しっかりと聞こえてるよ。ちょっと鼓動がいつもより速い?」
「ちょ、近い近い。初対面の距離感じゃないだろ!」
慌てて一歩後ろに下がるタツヤ。セレイネの行動はどうみても初対面の人にするものでは無い。そういえばあまりにも自然に会話していたので気づかなかったが、セレイネはやけにタツヤに馴れ馴れしい気がする。まるで最初から好感度が天井突破しているかのようだ。
するとセレイネがジト目のまま、綺麗な唇を尖らせる。
「これはこれからお近づきになろうっていう意思の表れです~。...満更でもないくせに。」
「なっ...」
セレイネに図星を突かれて情けない声を上げるタツヤ。別にタツヤは馴れ馴れしく接してくるセレイネの事が嫌いな訳では無い。むしろそんな彼女の事を好ましく思っているほどだ。
つまりそんなタツヤの気持ちを見透かした上で、セレイネは先程の行動をしてきたという訳だ。
「ちょっとあざといぞ。」
「でも嫌いじゃないでしょ?」
自信満々にそう告げてペロッと舌を出すセレイネ。そんな彼女に何も反論できないのだから、タツヤの負けである。
「探したぞ少年。」
そんな時、不意にその声はかけられた。その声の正体は蒼い鎧を纏った男、リューンだ。彼は痛々しい焼痕を物ともせず、威風堂々とその場に立っている。
「げ。話しすぎたみたい。どうしよう。」
そんなリューンを見て、セレイネが戸惑いの声を上げた。
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