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 退院当日の朝、私たちは二人して診察室に呼ばれ、互いの病状の経過を知らされました。白衣を纏った威厳の塊は、幾分勿体ぶった仕種でこちらをチラと一瞥すると、腰かけたまま上体を前後に揺らしながら朗らかに説明してくれます。でっぷりと膨らんだ腹を持て余す姿は中年の域に達した証でしょうか、思わず私は水飲み鳥の玩具を想起したほど滑稽に映りました。手術も成功して二人とも順調に回復の一途を辿り、今後も問題ないだろうとのことです。病状説明の合間に自慢話が差し挟まれます。この術式を編み出し、広めた功績で何某かの賞を受賞し、叙勲もされたようです。やはり、栄達の称号に相応しい新進気鋭の外科医だったわけなのですね。しかし、私にはオペ室に棲息する血に飢えた獣の影が覗き見えるのです。

 医師の経過報告が済み、私たちが立って礼を告げ踵を返す寸前、彼は増々上機嫌で誇らしげに上体を反り繰り返しながら、オペ室の見学を許してくれたのです。と、インターホン越しに有無も言わせぬ強権的口調でベテランナースを呼び付けるや、即刻、案内役を申し渡しました。患者にとっては何ら興味も湧くものではないのですが、己の権勢を誰彼構わず誇示したいのでしょう。

 診察室を出た私たちは半ば強制的に、仏顔を装ったナースに先導されつつオペ室へ向かいました。彼女の目には不満らしき色が滲んでいるのが見て取れますし、患者に対する声も穏やかそのものでしたが、言葉尻には些かの皮肉めいた棘が見え隠れしていました。上司に対する尊敬の念は微塵もない雰囲気です。

 仕方なくのこのこついて来た私たちは、オペ室の中へ通されました。当然何らかの説明が口頭でなされるものと思い込んでおりましたが、ナースは「ご自由に」とだけ置き土産を残して、目の前からあっという間に消えてしまいました。置き去りにされた私たちは一瞬顔を見合わせ首を捻るばかりです。ですが折角の社会科見学の機会を賜ったわけだし、遠慮なく見て回ることにしたのです。

 室内を見回してみる。いつかドラマや医療ドキュメンタリーで観たことがある、ありふれた光景です。やはり興味をそそるものは何も存在しない。私は溜息をひとつ吐き出す。手術台の横に移動してしばらくぼんやりとそれを眺めました。私が乗せられ、体を切り刻まれたまな板に間違いありません。感慨なんてのもない。ふたつ目の溜息をつきました。退屈極まりない場所からの逃避を企てん、と彼女に目配せして促すと、後ずさりしながら手術台の傍を離れます。そしたら、頑丈な手術台の横腹に金属製のプレートが銀色の光沢を放っていました。私は後ずさるのやめ、再び台に近づきます。張り付けられたプレートには文字と絵が記されていました。しゃがみ込んで確認しましたら、手術の説明書きです。具体的な施術方法の解説が丁寧に図解入りで示されているのです。内容そのものは、医学的知識のない素人には皆目理解し得ないのですが、私たちの受けた施術に間違いないことだけは分かります。図解にだけ関心はいっておりましたが、ふと視線が捉えた文字が大きく網膜に焼きついてきました。図解の上部に、この術式の名称が黒文字でくっきり印字されている。

『へんせいけんたい術』

「へんせいけんたい……」

 私はひらがなで印字された部分のみを呟いてみました。

 同じくしゃがみ込んで見ていた彼女と思わず顔を見合わせ、首を捻り合います。 

「どういう意味なのでしょう?」

 彼女の投げかけた質問に唸りながら首を傾げるしかありません。

 “けんたい”と言えば、まず“献体”を想起するでしょう。

 “へんせい”とは、“編成”の二文字しか思いつきません。

 編成された献体。献体を編成する術式という意味なのでしょうか。ですが、献体とは遺体を意味します。私たちは生きています。歴とした生体です。もうひとつだけ浮かんだのは、検体です。しかし、これは検査の材料ということでしょう。血液や尿や組織の一部のような。何とも妙ちくりんな言葉遊びに過ぎません。こんな術式の名称なんて患者にはどうでもいいことです。オペ室には興味の湧くものなど何もない。最早私は飽き飽きして立ち上がりました。彼女に目配せして出口を目指します。


 互いの病室に戻って荷物をまとめ、退院の準備を整えます。ナースがやって来て忘れ物もないことを確認すると、私は一階に下り、清算を済ませます。玄関へ向かい、タクシーに乗車した途端、シートに背を預けて深呼吸を繰り返しました。私の新しい体に空気をたくさん注いでねぎらってやるのです。

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