第19話 凍えながらの調合
傷付いた腕は痛むが、まだ動ける。足は無事だ。ここであきらめる訳にはいかない。
そう思ったグラージオが、そっと動こうとした時。
「ここで騒ぐな」
落ち着いた男性の声が聞こえたかと思うと、ゴーダイの動きが止まる。威圧されてひるんだからなどではなく、文字通りに動けなくなったのだ。
「な……何、だと……」
ゴーダイの身体の表面を、うっすらと氷が覆ってゆく。足下からゴーダイの身体が白くなってゆき、見ている間にむさい男の氷像もどきができあがった。
何一つ抵抗できないまま。
多少の力なら、無力化できる。だが、竜の力は「多少」ではなかったのだ。
ゴーダイの持つ道具の力など、竜の前ではガラクタも同然だった。
その効果は一切発揮できず、ゴーダイは竜にされるがまま。男の動きは完全に封じられた。
「……死んだ、のか?」
今まで話していた人間が氷漬けにされたのを見たら、たとえそれが悪人であっても衝撃的だ。
ショックのためか、グラージオの生死を問う声がかすれる。
「仮死状態だ。山を降りれば溶ける」
ゴーダイが本当にできたかは別として、自分を殺そうとした相手に寛大な竜の処置だ。
「あの、ありがとう。ぼくは、魔法使いのグラージオと言います」
「ラングルだ」
この状況で竜から名前を教えてもらえるとは思わなかったので、そういう場合ではないが嬉しい。
「ごめんなさい、ラングル。騒ぐつもりはなかったんだ」
チャルル草さえ手に入れば、すぐに出て行くつもりだったのに。
呼び出した妖精のキュラシも言っていた。ここに棲むみんなは静かなのが好きだ、と。
てっきりそれは妖精仲間のことかと思っていたが、その中には竜も含まれていたらしい。現れた時の第一声が「うるさい」だったのも、きっとそのせいだ。
「その娘はどうした」
確認はされなかったが、ラングルにはグラージオの背中にいるルシーダが竜だとわかっているようだ。
そのルシーダは、ラングルの声にも反応しない。
背負っているグラージオには彼女の顔が見えないので、意識がないのか、あっても全く動けないのかがわからなかった。
「あの男に毒の矢を射られて。でも、こことユリル火山で見付けた草で、解毒薬が作れるんだ。すぐに山を降りて」
「それでは間に合わん」
「え……」
ラングルに
状況を知らないはずのラングルが断言するということは、ルシーダが危篤状態だと竜には感じ取れるのだろう。相当弱っている、と。
ずっと具合が悪そうだとはわかっていたが、そこまで時間がなかったとは。
「薬の材料はある、と言ったな」
「はい。あとはそれをつぶして、絞った汁を飲めば」
「では、ここでやれ」
「え……あ、はい。わかりました」
四の五の言っている場合じゃない。ルシーダの命は消えかけているのだ。薬を作る場所を選んでなんかいられない。
「でも、道具が……」
プララ草とチャルル草はある。だが、それをすりつぶしたりするための道具がない。
魔法薬師を目指す人間なら乳鉢などを持っているだろうが、グラージオは持っていなかった。薬草を見付けた直後にその場で薬を作る、という考えがなかったのだ。
気持ちが
グラージオの様子に、ラングルが割れた池の氷を見る。すると、そこから氷の小さな鉢が出て来た。小さな乳棒のような物も一緒に。
「それで何とかなるか?」
「やってみます」
グラージオは、背負っていたルシーダをゆっくりと地面に下ろす。そのままでは身体が冷え切ってしまいそうなのでどうしようかと考えたが、三枚はおっていたルシーダのマントを一枚取り、地面に敷いた。
大した防寒ではないだろうが、直接地面に横たえるよりはましだ、ということにしておく。
ラングルの出した氷の鉢が、いつの間にかグラージオのそばまで来ていた。
ユリル火山で手に入れたプララ草と、ここボルガ雪山で摘んだばかりのチャルル草を入れる。それを、氷の乳棒ですりつぶした。
火山で手に入れたプララ草が氷の鉢を溶かしたりしないかと思ったが、竜の魔法がかかっているのか、そういった変化はなかった。素手で触れても、くっついてしまうことはない。
とは言っても、氷は氷。冷たいことに変わりはない。直接氷を握り締めていられないので、袖を伸ばして自分の手をくるむようにして乳棒を持つ。
それでも、ずっとは無理だ。右と左、代わる代わるで持ち替える。だが、左手は負傷しているため、力があまり入らない。
結局、ほとんど右手ばかりを使うことになる。何とか草をすりつぶした頃には、指先がかじかんで何も感じなくなった。
できあがった薬は、薄い紫色。解毒薬というより、これも毒の一種に見えてきた。ミドラーの街でジュネルと一緒に手に入れた毒と似ていて、不安がよぎる。
大丈夫かな……。でも、何かおかしいと思ったら、ラングルが止めるだろうし。
あとは、これをルシーダに飲ませるだけ。
だが、今となっては冷たさすら感じない手。自分の手ではないような気すらする。こんな手で持っては、鉢を落としてしまいそうだ。
自分の手に息を吐きかけ、軽く振ったりして少しでも感覚を取り戻そうとするが、一度下がった体温はそう簡単には戻らない。
指先だけでなく、身体に感じる寒さもわからなくなってきた。
この周辺の冷たい空気は、グラージオからケガの痛みさえも奪っている。その点だけは、少しありがたいかも知れない。
何とか鉢を持ち、眠ってるルシーダのそばへ寄る。彼女の半身を起こすが左腕で支えるだけの力が入らないので、左ひざをたててそこにもたせかけた。
何とか姿勢を確保し、その口元に鉢を持っていく。
「ルシーダ、薬ができたよ。これを飲んで。味はわからないけど、元気になるよ」
声をかけながら、飲まそうとする。
だが、ルシーダが口を動かす気配はない。このまま鉢を傾ければ、薬が横へ流れるばかりだ。
「早くしろ」
その様子がはがゆいのか、それまで黙って見ていたラングルがせかす。
「で、でも口を開いてくれなくて」
「なら、お前が飲ませろ」
「だから、こうして……え、ぼくが?」
一瞬、ラングルの言葉がグラージオの頭の中で迷走する。
「あの、それは……ぼくが直接飲ませるってこと?」
「時間はないぞ」
竜の言葉に、グラージオは詰まる。だが、考えている余裕はなかった。
力が入らず、一旦地面に置いていた鉢をもう一度手に取る。その中の微妙に怪しい薄紫の液体を、グラージオは自分の口に流し込んだ。
そうしてルシーダのくちびると重ね、含んだ薬を彼女の口に入れる。
「……にが……」
薬となるものだし、色からしておいしいものではないだろうとは思っていたが、はっきり言ってものすごく
ルシーダがさっき口を開かなかったのは、本能で薬の不味さを知っているから拒否したのでは、などと思ってしまう。
ルシーダからくちびるを離すとグラージオはその喉元を見ていたが、かすかに動いたような気がした。口から薬があふれてくる様子もないし、たぶん飲んだ……はず。
人形……みたいだ。
顔色は、出会った頃とほとんど変わらない。くちびるも赤い。
だから、今までルシーダの具合が本当に悪かったとしても、グラージオにはその外見からだけではよくわからなかった。表情や雰囲気で、元気がないな、と思うだけだ。
知らなければ、今も単に眠っているだけのように見えるし、とても精巧な人形にも見える。実は人形だから顔色が悪くないのではないか、と思ってしまう程だ。
すごくきれいな人形みたいだけど、ぼくは元気に動いてしゃべるルシーダがいい。
グラージオがルシーダと出会ったのは、彼女が毒の矢を受けた後。傷も負っていたし、その後で一緒に行動していても日に日に元気が失われていたように思う。
つまり、グラージオはルシーダの本当に元気な姿を知らない。
でも、きっと普段のルシーダは元気に笑って、元気にしゃべる女の子だ。
根拠など全くないが、そう思う。
「ルシーダ……起きて。こんな寒い所で眠ったら、風邪をひくよ」
白くすべすべした頬。その頬をなでて覚醒を
その頬に温かみを感じないのは、彼女の体温が低いからか、冷たくなりすぎて自分の手の感覚がないからなのか。
頬をなで、時にはルシーダの指先を握って刺激を与える。その間も、グラージオはずっと声をかけ続けた。
「ん……」
どれだけ時間が経っただろう。グラージオにはひどく長い気がしたが、恐らくはほんの数分のこと。
ルシーダのまぶたが動き、その口からわずかに声がもれた。
グラージオが見ていると、ゆっくりと濃い青の瞳が現れる。
「ルシーダ……?」
しばらくグラージオの顔を見ていたルシーダだが、やがてにっこりと笑う。
「ありがと、グラージオ」
「ルシーダ……よかった……」
力のない笑みではない。かすれた声ではない。ルシーダのどこからも、弱々しさというものは感じられなかった。
確かに毒は消えたのだ。
それがわかり、グラージオは思わずルシーダを抱き締めた。
「あなたのおかげよ。もう本当にダメかと思ったわ……って、グラージオ?」
ルシーダを抱き締めていたグラージオの手から、力が抜けた。そのままどさりと冷たい地面に倒れる。
「グラージオ? しっかりして」
「はは……気が抜けたみたい」
意識はあるが、完全に力が抜けた。緊張の糸が切れてしまったのだ。
笑ってみせてはいるが、今度はグラージオの方が弱々しくなっていた。
さっきまでのルシーダと、完全に姿勢が入れ替わってしまう。
「体温低下とケガのせいだろう」
ラングルの声にルシーダは一度そちらを振り返るが、すぐにグラージオに向き直る。
「あの陰険ハンターにやられたのよね。わ、手も顔もすっごく冷たいじゃないの」
ルシーダは、結界を破られたグラージオがゴーダイと向き合いながら、魔法を使っていたことはかろうじて覚えている。
だが、それが何の魔法かを理解する前に気を失った。そこから目を覚ますまでのことは、何もわからない。
でも、その前にグラージオがゴーダイに矢で傷付けられたことは、しっかり覚えている。
嘘じゃなかった……。
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