第18話 必ず守る

 樹氷の森を走りつつ、グラージオは隠れられそうな場所がないかを探すが、そんな都合のいい場所はなかなか見付からない。

 木陰と言ってもここの木は氷だから、自分達の陰がたぶん見える。隠れていると言っても、完全に透明になった訳ではない。角度によっては居場所がわかってしまうだろう。

 焦りながら走るうちに突然目の前が開け、大きな池が現れた。凍って真っ白になっていて、一見すると雪原みたいだ。

 ここって、山のどの辺りなんだ。樹氷の森を通って戻らないと、ふもとへは行けないのか?

 自分達がこの山へ入って来た辺りに戻れば、また簡易魔獣を出して一気に山を離れるつもりだった。逃げるためとは言え、適当に走ったのがまずかったのか。

 ゴーダイも移動手段はあるようだが、スピードはこちらの方が上。解毒薬を作る時間さえできればいいのに。

 とにかく、少しでもあのハンターから逃げるよう、グラージオはここでまた魔獣を出そうと考えた。

「うわっ」

 左の二の腕に熱さが走った。

 同時に、自分達を隠してくれていた結界が消えたことを肌で感じる。

 振り返れば、ゴーダイが矢をつがえてこちらを狙っていた。

「くそっ」

 見れば熱いと感じた部分の服は破れ、血がにじんでいる。矢がかすったらしい。

 結界を張っていたし、それ以前に遠くからでは姿がわからなくなっていたのに。

 なぜゴーダイはグラージオのいる所がわかったのだろう。当てずっぽうで矢を放っていても、こんな広い場所では当たる確率は低いはず。

 勘が鋭いと、この結界に対して妙な気配を感じるらしい。こう見えて、ゴーダイは気配に敏感なのだろうか。……野性の勘、か。

「どうしてわかったんだろうって顔だな。へっ、言っただろう、俺はハンターだぜ。獲物を追い詰めるのが仕事だ」

 グラージオの表情を見て、勝ち誇ったかのようにゴーダイは笑う。

「姿を消しただけで安心したな。だが、それだけじゃ足りねぇよ。どうせなら、飛んで逃げればよかったな」

「どういう意味だ」

「わずかに足跡が残ってんだよ。凍った地面でも、注意深く見りゃわずかに踏んだ跡があるんだ。雪が降ってなくて残念だったな。それなら、わずかな足跡もすぐに隠してくれただろうに。ああ、雪の深さによっちゃ、逆にわかりやすいか」

 魔法使いではないから、と相手を甘く見ていた。むしろ、魔法使いよりたちが悪い相手かも知れない。適当ではなく、ハンターとしての経験値があるのだ。

「足跡がわかりゃ、方向はだいたいわかる。矢に魔法を無力化する薬を……ああ、言ってなかったか。無力化する道具ってのは、液体だ。仕事をする時は、身体全体に振りかけてる。さっきは竜の毒だけしか使ってなかったから、中途半端になっちまった。その薬に矢をひたして放てば、今みたいにお前がいくら壁だか何だかを出しても完全に突き抜けるって訳さ。腕で済んでよかったな。方向はわかっても、実際には見えないからどこに当たるか、さすがに俺もわからねぇ。うまく当てられりゃ、さっきの矢でそいつを楽にしてやれてたかもな。外して悪かった」

 ひとかけらも心のこもっていない謝罪。いや、今のは挑発だ。

「今つがえてる矢は、もちろん竜の毒が塗ってある。これでとどめだ。死にたくなけりゃ、そいつをおぶったまま池の方を向け。竜さぇ仕留めりゃ、お前に用はねぇから逃がしてやるよ」

 こうして真正面に対峙している状態では、ゴーダイにはグラージオに背負われたルシーダの腕と顔が半分くらいしか見えない。腕に自信があっても、グラージオまで巻き添えにしかねないから「親切に」忠告しているのだ。

 グラージオがあちらを向けば、ゆうゆうとルシーダの背中にとどめを刺せるから、と。

「誰がお前に背中を向けるもんかっ」

「いいのかよ、この距離ならお前ごと貫いても竜は仕留められるぜ」

「だったら、ぼくが背中を向けてもルシーダと貫かれるってことだろ」

「おー、そうかもな。お前、割りと頭いいじゃねぇか」

 どこまでも人をおちょくっている。

「グラ……ジオ……も……いい」

 背中でルシーダが、声を絞り出す。こんな短い言葉さえ、出すのがつらそうだ。

「よくないよ。きみのことを獲物って言う相手に、絶対屈したくない」

 それを聞いて、ゴーダイが笑う。

「心構えは立派だがな、ぼうず。瀕死の竜の方が、今の状況をわかってるみたいだぜ」

 グラージオは歯を食いしばり、力が入りすぎていやな音がする。

「さっきの矢で、お前が出してた結界ってのは消えてんだろ? その格好で、新しい結界ができるのかよ。たぶん、無理だよな。できたところで、元々この矢には無力化の薬を染み込ませてんだ。この距離で俺が外すなんてありえねぇ。つまり、何をやっても無駄って奴さ。自分の命が惜しけりゃ、さっさとそいつを下ろすんだな。何度も言ってるだろ、人間に用はねぇんだ。俺は追い剥ぎじゃなくて、ハンターだからな」

 どうあがこうと、魔法を無力化する道具を持っているゴーダイが相手では、動けないルシーダを背負っているグラージオに勝機はない。

 魔法をかけても無駄、走って逃げようとしても相手は身軽だからすぐに追い付かれる。いや、追い付く前に、矢が飛んで来る。


 だからって、ルシーダを置いて行くなんて絶対にいやだっ。


 一か八か。自分ではどうしようもない以上、この方法に賭けるしかない。勝率の低すぎる賭けでも、他に何も思い浮かばなかった。

 グラージオは呪文を口にする。普通の言葉ではないと気付いたゴーダイは、鼻で笑った。

 魔法を使おうとしているのだ。魔法は効果がない、と言っているのに。わざわざ何度も教えてやっているのに。

 目の前にいる少年は、必死に魔法を使おうとしているのだ。

 どんな攻撃魔法を仕掛けてきたところで、こんな若い魔法使いの力なら、余程の天才でもなければ余裕で防ぐことができる。

 いや、さっき結界が破れたのだから、この若造の力はこちらに通じない。確実に無力化されるのは目に見えた。まったくもって、無駄なあがきだ。

「あきらめが悪いねぇ」

 何が起きるか、ちゃんと見届けてやろうじゃねぇか。その魔法が無駄に終わった時、俺の獲物は返してもらうぜ。

 矢は真っ直ぐルシーダを、彼女を背負うグラージオごと狙いながら、ゴーダイは魔法使いの呪文が終わるのを待った。

 最後の抵抗も役に立たないとわかれば、さすがにあきらめもつくだろう。

 グラージオが口を閉じる。どうやら、呪文は終わったらしい。

 だが、何も起きる気配はない。冷たい空気が、その場を凍り付かせているだけ。

「何かやったのか? 俺には何も起きてないぞ。失敗かぁ? かわいそうにな。緊張して、うまくいかなかったか」

 いやみったらしく聞いてくるゴーダイ。グラージオは、悔しそうにくちびるをかむ。

「まぁ、そうがっかりするな。不良品も多いが、俺が持ってる魔法無力化の薬はなかなかの掘り出し物なんだ。これまで何度助けられたかわからねぇ。だから、お前の魔法が効かなかったからって、お前に力がないって訳じゃねぇぞ……たぶんな。薬の力の方が上だったってだけさ」

 グラージオの神経を逆撫でするようなことばかり、ゴーダイは口にする。獲物にとどめを刺す前に、その獲物をいたぶるのが好きなようだ。相当性格が悪い。

「さぁ、遊びはもうこれくらいでいいだろう。身体も冷えてきたからな。命がありゃ、とりあえず山のふもとくらいまでは運んでやるよ。後のことは自分で何とかしな。その女は俺がちゃんと役立ててやるから、心配はいらねぇぜ」

 どうしてもルシーダを下ろそうとしないグラージオに、ゴーダイは本気で彼ごとルシーダを射抜くことにしたようだ。

 どこを狙われても、ルシーダに当たればもう助からない。グラージオも確実に射貫かれ、重傷は免れないだろう。

「頼むっ」

 グラージオが怒鳴り、矢を放とうとしたゴーダイの動きが止まる。

「命乞いは聞かねぇぞ」

 冷たく言い放つが、グラージオはゴーダイのそんな言葉など聞いていなかった。

「いるのなら、今すぐ来てくれっ。仲間を助けてくれっ!」

「仲間だぁ? お前、何を言ってやが……」

 言い掛けたゴーダイの言葉を、轟音がさえぎった。グラージオの後ろに広がっている池の氷が、突然音をたてて割れたのだ。

 割れた氷は、相当の厚みがある。物理的な力であれ魔法であれ、生半可な力ではひびすらも入りそうにない。

 そんな氷が、下から突き上げるようにして勢いよく割れた。

「なっ……」

 ゴーダイは驚いて目を見開き、言葉を失う。

 グラージオ達を狙っていた矢が、あらぬ方向へ飛んでいった。そんなことにも気付かない様子で、ただ池の方に視線が釘付けになって。

 グラージオは氷が割れた音に肩をすくめていたが、ゴーダイの様子を見て自分も池の方を振り返る。

 そして、同じように言葉を失った。

「……うるさい」

 第三の声が、不快そうにつぶやいた。

「本当に……いたんだ……」

 割れた氷を押し退けるようにして池から現れたのは、青みがかった白い竜だった。

 ボルガ雪山には竜がいるらしい、とジュネルが話していたが、実際に存在したのだ。アイスブルーの瞳が、自分達の身長の何倍もの高さからこちらを見下ろしている。

「へ……へへっ……上等じゃねぇかよ。竜が二匹も手に入りゃ、間違いなく一生遊んで暮らせらぁ」

 しばらく呆然としていたゴーダイだったが、気を取り直して新しい矢をつがえる。もちろん、竜に効く毒が塗ってある矢だ。

 しまった、これじゃあ……。

 それを見て、グラージオは自分の失態を悟る。

 ここで頼れるのは、いるかいないかわからない氷の竜だけ。それでも、この窮地を何とかできるかも知れない、と考えて竜に声をかける呪文を唱えた。

 自分の力では声が届かないかも、と思いながら。それでも、存在する方に賭けるしかない。

 やはり何も起きず、ゴーダイには笑われた。もう策はない。最後にはやけになり、来てくれと叫んだ。

 そうして……実在した竜は、こうして現れてくれた。

 だが、ゴーダイは竜の力を奪える毒を持っている。そして、新たに現れたのは、竜だ。

 これでは、自分達がピンチであることに変わりない。むしろ、被害者を増やすだけ。

 直接手を下すのはゴーダイだが、グラージオ自身が手を貸したも同じ。共犯者になってしまったような気持ちだ。

 でも、今ならゴーダイの意識は池にいる竜に向いている。その隙に木の陰にでも移動し、魔法以外で何とかゴーダイの邪魔ができれば。

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