第15話 白い景色の中で
力のない声で、ルシーダが呼びかけた。彼女から話しかけるなんて、珍しい。
「ん? 何?」
火山の時と同じように、グラージオは魔獣から降りて歩き、ルシーダは乗ったままで山へと向かう。
山の頂上かふもと付近か、チャルル草の生えている場所がわからないので、探しながら進まなければならないのだ。
「火山で、何かに見られてる気がするって言ってたの、覚えてる?」
「うん。山にいる魔物かなってこと、言ってたよね」
結局、話はその時だけで、その後はすっかり忘れていた。
「思い返すと、レンカと火の花畑へ近付いたくらいから、その気配ってなくなってたのよね。でも……また視線を感じるの」
「同じ気配?」
あの火山とこの雪山では、かなりの距離がある。大地の持つエネルギーも真逆。
同じ魔物がいるとは思えないが、全く関係ないとも言い切れない気がした。
「そこまでは……どうかしら。明確な答えは出せないわ」
人間と変わらない程度の魔力と体力。観察眼や察知能力なども、普段とは比べものにならない程に落ちている。火山にいた時よりもさらに。
竜本来の力があれば簡単にわかることも、今のルシーダには首を傾げるしかできなかった。
グラージオは周囲を見回す。
鳥だか虫だか、飛んでいる小さな影が見えたりするが、視界に入るのはその程度だ。魔物らしい存在はない。
もちろん、人影も見えなかった。
こんな寒い地域でも、たくましく育つ木々がある。ルシーダが感じた何かの存在が、そこの陰に隠れることは可能だろう。
でも、グラージオにはおかしな雰囲気を感じることはできなかった。少なくとも、殺気のようなものは感じられない。
「ぼくが気配にうといと言われたら、それまでなんだけど……」
ルシーダが気にしているようなので、放っておく訳にもいかない。
しかし、わざわざ探し出す時間はないので、グラージオは結界を強化させた。
「余計な魔力を放出しながら進んだら、関係のない魔物を刺激してしまうからね。とにかく今はこれくらいにしておいて、またおかしな気配を感じたらその時に考えよう」
「その時」になってからでは遅いだろうか。しかし、今できることと言えば、結界をしっかりと張るくらい。
魔物がいるかどうかもわからない木々や草むらに向かって攻撃魔法を仕掛ける、なんてことはできないし、そんなことをしていたらすぐに体力が尽きてしまう。
ルシーダもその点はわかっているので、グラージオの言葉にうなずいた。
「ここはやっぱり、火山の時みたいに妖精か誰かに尋ねた方が早いね」
「その方がいいわ。このままだと眠っちゃいそう」
「ええっ。ルシーダ、こんな所で眠っちゃ駄目だよ」
「そうなりそうってだけよ。本当に眠ったりしないわ」
グラージオの焦りに、ルシーダがくすくす笑う。だが、今のルシーダが言うと、冗談に聞こえない。
「そう? それならいいけど。竜も寒い所で眠ると、やっぱり命を落としたりするのかな」
ここはまだ、そんなに寒い場所ではない。でも、これから進んで行けば、きっと気温は下がる一方だ。
「さぁ、どうかしらね。凍死した竜の話は聞いたことがないわ。あ、ジュネルが言ってたわね。この山には、竜がいるんでしょ?」
「ああ、氷の竜がいるって話だったね。その竜に話を聞けたらいいけど」
積極的に人間と関わる竜もいるが、人間があまり訪れないこういった場所に棲む竜は、攻撃こそしないが人間を近付けさせないと聞く。
この山のように雪と氷に閉ざされた場所にいる竜が、人間に好意的とは考えにくい。呼んだところで、現れてくれるかは……かなり可能性が低そうだ。
竜に声をかける呪文を唱えたいところだが、今はやめた。
近くにいればちゃんと声に応えてくれるであろう、妖精を呼び出す呪文を唱える。ものは試し、という時間はないのだ。やるとしても、それは目的をちゃんと果たしてから。
呪文が終わると一瞬強い風が吹き、冷たい空気が頬を刺した。気が付けば、目の前に雪のように真っ白な長い髪と、薄い青の瞳をした妖精がいる。
ユリル火山の時と同じく、身長はグラージオの手の平より少し大きい程度だ。うっすらと青みがかった白のワンピースは袖も裾も短く、この場所では見ているだけで寒い。グラージオより少し年上に見える姿だ。
「妖精を呼んだのは、あなたかしら」
その姿や表情は冷たい。だが、こうして現れてくれたからには、今すぐここから追い返す、という意図はないだろう。
「うん、ぼくはグラージオ。来てくれてありがとう。きみはこのボルガ雪山に棲んでるの?」
「そうよ」
妖精の答えは簡潔だ。
「名前を教えてもらえる?」
「キュラシ」
「ぼく達、チャルル草を探しているんだ。この山にあるかな。キュラシが知っているなら、その場所を教えてもらいたいんだ」
「それを探して、どうするつもり?」
その口調には、単に「ほしいから」という答えだけでは許してもらえそうにない強さを感じた。
「毒に苦しんでる子がいてね、チャルル草と別の草を合わせて作った解毒薬が必要なんだ。別の草はもう手に入れていて、あとはチャルル草だけが足りない。知っているなら、教えてほしいんだ」
「悪いことには使わない?」
キュラシの問いに、グラージオはきょとんとなる。
「どういう使い方をすれば悪いことになるか、ぼくにはわからないよ」
今まで聞いたこともない、草の名前。形は本で確認したものの、これをどう扱えば悪用できるのか、悪用したことになるのか。
グラージオには本当にわからない。
妖精の言い方だと、悪い方に転がるような使い方がある、ということだろうか。
「うそはついてないみたいね。いいわ、教えてあげる」
どこでどう審査されたか不明だが、どうやらグラージオは合格したようである。キュラシを覆う寒さのオーラが、わずかに緩んだように思えた。
「チャルル草は、樹氷の森に生えているわ。だけど、どの辺りに生えているかは私もよく知らない。その場所へは連れて行ってあげるけれど、あとは自分で探してちょうだい」
この山に生えていることがわかった。たとえだいたいでも、生えている場所を教えてもらえるのなら、グラージオにはそれで十分だ。
ルシーダの存在が不問なのは、彼女が人間ではないとわかっているからなのか、グラージオの連れならそれでいい、ということなのか。
火山の時もそうだったが、いちいち説明せずに済むならありがたい。
「こっちよ」
キュラシは、グラージオの数歩前を飛ぶ。手綱を握ったグラージオが、その後に続いた。
ふと気付けば、気配が変わっている。火山と同じで、ここにも結界があったらしい。人間は不可侵な領域、ということだろう。
「ここって……」
グラージオが見回すと、木が全て氷だった。木に雪や氷が付着しているのではなく、木そのものが氷なのだ。
細い木々は高く伸び、氷の葉を茂らせている。これでも生きているのだろうが、氷の彫刻みたいだ。
雪が積もっているのか氷が張っているのか、地面がうっすらと白い。その下は土のようだが、土がむき出しになっている箇所は、見回した限りではないようだ。
触らなくてもわかる。絶対に冷たい。
「樹氷って……本当に氷の樹木なんだね」
世界が白と薄い青ばかりの世界だ。前を飛ぶキュラシと同じ色。
ここに風はなく、雪も降っていない。だが、空気が冷たく、全てが静かにそこにある。
自分の吐く息が、今まで以上に存在を主張しだした。
火の花畑は火傷しそうに暑かったが、ここは真逆に痛いと思うくらいに寒い。
「この周辺に、チャルル草はあると思うわ。見付かったら早く帰ってね。ここに棲むみんなは、静かにしているのが好きだから」
「うん、わかったよ」
言われるまでもなかった。こちらとしても、こんなに寒い所に長時間いるのはつらい。
それだけ言って、キュラシはふっと消える。帰れ、と言うくらいだから、迷うことなく帰れるのだろう。
「ここ……本当に寒いわね」
「うん。急いで探さないと、ここの木の一本になりそうだよ」
言いながら振り返ったグラージオは、血の気が引いた。
ルシーダがぐったりして、馬の首にもたれかかってる。
「ルシーダ!」
グラージオは馬に座るよう、指示を出す。
普通の馬だとすぐには言うことを聞いてくれなかったかも知れないが、これは魔法で作った動く無機物。いやがることなく、冷たい大地にひざを折った。
とりあえず、これでルシーダが高い位置から落馬することはなくなる。
「ルシーダ……ルシーダ?」
グラージオの呼び掛けにもしばらく何も反応がなかったルシーダだが、やがてゆっくりと目を開けた。
「あ……ごめん。ちょっと……眠くなっちゃって」
眠っちゃいそう、とは言っていたが、まさか本当にそうなるとは。
いや、眠った訳ではない。ついさっきまで短くても会話をしていたのだから。
眠ったのではなく、意識を失ったのだ。
「苦しい?」
ルシーダの頬に触れる。この冷気のためか、ひどく冷たい。
彼女の身体を何とか温めたいが、この場所で火はまずまともに使えないだろう。きっと、ここの空気に打ち消されてしまう。
グラージオは自分がまとっていたマントを取ると、ルシーダにかけた。
「何してるの、グラージオ。風邪ひくわ」
驚いたルシーダが、目を見開く。
「ぼくはこれからチャルル草を探し回るから、そう簡単に身体が冷えたりしないよ。今は動けないルシーダを温めないとね」
グラージオは、ルシーダに重ねて結界を張った。外気を遮断することで、何もしないよりは多少の防寒になる。
ルシーダはずっと黙っていたし、グラージオもあえて聞かなかったが、やはり限界が近いのだろう。
顔色はそう変わったようには見えないが、出会った時と比べればその表情に全然覇気がない。熱があってもなくても、病人みたいに思える。
「あ、そうだ。ぼくがチャルル草を探している間、これを持っていて」
グラージオは、プララ草が入っている袋を渡した。
プララ草は火を出していないので燃えることはないが、袋に触れているとかすかに温かいのだ。
「これでほんの少し、寒さがしのげるよ。袋の口を開けたら、中の熱気が出るんじゃないかな。火傷しないように気を付けて」
「ん……わかった」
獣の子どもを抱くように、ルシーダは大切そうに袋を胸に抱えた。
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