第9話 闇ルートの店

 今いる場所は、王宮の敷地へ入る時に渡った橋の向こう。つまり、街の中だ。そんなに歩いた気はしないのに、ずいぶん遠くへ来たことになる。

 そこからある程度離れると、周囲から姿を認識されるようになるらしい。自分でも使っているが、魔法とは本当に便利なものだと感心する。

 グラージオは、この街へ来るのは初めてだ。方角も道や建物の配置など、しっかり掴んでいない。図書館へ向かう時は、大きな王宮を目指して向かえば問題なかった。

 だが、目印となる建物なしでよそへ動くとなると、すでにどちらを向いているかさえもさっぱりわからない。

 そもそも、図書館内ですでに自分の位置を把握しきれなくなっていた。

 方向オンチではないつもりだが、地図なしでさくさく歩くのは絶対に無理だ。ジュネルについて行くしかない。同行してもらって、本当に助かった。

「あの……ジュネルさん」

「何だい」

 行き交う人々は多いが、誰もこちらを見ていない。当然、彼らの会話に耳をそばだてている人間もいなかった。

 今までの経験から、こういった大きい街になる程、そういった傾向が強いようだ。

 二人が怪しげな姿だから関わりたくない、と思われているのも一因だろう。

「どうして、ここまでしてくれるんですか?」

 カルラムの紹介状を見て、図書館の中へ入れてくれればそれで終わるはずなのに。

 こうして確実に毒の中身を見極め、解毒薬を探そうとしてくれている。今から行く店も、決して安全な場所ではない。

 彼が潜入捜査をする役人であれば、こういうことをするのもわかるが、彼は「図書館の責任者」という肩書きのはずだ。

 もちろん、協力してもらえるのはありがたい。放っておかれたら、今頃かなり四苦八苦しているだろう。

 まず「手始め」からして、どう手を着ければいいのか。

「きみだってそうじゃないか」

 グラージオの問いに、ジュネルはさらっと応えた。

「ぼくが?」

「さっき話をしてくれたけれど、通りすがりでルシーダと会ったんだろう? ケガを治すまでならともかく、いや、それさえもせずにそのまま立ち去っていたとしても、ルシーダが文句を言うことはない。知り合いでも同族でもないんだからね」

 見付けた時のルシーダは意識がなかったが、それは別として。黙って立ち去れば、冷たい奴だと思われることはあるかも知れない。

 だが、グラージオにルシーダを助ける責任はないのだ。

「えっと……ルシーダがケガしてるのを放っておけなくて、傷が治ってもかなり弱っている様子を見たら、置いて行けなかったんです」

 グラージオ曰くの森の主がルシーダを助けるように仕向けたのだとしても、その後でどうするかはグラージオの自由だ。

 首を突っ込んだら危険な目に遭うかも知れない、と考えれば立ち去ってもいい。付き合う必要はない。

 でも、グラージオは放っておけなかった。

 目の前で、女の子が足下も覚束おぼつかない状態でいる。そんなところを見たら、放っておけるはずがなかった。

 それが竜であろうとなかろうと。

「私も、似たようなものだよ」

「今はそんなに弱っているようには見えませんけど」

 弱っている、と何度も指摘すると、ルシーダは怒るかも知れない。

「だけど、彼女は自力ではどうにもできない状態だろう? 困っている誰かを助けたいと思うのは、きみと同じだよ。私の場合、それに加えて竜を助けたい、と明確に思うからなんだ」

「竜を?」

「ルシーダは人間で言うところの未成年のようだけれど、竜は長寿であり、強い魔力や多くの知恵を持つ。大昔には人間に魔法を教えたと言われているが、それは竜にとってほんの一部のことだ。彼らの持つ諸々もろもろを知り、吸収したいというのは、魔法使いなら大抵の者が思うんじゃないかな。彼らは生きた宝だよ。竜はよき隣人と言われたりもする。そのよき隣人の子どもが困っているのを知れば、周りの者が助けてやろうと思うのは自然なことだろう?」

「だけど、こういう潜入捜査まがいのことをするのって、そういう部署みたいな所にいる人達がするものなんじゃ……。さっき話に出ていた、嘆いてる友人って方がそうなんじゃないんですか?」

「そうだよ。専門の職はもちろんある。だけど、そこへ話を持って行って、あれこれ説明するのは時間がかかるだろ。その友人以外にも、そういう所の知人は多くいるけれど、今は早く何とかしたいじゃないか」

 こう見えて、ジュネルはせっかちな部分があるらしい。もしくは、自分で動くことをいとわない。

 今のルシーダにとっては、ジュネルのそんな気質がありがたいはずだ。また最初から説明したり、動くための手続きなんてやっていられない。

「さっきも話したけれどね、闇ルートの店はいくら摘発しても、すぐに店主が替わって再開してたりするんだ。魔物退治で金を稼ぐのは構わないけれど、そういったやからがドラゴンハンターに流れることも多いから、魔法使いとして放っておけない」

 時々、ジュネルはカルラムと似たようなことを言っている。こういった考えの魔法使いは多いのかも知れない。

「ジュネルさん、どうして図書館にいるんですか? こういう仕事の方が、向いてるような気がしますけど」

「ははは……。まぁ、色々あるんだよ。人にはそれぞれ得手不得手があるし、大勢の人間が働いている場所にいれば、なかなか思う部署にならなかったりね」

 そんな話をしているうちに、気が付けばグラージオ達は路地を歩いていた。

 この周辺は光があまり当たらないようで、晴れているはずなのに空気が湿気ている。こんな所にいたら洗濯物が乾かないわ、と文句を言う母親の顔が浮かんできそうだ。

「あそこだ」

 路地を何度も曲がり、ますます現在地がわからなくなる。

 そんな状態のグラージオに、ジュネルは路地の突き当たりにある扉を指した。

 どこにでもありそうな、黒く汚れた木の扉だ。見たところ、周囲には看板になるような物は何もない。ドアノブの周囲が扉そのものよりさらに黒ずんで、掴んだらノブだけが取れそうな気がする。

 それくらい、古そうな扉だ。この奥に汚くて狭い、誰かの部屋があってもおかしくはなさそうに思えるが、ジュネル曰くの闇店舗だ。

 これは確かに、地図を描いてもらってもわからない。

「店側との対応は、私がするよ。きみも魔法使いだから、いざとなれば自力で逃げられるだろうけれど……おかしなやからに絡まれないようにね」

「は、はい」

 ジュネルが扉を開けた。

 ノブを回すまでもなく扉が引かれたのを見て、どうやら本来の用途を成してないと知る。これでは、ただの取っ手だ。

 他人事ひとごとながら、戸締まりせずにいて泥棒が入らないのかと心配になった。店にまともな商品がなければ、入られないのだろうか。

 むしろ、こういう店には特殊な商品があったりして、狙われそうな気もするのだが。

 店の中は、扉と同じで全体的に狭く小汚い。暗いから余計にそう思えるのだろう。

 窓はあるが小さく、隣の建物の影でほとんど光は差し込まない。

 壁には弓や剣、盾などが無造作に引っ掛けてあったり立て掛けてある。

 別の壁には棚があり、瓶や小さな布袋などが並んでいた。中身が見えないが、たぶんほめられるような代物は入ってないだろう。

 入って正面にカウンターがあり、その向こうに顔が黒いひげに覆われた、がたいの大きい男が雑誌らしいものを読んでいた。

 ジュネルより一回りくらいは上だろうと勝手に推測したが、暗いのとひげが邪魔でひたすら怪しい雰囲気しかない男だ。

 グラージオの偏見だろうが、そのまま海賊や山賊になっても違和感のない風貌である。

 どうやら、今は他の客はいないようだ。

「あんたが店主か?」

 店内をさっと見渡し、ジュネルはカウンターへと近付く。グラージオも後に続いた。

「おう。何がいる?」

 見た目に合った、野太い声で男が対応する。

「毒がほしい」

 ジュネルの言葉にも、店主は顔色一つ変えない。慣れた口調で聞き返す。

「毒と言っても、色々あるぞ。どういう効果の毒がほしいんだ」

 こういう店なら、どんな素性の客が来るかわかったものではない。

 そのためか、店主の腕はその体型に見合っての太さ。この店主も、一癖二癖もありそうだ。

 魔法使いではなさそうだが、きっとそう簡単に押さえ込めるような手合いではない。カウンター越しでは見えないが、どこかにナイフの一本や二本は隠してあるのだろう。

 世の中、本当に色々な人間がいるんだなぁ。

 幸い、グラージオはこれまで犯罪に手を染めていそうな人間と関わったことがない。旅をしていれば、いつかこういった人間と遭遇するのかも、などと思いながら店主の顔を見た。

 どこまで悪いことをしているか知らないが、ここがジュネルの言うように闇ルートの店なら、少なくとも彼は「善良な市民」などではないのだ。

 そんなことを考えていると、後ろで扉の開く音が聞こえた。そちらを見ると、新手の客らしい。

 店主に負けず、がっしりした体格に太い腕の男だが、その顔はたぶんジュネルよりも若い。

 口の周りを囲むように濃い茶色のひげが生え、伸びたもみあげとつながっている。同じ色の髪は、くしをいつ入れたのかわからない。肩より少し長いくらいであろうそれを一つに束ねているので、何とかまとまっている感じだ。

 こういう店には、こういうタイプの客ばかりが来るのかな。

 自分達の現在の格好を棚に上げ、そんなことを考えるグラージオ。あまりじろじろ見て因縁を付けられては困るので、さりげなく視線を外した。

 ここへ来たのは、店の摘発をするためではないのだ。今は余計な騒ぎを起こしたくない。

「完全に殺すんじゃなく、動きを止めるようなタイプだ。もしあるなら……竜に効くのがほしい」

 店主のひげが動いたが、その下でにたりと笑っているのだろうか。

「ドラゴンハンターになろうってのか? 捕まえれば一攫千金だが、そううまくはいかねぇぞ」

「んなこたぁ、承知だ。その辺をうろついてるうちに、もしかしてってことがあるかも知れねぇだろ。持っていても損はねぇ」

 ジュネルは、それらしい口調で返す。さっきグラージオと話していた時より、幾分か声が低い。

「で、あるのか?」

「もちろんだ」

 今度こそ、店主はにたりと笑った。

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