第2話 毒

 魔法はとどこおりなく発動し、傷は消えた。見える範囲で手足の傷も治しておく。

 そうしている間も、負傷者の意識はまだ戻らない。グラージオは改めて、倒れている女性を見た。

 プラチナブロンドの髪は真っ直ぐで長く、もう少しで腰まで届きそうだ。顔立ちは、こうしてよく見ればまだ幼さが残っている。十六、七歳といったところか。グラージオより少し年下くらいだろう。

 顔は、こんな状態なので青白い。まぶたが閉じられているので瞳が何色かわからないが、間違いなく美人と称される部類の少女だ。

 ここポプロの森を出れば、近くに村がいくつかある。そこの住人、だろうか。

 ざっと見回したところ、彼女の持ち物は近くに落ちていないようだが、手ぶらで森に用事があるとは思えなかった。

 食料か薬草でも採りに来て、そこを「誰か」に襲われたのかも知れない。

 その「誰か」が彼女を傷付けた後、持ち物を盗んで去ったのなら、周囲に何もないことも納得だ。

 傷は今グラージオが治したし、見たところ足首が腫れている様子もないから、村の住人なら送り届けることはできるだろう。

 彼女が目を覚ましてくれれば、だが。

 んー、このまま意識が戻らなかったらどうしよう。まさかここに放って行く訳にはいかないし。とりあえず、近くの村まで連れて行って、そこの村長にでも相談するしかないかな。そこの村人でなくても、彼女を知る人がいるってこともあるだろうし。うん、美人だから、この界隈では有名かも。だったら、すぐに身元もわかるよね。

 少女のきれいな顔を見ながら、グラージオはあれこれと考えていた。

「……ん」

 ふいに少女が顔をしかめ、それからゆっくり目を開く。濃い青の瞳が現れた。

 何てきれいな青なんだろう。それに、目を開くと美人度が増すなぁ。

 のんきにグラージオがそんなことを考えていると、いきなり少女ははっとしたような表情になって飛び起きた。

「あ、急に起き上がらない方が……傷はもう治ってるけど」

 傷は治っても、身体に多少なりともダメージが残ることもある。

 そう伝えようとしたが、どうもそんな空気ではない。

「治ってるって、あなたが?」

 驚きと同時に、どこか疑わしげな表情になる少女。

 自分の傷があった場所と、目の前の人間の顔を交互に見る。袖がなくなっていることに、すぐには気付かない。

 明るい金髪を軽く束ね、自分とよく似た濃い青の瞳でこちらを見る青年は、穏やかそうな顔をしていた。

 でも、見掛けで判断しては危険だ。ついさっき、自分に起きたことを考えれば。

「うん。それで、きみは」

 グラージオが尋ねようとしたが、少女が言葉をかぶせてくる。

「ありがとう。それじゃ」

 そう言って、少女……ルシーダは立ち上がろうとした。だが、力が入らず、またその場に座り込む。

「え……どうして……」

 腕はまだ血で汚れているものの、確かに傷はない。傷が治ったのなら、問題はないはずなのに。

 痛みはなくなっているが、まだくらくらするし、力が入らない。こんなになる程、血は流れなかったはずだ。

「身体に受けたダメージがまだ消えてないかも知れないし、急に動かない方がいいんじゃないかな。動くなら、ゆっくりと」

「ゆっくりもしていられないわ。ドラゴンハンターが近くにいるかも知れないんだし」

「ドラゴンハンター?」

 グラージオは、その言葉に首を傾げる。

 ドラゴンハンターを知らない訳ではないが、少女の口から出るにはいささか不釣り合いな単語だ。

「きみ、もしかして逃げようとしてるの? どうして?」

「だから、ドラゴンハンターに追われてるかも知れないから」

 こちらは焦っているのに、相手はのんびりした口調で質問してくる。

 自分が動けないこともあり、少しいらっとしながらルシーダは答えた。

「じゃあ、きみは竜なの?」

 聞かれて「しまった」と思っても、遅い。

 冷静さを失い、余計なことを口走ってしまったことを、ルシーダは後悔した。

「え……あ、そ、そうじゃない、けど」

 視線を泳がせ、言葉に詰まりながら否定しても、怪しすぎる……というのは、自分でも思う。

「ドラゴンハンターは、普通の女の子を追ったりしないよ」

「う……」

 のんびりした口調のくせに、しっかり突っ込まれた。

 ドラゴンハンターという単語を出さなければどうにかごまかせただろうが、二度も出してしまっては訂正の仕様がない。

 竜をかくまっていて、その居場所を聞き出そうとしている、なんて作り話も咄嗟には出て来なかった。

「と、とにかく、追われてるかも知れないのよっ」

 そう言って、ルシーダは何とか立ち上がる。早くここから離れたい。

 だが、数歩進んだだけで、倒れそうになった。

 そんな彼女を、グラージオが手を出して支える。途端に、ルシーダの肩がびくりと震えた。

 傷を治した、と彼は言ったが、事実はわからない。傷はなくなっているようだが、それを本当に彼が治したのか。

 意識を取り戻したばかりのルシーダには、確かめる余裕がなかった。

 彼自身がドラゴンハンター、もしくはその仲間ではない、という保証はどこにもない。穏やかそうに見えるが、こちらを油断させるつもりかも知れないのだ。

 今はとにかく、人間のそばにいない方がいい、と考えるのだが、身体が思うように動いてくれない。

 知らなければ、倒れたところを支えられた、と端からは見えるだろう。だが、ルシーダはこの状態を「捕まった」と感じてしまった。

 竜の時なら、身体は圧倒的に人間より自分の方が大きいのに。

 人間の姿になると、視線を真っ直ぐ向ければせいぜい相手の首か口元辺り。少し上目遣いにならなければ、成人男性だと相手の顔をしっかり見ることさえできないのだ。

 普段は気にもしないそんなことが、力の入らない今は強い不安となって心に広がる。

 相手はきっと、二十歳にもなっていないだろうに。本来なら自分よりずっと弱い存在なのに。

 今は身を縮め、かたくなるしかできない。

「逃げないで」

 そんなことを言われても、逃げたい。たぶん、初めて覚える感情。

 これが、恐怖。

「怖がらなくていいよ。ぼくは魔法使いだ。ドラゴンハンターじゃない」

「魔法……使い?」

 魔法使いなら、魔法を使うという点で普通の人間よりずっと竜に近い存在と言える。

 だけど、魔法使いでもみんながみんな、いい人間とは限らないし……。

 魔法を使って悪いことをする人間もこの世界にはいる、と聞いている。ドラゴンハンターと手を組む魔法使いだっているだろう。

 はっきり言って、今のルシーダは人間より魔物の方がずっと信用できる気がしていた。

「何があったか知らないけど、やっぱりまだ身体がしっかり治ってないんだ。だから、もう少し休んで。心配しなくても、ぼくはきみを傷付けたりしないから」

「……」

 口ではいくらでも、何とでも言える。言うこととやることが反対、ということも。

 そう思いながら、ルシーダはグラージオの顔を見た。

 さっきから変わらず穏やかそうな表情は、竜を捕まえてどうこうしよう、と考えてるようには思えなかった。

 こちらを見る彼の瞳は、自分とよく似た色。そこに自分の姿が映っている。

 この人間は大丈夫だ。

 ふいに、なぜかそう思った。竜の勘、だろうか。

 そうしてルシーダは、グラージオの言うままに木の根元で休むことにしたのだった。

☆☆☆

「そう。あたしは竜よ。風の竜」

 お互いの名前を教えたところで、ルシーダはあきらめたように認めた。

 もっとも、ルシーダが認める以前に、グラージオは確信していただろう。これまでルシーダは自覚したことがなかったが、どうやらうそをつくのが下手なようだ。

「この森の上を飛んでいたら、何かが腕をかすったの。驚いたのと、痛みでバランスを崩しちゃって……竜の姿のままだと森の木をなぎ倒しちゃうから、人間の姿になったのよ」

「そんな状況で、よくそういった判断ができたね。すごいよ、ルシーダ」

「ま、まぁ……そのままだと見付かるかもって思った……っていうのもあるしね」

 竜だって、ほめられれば嬉しい。

「さっきも言ったけど、偶然ではなくあたしを狙ったものだとしたら、ドラゴンハンターかも知れないわ。とにかく、どこかへ早く逃げないとって思ったけれど……」

 どれだけの時間、気を失っていただろう。

 今のところ、それらしい人影が現れる様子はない。視線も感じないので、近くにはいないようだ。

「こうしてふたりでいれば、もしドラゴンハンターが来ても竜だってことはすぐに気付かないよ。人間の姿は見られてないんだろ?」

「たぶん。木に当たる直前くらいに姿を変えたから、余程うまい位置にいない限り、見えなかったと思うわ」

「じゃあ、むしろ慌てて逃げるところを見られる方が危ないね。怪しまれる。森の近くの村人、みたいな顔をしていた方がいいよ」

 グラージオは最初にルシーダを見た時、村の住人かと思った。おかしな動きさえしなければ、この姿を見られてもスルーされるはず。少なくとも、いきなり襲っては来ないだろう。

 もしそうなったとしても、今はグラージオがそばにいる。相手がとんでもなく腕のたつ魔法使いでもない限り、彼の魔法で対峙する、もしくは逃げられるだろう。

 最悪の場合、戦うことになったとしても、魔法使いのグラージオの方が有利だ。

「そうね。相手は逃げれば追って来る、猟犬みたいなものでしょうし」

 言いながら、ルシーダは息を吐いた。

「身体、つらい?」

「つらいって言うか……」

 さっきまでと比べれば、身体も少し落ち着いた気がした。

 だが、いつもと違う。身体を巡る魔力が感じられない。どこかで何かが、魔力をき止めているような感覚がある。

 ルシーダのそういった説明を聞いて、グラージオは首をひねった。

 治癒魔法でそんな副作用があるはずがない。相手が竜なら、なおさら人間の魔法におかしな影響を受けるとは思えなかった。

「もう一度、傷を見せてくれる?」

 言いながら、グラージオはルシーダの左腕を見る。

 まだ血で汚れている部分に水の泡を当ててきれいにし、傷があった周辺を確認した。

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