第40話 バジュラム襲来
その瞬間は唐突に訪れた。
大量の角ウサギのジャッカロープやひとつ目のアカメリスなどの小型動物たちが、なにかに怯えたように森から飛びだしてきた。
畑仕事をしていた農夫たちが不審に思い森の様子を窺った時、森の中に無数の紅い光が現れた。それが対を成す魔物の眼だと誰かが気づいた時、森があふれ出したように大量の魔物たちが森から飛びだしてきた。
大量の鳥がけたたましく鳴きながら空を覆い隠し、辺りは薄暗くなった。
農夫たちは逃げる間もなかった。
飛びだしてきた魔物たちは障害物となった農夫たちを引き裂き、クラウツェン精霊首長国の街に殺到してきた。
「閉門せよ! 閉門!!」
跳ね橋は上げられ城門は重い音を立てて閉ざされた。まだ、外に人がいるにもかかわらずだ。
スラムの住人たちは城門が閉まったとも知らずにそこに殺到し、固く閉ざされた門を見て絶望に打ち拉がれた。
ある者は泣き叫び、ある者は城内の人々に向かって罵声を浴びせかけた。だが、彼らがどれほど声を上げようとも、城門は動くことはなく、胸壁の間に立つ兵士たちは素知らぬ顔をして森を見つめた。
ジャイアント・シダーの森が揺れ動き、枝をへし折り、木を引き裂き、あるいは匹倒しながらソレは現れた。
黒光りする蛇身に騎士の上半身を持つ魔神――バジュラム。
バジュラムは巨大なハルバートを振り回し、逃げ惑う魔物たちを斬り倒しながら、城壁に向かって進みはじめた。
「儀式だ! 急いで儀式を進めるのだ! ディーヴァは! ディーヴァに歌わせよ!」
バジュラム出現の一報を受けたゲンナジー首長はそう指示を飛ばし、自らも煌びやかな法衣に着替えて祭壇へと向かった。すでに祭壇の周りには二〇〇人からのエヴァンゲリストたちが法衣に身を包んで祈りの言葉を口ずさみ、祭壇の上に設けられた舞台では、肌も露わな白絹の衣装に身を包んだディーヴァが歌いながら祈りを捧げていた。
ここがクラウツェンの聖地とされる祭壇遺跡であり、そこにはアルフィンたちがマイス遺跡で発見した書物に書かれてきた機械とそっくりなシステムが組み込まれていた。そう、ソウル・イーター・システムだった。
「魔物どもの魂が飛び交いだしておる! 諸兄よ祈れ! ここからはバジュラムと魂の取り合いぞ! 諸兄の祈りの心が試される時ぞ!」
そう首長は大音声に叫んでさらに心を込めて祈祷するように指示した。そして首長はソウル・イーター・システムに向き直り、その操作パネルのダイヤルを触りはじめた。
「六万余の人間の魂が、どうコレの力になるか……」
首長たちクラウツェンの指導者たちは、流民たちを救う気は鼻から持ち合わせていなかった。むしろ率先してこのソウル・イーター・システムの生贄に捧げるつもりでいたのだった。
そして祈りがはじまった瞬間から、バジュラムの動きが変わった。
魔物を狩る手を止め不快そうに城壁をねめつけるや右腕を突き出すように構えた。次の瞬間、陽炎のような揺らぎが腕の前面に発生し空間が一瞬歪んだ。城壁と腕との直線上にいた魔物や作物が一瞬で消し飛び、燃え上がり、弾け飛んだ。
その直後、バジュラムの身体のあちこちに設けられた小さなハッチが開き、ブシューっと音を立てて蒸気を噴き出した。
それは強烈な破壊力を持つ熱線砲だった。バジュラムの前腕には左右一門ずつ熱線砲が装備されており、一回で約七万度の熱線を発する。
一四本のエーテル・ジェネレーターは真っ赤に染まり、放熱行動のため悪魔の翼のように背面で広げられた。
その様子を城壁の上から見ていた兵士たちは恐怖に顔を引きつらせていた。自分たちの城がなぜ無事だったのか理解出来ず、恐怖に震えて胸壁にしがみつくように隠れるしかできなかった。
この様子をさらに上空から観察していたのがトロンベだった。
「いったいアレはなにをしたのだ!?」
「分かりません。我々の知らぬ武装を備えているようです!」
熱線砲などというものをカティンカたちが知るよしも無い。そもそも、光線兵器も熱線兵器も未だにひとつも発掘されてはいないのだから。
「しかし……。本気で首長たちは民を見捨てる気か……」
カティンカの目にも魔物の奔流に翻弄され、狩り潰されていく逃げ道のない人々の姿が映っていた。
マラクは避難勧告はしていると言っていたが、本当にそれをしたのかも怪しいほど、スラムには人が残っていた。もちろん、粗末でも屋根のある家を捨てて行く宛などないのだから、逃げろと言われても逃げられないことは分かっている。だが、それでも……とカティンカは歯噛みしてしまう。
「精霊への祈りで、あの攻撃を防げるというのか……」
カティンカの傍らに立って地上を観察していた副長のディードリヒが思わずもらしたが、上空からは聖地の祭壇も確認でき、大勢の使徒たちが祈りを捧げている姿がトロンベからも確認できた。
城壁は耐えられると豪語していたが、確かに一撃は耐えて見せた。
それが祈りによる力なのか、それとも城壁が本来持っている力で防いだのかは謎だ。だが、白い城壁の直撃した部分は真っ黒に焦げているのが空からも見て分かった。
地面も真っ赤に燃えていた。土が真っ赤に燃えて溶ける。それだけで、恐ろしい高温が放たれたことが理解できた。
「民を……」
「なりません!」
見ていられず下に降りて流民を助けようと考えたカティンカの行く手を副長が阻んだ。
「無礼を承知で申し上げます。出撃されてはなりません!」
「しかし!」
「あれは他国の民です! 帝国の民ではありません! 辺境領姫が命を賭して護るべき民ではないのです!」
「だが!」
「耐えられませ! 辺境領姫! 貴女をここで失っては、我ら辺境伯に申し訳も立ちません! どうか! どうか短慮な考えに走られますな!」
「くっ……」
確かに副長の言うことに間違いはない。
今目の前で焼かれ、魔物の牙にかかっているのはクラウツェンの領地に住まう民と流民なのだ。
だが、騎士としての矜持が納得せず、カティンカは拳をきつく握り締めた。
「アイオライト単機で出てもなにもできますまい……。仮にドラッヘ・テンツェリンのアインとツバイが加わっても同じことです」
「すまぬ……副長。理性では理解できるのだが、私の騎士としての矜持がそれを拒むのだ。弱きを守れずして、なにが騎士か! とな。下には降りん! 左舷艦砲開け! 一斉射して魔物を蹴散らす!」
辺境領姫の命令一下、トロンベは左舷艦砲ハッチを開き、左面を魔物の集団に向けて航行を開始した。
左舷艦砲ハッチには対艦ガンランスを構えた兵士たちが横列で並び、一斉射撃の構えを取った。
「狙わずとも当たるぞ! 放て!」
射撃管制官の指示の元、射手立ちは一斉にガンランスを撃ち放った。四〇本のボム・ランスが地上で爆発し、魔物たちを吹き飛ばしていく。しかし、たかだか四〇本。数千の魔物の群れには焼け石に水もいいところだった。
それでもトロンベからは二回、三回と砲撃が加えられ、多くの魔物が爆散していった。
「辺境領姫め……騎士気取りで民を救おうというつもりか? いいだろう。貴公が殺した魔物の魂は我々がしっかりと利用してやる」
首長は砲撃音と上空に留まるトロンベを見て、そうほくそ笑んだ。
すでにここのソウル・イーター・システムは作動しており、多くの魂を啜って赤色発光しはじめていた。
一方、さらに斉射を繰り返したトロンベでは、一隻からのボム・ランス斉射では状況を覆せないとの認識が進んでいた。
どれほど撃とうと魔物が減る気配はなく、壁際では流民たちが次々と殺されていた。
レッドキャップのような知性が高い魔物たちは、流民に手をかけることなく逃げてゆくだけだが、恐怖に我を忘れた魔物は当たると幸いに噛みつき引き裂き、敵味方の別なく殺し回っていた。
「バジュラム! またあの構えです!」
再びバジュラムは右腕を前に突き出し身構えた。再び陽炎のように空間が揺らぎ、城壁までの直線上に火線が走った。
二発目をくらった城壁は熱に耐えられず、溶け崩れはじめた。
「やはり、あの壁は保たない!」
『辺境領姫! やる気があるなら協力しな!!』
スピーカーから放たれた音割れした声にカティンカは聞き覚えがあった。
〝気に入らないね! その淑女を売りにしてるツラがさぁ!〟
と言い放った、あのオーニソプターを操縦していた賞金稼ぎ――バレンシアのものだった。
「破滅の剣か……」
雷鳴を轟かせる曇天を引きつれて現れたのは、傷だらけのドラグーン・バリシュとカダス商会のドラグーン三隻だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます