第38話 境界

  クラウツェン精霊首長国の駐機場は、まだ先日の紛争の爪痕が残されたままだった。

 壊された管理局棟は覆いがかけられ修復作業をしている最中であり、人々が忙しく働いていた。

 そこに再びドラグーン・トロンベが出現し、作業員たちはざわついた。伝令が走り、トロンベが着陸する頃には、城門が開き、外務長官のマラクを乗せた豪奢な馬車が走り出てきた。

 タラップを降りて外に出てきたカティンカを、まだ呼吸も落ち着かない様子のマラクが出迎えたのだが、その顔には困惑の色しかなかった。


「先触れもなしの来訪、許されよ」


 突然の来訪にひと言文句をつけようとした瞬間、カティンカがそう先制したものだから、マラクはそれ以上なにも言えなかった。


「いえいえ。それにしても、辺境領姫がなんの御用ですかな?」

「報告と情報収集に立ち寄ったまで」

「報告?」


 訝しんだマラクはカティンカの顔を覗き見たが、マスクをかけた彼女の顔からはなにも読み取ることはできなかった。


「なんにしても、ここで話すことではありますまい。どうぞ、こちらへ」


 仕方ないというようにマラクは大仰な態度で馬車に誘い、そして彼女を連れて迎賓館へと向かった。

 途中、街の街路を見るカティンカの目は普段よりも厳しかった。

 平時と変わらぬように見えても、どこか街の雰囲気がおかしい。倉庫街に向かう馬車の車列が長く、街には穀類の匂いが漂っている。


「あわててなにかを備蓄されているのか?」

「しかた在りますまい。バジュラムがこちらに向かってきているのですからな」

「ここに、くるのか?」

「はい。バジュラムはケープ・シェルではなく、クラウツェンに必ず参ります」

「なぜ、そう断定できる?」

「アレは過去にもそのルートで出現しているのですよ」


 初めて聞く情報にカティンカは驚きが顔に出るのを隠すのに苦労した。

 そのまま馬車は迎賓館に向かい、カティンカはその一室に通された。

 金銀の装飾などの贅が尽くされた壁画が部屋には描かれており、それはクラウツェンの聖地にまつわる伝承を絵にして残したものだとされていた。

 あの〝大変動〟にあらゆる魔物の侵入を許さず、そこに逃げ込んだ人々を精霊が護り続けたという伝説を元に描かれたものだった。


「して、なぜバジュラムはここにくると予言できるのかお教え願えないか?」


 出されたコーヒーに一口つけてから、カティンカは口を開いた。


「過去千年の間、アレは三度ここに現れているのですよ。同じコースを取っていることから、ケープ・シェルではなく、ここに向かっていると判断したまでのこと」

「なるほど……」

「それで、貴女からのご報告とはなんでしょうか?」

「破滅の剣の奪取に我々は失敗した」


 そのひと言で、今まで涼しい顔をしていたマラクは一気に青ざめた。


「破滅の剣は……まだ、あの遺跡に?」

「腕の良いシーカーでしてね。瞬く間に奪い去っていかれましたよ」

「なんですと!?」


 思わず立ち上がったマラクはあり得ないというように言葉を失い、唇をわななかせた。


「なぜ、それほどまでに破滅の剣を恐れ、そしてバジュラムの来訪を恐れない?」

「バジュラムの来訪は自然の摂理であるが、破滅の剣は文字通りその摂理を破壊する存在だからだ!」

「バジュラムが自然の摂理? 卿はおかしなことを言われる。あれは人造のフォートレス。自然からすれば外来の存在であろう?」

「外来の存在であろうが、千年もそこに居続ければ自然とて受け入れる! あれは、そうしてあの森の食物連鎖の頂点に存在するものだ」

「食物連鎖? アレがなにかを喰うと言うのか?」

「喰っておるではないか? 狩り殺せば喰うも同じことよ! では生態系の頂点と言えばよいのか?」


 言葉を変えただけで、どちらにしても言っていることは同じだ。

 マラクは苛立つように忙しなく足を動かし、ブツブツと何かをこぼしていた。

 カティンカが聞き取れた言葉は、『暗殺』や『殺しておけば』という言葉だらけ。それがエスパダの乗り手たちに対する言葉であろうことは、容易に推測できた。


「バジュラムとはなんです?」

「こうなってはお話しするしかないですな。あれは、人間にとっての防衛線なのです」

「人間にとっての防衛線? あれは人間も狩る怪物ですが?」

「だがその狩猟対象の多くは魔物。お分かりか? ここはエタニアのような海峡という安全地帯のある島ではない。帝国の人間は島で安穏と過ごし、政争にうつつを抜かせるが、ここは人間が住まう限界の境界地なのだ!」


 マラクは興奮のあまり言葉遣いを荒くしながら話を続けた。


「あのジャイアント・シダーの森を見るがいい! アレが人間を脅かす。わずか二〇年も前に我らはケープ・シェルとの共同事業で中間点に新しい開拓村を作った。だが、ジャイアント・シダーどもはそれを許さず、魔物の群れをけしかけた。その悲劇は貴公ら抵抗にも伝わっておろう? 魔物の脅威は我々境界に住まう者たちにとっては切実な問題だ」

「もちろん私も知っています。だが、我らにはフォートレスがある。魔物と戦う力は存在していると思うが?」

「あの事件の際にもフォートレスはあったわ! だがパイロットは死力を尽くしてわずかばかりの住民を守れただけにすぎぬ。わずか一日で千人近くの人間が殺されたのだぞ! そのパイロットからして亡くなったではないか!」

「それとバジュラムがどんな関係が?」


 肩で荒い息をしながらマラクは椅子に座り、コーヒーを一口飲んで気を落ち着かせた。


「バジュラムは魔物を狩る。毎日のようにな。そして時には信じられないような量の魔物を狩り、その地域に空白地帯を作る。我が国はその流れを利用し、拡大を続けた」

「なんと……」


 都市国家としては世界最大規模を誇るクラウツェン精霊首長国。その総人口は、東方辺境伯領の人口を遙かに上回る。それだけの人口を養うだけの耕地面積を確保するためには、当然、ジャイアント・シダーの森の開拓は不可欠であり、森を護るように棲息する魔物たちとの抗争は熾烈極まりないものとなる。だからこそ、大陸外縁部の国々は都市国家以上の大きさに拡張することができないでいた。

 そうした都市国家群の中で、異様なほどの規模を持つクラウツェン精霊首長国の発展は、そうしたバジュラムの襲来を美味く活用したものだと聞き、カティンカも納得できる部分もあった。


「帝国とは異なりここは楽土ではない。人が安穏と住まう楽土を作るために、日々、魔物と人が血で血を洗う争いが絶えない境界だ。貴女のように、ヒマを見つけては魔物狩りに興じるような世界ではないのだ」

「思わぬところに飛び火したな。耳が痛い話だ……」

「失礼を承知で言わせていただいた。これ以上、境界の世界エリジウムズ・エッジの話に楽土の人間は首を突っ込まないでいただきたいものだな」

「なるほど……。しかし、貴方は今し方開拓民を惜しむような言動を取られたが、流民には冷たい言葉をもらしましたな……」

「当たり前ではないか。開拓民は我が国民。流民は異なる」

「同じ人間でも?」

「食糧の供給率に余剰があるなら流民も喜んで受け入れよう。だが、我が国はもはや限界なのだ。バジュラムが森を切り拓く機会を作らぬ限り、流民を養う余裕はない」

「なるほど……」


 冷たいようだがそれは政治家の姿勢としては正しかった。それ故にカティンカはそこをとやかく言うつもりはない。


「しかし、バジュラムに対して貴国の防衛装置は貧弱に思えるが……?」

「それは我が国の問題。これ以上の詮索は無用に願いたい」

「なるほど、失礼した……」

「辺境領姫。貴女が破滅の剣を手にしていたなら話は違うが、持っていないのでは貴女ができることはもうここにはない。どうぞ、お引き取りください」

「承知した。では、貴方に精霊の守護があらんことを」


 迎賓館を辞したカティンカは、送迎の馬車を私用できたのだからと断り、歩いて駐機場に向かった。もちろんそれは方便に過ぎず、より詳しく街の情報を得るためだった。

 街の人々は活気こそあったが、どこか怯えている様子が見え隠れしており、必ずと言っていいほど、定期的に街中に立つ治安兵の方を確認していた。


「事あらば、治安兵が国民に避難を伝える仕組みか……。よくできている」


 だが、それも城壁の中だけの話であり、当然、流民が勝手に作った城外のスラムにそんな仕組みはない。


「まだなにかを隠している……」


 城門を出る前にカティンカは振り向き、町の中央の小高い丘に建つ聖地遺跡を見上げた。

 おそらくそれはあの聖地に関わることであり、バジュラムの襲来と繋がるなにかだろうとカティンカの勘が囁きかけていた。

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