第31話 盗賊都市の老婆

 攻撃を受けた傷も癒やせぬまま沿岸街道添いに飛んだドラグーン・バリシュは、三日目の日没前にようやくベイ・フリップの町に辿り着いた。

 クラウツェン精霊首長国の巨大な城壁とは裏腹に申し訳程度の城壁で囲われた薄汚れた街。それが遠くからベイ・フリップの街を見た者たちが抱く共通した感想だった。

 近づくとそれが幻ではなく、より酷い現実であることが理解できる。

 城壁には至る所に亀裂が入り、所々、胸壁が壊れているところが見られた。

 城壁の外にバラックが建っているのは、もう都市国家ではお約束の光景だった。率先して為政者が対策をしない限り、収入のアテがない流民たちはバラック小屋で街を作り、それがスラム化してしまう。

 ケープ・シェルは住民が少ないために率先して流民の定着化を為政者たちが行っていたし、クラウツェンでは放置こそしていたものに、バラック街という感じで遠目にみた印象もスラムというようなものにはユクシーたちも感じなかった。

 だがここは違う。

 明らかに衛生的にも問題ありそうでスラムから離れた場所に作られている駐機場にまで、その異臭が漂ってきそうなほど薄汚れた印象があった。


「アルフィンもベルも、絶対にバリシュから出るんじゃないよ!」


 そうバレンシアが念を押すほどここは危険な場所だった。


「そういうお前もだ、バレンシア。土地勘のない良い女はみんな追い込まれて誘拐されちまう。この地下街に連れ込まれたが最後、どうにもできねえぞ」

「いい……女……」


 バレンシアにお前もだと何気ない調子でネビルが注意したが、彼女の思考は〝良い女〟という言葉を受けて停止した。


「とりあえず、ここは俺とボブとランディで行く。ガリクソンは船の修理があるからな」

「俺は?」


 残され組に配置されて不満げな表情を浮かべたユクシーにネビルは嫌らしい笑いを浮かべた。


「お前みたいなガキのケツを狙いたがる男どもが大勢いるぞ?」

「いいいっ!?」

「それが嫌ならエスパダで待機してることだ。なにがあるか分からん。最悪、クラウツェンのように出てもらうことになるかもしれん」


 ユクシーはお尻を押さえながら、ガハハと笑うネビルとランディにシッシと早く行けというようにジェスチャーをかました。


 バリシュを出た三人は入場税を払い城門を潜った。

 そこは外と大して変わらぬ光景だった。違いは外は木造などのあり合わせの材料を使ったバラック街だったが、中は石造建築の建物がほとんどだ。どちらも共通しているのは、薄汚れて薄暗く、そして薄らと妖しい雰囲気が立ち込めているということだ。

 陽が傾きはじめているとはいえ、まだ明るい時分であるにもかかわらず、表通りに等間隔で立つきわどい服装の若い男女の姿があった。


「うは……街娼だらけだな……」


 やや喜び気味の笑みを漏らしたランディにネビルが苦笑しながら忠告した。


「この街の街娼はだいたい病気持ちだと思った方がいい。娼館にすら入れない事情を抱えているような奴らだってことだ」

「う……」


 残念そうな目で街路に立つ娘たちを見るランディを引きずり、ネビルとボブはシーカーズ・ギルドの扉を開いた。

 賞金稼ぎたちが欲しがる情報収拾をしており、外部の者がこの街で最も信頼できる場所だった。

 中は四人掛けの丸テーブルが六つほど置かれたホールとカウンターでできており、丸テーブルには二組ほどのパーティが座ってなにか話をしていた。それ以外に客らしい客の姿はなく、ネビルたちはゆっくりとした足取りでカウンターへと向かった。


「いらっしゃい。なにが聞きたいかね? 白面鬼」


 カウンターに座っていたのは年老いた魔族の老婆だった。三〇〇年ほど生きる魔族で老婆と見えるのだから、相当な年齢であることは確かだ。

 彼女はネビルをあだ名で呼び、ケケケと笑いを漏らした。


「まだあんたが生きてるとは思わなかったよ。イェルダ婆さん」

「まだくたばりゃしないね。あたしゃあと三〇〇年は生きる予定さ」


 またケケケと笑い。彼女はモノクルを目にかけ、ネビルたちを見回した。


「ネコに人族とは奇妙な取り合わせだねぇ」

「ネコじゃねーし……」

「おやそうかい? だいたいのヤツは、その外見をネコって言うんだよ。そういえばネビルよ、あんたの養女はどうなった? そろそろ年頃じゃないかい? あたしに預ける気はないか?」

「イェルダ婆さんに預けたら、翌日には娼婦にされて売り飛ばされちまうだろ!」

「疑い深い男だねえ。男やもめで育てるよりもマシってもんさ。なにより、あたしが教えてやれば、あの子はピカイチのシーカーになれるってもんよ」

「あんたの指導なくしても、あの子は立派にシーカーしてるよ」


 シーカー――すなわち、レリクス発見の技能を磨いた者たちのことだ。発掘から観察、知識の補強まで、レリクスの発見に関わる技術と知識を集め、その足りない部分を補う為に結成されたのが、このシーカーズ・ギルドだった。


「で、白面鬼の坊やは、今日はなんの情報が欲しいんだい?」

「ベイ・フリップ周辺の遺跡について知りたいんだが……」

「最近は帝国やバルクムント王国が正規騎にしている人馬型の新しいのが発見された、ラマンパリア遺跡が人気だねぇ……」

「他には?」

「サクマラ遺跡、マイス遺跡ともに今ひとつさ」


 ネビルたち三人はどう切り出したものかと相談するように顔を見合わせた。するとなにかを察したのか、イェルダはまたケケケという笑みをもらした。


「腹芸をもう少し学んだ方がよさそうな男どもだね。知りたいのはサクマラかい? マイスかい?」

「マイス遺跡だ。伝承でもなんでもいい。気になるものはあれば教えて欲しい」

「ちょいとお待ち」


 よっこいしょと億劫そうな調子でイェルダは立ち上がると、老婆とは思えぬ素早いチョコチョコとした足取りでカウンター奥の書棚に向かい、腕組みしてしばらくそこに収められた本の背表紙を睨みつけた。いずれも装丁が革でできた分厚く立派な本だった。

 どこか不安をかき立てるプルプルした足取りで踏み台に昇り、高い位置に置かれた本を引っ張り出す。


「よっこいせ……と」


 本をカウンターの上に置いて広げ、軽快な指の動きでページをめくっていく。そして目当てのページを見つけると、本を回転させてネビルたちの方に押しやった。


「そこにマイス遺跡一番の伝承――破滅の剣の伝承があるね」

「破滅の剣?」


 物騒な呼び名だったが彼らが探す〝炎の剣〟に繋がる可能性がある。三人は食い入るようにそのページに書かれたものを読んでいった。

 要約すると、マイス遺跡は古代超帝国時代の実験施設であり、そこで様々なフォートレスの武器が製造されていた。やがて一本の剣を造り上げるが、その剣ができた年に〝大変動〟が発生し、世界に破滅をもたらした。つまり〝大変動〟は世界中の精霊がその剣を否定したために起きた出来事であり、世界に呪いを振りまく剣であるという伝承だった。


「本当かよ……。古代人が造った一本の剣に、精霊がそんなに反応するんですかい?」


 ランディの反応はもっともだった。そんな世界に天変地異をもたらすほどの武器が剣であるというのは考え難い。


「剣ではない……ってことか?」

「炎の剣と言ったからといって、手持ちの武器とは限らないのだ」


 ネビルとボブの言葉にイェルダはニヤニヤとした笑みを漏らした。


「さてね。ただ、マイス遺跡が兵器廠だったらしいことは確かさ。出てくるものの大半は武器だからねぇ」

「この伝承の信憑性は?」

「兵器廠だったこと。古代伝承の石板が元になっていること。そこから推察するに、あながち嘘とも言いきれんのよねぇ。なにせ、クラウツェン精霊首長国の連中はありがたがって信奉している伝承に書かれているものだしねぇ」

「クラウツェンの奴らが……」

「もうここまで噂は流れてるよ。あんたらがクラウツェン精霊首長国でやらかしたってねぇ……」


 予想以上に速い情報の流れにネビルたちの顔に軽快の色が走った。


「あれは不可抗力だ。そもそも、姐さんに先に手を出してきたのはクラウツェン側だぜ」

「さて、細かいことはあたしらやこの街のお偉いさんたちにはどうでもいいことさ。ただ、クラウツェンの奴らが動いていて、さらにあの蒼騎士まで動いている。それだけで金の臭いがしてくるってもんだろ」

「情報の代金は?」

「口止め料を含めて一〇万ギーンだね」

「高っ! ぼったくりだろう!?」

「あぁん? 正当な価格さね。なんだったら色をつけてやってもいいんだよ?」


 文句を垂れたランディをよそに、ネビルは五万ギーン硬貨を四枚カウンターの上に置いた。


「色もつけるさ。で、追加情報だ。分かってる範囲でいいので、マイス遺跡の地図が欲しい」

「さすがは白面鬼だねぇ。いいんじゃない」


 ケケケと笑いながら今度は軽快な足取りで椅子から立ち上がり、近くの図面入れの引き出しを開いて大きな地図を引っ張り出した。

 長い辺が一二〇センチほど、短い辺が九〇センチほどの羊皮紙に描かれた地図。手書きの地図であり、スケールもかなり適当であることが想像できた。


「今のところ分かっている範囲の地図はこれさ。持っておいき」

「ありがたい」


 こんな地図でもないよりマシだった。

 なによりもドコでなにが出たのかまで、細かいメモ書きが記されているのがありがたかった。


「ところでネビル。この街を出たら後ろや影に注意するんだよ。親分さん方が、お前さんたちから何かを奪おうとたくらんでいるだろうからね」


 ケケケというイェルダの嫌らしい笑いにネビルは苦笑を返すしかできなかった。

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