第20話 追跡者2
やがてその場所に不釣り合いなほどに大きな船尾楼を持つ外輪船が到着すると、再びその亀の甲羅を思わせる物は浮上して外輪船の後方に回り込んだ。
外輪船の名前はベトルンケナー――すなわち、酔っ払い号だった。
船尾楼後方の吃水線ギリギリのところで船尾が跳ね上げ橋のように開き、海に向かって傾斜路のように船尾が下ろされた。すると亀の甲羅を思わせる物はその傾斜路を伝い登りはじめた。
それは亀というよりもクラゲかキノコの姿に近かった。
円形の傘の下部中央に軸となる太い幹があり、その周囲にエーテル・ジェネレーターが二本備え付けられ、さらに軸の最下部に身体を支える四本の細い脚が生えていた。傘の周りには先端に鋭い棘を備えた一〇本の触手がぶら下がっている。そんな異形の水陸両用のフォートレスだった。
船尾楼の上からフォートレスの収容作業を見守っていた日焼けをした無精ヒゲ面の壮年の男性の元に、双眼鏡を手にした一人の兵士が駆け寄ってきた。
「ディルク大尉! 本領方面からドラグーンが一艦近づいてきます」
「形状は?」
「おそらく、トロンベと思われます」
「辺境領姫が派遣されたか……。領主様も本気で追われる覚悟だな……」
ディルクは双眼鏡を受け取って本領のある南西の空に目をやった。双眼鏡を使っても、まだ空に見えるドラグーン・トロンベは小さな点にしか見えない。
「狼煙を上げてこちらの位置をお伝えしろ!」
「はっ!」
すぐさま兵士はその場を離れ、船尾の左角に設置された小型の狼煙台の元に走った。
僅かな時間を置いて狼煙台に火がかけられ、薄緑色の煙が立ち昇りはじめる。風に流されて多少広がりつつも、その緑色の煙は洋上において確かな目印として機能していた。
数刻後、ベルトンケナー号の上空に巨大なドラグーン・トロンベが滞空し、一本のロープが下ろされた。
甲板の上にいた兵士二人があわててそれをつかむと、そのロープを伝って仮面の辺境領姫カティンカが滑り降りてきた。
「艦長! カティンカ少佐、乗艦許可を願うがよろしいか?」
「ようこそ、辺境領姫。ベルトンケナー号の艦長のディルク大尉です! 乗艦を許可します」
「ありがとう。情報があれば共有願いたい」
「二時間ほど前までケープ・シェルを出航した件のドラグーン・バリシュを追っておりました。かの船は海岸沿いに北上し、この地点で内陸部に向かって逃走を図りました」
ディルクが手で指し示した内地は、巨大な樹木が生い茂る魔物の巣窟になっていた。
「奴らは正気か……? この辺りの森に街道はあるまい……。沿岸路以外、人が安全に移動できる場所はないはずだが……」
街と街とをつなぐ街道はただ道があるというだけではなく、安全に移動できる場所として作られてきた場所だった。それは空路も同じであり、魔除けの紋章などの様々な処置が施されている。もちろん、そんな紋章など易々と突破してくる怪物もいるのだが、それでもなにもない森の中を進むよりもはるかに安全が確保できた。
「魔物よりも我々の方を恐れたということですかな」
「そうだな……。無理にフォートレスと戦闘を行って時間を浪費して私に追いつかれるよりも、怪物と戦って切り抜ける方が速いと睨んだか……。すまないが、地図を見せてもらえるか?」
「はっ。こちらへ」
ディルクは船尾楼に設けられた船室にカティンカを案内した。
そこは打ち合わせなどに使うための広め士官室であり、部屋の中央に固定されたテーブルの上に地図が広げられていた。
部屋にはディルクとほぼ同年代の潮焼けした壮年男性が気をつけの姿勢を取って待っていた。
「こちらは?」
「はっ。追跡したフォートレスに騎乗しておりましたエトガル少尉であります!」
「そうか。追跡の任、ご苦労だった。説明をお願いできるか?」
「はっ! 現在位置はこちらになります」
エトガルが指し示した場所はケープ・シェルから北に一〇キロほど上った地点だった。そこから北北東の方角に指を走らせた。
「バリシュはこちらの方角に向かいました」
「その先に……集落はないな」
「はい。少なくともこの一〇年、沿岸街道以東に人間の集落は作られておりません。なにしろクラウツェン精霊首長国のエヴァンゲリスト(伝導師)たちが警告を発するレベルで危険な魔物が巣くう地域となりましたからね」
一五年ほど前、ケープ・シェルとクラウツェン精霊首長国の間の沿岸街道沿いには、両国の共同事業としていくつかの居住地が作られた。
人間が住まえる土地を拡大する。それはどの国の人々の願いでもあり、特に大量の流民を抱えるクラウツェン精霊首長国にとっては必要不可欠な事業となっていた。
だがその開拓事業は五年ほどで挫折することとなる。
森からあふれ出た魔物たちによって開拓村は襲われ、両国の正規軍並びに有志が出した数十騎のフォートレスたちをもってしても、その襲撃を止めることはできず、わずかな生き残りを護って逃走するのが精一杯という有り様だった。
以来、沿岸街道も主に陸路ではなく空路として使われ、ケープ・シェルとクラウツェン精霊首長国との行き来は海路が推奨されるようになった。
「大陸の開墾は必要以上は許さぬという〝虚無の魔物〟の意志だと言われておりましたな……」
「そうだな……。それ故にバジュラムを神聖視するバカどもが現れた」
「は?」
二人の将校はなにを言っているのだ? というようにカティンカの顔を見た。
カティンカは呆れたように口元を歪め、吐き捨てるような調子で言葉を続けた。
「私が旅立つ直前、クラウツェン精霊首長国の連中はバジュラムは〝虚無の魔物〟を倒すために産み出された至高の存在。討伐する要はなし。それ故に討伐武器の捜索には協力しない……と通達してきた」
「バカな……」
「我々がバジュラムの存在を知ったのは二年ほど前だ。具体的な姿はこの一週間以内の確認でしかないが、その間にアレが人間にとっては脅威だということは理解してきた。故に対策を考えてきた」
バジュラムという謎のレリクスが人の脅威になるという認識は、早くから東方辺境伯の軍部では語られていた。研究者の見解は、完全自動で動く古代超帝国のガーディアン的な存在というもので、フォートレスという認識ではなかった。
しかし、今回の遭遇戦で生存者がいたことにより、それがフォートレスを超えるフォートレス的な存在であることが明らかになり、脅威は現実以上のものとなった。
「研究者の見解は、ヤツは魔物を襲う。しかし人間も襲う。優先度が魔物が高いというだけで、人間を襲わぬわけではない。そしてヤツは徐々に西侵してきている」
「しかし……西侵すればケープ・シェルだけではなく、クラウツェン精霊首長国に向かう可能性もあるのに……なぜ……」
「狂信者の考えることは私にも分からぬよ。精霊の思し召しなら、全滅もやむなしと思っているのやもしれぬ」
カティンカは肩を竦めて少しおどけた調子を見せた。が、すぐに地図に向き直り、行く先を示した。
「我々は滅びるわけにはいかん。故に大尉たちにはこのまま北上を願いたい」
「はっ! 我々は少佐のご下命に従うよう、辺境伯から命じられております。なんなりと仰ってください」
「ありがとう、大尉。クラウツェン精霊首長国が我々に協力しないという以上、我々が入港すると邪魔立てしてくる可能性がある。故に卿らはクラウツェン精霊首長国を迂回し、ベイ・フリップの手前で待ち構えていて欲しい」
「かしこまりました」
カティンカの指先が示した場所は、ベイ・フリップ手前五キロほどの地点の沿岸街道沿いの海域だった。
「陸戦型のフォートレスをそこで受領できるように伝えておく。大尉の指揮の下でそれを動かして阻止線を構築するのだ」
「ありがとうございます。しかし、そのような戦力を動かされても大丈夫なのでしょうか?」
「陸戦型と言っても正規軍のものではない。私の私物で賞金稼ぎたちと同程度のものだ。あまり過剰な戦力を期待してくれるな」
正規軍のフォートレスを動かすわけではないと知りディルクは少しホッとしたような表情で頷いた。正規軍戦力を動かすことが他領に知られれば、余計な勘ぐりを招きかねない。
「あくまでも我々は特殊作戦群だ。表だって動くのではなく、あくまでも辺境領姫が物見遊山の遊び気分でバジュラム討伐を行っている。辺境伯はそのように夜会で広めていることだろう」
ケガで醜くなったために旦那の来手がないから騎士ゴッコに励む辺境伯令嬢というのが、周囲の領主たちのカティンカに対する評価だった。その評価は辺境伯軍の兵士たちからすれば不当と感じるものだったが、当のカティンカはその評価をよしとして利用してきた。
「侮る人間には侮らせておけばよい。こういう時、それが上手に働くという見本だな。では大尉、よろしく頼む。卿らの任務は表だって評価されるものにはならぬやもしれぬ。だが、我が領の民を護るため全力を尽くして欲しい」
「はっ! お任せください!」
辺境領姫の言葉に二人の海の漢は踵を鳴らしきっちりとした敬礼で応えた。
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