骨が折れた

島丘

骨が折れた

 たぶん、骨が折れた。


 涙目で訴えてくる弟に驚いたのは一瞬のことで、すぐに思い直す。骨折なんかするわけないだろう、ロボットのくせに。


「本当だって。骨が折れた」

「はいはい故障ね。また病院つれてってやるから、待ってろよ」


 弟の型は古いので、どうにも最近ガタがきているのだ。つい最近も、頭部から煙が吹き出したところだった。


 俺は作業をやめることもなく、ペンチを片手に適当に返事をする。

 バチリ。青と赤のコードを切ると、次は黄色だ。複雑な構造のくせに色の種類は極端に少ない。黄色と青と赤色と、それから緑色だけだ。


「違う。骨だよ。骨が折れたんだって」

「なに、配線が切れた? それともパーツが飛んでったとか?」

「違う!」


 思わぬ大声にビクリと体が震える。が、すぐさま沸き上がるのは言い知れぬ怒りだ。

 ロボットのくせに何を偉そうに言っているのか。俺は弟を睨み付けると、わざと低い声を出して叱りつける。


「うるさいぞ。大体、骨なんて折れるわけないだろう」


 お前はロボットなんだから。極めつけにそう言ってやると、弟はようやく黙った。驚いたような、悲しむような顔をしていたが、そんなことはどうでもいい。


 ロボットが自我を持って、自分を人間だと思い込むことはよくある話だ。まさか弟にその現象が起きるとは思っていなかったが。


「僕は人間だよ……」


 弟は最後にそう言って、とぼとぼと帰っていった。少しキツく言い過ぎたかなと反省するも、他に言い様などない。


 これも弟のためだと勝手に自己完結していると、ピリピリピリと携帯の音が響く。

 作業を止めて携帯を取ると、画面には恋人の名前が表示されていた。


「もしもし」

「もしもし、アクト? 今、大丈夫かしら?」


 恋人のミチエは、鈴の音のように小さく甲高い声をしている。

 ミチエはいつも控えめだが、いざというときは咄嗟に動ける芯のある女性だ。付き合い始めて、そろそろ二年が経とうとしている。


「ねぇアクト。今、ヨクロウくんはいるかしら?」


 ついさっき部屋を出ていった弟の名前を、ミチエが口にした。

 ヨクロウは俺の弟だ。とはいっても既に六代目である。業者に出すお金がなくて俺が自分でメンテナンスしているため、とても壊れやすい。


「いたけど。どっか行った」


 様子がおかしかったことは伏せると、ミチエは少し安心したような声でこう言った。


「そう。実は話したいことがあったの」

「話したいこと?」

「ええ。そうだアクト。最近おかしなことはあったかしら?」


 おかしなこと。そう言われてドキっとしたが、あくまで平静を装って問い返す。


「おかしなことって?」

「最近、ロボットがおかしな病気にかかるのよ。自分のことを人間と思い込む、っていうのは前からあるけれど。思い込みと現実との違いに思い詰めたロボットが、自殺してしまうらしくて」

「自殺?」

「テレビでは、自壊って言ってたわね」


 自殺。自壊。そう言われて、先程のヨクロウの顔が思い浮かぶ。骨が折れたと言っていた。そしてそれを否定されると、酷く傷付いた顔をしていた。


 嫌な予感が頭を過る。六台目といっても、メインパーツは変わっていない。しかし完全に壊れてしまうと、また一から作ることになる。

 そうなるともう、元のヨクロウはどこにもいなくなってしまう。古い型だから、記憶の引き継ぎも上手くいかないだろう。


「そういえば、痛みを感じることが予兆だって聞いたわ」


 そう言われて、ついに俺の考えが確信へと変わった。感じないはずの痛みを、認識してしまうことが予兆。だとすれば、弟はもう……。


「それでアクト。何か心当たりはあるかしら?」


 話の途中で携帯を放り投げると、俺はすぐさま駆け出した。

 しばらく工場内を見回ったが、ヨクロウの姿は見当たらない。恐らく外に出ていったのだろう。


 この世界は既に死んでいる。人が何の恐れもなく吸い込める空気も、病や毒に怯える必要のない水だってありはしない。

 中にはロボットを壊してお金に換えようとする輩だっている。危険だから、外に出るときは必ず一緒に出ていくという約束をしていた。それが破られていたことに、今さら気が付く。


 嫌な予感がする。俺は外に探しに行くことを決意した。

 いつものようにガスマスクを被って外に出ようと作業場に戻ってきたのだが、なぜかいつもある場所に見当たらない。

 排気ガスに汚染されたこの町を、ガスマスクもなしに出歩くことは考えられなかったが、探す時間も惜しくて、けっきょく俺はそのまま外へ飛び出した。


 廃棄場、砂の公園、ガラクタ山、濁り湖。ヨクロウが行きそうなところをしらみつぶしに探していったが、一向に見つからない。


 こんなことなら、多少値段が張ってでもGPS機能をつけておけばよかった。後悔しても遅い。


 ヨクロウ、ヨクロウと声を出しながら走り回る。ガスマスクもせずに外に出て大声を出していたせいで、喉が痛くなってきた。

 小さなイガイガの実を口の奥に放り込まれたような痛さだ。立っていられなくなって、俺はその場に座り込んだ。

 視界が霞む。声も出ない。長いこと有毒ガスを吸い込んでいたせいだろう。


「おい、あんた大丈夫か」


 顔を上げると、薄汚れた灰色のつなぎを着た若い男が二人立っていた。頭に被るガスマスクは、一昔前のものだ。


 座り込む俺を見て心配してくれたらしい。まだこんなに親切な人間が残っていたなんて、世界も捨てたもんじゃない。


「ああ、だ、大丈夫だ。なぁあんたら、ここら辺で子ども見なかったか? 背はこんくらいで、髪は黒色の」

「子ども? 見てないな。それにガスマスクをしてるんだ。髪色なんてわかるわけない」

「マスクはしてないはずなんだ。ああでも、もしかしたら自分が人間だって勘違いして、被ってるかも」


 そうだ。その可能性もあるわけだ。失念していた。

 手がかりもなくなってしまい、どっと疲れが押し寄せる。ぜぇぜぇと荒い呼吸だけが響いた。


「なんだ、そいつロボットなのか」

「なぁあんちゃん。俺たちが一緒に探してやるよ」

「本当か!」


 思わぬ協力者の登場だ。俺は嬉しくて飛び上がった。体の疲れも吹っ飛んだらしい。


「ああ、じゃあ探そうか」


 心当たりがあるのだと言われて、俺はその二人についていくことにした。


 進めば進むほど砂埃が酷くなっていく。目に入ると痛いので、なるべく顔を俯かせながら歩いていた。目の前の二人の背中も、巻き上げられた砂で霞んで見える。

 この先に何があると言うのか。気になって声をかけた。


「なぁ。どこに向かってるんだ」

「俺たちの隠れ家さ。もうあんたの弟も捕まってるかもしれねぇからな」


 物騒な言葉に顔を上げる。二人は立ち止まりこちらを見ていたが、ガスマスクのせいで表情はうかがえなかった。ただ、右の男が懐に手を突っ込んだことはわかる。


「兄弟ロボットなんだろ? あんたもセットにして売りゃ、たいそうな額になるぜ」


 まずい、と思ったときにはもう遅かった。右の男が向けてきた拳銃から、弾丸が発射される。けたたましいはずの音さえも、砂嵐に吹き飛ばされて聞こえなかった。

 何か細工してあったのか、弾丸は嵐の中でもブレずに俺に命中した。衝撃とともに崩れ落ちる。見ると、俺の腹部からはワイヤーが伸びていた。その先は拳銃へと繋がっている。


 嵌められた。俺は焦って腹に刺さった金具を抜こうとしたが、形状のせいか、無理に引っ張っても取れそうにない。


「ま、待て! あんたらは勘違いしている! 俺はロボットじゃないぞ!」


 近付いてくる二人に叫ぶ。距離をとるべく体を動かそうとしたがビクともしない。まるで磁石か何かに引っ張られているような感覚だった。


 何とか声だけで抵抗を試みる。二人の決定的な勘違いを指摘すれば、状況が変わると思ったからだ。

 なのに二人は驚くでもなく、なぜか突然大声で笑い始めた。くぐもった笑い声が、砂嵐に混じってもなお聞こえてくる。


「あんたマジか! もしかして不良品だな?」

「すっげぇ、初めて見たよ」


 何がおかしい。どうして笑っている。段々と腹が立ってきて、俺は怒鳴り声をあげた。


「何なんだ! 俺はどっからどう見てもただの人間だろ! 何がおかしいんだ!」

「人間? ガスマスクもつけねぇで、何言ってやがる?」


 ハッと気付く。そうか。そのせいで勘違いされたのか。これにはわけがあるのだと弁明する前に、左の男が笑いを堪えるように言った。


「いいか? 人間はなぁ、ガスマスクもしねぇで外に出たら、ものの五分で死んじまうんだよ」


 五分で死ぬ? そんなはずはない。だって、現に俺は生きているのだ。


「だから、それがロボットだっつー証拠だろ」

「今撃った弾だって、ロボットにしか効かねぇんだよ。強力な磁石弾だ。お前が人間なら、こんな砂嵐のなか当たりもしねぇ」


 次々と提示される話に頭が真っ白になる。

 なんだ、何を言っているんだ。磁石弾? だから俺に当たったというのか。ガスマスクもせずに生きていける人間など、存在しないというのか。


 ならば、ならば俺はいったい何者なんだ? なぜ生きているんだ?


 ミチエの言葉が甦る。おかしな病気。自分を人間と思い込む。思い詰めたロボットの自壊。痛みの予兆。もしもこの言葉が本当ならば、俺は。


「兄さん!」


 そのときだ。嵐のなかでも聞き間違えることのない、弟の声が聞こえた。姿は見えず、目の前の二人も狼狽えている。

 どこにいるのだと辺りを見回しているが、俺の目にははっきりと映っていた。遥か先。俺たちに向かって走ってくる姿が。


「くそ、どこだ!」

「声は近い! この辺りのはずだ!」


 近距離からの攻撃を警戒しているが、もう遅い。ヨクロウはある程度の距離まで近付くと膝をつき、手に持っていたライフルのスコープを覗き込んだ。

 対人間用のその兵器は、ブレることなく二人の心臓を貫いた。まずは右の男が、続いて左の男が倒れる。

 俺は地べたに這ったまま、死んだ二人と同じ目線でヨクロウを待った。


「兄さん、よかった。無事で」


 ヨクロウは、使い古した焦げ茶色のガスマスクをつけていた。頭でっかちで、ヨクロウには少し大きく見えるもの。俺のお下がりだ。俺が、人間だった頃の。


「一人にしてごめん」


 ヨクロウは、俺の腹から金具を抜いた。あるはずのない痛みを感じたくせに、今まで体にへばりついていた磁力がなくなったことがわかってしまう。

 俺はずるずると起き上がると、ヨクロウに手を握られた。分厚いグローブ越しの手に体温はない。俺とお揃いだった。


「朝、脚立から落っこちて人差し指の骨を折ったんだ。このままじゃ兄さんの修理も満足にできないと思って病院に行ってたんだけど、まさかこんなことになっていたなんて」


 間に合ってよかったと、ヨクロウは笑う。このグローブの下には、包帯で固定された太い人差し指が隠れているのだろう。

 修理の際に残った傷や、火傷跡だってある。俺にはないものが、ヨクロウには残っているのだ。


「兄さんの様子がおかしかったから、早く修理しないとと思って。立てる?」


 差し出された手を振り払う。裏切られたような気持ちがした。ヨクロウは何も悪くないのに、気付けば叫んでいた。


「何で教えてくれなかったんだよ!」


 俺がおかしくなっていたことに、ヨクロウだって気付いていたはずだ。どうして教えてくれなかったんだ。叫び散らす俺の前にヨクロウはしゃがみ込んだ。穏やかな声で、諭すように言う。


「だって、兄さんは兄さんだろう」


 ヨクロウは当たり前のように、ロボットの俺を兄さんだと言ってくれた。ガスマスクの下は見えないが、きっと笑っていたのだろう。


 情けない。俺は兄失格だ。こんなに悔しくても涙ひとつ出やしない。

 ヨクロウの手は借りず立ち上がった。情けなくても、ロボットでも、兄としての矜持を保ちたかったのだ。


「直してくれ、ヨクロウ。俺をロボットに戻してくれ」

「いいの?」

「いいんだ。このまま自分が人間だって思い込んだまま生きていたくない。俺はロボットだと、そういうもんだと自覚しなきゃ」


 いつか追い詰められて自壊しないためにも。

 弟は頷いてくれた。砂嵐を抜け、二人で工場へと帰る。中にはミチエがいて、俺たちを出迎えてくれた。


「よかった! 無事だったのね」

「ただいま、ミチエ」

「ただいま、ミチエさん」


 ミチエは安心したように微笑んだ。パン、と手を叩くと、修理しなければならないと俺を手招きする。ミチエもわかっていたのだろう。


 ヨクロウに背中を叩かれる。弟のくせに生意気だ。大丈夫。もう覚悟はできているのだ。


「ああ、アクトじゃないわ。ヨクロウよ」


 しかし、足を踏み出した瞬間、ミチエは振り返り、そんなことを言った。


 修理? ヨクロウは人間だ。治療と言うべきだろう。


「骨を折ったこと、兄さんから聞いたの? 大丈夫だよ。もう治療したから」

「それに修理って、そんな言い方、ヨクロウにはするなよ」


 ロボットじゃあるまいし。

 だけどミチエは、冷静に、表情ひとつ変えずに言うのだ。


「やっぱり、ヨクロウの方が酷かったのね」


 近付いてくる。俺を通り過ぎて、後ろにいるヨクロウの前に立った。不恰好なガスマスクに触れる。


「こんなものまで着けて」


 憐れむように、馬鹿にするように。ミチエは、ヨクロウのガスマスクを外した。

 素顔の弟は俺にそっくりだった。俺と同じで、額にはホクロが……違う。


 俺は自分の額に触れた。微かな凹凸ができている。それは固くて冷たい、金属の感触だった。


「挙げ句、骨まで折ったなんて。アクトもだけど、あなたの方がよっぽど重症よ。先に直してあげるわ」


 ミチエはそのまま、工具を取りに奥へと行ってしまった。

 俺は何もわからなくて、ヨクロウに声をかけることもできなかった。


 だってヨクロウは人間のはずだ。ロボットは俺だけのはずだ。なのにどうして、額にネジが見えるんだ。どうして、重症なんて言われるんだ。


「そっか」


 声が聞こえた。静かな声は、ヨクロウのものだった。達観したように、穏やかな顔をしている。


「そっか。僕、もう手遅れなんだ」


 ヨクロウは笑っていた。俺が固まっている間に駆け出して、作業用のドリルに手を伸ばす。


 俺は慌てて手を伸ばしたが、もう遅かった。

 手に掴んだドリルのスイッチを入れたヨクロウは、耳障りな音が響くそれを自身の頭に突き付けた。


「僕、人間じゃなかったんだ」


 火花が、散った。

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骨が折れた 島丘 @AmAiKarAi

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