第6話 遠慮なく必殺技を切りましょう

(─────本当にこれで良かったのか?)


 校門から出た直後、線堂進は幼馴染の手を握ったまま、硬直した。


「し、進くん?」


(悠人が俺のために動いてくれたのは嬉しい、けど……違う、そうじゃない!俺が、俺が詩郎園達を避けるのは……俺に女が群がるのが嫌だからだ)


 男の夢とも言えるその絶景を中学生の線堂進は体感していた。鈍感なフリをするだけで自分を慕う少女達が集まる感覚は、心地良かった。


 では何故、いわゆるハーレムと呼ばれる組織形態を嫌うのか?


(『あの事件』があったからだ)


「進くん、進くん!」


 自分との時間を長く過ごすため、自分との接点を作るため─────そう言った理由で悠人に対して攻撃をする者がいた。


 彼はその時、初めて人間の醜さを理解した。


(なのに、悠人を救うために悠人を犠牲にしてどうする。あいつは今だって……あの時からずっと女子に怯え、女子を憎み続けてきた。春に対しても態度はぎこちなくなった。なのに……飛んだ馬鹿野郎だ、俺は……!)


「進くん!!」


 耳元で彼を呼ぶ少女は──────進よりも前に振り返り、昇降口を指差していた。


「あ……あの、人……」


「え?」


「悠人くんと話してる人!あの子……っ」


 震える唇で言葉を紡ぐ春。

 考えうる限り最悪の状況が、そこに広がっていた。


「朝見さんが……いる……!」


「───────ッ!」


「どうしよう進くん!ゆ、悠人くんがまた……また……!」


 足は既にアスファルトを蹴っていた。全身を覆う冷や汗を全て置いて行く勢いで─────駆ける。









 ー ー ー ー ー ー ー









 フラッシュバック。


 どれだけ脳から消去しようとしても、身体に刻み込まれた記憶は纏わり付き、心臓を包み込む。


「あのね、来栖──────」


 怖い。怖い?怖いさ。恐ろしい。


 女は怖くて、嫌いだ。身体的には男より弱いくせに、その弱者という立場を利用して一方的に暴力を振るう。もし俺が女で、俺をいじめたのが男だったら……一発でアウトだろ。高校に行けるかどうかも怪しいんじゃないか?


 怖い。怖いという感情を抱くのが堪らなく情けない。今すぐ逃げたい、ここから─────。


 ……いや、それはダメだ。コイツから感じる圧倒的なまでのラブコメの波動……俺が止めなければ、進が巻き込まれる。こんなクソ女が、俺の親友に近付いてしまう。


 ──────そうだ、あの時だって。


『お前ら……何してるんだ?』


『俺の親友に……何してやがるんだッ!!』


 上履きの跡を身体中に纏う俺を見つけてくれたのは進だった。『邪魔したらいけない』とかいう考えに乗っ取られて、今まで仲良くしてきたのに急に距離を取って……悲しかったに違いない、俺だって進にそういう態度を取られたら落ち込む。


 なのにアイツは助けてくれた。クラスの連中みたいに、見て見ぬフリをして過ぎ去っていく奴を悪いとは言わない。でも─────あの瞬間、俺は救いを求めていた。


 そのままで良いのか?あの時の俺のままで──────良いわけがない。


 一歩を踏み出す。それは難しい事だけど、きっと簡単な事でもあるはずだ。


 少し。少しで良い。『反抗』を────────!



「死ね」


 その言葉が俺の引き金。

 捻くれたクソ陰キャの、ダムの中に溜まった鬱憤が……外れたフタから溢れ出る。


「……え?」


「死ね、クソ女」


 唇が勝手に動く。舌が波を打つ。心臓が高鳴る。


「気持ち悪い。高校にまで進を追いかけて来て、また俺を通じて接触しようとしてるのか」


「ちが、そんなんじゃ─────」


「良い加減自分一人の力でどうにかしたらどうなんだよ。……あぁ、出来ないよな。こんな弱っちい俺一人を虐めるのにも、他の奴らに手伝ってもらわなきゃいけないんだもな」


「ち……やめ、て……」


「お前みたいな奴を誰が愛してくれるんだ?汚いおっさんなら愛に加えて金もくれるだろうが、進が……お前なんかに、お前みたいなゴミに靡くはずがないだろ……!」


 脳と口が直接繋がったような感覚。理性が外れて暴れ回るのが主人公だとしたら、悪口が止まらなくなるだけなのが俺らしい。


「自分だけは直接蹴ったりしてない────とか言うなよ。そういうのを協調性が無いって言うんだよ。卑怯だな、暴力は友達に任せておいて自分は見て楽しむだけ。お前はクズだからクズと仲良くするしかないのに、空気読めねー馬鹿だからクズからもハブられる終わった人間なんだよ!入学二日目にしてシュシュ付けてくるとか舐めてんのか?周り見てみろ、お前だけだよそんなの。恥という感情を知れクソ女が」


 虐められてから、嫌いなモノが増えた。……世界は思っていたよりも気持ち悪いモノで溢れている事に気付いたからだ。悪口なら無限に言える。


「ご、め…………ふっ……ぅっ、う……」


「……は?なんで泣いてんだよ。被害者はどう考えても俺だろ。またお得意の同情を誘う作戦か。女は良いよな、泣けばみんなが守ってくれるんだから。いつだって被害者で、弱者で、いつだって人を貶める……!」


 女は総じてクソだ。本当はそうじゃないって事は分かってるけど──────女に虐められた俺は、それくらい言っても許されるだろ。特権だ。


「さっさと駅前に行け、パパとの待ち合わせに間に合わなくなるぞ。俺の青春を台無しにしたお前は、お前自身の青春を代償におっさんの汚い体液で錬金術でもしてろ、カス女が─────」


 俺は。


 俺は焦っていた。


 もう二度と敵意を向けられたくないのに、目の前にいる相手に対してどうしても恐怖を抱いてしまう。それを誤魔化すために口が動く。


 だから──────少し、周りが見えてなかったんだ。


「っ!?」


 強く、胸ぐらを掴まれる感覚。喉が圧迫され、苦しくなった呼吸が俺の口から湧き出ていた悪逆無道の台詞を閉じる。


「随分と元気だな、新入生」


「ぐっ……がっ……!」


「元気なのは良いが、だが─────女子生徒を泣かせるに至るほどの者は、この学校に相応しくない」


 生徒会長、頼藤世月が……鬼の形相で俺を睨んでいた。


「事情は知らないが……とても容認出来るような言葉ではなかったな……!」


 彼女の顔は、抑えきれないほどの怒りに満ち溢れていた。


 まただ。


 俺はまた、『弱者側』にいる。


 死ねとか、クソとかの言葉を浴びせても俺は負ける。俺の暴言なんてのは、『もし朝見星に好き勝手言えるなら』という、何度もした下らない妄想の内容の放送でしかない。……だからあんなにスラスラ出てきたんだ。


 でも良いじゃないか、少しくらい。

 ほんの少しの暴言が人を殺すかも知れないなら、あの日々を耐え切った俺はこの女くらいは殺しても許されるだろ。


 ──────なんて事をこのおっかない生徒会長に言えるほど、アドレナリンはもう残っていなかった。どうして女ってこんなに怖いんだろう。


「……とりあえず、二人共生徒会室に来てもらう。話はそこで聞こう」


 胸元が緩む。……だが相変わらず呼吸は苦しい。

 ……あれ?なんだこれ。いや、本当に苦しい─────


「く……か、はっ……!」


 呼吸が。呼吸?呼吸って……どうやるんだ?ダメだ、分からない。肺が痛い。苦しい、苦しい。


 こんな事で?ははは、少し女にキレられただけで……?俺はいつからそんな、終わった人間になって───────


「おい」


 驚くほど、低い声。荒い息の混じったその声が聞こえた瞬間……俺はしゃがみ込んで胸を抑えた。


「聞いてるか、朝見星」


「っ、線堂……!」


「……なんだ?君は。悪いが今は取り込み中で─────」


「あんたには話しかけてない、黙っててくれ」


「なっ……!?」


 呼吸が回復する。詰まっていた気道が嘘のように通る。……耳を通じて全身に広がる、安心感。


「この状況からして……お前が被害者ぶってるのか。なら、今すぐ会長に『撤回』をしろ。『自分は微塵も悲しんでいない』ってな」


「……」


「まさか、自分がした事を忘れた訳じゃないだろうな。もう一度悠人を傷付けるなら……俺はお前を許せない」


「……分かってる」


 目眩の中、俺の背中をさする手の感触。


「会長、来栖は……あの男子は悪くないんです。すぐに言い出せなくてすみません……」


「……どういう事だ。何か脅されているのなら──────」


「本当に違うんですッ!悪いのは…………私だから」


 駆け抜けていく足音。啜り泣く声と共に、校門の方向へ遠ざかっていく。


「帰ろう、悠人。春が待ちくたびれてる」


 進に支えられながら、俺は何とか立ち上がる。


「待て」


「……なんですか」


「何故、その男を助けた?」


「親友だからです」


「女子生徒に心無い言葉を浴びせ、挙げ句の果てに泣かせる者だとしても、か?」


「その女子生徒がこいつほど心が有って、こいつほど泣いてる奴だとしたら、話は違ったかも知れませんがね」


「……友は選んだ方がいい、君が人を救える志を持っている者ならば尚更だ」


「会長こそ、助ける人間は選んでくださいよ」


 止まった歩みは動き始める。大袈裟に手を振りながらこっちに走ってくる春の声を聞きながら、一歩ずつ進む。


『ごめん……ごめんな、俺のせいで……!』


 三年前と同じ形で、進に罪悪感を背負わせてしまった事は……そりゃ辛い。

 だが。


 俺という人間が中学一年生の時から何も変わっていないという事実が一番苦しい。


「……ごめん」


「何の謝罪だよ」


「結局、会長と接触してしまった上に……朝見星とも話してしまった。避けられなかったんだ」


「良いって、そんなことは」


「それと……会長が言った言葉が本当だって事」


「……」


「感情に任せて思ってる事を全部言った。……俺もカス野郎だ、あいつと何ら変わりない」


「で、悪いとは思ってるのか」


「なわけないだろ」


 俯瞰して見れば、俺は誹謗中傷という分かりやすい罪を犯した。だが、俺自身が罪の意識を感じることが出来るかは別だ。

 罪悪感なんて抱けるわけが無い。


「……今はそれで良いんだ、きっと。一緒に大人になってこうぜ」


「……そうだな」


「で、悠人」


「なに」


「クレープ奢らせてくれ」


「……お前からの謝罪なんていらない。進はこれっぽっちも悪くないだろ─────」


「謝罪じゃない。……今日、頑張ってくれたお前に感謝の気持ちだよ、受け取ってくれ」


 流石の俺も人の金でクレープを食えるような気分じゃなかったから、反論しようかとも思ったが─────走ってこちらに向かってくる途中で、『クレープ』という単語を聞いて満面の笑みを浮かべている三上を見て、なんか……諦めた。


「クレープ!?私にも奢って……じゃなくて、私も奢る!」


 だが、まぁ──────俺を甘やかすこいつらがいる間は、今のままの俺で良いのかもしれない。


 まだ、青いままで。













 ー ー ー ー ー ー ー













 その時、来栖悠人は酷く疲弊していた。トラウマを刺激された事によるパニック障害のようなものが呼吸困難を引き起こし、酸素の足りなくなった脳はまともな思考を不可能にし、視界はぼやける。


 だから─────その苦痛に紛れて、『自分に向かってラブコメの波動が流れていた』事に気付かなかった。


「……一年生、かァ。入学二日目にして上履きのまま下校とは……覚悟決まってる子だねェ」


 ピアスとインナーカラーの目立つ女子生徒が窓から顔を見せている光景は、外にいる生徒からすれば何か目を付けられたのではないかと危惧するが……それは一年生のみだ。二年生と三年生は彼女の事を知っている。


「特にあの見るからな陰キャクン……」


『オカルト研究部の奇人が、また何か変な事をしている』──────それが日常茶飯事なのだから。


「感じるねェ……面白そうな予感がする……!」


 校門から出ていった来栖悠人を見送りながら、彼女は長い前髪で両目を隠した。

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