参 焦眉の急・続
霊力の塊であるはずの札を飲み込む中級魔。普段より祓いづらい魔の集団。これら不可解な現象の原因に、私は心当たりしかなかった。
《祖父上!魔の挙動がおかしいのって、もしかして鬼神の瘴気が原因ですか⁉》
《ああ……そうだろうな》
返ってきた声は、私の心に重く響いた。おそらく祖父上は最初から知っていたのだろう。それをあえて、危険を承知の上で言わなかったということは——。
あるだけの札を取り出し、群がる魔に次々と叩きつける。札を飲み込んだ魔達も、この連続爆撃には耐えきれず消滅していった。
《心太郎と幸さんからも、普段より術が使いづらいとの報告が来ている。真壁山を基点に瘴気封じの結界を張っているが、どこまで防げるものか……。油断するでないぞ、琴》
《————はい、油断などいたしません!》
言うなり、目の前に黒い魔の波がなだれ込んでくる。加えて側面からも魔の集団が追ってくる。強い瘴気、簡易霊術では対応不能。
(術の暴発が心配だけど、そんなこと気にしてる場合じゃない……っ!)
【掛けまくも畏き瀬織津比命(せおりつひめ)よ、千別(ちわ)き速瀬の激流よ、猛る穢れを鎮め、遺る罪は在らじと祓ひ給へ清め給へ!】
途端、虚空から白銀に輝く光の波が溢れ出し、四方八方で魔をひとまとめに押し流していく。あの耳障りな奇声でさえ、奔流の奏でる清らかな音にかき消されてしまう。流されて行った大量の魔は、やがて奔流に突き上げられるようにして昇天していった。
「……そうだ、まこちゃんは⁉」辺りを見渡すと、
「俺は無事だよ」
いつのまにか隣に立っていた。傷を負った様子もないし、その言葉は信じて良さそうだ。
「にしても今回の魔、結構厄介じゃない?斬っても斬っても再生してくる奴とかいたし、なんでだろ」
「うん……」心当たりしかない。自責の念が糸となり、全身を絡め取ってきつく締め上げる。
「にしても、宮司様って本当にすごいんだな。ただでさえ難しい遠距離霊術を、一度にこんなに使えるんだから」
村に目を向けると、祖父上の遠距離霊術が大暴れしていた。地母神が霊力を込めた土塊を飛ばし、修祓の樹は、枝をしならせて魔を薙いだり突き刺したり、お札の形をした葉を弾幕のように撃っている。
(ただでさえ村の全戸に防御結界を張っているのに、加えて対瘴気結界と遠距離霊術だなんて……さすがの祖父上にも、これ以上無理はさせられない)
その時、鋼を引っ掻いたような奇声が空気を重く震わせた。
「っ!」
ハッと振り返ると大ムカデが全身をうねらせ、大量の魔を飛ばしてきていた。上級魔は、自身の霊力を練り上げて低級魔を生み出すことができると言う。さっき祓った魔達はその一部にすぎなかったのだ——。
「琴、来るぞ!」
まこちゃんの喝に、答える前に霊力が反応した。練り上げた霊力を祓串の先端から伸ばし、不可視の刃で先鋒の魔を斬り祓う。さっきの雑魚魔とは手応えが違う——強い。
絶え間なく放たれる魔を両断しながら、まこちゃんが叫ぶ。
「これさぁ、いたちごっこじゃない⁉」
「だよね!けど大ムカデも、父上と母上と戦ってだいぶ消耗してる。そのうち低級魔を作るのをやめて、全力で潰しにかかってくると思う!」
「俺も持久戦は嫌だしなぁ。さっさと低級魔を祓って、一対四に持ち込むか」
「だね!」
幸いにも大ムカデは、私達の存在に気付いていない。最前線で戦う父上達が打ち漏らした魔を、迅速に祓っていく。はまだ気付かれていないあ。大ムカデに突進していく私達に、大量の魔が降り注ぐ。しかし地母神の土塊、修祓の枝が魔を霧散させ、唸る漆黒の濁流をまこちゃんの剣技が閃く。私も後方から札を飛ばしたり霊術を放つ。息の合った連携は魔の戦力を大きく削り、村中央まで来ていた前線を一気に押し上げた。大ムカデと渡り合う二人の背中が徐々に大きくなっていく。
「父上、母上──‼︎」「琴⁉︎それに誠君まで……!」
驚愕に満ちた表情で父上が振り返ってきたが、ふっと笑みを浮かべた。大ムカデに特大の火球を見舞った隙に、二人が私達の下に駆けよる。
「二人ともよくやった!まだ、大ムカデと一戦交えるだけの気力はあるな?」
「はい!」「もちろんです!」
私達の返事に母上が微笑んだ。
「ふふっ、頼もしいわね。それなら私達が殿を務めるから、誠君は少し後方から攻撃支援をお願い。とどめを刺すのは琴、貴方に任せるわ」
「えっ、私が……ですか?」「ええ、そうよ」母上の指が、そっと頬を撫でる。
「心配しなくても大丈夫、私達が合図を出すまで最後方から縁語を唱えていて。道は作るわ」
「……分かりました。必ず大ムカデを仕留めます!」力強く頷くと、
"蝌倥繧坂⁉窶滉縺蠑縺縺縺──‼︎"
聞き慣れた奇声と共に、大ムカデがこれで終わりとばかりに魔の大群を寄越してきた。
「策は決まったな——それではいざ、参らん‼」
父上の号令を合図に大群に突撃していく。負けじと魔も襲い掛かってくるが、父上の生み出す炎に前衛が焼き尽くされ、まこちゃんの刃が中盤戦力を斬り刻んでいく。瞬く間に戦力を失い崩壊していく魔の陣営。焦った大ムカデは巨体をうねらせ突進してくるが、母上が激流を作り出してそれを食い止める。地母神や修祓の樹も大ムカデの近くに出現し、その巨躯に掴みかかる。骨を震わせる奇声、鼓膜をつんざく剣戟、咆哮する炎と水の二重奏。三人が受けきれずに流れてきた魔をいなしながら、私は呟く。
【高山、短山(ひきやま)、佐久那太津(さくなだりつ)、落ち多岐(たぎ)、速瀬、大海原──】
力を借りる神様に関連した言葉——『縁語』を唱えると術の威力が向上するのだ。三人からの合図が来るまで、私はひたすらに唱え続ける。
【──荒潮、八百道(やほぢ)、八潮道(やしおぢ)の潮、気吹戸(いぶきど)、根國(ねのくに)、底國(そこのくに)よ──】
「琴、今だッ‼︎」
父上の叫びに、返事をする前に駆け出していた。練り上げた霊力を足に込め、今日一番の跳躍。眼下の大ムカデは地母神に握りつぶされ、鋭い枝に羽交い締めにされた状態で攻撃を受けても尚、しぶとく蠢いている。濁った瞳から放たれる殺意、強すぎる瘴気に目眩がする。
(だけど、これで終わりだ──!)
土煙と傷で曇った赤銅色の体躯に、祓串を構える私が朧げに映る。大ムカデが叫ぶ前に、私が祝詞を言い放った。
【掛けまくも畏き瀬織津比命、高天原に神留まり坐す速開都比命(はやあきつひめ)、気吹戸主(いぶきどぬし)、速佐須良比命(はやさすらいひめ)よ、打ち掃ふ事遺る罪は在らじと 祓ひ給へ清め給へ————‼︎】
壊れそうなほどに霊力で満たした祓串を、大ムカデの脳天に突き刺した。串の刺さった点から体表に亀裂が入り、裂け目からまばゆい光があふれ出す。誰かに襟首をつかまれ大ムカデから引き離されたと思った瞬間、真っ白に染まる視界の中、大ムカデは最期の奇声をあげながら爆散した。
「はぁ……」
ため息が入相の空気に落ちる。祖父上に守られた槇之葉村に、上級魔の大ムカデが襲撃してきた。そんな一大事件が起こったというのに、なんだか夢でも見ていた気分だ。全身に貯まった疲労でさえ、宴の灯りと熱気に溶かされてしまったか。山の端にわずかに残る茜色が、かろうじて時の繋がりを教えてくれている。
大ムカデを祓った後は、それはもう大変な騒ぎだった。月花と桃には泣きつかれ、村の皆も安堵のあまり号泣し、狂った情緒のまま大ムカデ討伐を祝した宴を開くこととなった。拝殿からは、皆の笑い声と持ち寄った料理の匂いがかすかに漏れる。何の気なしに夜空を眺めていると、
「聞いたぞ琴、大ムカデにとどめを刺したそうだな」振り向くと祖父上が立っていた。
「はい。でも祖父上の助けがなければ、低級魔を殲滅させることもできなかった……まだまだです」
祖父上は、そうかと言う。私が魔の襲撃を生き延びられているのは、空属性という珍しい力のおかげだろう。
「それに今回の騒動は、私にも責任があると思うんです」
「責任」
祖父上は、その言葉の真意を確かめるように復唱する。私は祖父上の黒い双眸をまっすぐ見つめ、覚悟を声の形に固めた。
「私に、結界守の任を引き受けさせて下さい」
二人の間に夜風が通り、草木がざわめく。しばらくの沈黙。
「——そうか」
祖父上は呟くと、そっと微笑んだ。それは私の覚悟を歓迎するような、ただ静かに見守っているような、それでいてどこか寂しげな笑みだった。
「ならば、明日の明六つには発つとしよう。早ければ早いほど良い——皆には儂の方から伝えておこう」
「ありがとうございます、祖父上」
明六つと言えば、ちょうど朝日が昇る頃だ。今のうちに準備しておこうと一歩踏み出して、そっと後ろを振り返る。暗闇に浮かぶ、あたたかな橙色の光をこぼす拝殿。そのうち光がぼうっと揺らいで崩れてきて、頬を伝っていった。
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