参 焦眉の急

気が付くと、私は畳の上に座っていた。彷徨っているつもりだっが、足は村長邸に向かっていたようだ。しかもここは、村長の娘・月花の部屋だ。

「……で、なんでまこちゃんが月花の部屋にいるの?」

「え?だってさっき、村長邸に魔が出たって聞いたからさ。神社組は緊急会議中だつたから、俺が代理で退治してきたの」

そう答える彼の横には、まだ霊気立ち昇る刀が置かれていた。野村家は神職筋ではないが、まこちゃんは例外的に強い霊力を持っている。大規模な霊術こそ使えないものの、基本的な霊術は難なく使えるしお祓いもできる。霊力を宿した刀で魔を斬っていく姿は、普段穏やかに絵を描く姿からは想像できない勇ましさだ。

「にしても、槇ノ葉村にあんな低級魔が現れるなんて。神社の方で何かあった?」

「うん……ちょっと、色々あって」「そっか」

疑問しか感じられない答え方だったけど、まこちゃんはそれ以上追究しないでくれた。

実は結界のある水沢村は、存在そのものが封印された禁忌の村なのだ。羅焔大結界と呼ばれる五重の結界で、鬼神の瘴気どころか村の存在まで完璧に包み隠す。ここまでして水沢村の存在を守り隠すのには訳がある。『鬼神を封じる山がある』なんて知られたら、風評被害で相馬国の威信や治安維持に支障をきたし、ひいては国人の差別や迫害にも発展しかねない。だから村の存在を知る者は大名様とごく一部の従者、築葉神社の宮司一族、そして隣接する槇ノ葉村の村長のみ。無論、大名様の御命令が無い限りは他言厳禁。だから村長の娘である月花や地侍のまこちゃんでさえ、ヲシエ山の鬼神や水沢村の存在は知らないのだ。

(……気持ちを聞いてくれるだけでもいいのに、それすらできないなんて……)

喉に鉛を詰め込まれたようで、行き場のない感情が体内で渦巻く。そこへ鈴を転がすような声がした。

「今朝ぶりね、琴ちゃん」

襖が開くと、盆を持った月花がかわいらしく微笑んでいた。

(……わぁ~、今日も笑顔の破壊力がすごい……)

光あふれる笑顔に、澱のように淀んでいた心が洗われる。「槇之葉村のかぐや姫」と呼ばれる月花の評判は、隣村どころか城下町まで届いていると聞く。そんな彼女と私は同い年で幼馴染み。その姿を一目見ようと遥々訪れる男達を出し抜いて、すぐ近くでかわいらしさを拝める最高の関係性。思わず頬が緩んでしまうのを慌てて引き締める。

「ごめんね。魔を祓ったばかりなのに、急にお邪魔しちゃって」

「いいよ~。琴ちゃん、なんだか元気なさそうだったから。そういう時は甘いものが一番だよ。まこちゃんも、魔を退治してくれてありがとう」

そう言って差し出してくれたのは、お茶と砂糖ようかんだった。

「わ、うまそ~」「まこちゃんはともかく……私までいいの?こんなにしてもらって」

「うん」

花のような笑顔を振りまく月花。断るのも無粋に思えてきて、私はありがたく頂くことにした。お茶で喉を湿らせ、深く曇った紫のようかんを口に運ぶ。

途端、砂糖の甘さと小豆の深い味わいが口の中でほどけた。

「ん~~!おいひい……」「やっぱ甘いものっていいよなぁ……」

ようかんを食べ進める私達を、月花は嬉しそうに見つめる。手には甘いお菓子、傍らには美少女。なんという贅沢だろう。

(それにしても……)

ようかんをほおばる二人を、ちらりと見る。

まこちゃんも月花も、いきなり屋敷にお邪魔した私に何も聞いてこない。十五年も一緒にいたら、ささいな変化で相手の心境が分かるようになってくる。加えて空気の読める二人のことだ、他人に言えない事情を察してあえて普段通りに振る舞ってくれているのだろう。そう思うと、ほんのりと胸があたたかくなった。笑い合うたび、凝り固まった心がほぐされていく。


気付けばようかんは無くなっていた。子供達のはしゃぐ声が聞こえる中、部屋には茜色の光が差し込む。

「うまかった~、月花ありがとな。また何か出たら遠慮なく呼んでよ」

じゃあねー、と縁側から去っていくまこちゃん。彼を見送って、私は改めて礼を言った。

「ありがとね、月花」

「どういたしまして。やっぱり琴ちゃんには、笑顔が一番似合うもの」

牡丹が花開くような笑顔を浮かべる月花。その可憐さに見惚れてしまう一方で、脳裏には現実がちらつく。

——もし結界が破れたら、月花もまこちゃんも無事ではいられない——。

槇之葉村は長らく、祖父上の強すぎる霊力によって護られていた。だけど水鏡結界が不安定になった今、霊力の均衡が乱れて低級魔の侵入を許してしまった……。

それに魔は、強い霊力を持つ人間を優先して狙う。霊力の強い人間を喰らった分、魔も力を取り込んで強くなれるから。そうなると、今最も危険なのはまこちゃんだ。いくら並みの神職者なら超える霊力を持っていても、妖狐や天狗のような上級魔相手ではもたないだろう。その点月花の霊力はかなり弱いから、魔に狙われる可能性は低いと思う。けどそれは同時に、自己防衛の手段が無いということでもあるのだ。祖父上曰く、知能のある魔は土地の有力者を人質に取り、村を掌握することもあるという。魔が視えず、簡易霊術も使えない月花が襲われたら——。


突如、地面が揺れた。


「っ⁉︎」


咄嗟に月花をかばう。しかし揺れはすぐに収まり、代わりに悪寒が全身を駆け巡った。

(この感覚——まさか、魔が現れた?)

《琴!今すぐ村の入口まで来てくれ!》

まこちゃんの緊迫した霊声に、悪寒は確証に変わった。

《まこちゃん、今度は何が出てきたの⁉》

《大ムカデだ!しかも大量に魔を引き連れてる!》

《噓でしょ⁉》

さっき父上達と話したことが脳裏を駆け抜けた。鬼神の瘴気に引き寄せられたのか、これも結界守不在のせい——?思わず倒れそうになるのを、なんとか踏みとどまる。

「……村に魔が現れたのね。琴ちゃんは、それを退治しに行くの?」

そう尋ねる月花の目には、不安と心配が浮かんでいた。私は彼女の前にしゃがみ込み、墨で文字が書かれた小さな石を渡した。霊声を使えない相手の安否を知る道具、自分の霊力を込めた『知らせ石』。

「もし何かあったら、この石を足元に叩きつけて。そしたらすぐに向かうから」

 月花はそれを強く握りしめてうなずいた。

「絶対——絶対、無事でいてね!」

屋敷を出る直前、こらえかねたように月花が叫んだ。

「もちろん。月花には、泣き顔より笑顔の方が似合うから」

 微笑みを残して屋敷を飛び出した。村長邸を飛び出し、夕陽を背に村の入口へと駆けていく。前方に目を向けると、煮えたぎるように朱い空を背に、黒く長い影が蠢いている——大ムカデだ。粉塵をあげながら村に突進してくるのそれを、父上と母上が霊術で食い止めている。各家に張られた防御結界が強まっているのも肌で感じられる。祖父上の霊声が飛んできた。

《琴、状況は聞いているな》

《はい、村の皆は……⁉》

《今、それぞれの家へ避難させたところだ。防御結界もすべて強化した、村人には指一本触れさせまいぞ》祖父上の霊声に熱がこもる。

《──そうだ、村の入口といえば柏屋は?それに桃は無事なんですか⁉︎》

今朝会った宿泊客の顔が交互に浮かぶ。結々様に澪虎さん、草鞋の少女は──?

《客は皆、今日の昼には宿を出たから心配無い。桃は儂と拝殿にいるから無事だ。心太郎と幸さんが大ムカデを引き受けるから、琴と誠君でそれ以下の魔の対処に当たってくれ。こちらも随時、遠距離霊術で支援する》

その言葉が届くなり、足元の地面が盛り上がって土の巨人〈地母神〉が現れた——祖父上の遠距離霊術だ。加えて村の至る所に、同じく祖父上が〈修祓の樹〉を生やしている。この凄まじい霊力量だけで数十体の雑魚魔が消えているのだから、祖父上には尊敬しかない。

こうしてはいられない、私も袖から祓串を取り出した。

《はい、必ずや村を守り抜きます!》

地母神から飛び降りる。練り上げた霊力を全身に行き渡らせ、霊力の鎧で身を守る。落下地点には民家を襲う魔の集団、そこへ躊躇なく飛び込んでいく。

"縺阪縺縺後縺阪————‼" "蠕梧縺励繧縺————‼"

一言も聞き取れない叫びを無視して、祓串を振るう。途端、魔は断末魔を上げながら霧散した。雑魚魔程度なら、地面に着地するなり、足に霊力を込めて駆け出す——霊力は身体能力の強化にも使えるのだ。倍速で飛んでいく景色の中、次々湧いてくる魔を祓串一本の簡易霊術で祓っていく。大ムカデから村を守る以上、雑魚魔に構っている余裕などないのだ。

走って祓ってを繰り返しているうちに、土煙の向こうに見慣れた背中が浮かんできた。

「まこちゃ——ん!」「琴!」

数体の魔を斬り祓って、まこちゃんが駆け寄ってきた。

「思ったより数が多いな……。どうする、琴?」

あくまで戦闘態勢を崩さないまま、まこちゃんが問うてくる。その体から放たれる気迫は、命を賭して戦う武士そのものだった。

「そうだね……とにかく村中を走り回って、片っ端から魔を祓っていこうかなって。上級魔相手の父上と母上の負担も減らしたいし、祖父上も支援してくれるって」

「琴って意外と脳筋なとこあるよね……まあいいけど」

 舞い上がる砂埃を断ち割って、斜陽と魔の軍勢に沈む村を駆け出した。まこちゃんは刀を、私は祓串を振りぬいて、目に映る魔を片っ端から祓っていく。

"縺薙縺" "縺薙縺縺!" "縺縺後縺縺⁉" "縺翫縺縺励蝟繧上繧————‼"

すると私達の存在を警戒した魔達が、八方から群れを成して並走してきた。それどころか捨て身の特攻すらしてくる。特攻を躱して祓っても、今度は手足が絡みついてくる。底なし沼から這い出してきたかのような、悪臭を放つ泥ついた真っ黒な手足。「琴!」まこちゃんが叫び、無限に伸びてくる手足を斬り裂く。

「まこちゃん、一旦二手に分かれよう!早く終わった方が片方を援護!」「了解!」

まこちゃんが大きく踏み込み、二筋向こうの道に移る。数体の魔が彼を追うが、当然、私に食らいつく魔の方が多い。

「悪いけど、一匹ずつ丁寧に祓う暇ないんだよね……!」

袖から祓魔の札を数枚取り出し、弓矢のように全方位へ発射させた。青白く輝く札達が魔の群れを切り裂き、次々爆殺していく。お札を使えば詠唱せずに術を発動させられるのだ。  

その分、札が使えるのは一枚につき一回まで。お手軽だけど今の状況みたいに、数で攻めてくる相手とは相性が悪い。しかも群れの何体かは、札の攻撃を喰らっても平然としている——どころか、信じられないことにお札を飲み込んでしまった。

「えっ⁉何その能力……⁉」

そもそも、魔の霊力と人間の霊力は相反する性質。霊力の結晶ともいえるお札を飲み込んだりしたら、内側から爆散するというのに——!

その時、正面にいた魔が大口を開き、闇の煮凝りのような塊を連射してきた。

「っ!」

咄嗟に防御結界を展開すると、黒い塊が結界にべちゃっと張り付いた。よく見るとそれは、さっき飲み込まれた私のお札──。体内の潮流が狂い出す。

(まさかあの魔、霊力の性質を反転させた⁉そんなの聞いたことない……それにいつもならこの程度の魔、簡易霊術で対処できるはず。なんでこんなに手こずって——って、まさか!)

青天の霹靂とはまさにこのこと。どうしようもない事実に、膝から崩れ落ちそうになった。

これは、私のせいだ————。

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