壱 槇之葉村の朝・続

桃と一緒に風を起こしたところ、予想以上の暴風を吹かせてしまい祖父上に叱られた後。私達は村の被害回復に向かていた。普段なら誰もが寝ている明け方だが、ほとんどの村人達が屋外にいた。中には泣いている子もいる……よほど風が怖かったのだろう。それ以外にも干していた衣服が飛ばされたり、植えた作物が倒れていたり……。罪悪感に押し潰されそうになりながら、村人達に謝罪して回る。

「いやー、さっきはすごい風だったねぇ」

「す、すみません!さっき術を使ったら暴発させてしまって……」

「いーよいーよ、誰にだって失敗はあるんだしさ。それより干してた服が飛んじゃったから、一緒に探してくんない?」

「こっちも稲が倒れちゃっててさ、直すの手伝ってー!」「はい!」

飛んでいった服を見つけ、倒れた稲穂を立たせ、落ち葉を集め、暴風に怯える子供を安心させて。村の入口付近まで来た時、ふと足元に一枚の絵が落ちているのを見つけた。かわいらしい雪兎の水墨画、その繊細な筆遣いには見覚えがあった。私の幼馴染の、まこちゃんだ。

「これ、ちょっと届けてくる」

「あ、待ってよお姉ちゃん~!」

来た道を戻ると、周囲の民家より大きい邸宅——野村邸が現れた。ごめんくださーいと呼びかけると、絵を描いた野村誠——通称まこちゃんが縁側から顔を出した。

「あ、琴!その絵どこで見つけたの?」

「向こうの方に落ちてたよ。でも、土で汚れちゃってて……」

絵を乾かしてる最中に、私達が風で飛ばしてしまったのだろう。申し訳なく俯いていると、

「いいよそれくらい、また描くし」と、本当に気にしていない様子で絵を取り上げる。縁側から見える部屋の中は、大量の絵で埋め尽くされている。だけど床板の上には、黒鞘の立派な刀──。

「にしても、あんな強風からも家を守ってくれるなんて。宮司様の結界ってすごいんだな」

「……確かに、木は何本か折れてるのにね」

祖父上は、槇ノ葉村の民家と田畑すべてに守護結界を張っている。嵐からも猛火からも、更には悪霊や魔物からも家と住民を護ってくれる、強い結界を。

「結界なんて一つ維持するだけでも大変なのに、それを数十個同時にやるなんて。改めて考えると、やっぱり祖父上ってすごいんだ……」

まこちゃんは頷く。「昔じいちゃんから聞いたんだけど、宮司様は若い頃、村を襲おうとしていた烏天狗を実力で追い出したんだって」

「あの烏天狗を⁉︎ならいつか、桃達もそれくらい強くなれるのかなぁ」

無邪気に目を輝かせる桃。

「それに、俺のじいちゃんに剣術教えてくれたのも宮司様だからなぁ。おかげで野村家は地侍としての地位を得られてるわけだし、ほんと感謝してもしきれないよ」

そう。野村家は地侍と言って、百姓でありながら侍の身分を得た家だ。普段は村の子供に剣術を教えたり村長の補佐をしたりしているが、いざ合戦が起これば軍役を果たし、相馬国の栄達を下支えするのだ。

(もしも私が強くなって、それを恐れた敵国の兵が攻めて来なくなったら……皆、もっと平和に過ごせるのかな)

戦乱の世において、自国の兵は多い方が安心だ。だから地侍に限らず、農民は足軽として戦に参加する。そこで手柄を立てれば出世して、飢餓と戦に怯える毎日を抜け出せるから。まこちゃんは私と同い年だけど、剣術では成人男性を倒せるほど強い。戦に出るのもそう遠くないだろう。床板の黒い太刀は、いつ見ても綺麗に手入れされている。

「……ねえまこちゃん。その絵、貰ってもいい?」

「いいけど、土で汚れてるよ?」

「うん、これがいいの」

そっか、と絵を渡してくれるまこちゃん。少し茶色くなった雪兎が、丸い瞳でこちらを見上げていた。


「それにしても、だいぶ広い範囲に風が届いてたんだね」

「ね。いつもの桃なら、こんなところまで風を吹かせられないよ。空属性の力ってすごいんだね~」

「んー、もう少し力の制御ができたら良かったんだけど……」

苦笑いを浮かべる。野村邸を出た後、私達は復興を手伝いながら村の入口へ向かっていた。物の飛び方を見るに、神社を中心に円形に吹いたようだ。ここも相変わらず大量の枝葉が地面を覆っている。多種多様な落ち葉は、どれほど広範に風が吹き荒れたかを如実に物語る。杉に檜、松、銀杏、栗、柏、草鞋——

「え?草鞋?」二度見した。

緑の上に浮かぶ茶色い草鞋。しかも片足だけ。拾い上げて見てみれば、随分しっかりとした作りだ。編み方も普通のものとは違うし、丈夫に作られているのか少し重い。しかもよく見ると、五色の色糸が編み込まれているようだ。とりあえず近隣住民に訊いてみたが、誰の物でもないと言う。

「……もしかしたら、柏屋の行商人の物かも。あのー、すみませーん」

ここから少し先に行くと、宿場を営む柏屋がある。よく行商人が泊まりに来るから、この珍しい草鞋も柏屋から飛んできたのかもしれない。

ところが柏の木に囲まれた裏庭に入るや否や、一人の青年が前に立ちふさがった。冷たい警戒心を宿した切れ長の瞳が、私を見下ろしてくる。

「名前は?」

端正な顔立ちに蒼い小袖袴。理知的な雰囲気を纏っているが、腰には立派な太刀を佩いている。なんならその柄に手をかけてすらいる。答えないなら斬る、と言わんばかりの迫力に桃は私の背後に隠れて動けない。

「あっ、私、築葉神社の巫女で琴って言います。こっちは妹の桃で、あの、この草鞋の持ち主を探してて……」

「そうですか」

手に持った草鞋を一瞥するも、なお警戒心を解かない青年。正直に名乗ったはずなのに、まるで自分が嘘をついたかのような錯覚に陥る。その時、

「澪虎(みおとら)、どうしたのです?」

青年の背後から、黒髪の美少女が顔をのぞかせた。夏にも関わらず肌は白く、農作業にも武芸にも縁が無さそうな華奢な体躯。質の良さそうな白い小袖には、紫の蝶が染め抜かれている。きっと裕福な生まれで、澪虎と呼ばれた青年は彼女の従者だろう。世が世だ、自国の戦火から逃れて、こんな辺境の村まで来たのだろうか。

「結々(ゆゆ)様。この者達が持ってきた草履なのですが——」

結々様に草鞋を見せる澪虎さん。

「——なるほどね。だけど澪虎、そう警戒しないであげて。この村の巫女なのでしょう、良い人そうではありませんか——。ごめんなさいね、怖がらせてしまって」

「い、いいえ、そんなことは……」

美人に困ったように微笑まれ、たじたじする私。

「だけどこの草鞋は、わたくしのものではありません。ですがもしかしたら、彼らの物かもしれません。今朝はもう一組、泊まっている方々がいらっしゃるので」

結々様が振り返ると、案の定

「あー!それ、私達のです!」

と叫びながら、小袖姿の少女が走ってきた。手には同じ草鞋の片割れ。彼女は澪虎さんから草鞋を受け取ると、人懐っこい笑顔を浮かべた。

「あー危なかったぁ。ありがとうございます!これ、どこまで飛んでましたか?」

「ここから六間ほど向こうに落ちてましたよ。持ち主が見つかってよかったです」少女に微笑みかけると、彼女はもう一度お辞儀をして宿に戻っていった。

「それでは、私達もこれにて失礼します」「桃もっ、失礼します!」

結々様と澪虎さんに一礼して、裏庭を出た。陽はいつのまにか高くなり、村が明るさに満たされていく。村人達の話し声や笑い声が溢れている。ふいに袖を引かれたかと思うと、

「お姉ちゃん、手繋ごっ」

桃が明るい笑顔で手を差し出してきた。微笑んでその手を握り返し、来た道を戻っていく。柏屋から伸びる、葉に埋もれた一本道。道の両脇では、村人達が早くも農作業に戻りつつある。道の終点に佇む築葉神社は、朱い鳥居が白日の下で輝いている。

(……この平和が、いつまでも続いてほしいなぁ)

あたたかさを噛みしめて神社に向かっていた、まさにその時だった。

《琴、桃!聞こえるか⁉》

今朝から音信不通だった父上から、霊声が飛んできたのだ!

《良かった、無事だったのですね!》

桃が嬉しそうに言うが、父上の霊声はかつてない焦りを帯びていた。

《すまないが、二人共今すぐ拝殿に集まってくれ。緊急で大事な話があるんだ!》

父上の切迫した声に背中を押されるように、私達は駆けだした。

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