第29話

「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

「迷惑じゃないよ、そんなことは気にしなくていいが、身体だけは大切にしないとダメだぞ」

「はい」

「今は? 大丈夫なのか?」


これから先、強引に何かしたりしなければ大丈夫です。と答えたかったけど、そんなことは言えなくて、ただ返事をした。


「はい」

「よかった。安心したよ……」

「……すみませんでした」

「……」

「ごめん、ちょっと外れるよ」

「はい」


部長が席をはずした。帰るなら今しかない。私は急いでエレベーターに乗った。

お料理のお皿もグラスも、あそこに放置してしまった。

こんなことをしたら、さらに顔を合わせずらくなるのに、どうにもならなかった。

悪いことは何もしていないのに、部長と二人になると、必ず私が逃げることになる。家族以外で長い時間を過ごすのは、私にとってとても大変なことなのだ。

何も言わずにいなくなるなんて、失礼だとも思うし、人の気持ちを考えていないと思うし、何より、後味が悪い。それでもこうするしかない私の気持ちを分かってほしい。


「はあ、はあ」


走る私とすれ違った人たちは、何事かと思っただろう。

ほっと出来たのは、電車に乗った時だった。


(お腹が空いた……)


食べ損ねてしまったお料理に後悔が残るけど、あのときの嫌な記憶も同時に蘇った。



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