6

 翌朝、彼の職場を訪れると、今日は無断欠勤をしているとわかった。

 胸騒ぎがした。心臓が肥大化して、血が行き届かなくなったような、身体の物足りなさがあった。

 タクシーを呼び止めて、彼の住所まで急いだ。管理人から鍵を借りて部屋に入ると、彼がベッドの上で仰向けになっていた。全身をびくびくと痙攣させている。

 テーブルの上には風邪薬の空壜があった。オーバードーズ。無理矢理嘔吐させた後、救急車に彼を乗せ病院へと送った。

 彼は一命を取り留めた。しかし、まともに会話ができるようになるには一日はかかるだろうと、処置を施した医師が言った。

 僕と骨刃警視は近くのホテルに一泊して出直すことになった。

 翌日看護師に案内されて病室に入ると、彼の不健康そうな顔が痩けていることに気づいた。どうにも痛々しかった。死にゆく瞬間をピンで留めて引き延ばしているような悲痛さ。

 彼が自殺を図った理由は骨刃警視から昨晩聞いた。自分は何も悪くないと目を背けていることだってできたはずだ。


「助かって良かったです」


 骨刃警視が言うと、ぼんやりと僕らを捉えていた視線をずらした。


「何も良くありません。ここを出たら、必ずまた、死のうとするでしょう」


 僕らが持ってきた花を花瓶に挿し終わったふくよかな看護師が、


「意識が戻ってからこんなことばかり言うんですよ」

 と、僕に耳打ちした。


 肉体的にも精神的にも危うい状態だ。

 看護師が部屋から出ていくのを確認してから、骨刃警視が本題に入った。


「坂口朋美さん名義で研究データを我々に送付したのは、都筑さん、あなたですね?」


 また朧げな視線を僕らに向けると、ええ、と頷いた。


「間違いありません」

「そうですか。あなたがどこまで犯行に関与していたのかについて、教えてもらえますか?」

「この悲劇は全て私のせいです」


 両手で窒息しそうなほどぴったりと顔を覆い、都筑は唸り始めた。


「その表現では語弊がありますね。あなたは反抗自体に直接関与していないでしょう」


 唸り声がぴたりと止んだ。


「なぜ、わかったんです?」

「あくまで推測です。あなたがUSBメモリを送ったのは、私があなたに姫崎の画像を送ってからです。研究データの提供は犯行を阻止しようとする意図が見える。もし、あなたが犯行に直接関与していたのなら、姫崎の画像を見たところで心変わりしてUSBメモリを亜怪対に送ろうとは思わないはずです。あの日、姫崎の画像を見たとき、初めて一連の事件に姫崎が関係しているとわかった。それまでは、警察の会見通り新人類解放戦線の犯行だと思っていた。

 あなたがUSBメモリを送ったことも、防犯カメラを確認して見当をつけたのではありません。USBメモリを送るという犯行阻止の行動を、唐突に犯人がとるとは思えません。ということは、犯人以外にサマエルの存在を知っていた人物がいるということです。

 私はずっと気になっていました。坂口さんが当時は記者ですらなかった姫崎に、命懸けで持ち出したサマエルと研究データを託すだろうか。考えられるとしたら、はじめに坂口さんからXに渡り、Xから姫崎に渡ったパターン。USBメモリが届いたタイミングを考慮すれば、やはり坂口さんがサマエルを預けるとしたらあなただと確信しました」

「そうですか、全てわかっているんですね」

「全て、ではありません。前にあなたを訪ねたとき、サマエルについて何も知らないふりをしたのか。姫崎を庇っているのでなかったら、打ち明けてくれても良かった」

「今思えば、そうしていたら良かったと思います。ただ、あのときお話した内容が限界でした。機関の連中の汚い手は、坂口君の失踪後、この研究室にも及んでいたんです」


 都筑も坂口の奇形猿の研究に補助で入っていた。魔の手が介入したとして不思議ではない。

 悔しそうに声を震わせて、都筑が続ける。


「流石に表立ってではありませんでした。しかし、坂口君と連絡がとれなくなって数日後、ファイルに積もっていた埃がなくなっていたんです。誰も触っていないはずの、ファイルです。その日のうちに、サマエルを誰かに託すことを決めました。機関は警察との関係も深い。警察に相談する選択はできなかった」

「なぜ、姫崎に?」

「研究者仲間ももはや信頼がおけない状況でしたからね。仕事を除いて人と交流することがない私にとって、思い浮かんだのは姫崎さんだけだったんです。彼女は大学新聞の取材を通して坂口君と親しくなってから、頻繁に研究室に足を運ぶようになりましてね。誰に対しても丁寧に対応する子だと思っていました。若い彼女を巻き込むのは良心が痛みましたが、背に腹は代えられなかった」

「彼女にサマエルについて説明はしていたんですか?」

「まさか。暗号化した研究データを保存したSDカードとサマエルを共に鍵のかかるケースに入れて、とにかく預かっていてくれと頼み込みました。それが全ての過ちだったのは承知しています。ですが、わからないんです。坂口君から渡されたのは亜人を常人化するサマエルのみでした。悪用するとしても、限界があると思うんです。どうして、あんな普通の子が四英傑を手に掛けることができたんですか?」

「それは、今は言えません」


 骨刃警視がきっぱりと言った。

 彼女は箝口令など関係なく、全て打ち明けると思っていた。事件のせいで苦しんでいる人を救うために来たのだから。


「そうですか……知ったところで私の罪は変わりませんからね。司法のもとで裁いてもらうことも期待できないのに、十字架は相当に巨大だ」


 都筑がベッドの上で、腕にささった点滴の管を引っ張りながら、頭を下げた。


「昨日、今日と本当にご迷惑おかけしました。誰かに罪を告白できたことで、少しは楽になった気がします」

「都筑さん、私はあなたに罪はないと思っています」

「そんな慰めは、いりません」


 都筑は鳩尾を殴られたように身体をくの字に曲げ、震えながら言った。


「結局、こんなに人が死んでもサマエルの存在は公にならなかった。坂口君の想いを代わりに果たすことは叶わなかったんです」

「いいえ。サマエルの存在も、事件の真相も、全て公表します」


 突然の宣言に耳を疑った。


「マスコミにリークするということですか?」

「違う、警察から正式に公表させる」


 既に嘘のリリースをした手前、後戻りはできないと跳ね返すのが目に見えていたが、骨刃警視なら、押し通してしまうような予感がした。


「ですから、都筑さん。それまでは絶対に生きていてください。真相を知ることで今よりも辛くなるかもしれない。ですが、知らないよりは良い。知ったうえで罪を受け止めてください。辛くなったら、誰かに助けを求めてください。どんな方法でも、誰だって構いません。生きてください。あなたが亡くなってしまったら、生前の坂口さんのことを思い出せる人がいなくなる。それは、寂しいことだと思うんです」


 私なんて、と都筑が首を振った。


「坂口さんはあなたに命を託したんです。聡明だった彼女が最期まで信じた人が、どうでもいい人間なはずない」


 骨刃警視の言葉は時々、世界共通の定理よりも確かなものに思えるときがある。

 都筑はくの字のまま、乾いた身体に残った水分を絞り出すように嗚咽した。

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