3

 僕は西宮を睨んだ。


「何てことを」


 上手く言葉にできない。


「どうしたの、ミツロウ?」


 心配そうに骨刃警視が僕の顔を覗く。

 脳裏に高温で焼き付けられたフィルム一枚のイメージでしかなかったものが、冷やされ、主観と客観の混ざった言語にまとまっていく。


「やり過ぎだ。どうしてこんなことまで」


 西宮の両肩を激しく揺さぶっていた。

 動揺している僕を見返す西宮の視線は、冷たかった。絶対零度より、ずっとだ。


「気づいたんですね」


 西宮が骨刃警視をちらりと見る。


「どういうこと?」


 僕の腕を引いて、骨刃警視が不安そうに問う。

 西宮の肩を握っていた手を離し、深呼吸をして、無理矢理にでも冷静になろうと努めた。


「ターゲットはまだ大勢いるんです。SNSへの投稿という形で予言を行ったのは、ユーザーを意識していたからです。〝僕達〟を意識していたから。最初の事件が、Tubeeの監視下で行われたのも、同じ理由です。

 僕達は、カメラを通して、殺人を目にしていた。それなのに、娯楽として消化していた。おかしいんじゃないか。怪人化を防ぐ方法はないのか。怪人を常人に戻す方法はないのか。僕達が疑問を持たなかったから、国際英雄機関が過ちを犯すことになったんだと」


 骨刃警視の悲しそうに顔を顰めた。


「もしかして」


 彼女は観客として熱狂したことはない。彼女は出演者だ。だから、気づけなかった。もっと早く、僕が気づくべきだった。


「今すぐやめさせて」


 骨刃警視が西宮に向かって言った。

 そんな声など聞こえていないように、西宮がスマートフォンを取り出し、タップをした。一瞬の、出来事だった。


「約束の時間になったので、もう一度予言を投稿しました」

「どんな内容ですか?」


 訊くと、西宮はスマートフォンの画面を見せながら、


「スマイルが復活する、って彼のアカウントで。スマイルの初出しの写真をつけて投稿したので、成りすましではないと証明できている。瞬く間に拡散されると思いますよ」


 復活する?

 目的を考えると、いささか信仰的だ。


「喜びの次に、絶望を――その方が相手に深く激しい傷をを負わせられる。傷口が抉られ、縫い合わせるのも難しいくらいに」


 可憐に西宮がはにかんだ。


「どこに、スマイルは現れるんですか? 言って。言ってください」


 骨刃警視に胸倉を掴まれても、西宮は抵抗すらしなかった。力のままに揺れるだけ。喉が締まり、苦しそうに、


「刀を出せばいいんですよ」

「え?」

「自慢の刀を出して、私の指を一本ずつ切り落としていけば、私が音を上げて話すかもしれません」


 骨刃警視は西宮を刃で脅していない。仮にNHLFであったなら、彼女は迷わず刀を突き立てていただろう。

 骨刃警視が目を伏せてぼそりと言う。


「……たくないから」


 西宮の耳にはその言葉が聞き取れたのか、虚を突かれたように二目瞼をぱちくりさせている。


「私は、ヒーローです。今じゃ、クソみたいな職業だと思ってるけど。だけど、一度ヒーローに裏切られた人を、私まで裏切りたくないんです。そんなのヒーローじゃない。今の私にあるのは、そういうちっぽけなプライドだけ。文句ある?」


 西宮の瞳が潤んで、潤いが立体的になっていく。


「嘘、何で。何で私、泣いてんの? こんな身勝手な人の言い訳で」


 怨嗟をごちゃ混ぜにしながら、西宮が咽び泣く。

 彼女はまだヒーローに救いを求めていた。

 裏切られ続けた、ヒーローという存在に。

 服に土がつくことなど気にせずに、地面に縋るように泣いていた。

 彼女の背中に、手を添えるように紅葉の若い葉がぽとりと落ちる。

 十一年間西宮が啜った澱みを凝縮したような時間だった。一瞬だが、ぞっとするほど長い時間だ。

 泣き終わるのを、顔を上げるのを、彼女の答えを待った。

 都合が良すぎるか、と頭に過ぎったとき、毛布に包まって出したような薄く籠もった声がした。西宮からのものだった。口調に淀みはない。


「渋谷に十七時四十三分というのが事前の打ち合わせです。今ならまだ、間に合うかもしれません」


 渋谷は、美紀が死んだ場所だ。確か、怪人化した彼女が討たれたのも同じ時間だったのではなかったか。偶然であるはずがない。


「行きましょう、渋谷へ」

「法定速度は無視でいい」


 僕は車に乗り込み、エンジンをかけた。何やら二人が話し込んでいるので、ウィンドウを降ろして早く乗るように大声で呼びかけた。

 首を横に振る西宮を強引に担ぎ、警視がこちらへ向かってくる。水を嫌がる子犬を無理矢理に浴室へ連れ込むときのように、えいと車内に西宮を押し込むと、骨刃警視も後部座席に座った。


「私は行かない、って駄々を捏ねたの。手錠ちょうだい」


 グローブボックスから手錠を取り出し、警視に手渡した。西宮の細い手首に手錠がかけられる。

 逃亡しようとする素振りを見せないどころか、自分にはめられた手錠に一瞥をくれることもなかった。


「適当な警察署にでも私を置いていってください。逃げたりはしないですから」


 泣き腫らした目を半開きにした西宮が鼻をすする。


「裏切った人間が、行っていい場所じゃないんですよ」

「どこかに立ち寄る時間はありません」


 回転灯をルーフに載せ、砂煙を上げながら車体を切り返したあと、サイレンを鳴らした。


「これが裏切りだというなら、正しい裏切りですよ。僕らは今から、誰かを救いに行くんです」


 救いに行く。

 自分自身を鼓舞する言葉だった。

 死ぬかもしれない。別荘の地下にいた道上だった者とは、危険性がまるで違う。世界最強が待っている場所へ、アクセル全開で急行しようとしているのだ。なんと馬鹿げた行為なのだろう。しかし、ときには愚かさが武器になることもあるはずだ、と言い聞かせた。

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