10
車内から、ライトが照らしたままの姫崎家を見つめていた。
子供部屋に鍵をかけるというのはやり過ぎだ。児童相談所に話せばそれだけで訪問案件になる。姫崎にとって、両親は復讐するきっかけとなったのか。むしろ、恨んでいたのではないか。それでも、親は親だった等という綺麗事を信用する気にはならなかった。
まさか、動機が枷になるとは思ってもいなかった。
午前〇時二十二分。オーディオの操作パネルに時刻がぼんやり灯っている。サイドミラーに食べかけのパンケーキのような半月が写っていた。疲労が溜まり、空腹を刺激することもない。焦りはいつの間にか虚無感に形を変えていた。
「ここに来るとき、言ったよね? 謎が残ってるって」
普段と違い、助手席に座っている骨刃警視が唐突に言った。
無意識に背筋を伸ばして、僕は次の言葉を待っていた。
「一連の事件には不可解な点がある。本筋にも、そこから離れたところにも。離れてるっていうのはあくまでも私がはじめに立てた推理から。もしかしたら、離れているはずの謎こそが大事、なのかも。でも、私はそのことにずっと気づけなかった。仮説を立てて、検証しようとすると、犯人候補の死と物的証拠が用意されていたから」
未曾有の事態に犯人を突き止めることに当時躍起になっていた我々はとても冷静ではなかった。解答ページがちらつかされたら、躊躇なく手に取った。もし、その解答が真犯人の手によって用意されたとしたら。
「謎、というのは、どんなことでしょうか?」
「それぞれの事件ごとにある。まずは、一件目の事件。どうして怪人との戦闘中に複数のTubeeに撮影されながら偽装工作をしたのか」
「それは、大勢の視聴者に目撃させて、スマイルが死んだと印象づけるためだったんじゃありません?」
「今回の入れ替わりトリックの条件を満たす場所を探すだけで時間がかかったはずだし、手間だってかかる。視聴者の前で死んだとアピールすることに特別な意味があったと思う」
特別な、意味。
「スマイルの家に行ったときも、違和感はあった。玄関の電気がつかなかったのも、スマイルの暗視能力を推測させるための小細工に今は思える。だとすると、討伐時の犠牲者とその遺族のリストが置いてあったのも、ミスリードさせるためだと考えるのが順当。でも、警察を混乱させるのが目的なら、田山真美からの手紙は余計だと思わない?」
捜査の撹乱だけが目的ではないのか?
「氷妃殺害は、偽の配達員と謎の宅配物ですね。配達員がエレベーターを降りる姿を目撃されてから、退館するまでに時間がかかり過ぎていることも気になりますし」
「あと、忍野が液体窒素を運ぶ必要がなかったのなら、こそこそと非常階段を使わずにエレベーターで一直線に向かえばよかった。カメラ映像はハッキングして消去する計画だったんだし、あんなに油断していたCランクヒーローなら殺害できた。忍野は鴉楼に住んでたんだから、オートロックに引っかかることもない。そうなると、配達員に非常口の鍵に細工をさせる必要もない。
あと、段ボールの中身は何だったのか。
ただ空箱を運ぶだけであれば、アクリル板は必要ない。前にミツロウが言ってたように段ボールの中身が重かったから、アクリル板を補強材として底に敷いた。だけど、部屋を探しても怪しいものはなかったから犯人が持ち去った可能生がある」
配達員はヒーローの前を手ぶらで去っていったというから、その後に部屋を訪れた犯人のみ、チャンスがあったことになる。
「でも、私が一番気になっているのは別。浴室の外に、氷妃の服があったこと。
衣服に血がついていなければ、そこまでの違和感はない。氷妃を壁に殴りつけてから衣服を脱がせたことによって、怪我をしたよりも後で服を脱ぎ、風呂場に鍵をかけたとおかしな順序が確定する。犯人にとっては、本来ミスリードさせたかった線から逸脱する余計な行動だった。衣服を脱がさなくたって、衣服ごとシャワーを浴びせたら、脱ぐ間も惜しんで温まりたかったって解釈の余地がある。あれは、他殺を示唆してしまう大きなミスだった」
「忍野が犯人だと示すためですか?」
「いずれは忍野の死体は見つかっていただろうし、わざわざこんなことをする必要はなかったと思う」
「合理的な理由は、思い浮かびませんね。ただのミスのようにも思えません。犯人がどうしても被害者の裸体を見たかった? いや、倒錯した性癖だったとしても密室の中に置いておけばよかった」
「死者の衣服に興味があった可能性も考えたけど、それなら犯人のDNAが検出される。あの衣服には被害者の髪しか検出されてない。
そして、次が有毒夫妻殺害」
日付が変わって、もう昨日の出来事になった。報せを受けたときの鼓動がまだ染みついている。
「毒婦の首を絞めて殺したあと、どうして洗剤を全身にかけたのか」
「それは、毒と関連づけたかったんじゃないですか?」
「全身にかけるにはそれなりに時間がかかる。関連づけるなら、顔とか身体の象徴となる部分にかければよかった。道上は十分以内に別荘を出ないと、犯行の最中に立ち入られる可能性があった。時間のかかる行為は避けようとするはず。
洗剤については、もう一つ気になることがある。毒婦の手首と足首だけ骨が見えていた。鑑識官が言うには、掛けた洗剤の量によって皮膚の溶け方に差が出たことが理由。手首と足首に念入りに洗剤を掛けたのは、どうして?」
「犯人にとって都合の悪い痕跡が残ってしまったんでしょうか?」
「爪に皮膚片が残ることはよくあるけど。手首と足首にだけ犯人のDNAが残るってのはおかしいし」
「殺されるとき、手首にメッセージを残したとかですか?」
「両手首、両足首に書き入れないでしょ?」
指摘の通り、絞め殺されているときにそんな細工をする余裕はない。頭部で欝血し、脳に酸素が回らない。そんな状態では、藻掻くしかできないだろう。
「一旦、この謎は置いておく。
あとは、道上がすぐに逮捕されなかったのが必然ではなかったってことか。中途半端な偽装工作だったってこと。毒婦の音声を遠隔操作でスピーカーから流すだけでは警官の判断で別荘に入られることも十分に考えられる。そうなれば、その場で手錠がかけられていた。今、必死で逃げ回ってるにしては、そこがとても杜撰だと思わない?」
「そうですね。Bluetoothは、距離が離れているほど接続が安定しません。スピーカーと玄関の距離を考えると、ちょうどライン際でしたから上手くいくかは運次第だったとも言えます。捕まっても、逃げる自信があったんでしょうか?」
「実際逃げおおせてるしね。上手くいかなくても、スマイルが逃走を手助けすることになっていたとか?」
「だとすれば、多少トリックに問題があったとしても実行に移したのかもしません。あの警備体制で、二人を殺害し、疑いの目を逸らすトリックはそうそういくつも考案できたとは思えません」
逃走を図る前提ね、と蟀谷を指でとんとんと叩きながら骨刃警視が呟いた。
疑問点をさらうのは終わったのだろうか、と彼女を見ているときに鬼塚から連絡があった。
警視庁の暴力団対策課から情報提供があった。検挙した暴力団が金銭と引き換えに、殺しと死体処理を請け負っていたとわかった。捜査を進めると、どうやら顧客の中に国際英雄機関の名もあったという。
日が昇ってから警視庁と所轄署の人員を多数動員して、組員の証言を元に機関の依頼で若い女を埋めたという奥多摩の山を浚うとのことだ。
若い女、坂口朋美の遺体が見つかることを想定してのことだ。
見つかってほしくない気もした。命からがら逃げ切って、どこかで幸せに暮らしている可能性が消えてしまうからだ。
「見つかってほしいね。朝になったら、対策課に話を聞きに行こう」
骨刃警視が言った。
見つかったところで何が変わるんだろう、と思ってしまった。
坂口朋美が死んだことも。四英傑がこの世にいないことも。四英傑や国際英雄機関がおかした大罪も。
もう、取り返しがつかない。
やり切れない思いが何の役にも立たないと知っていながら胸が痛くなるのを止められなかった。
今から桜田門に戻る気力もなく、車のライトを全て切り、シートをフルフラットにして車内で二人、近い天井を感じながら陽が昇るまで眠った。
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