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 姫崎の実家は、同じくDエリアにある有毒夫妻の別荘から歩いて五分もかからない距離にあった。

 ライトで実家を照らせるように、道を塞ぐ形で車を停めた。この道の先に、今も住人のいる家はないから問題はない。

 実家というと、柔軟剤の匂いが染みた一軒家が思い浮かぶが、目の前のものはそれとはかけ離れていた。

 煤のついた外壁、溶けたサッシに窓ガラスはなくなっている。手すりの歪んだバルコニーにはチーズのように垂れた屋根が庇のようにかかっていた。

 取り壊されていても良いものだが、このまま放置され続けてきたらしい。取り壊しにも費用がかかるから、珍しい話ではない。棄てた家と土地だ、と割り切って考えるのだ。

 玄関の右横にあるロンドンの街並みに似合いそうなデザインの郵便受けに懐中電灯を照らしたとき、姫崎家の隣家の跡が目に入った。この家に住んでいた西宮にしみや大地だいちが怪人化して街を襲ったのだ。男の家も燃え、そこから、女児の焼死体が発見された。男には十歳になる娘がいて、岩手県から父娘で越してきたばかりだったそうだ。

 敷地に残っているのは、基礎部分のコンクリートと、基礎と姫崎家の間に生えた一本の紅葉だ。姫崎家の二階の窓から見れば、樹頭が目に入るぐらいの高さだった。住人を喪っても、天からの恵みだけで生きていけるのだ。火災を免れた幸運を加味しても逞しさが際立つ。

 貨物列車が一瞬で通り過ぎたような音がして首がすくむ。

 見れば、骨刃警視が火災で建付けの悪くなっていた玄関ドアを無理矢理こじ開けたところだった。


「雑過ぎますって。燃えていても他人の家ですからね」


 僕の指摘を華麗にスルーして、骨刃警視が土足のまま家の中に入っていく。懐中電灯で照らされた廊下は黒く焼けていたが、足を置いた途端床が抜けるようなことはなかった。炎が、家の内側を炙った程度の場所もあるようだ。

 一階の廊下の左側にはトイレ、洗面台とバスルームのドアがあった。右にはリビングのドアがあった。焼け方が激しかったのはリビングだった。ソファーとローテーブルだった燃え滓のあたりに、姫崎の両親の死体があったという。二人は添い寝するようにソファーの足元に転がっていた、と報告書には記載がある。

 隣家で発生した、高温化の能力を持つ怪人はまず姫崎家に侵入して両親を殺害。それから、炎をばらまきながら一キロ先のスーパーマーケットまで進んだ。そこで、有毒夫妻によって討伐された。その頃はまだTubeeの配置は道半ばだったから、映像資料は残っておらず、証言をかき集めて取りまとめた一次資料だけが頼りだった。

 姫崎は風呂場にいたために運良く殺害されずに済んだ。燃え始めていた家から逃げて灰の降り注ぐ、見てきたものとは一変した街を走った。そこを交番勤務の警官に保護された。

 有毒夫妻がもっと早く到着していれば――。

 そんな思いが彼女の心を焼いたのだろうか?

 意見を訊こうと相棒の姿を探すと、骨刃警視はアイランドキッチンに回って、扉という扉を開けて物色していた。傍から見れば泥棒のような手際の良さだ。


「珍しいものがある」


 骨刃警視が言うので見てみると、コンロ下の焼け焦げた扉付きの収納棚の中に七輪があった。焼けたり溶けたりした食料品で既にいっぱいのスペースに無理に押し込めてあった。


「片付けが苦手だったんでしょうか?」

「そうだったら親近感あるけど」


 骨刃警視がシンク上の棚の扉を開けると、そこにはスペースに余裕があった。一階では見るものがなくなったようで、階段を上がり二階に移動した。一般の一軒家と同じく、二階が最上階だった。

 部屋は三つあり、両親の寝室、姫崎桃香の部屋、何もない空き部屋、という振り分けだろう。寝室にはベッドとサイドテーブルの家具の他、目につく家具はなかった。

 姫崎の子供部屋も同じように最低限の家具だけだった。勉強机のようなものもなく、ベッドとタンスだけ。ミニマリストというにしては物が少なすぎる気がした。この他は全て燃えてしまったとか? そんな訳もない。それに、当時小学生だった姫崎の部屋にあるはずのあるものがどこにも見当たらなかった。ランドセルがないのだ。燃え尽きた、にしては部屋のダメージが少ない。


「これ、どういうこと?」


 骨刃警視は開けられたドアの本体を握り、ドアハンドルあたりに注意を向けていた。

 この部屋のドアについた錠に視線を注いでいるようだ。見たところあと付けされたアルミ製の錠。サムターンを回すと、デッドボルトが突出し穴に嵌るというごく普通の仕組みだ。


「これの何が気になるんですか?」

「取りつけられてる位置。どうして廊下側にサムターンがついてんの?」


 これでは、部屋の中から解錠できない。むしろ、それが目的だったとしたら――。


「姫崎桃香は両親から虐待されていたんでしょうか? ランドセルもありませんし、学校にも通わせてもらえなかったのかもしれません」

「だとしたら理解し難いことがでてきた。謎が減るどころか増えるなんてね」


 骨刃警視はああと不機嫌そうに唸ったあと舌打ちをして、指の腹で頭を掻いた。

 増えた謎は、明確だった。

 姫崎には動機がなかった。

 それだけではない。

 キッチンで見つかった七輪は、下の棚に押し込まれていた。上の棚に入れることができない人物が片付けたとしたら? 七輪は、料理に使うのではなく、一酸化炭素中毒を引き起こすために使われたとしたらどうだろう。火災によっても一酸化炭素中毒死に至る。怪人による被害と推定される場合、被害者の解剖まではされない。偽装工作は可能だ。片付けたのが背の届かない子供だとしたら、当時の姫崎が片付けたことになる。両親だけが自殺し、姫崎は助かった。もしくは、姫崎が両親を殺害した。思いつくのは、二つの仮説だ。前者の場合、偽装工作をする理由がない。とすれば――。

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