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夜九時頃、骨刃警視の推理を一斉連絡すると、亜怪対の全員が警察庁に集結した。
明らかに疲弊した顔の捜査員もいるが、一人として不満を口にしなかった。
「鴉楼の捜索令状を請求する。前回は研究室だったが、今回は広範囲を捜索対象にするつもりだ。ただ、あまりにセンシティブな話だ。応援を要請することは難しいと思っておいてくれ」
推理の詳細を聞くと、宮司課長は腹を決めた。しかし、寒そうに擦り合わされる両手が内心の動揺を隠せていなかった。
保身重視の宮司が、令状請求を承諾するとは。
「上にはまだ報告しない。確証が出てからでないと、令状請求自体を止められそうな気がするからね。何も出なかったときは……いや、考えないでおこう。骨刃君、自由に怪人化できたとすると、スマイルの事件について新たな見方ができると言ったね?」
骨刃警視が立ち上がり、推理を語り始めた。
「怪人はあの日、あのビルの前に必然的に辿り着きました。恐らくは、英雄機関が開発した技術を使用して。乾がそんなことをするメリットは思い当たりませんが、スマイルにはあります。
スマイルの死体は身元確認が不可能だった。用意していた死体との入れ替わりが行われても判別の方法がない。けど、ライブカメラによる衆人環視下で入れ替わりを行うのは難しい。
だから、ビルの間の前に怪人を誘き寄せた。あそこなら、スマイルの能力によって大きな火柱を立てれば、ビルの間で何が起きているのかカメラでは捉えられない。倉庫に入れておいた死体と入れ替わり、スマイル本人は足場側から逃亡する。Tubeeは上空三十メートル以下に位置しないように、熱を感知しているのに姿が捉えられないときには位置を変えるようにプログラミングされてる。つまり、あのときにTubeeが足場とは反対側に移動し、カメラの死角となる逃走ルートが産まれることも予想できた。と言うより、事前に入念にリサーチして事件現場を選定したんです」
「君は、君はまだスマイルが生きていると言うのかい?」
「はい」
骨刃警視が宮司の問いに頷いてようやくざわめきが広がった。スマイルの殺人事件は狂言だった、という警視の推理に捜査員達は理解を置いてかれていたらしい。
「しかし、この仮説には高い壁があります。どのように怪人を捕えておいたのか。その点の説明がつかなかった。が、事件当日に誰かを任意のタイミングで怪人化させることができたとしたら、話は別です。
身代わりの死体、そして怪人化させるための人間。この二名を犠牲にし、事件を引き起こした。機関から盗んだ技術でビルまで怪人を誘導。攻撃を受けたふりをして自身の身体ごと怪人を燃やし、炎の壁を作る。倉庫に隠しておいた焼死体を置いて、立ち去る。表向きのストーリーの協力者である乾を口封じで崖から突き落とす。通常性能の防犯カメラには高速で移動するスマイルの姿は捉えられません。乾は容疑者のまま死に、スマイル自身は被害者というフィルターに守られる」
「骨刃、お前は一連の事件の真犯人は全てスマイルが絡んでいると?」
鬼塚が訊くと、骨刃警視は頭を掻き、
「それは、何とも」
「そうだろう。一連の事件でスマイルが介入する余地があったのは氷妃が殺された事件までだ。有毒夫妻が殺されたとき、別荘内には道上以外誰もいなかった。警官が大勢で警備していた中、忍んで、あるいは高速で移動するなりして、犯行後に出ていくのは無理だ」
「スマイルの関与が限定的なら、それは」
言葉を切った。
「スマイルすら操られていたことになる」
スマイルが誰かの指示を受けて動いていたとしたら頷けることが多い。彼ひとりが実行犯だとすると、これほど手のかかる犯行は選ばないだろう。彼は最強なのだから、恨みのある者なら殴り殺してしまえば済むし、何人たりとも彼を拘束できないのだから。
スマイルがキングなら、キングを操るプレイヤーがいる。
怪物だ。
怪物が今も酸素を吸って生ぬるい息を吐き出している。
「どうやって操ったんでしょうか?」
縣が算盤を弾くように指を動かしながら訊いた。
「もし、スマイルが脅迫を受けても、脅迫者を殺してしまえばいい。スマイルは何者かの計画に、納得して、加担しています」
「彼は、我々人類の英雄ですよ。非人道的な計画に納得なんてしますか?」
「あるんです。動機となることが一つだけ。去年の、六月二十日を忘れてはいないでしょう?」
無意識に短く息を吸っていた。同じような浅い吸入が周りで連鎖した。
スマイルの最愛の人、美紀は突如として渋谷のスクランブル交差点で怪人になった。
美紀が誰かに意図的に怪人にされたとして、それを知ったときスマイルは何を思っただろう?
嫌な想像が、ストロボのように途切れながらぱぱっと禍々しく光った。
「あの日は全国で怪人が発生しました。その対応に追われて、スマイルしか美紀さんを相手にできなかった。それも仕組まれていたのなら、スマイルは自分の妻を殺すように仕向けられたんです」
口の中にじんわりと饐えた胃の匂いが染みた。
鬼塚が身体に食い込んだ紫のサスペンダーを擦りながら、
「……殺しても、殺し足りないくらいの怒りだったろうな。しかし、なぜ一年待った? 誰かと協力する前に、犯人見つけ出してさっさと殺そうとしなかった?」
「恐らく、スマイルはメカニズムについて全てを知らされていなかった。だから、去年の出来事は仕方のないことだったと思っていた。でも、ある日、真実を知った。そのときから、スマイルはヒーローではなくなった」
大切な人を、自分の手で殺めた罪。
押し潰され、歪になった心には復讐を止められるほどの理性はなかった。
「道上なら佐藤美紀の事件の経緯について知っていたに違いない。やはり、逃げている道上がスマイルに吹き込んだ」
鬼塚がサスペンダーを弾いて、結論を出した。
他の捜査員達もそうかと頷いている。
「道上は、操る側ではない」
落ち着いてきた水面を、骨刃警視が波打たせた。
「スマイルが道上から真実を聞いたとしても、道上の指示に従うとは思えない。
皆してスマイルに怪人化のメカニズムを教えなかったのは、スマイルが清濁併せ呑むような性格ではなかったから。
亜人業界がもたらしている莫大な利益を棒に振ってでもスマイルは怪人が発生しない世界を目指したはずで、それが道上達や他の四英傑には面白くなかった。私利私欲を排して、はじめからスマイルに伝えていれば誰かの悪意が暴走することもなかった。
スマイルにとって、道上は恨みを持つ対象だったはず。だから、道上はもう処分されていると思う」
「そうなると振り出しに戻る。機関関係者以外で、事実を知ることができた奴なんているか?」
「それは、これから。ですから、課長、私とミツロウは別行動をさせてください」
「それは困るな。捜索には人手がいる。今回はあまりにセンシティブで応援は呼べない。捜索後じゃ駄目なのかい?」
宮司の言うことは尤もだった。
亜怪対の人員は五十名程度。あの巨大なビルを、見当をつけながら探したとしても、どうやったって足りない。捜査員達の顔も曇っていた。
「スマイルがこれから何をするのかわからない以上、一秒でも急ぐ必要があると私は思います」
骨刃警視は譲らない。
不穏な空気が漂い始めた。
「行かせてやってください」
鬼塚が、声を上げた。
「止められる者がいるとするなら骨刃だけです。骨刃にしかできないことなら、それを優先させてやってくれませんか? 何かやらかしそうなときはオタクが体を張って止めるでしょう。ですから、お願いします」
鬼塚が深々と頭を下げた。
骨刃警視の振る舞いは一般のキャリア組にとって鼻につくのは間違いない。全員が疲弊している状況では、普段は隠している苛立ちが足を引っ張る。
そんな中、犬猿の仲である鬼塚が頭を下げた。自分の感情より、事件解決を優先した事実が胸を打ったらしく、その後も賛成が続いた。
宮司は世にも珍妙なものを見たような顔で、
「皆がいいなら、止める理由はない。私も久しぶりに外で仕事をするさ」
溶鉱炉から流れ出た真っ赤に震える鉄のようなものが、僕の心臓よりも深い場所で共鳴した。
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