第三章 隠匿した劇毒
1
氷妃の死から五日、僕の前にA4サイズの紙の束が二つどんと置かれた。ホームセンターで安売りされているトマトの種より小さな字がずらりと並んでいて読む気が失せるが、必ず目を通さなければいけなかった。
スマイル、氷妃が続けて殺されたのなら、有毒夫妻も標的である可能性が高い。それに応じて、犠牲者遺族や、それ以外に恨みを買っている人間を洗う範囲が四英傑全員に広がった。亜怪対だけでなく、警視庁の捜査員を投入した結果が目の前の束に集約されていた。
「私は昨日の深夜に届いたときにざっと目を通した」
「こんな量、良く読み切りましたね」
「別に。そんなことより、大ニュース。その中に姫崎桃香の名前があった」
数枚捲り、姫崎桃香の名前を骨刃警視は指さした。
十一年前の四月二日、有毒夫妻が討伐にあたった怪人発生事案で、彼女の両親がO区Dエリアにあった自宅もろとも焼け死んだ、とある。火災原因は、怪人化した隣家の住人による火炎攻撃。早く有毒夫妻来ていれば、そんな思いを抱いただろう。
両親を失った姫崎は、児童養護施設に預けられていたが、中学二年のとき子供のできなかった大阪の遠い親戚に引き取られている。名門私立大の阪南大文学部新聞学科には奨学金制度を利用して進学したらしい。卒業してからは数ヶ月フリーターとして過ごし、英雄新聞に就職した。いわゆる、就職浪人だ。
「英雄新聞の記者なら、機密情報を入手できたかもしれない」
「利用した奨学金制度は、給付型ですよ。相当優秀でなければなりません。そんな彼女が人生を棒に振るようなことをするでしょうか?」
「姫崎の大学の学科は何だった?」
「新聞学科、ですよね?」
「珍しい学科じゃない? 最初からこの学科目当てで受験したんでしょう」
「それが事件と関係ありますか?」
「新聞学科に入るぐらいだから、姫崎はジャーナリズムに関心があった。それなのに、大学卒業後、英雄新聞社に入社するまで数ヶ月はアルバイトをしていた。阪南大学は名門。引く手あまただったはず。
希望の業界に入れないなら意味がないと判断したのではと思ったけど、一度落とした新卒を秋採用するというのは考えにくい。つまり、姫崎は十月になってから初めて英雄新聞社を受けた」
話の筋が、まだ読めない。
「姫崎は優秀だった。でないと、英雄新聞社には採用されない。それほど優秀なのに、どうして就職活動をしなかったのか。社会保険料等に亜人と亜人以外で違いがあるから、正社員として採用される際はどこでも血液検査が行われる」
「……血液検査を受けるわけにはいかなかった。亜人であることを隠して生きてきたから」
推測に推測を重ねて、導き出した可能性だ。それなのに、無視できない奇妙な引力があった。
「私の仮説が正しいとして、去年の十月になってなぜ就職することにしたのか。それは、亜人であることを隠すことが可能になったから。つまり、姫崎はどこかからサマエルを入手した」
繋がった。
すぐに千切れてしまう脆い糸で。
しかし、あの少女のままのような姫崎と、残忍な犯罪がどうにも脳内で結びつかない。
「そもそも、姫崎がそんなことをする動機がいまいち腑に落ちないんです。姫崎の両親は直接ヒーローに殺されたわけじゃない。何というか、犯行に至るほどのエネルギーにならないような気がするんです」
骨刃警視の推理は何かが足りない。
「じゃあ、アリバイがあるか、確かめよう。警戒されないように、別件をこじつけて話を訊く」
見得を切るような勢いで僕に告げた。
「それは構いませんが、警視のデスクに溜まった締切超過の書類、今日中に片づけないとさすがに不味いですよ。防犯カメラの映像確認は捜一、あるいは所轄署に協力を依頼しましょう」
「仕方ないか。ほんと、亜怪対だけじゃ全く回んない」
既に常人による犯罪で手一杯であろうに、面倒なアリバイ捜査を振ってしまい、捜査一課や所轄署の刑事達には今回の事件で大いに迷惑をかけている。ことがことだけに一連の事件のための捜査であると言えないだけでなく、捜査を口外してはいけないという緊張感に懊悩していることだろう。
彼らの仕事は早かった。要請の二時間後には報告を上げてくれるのだから頭が上がらない。
姫崎は現在休業中で、食料品を買い足す以外は自宅に引き籠もっていて、スマイル、氷妃の事件があった日も同じように終始部屋の中で過ごしていた。通常であれば、証人が一人もいないから、アリバイなしなのだが、彼女の場合は特殊だった。
自宅のあるマンションはエントランスだけでなく、エレベーターや廊下にまでカメラが設置されていて、ベランダ側は隣接しているコインパーキングの防犯カメラが一、二階部分を画角に収めている。つまり、カメラの設置されている箇所を通らなければマンションに出入りすることは不可能だったが、どのカメラにも姫崎の姿はなかった。
ベランダから隣の部屋に移動し、変装して玄関ドアから抜け出した可能性を疑ったものの、同フロアには男性しか住んでおらず変装で誤魔化せる範囲は超えていた。
荷物に隠れて出入りした可能性については、それだけのサイズの荷物が運ばれていない、あるいは隠れられるサイズの荷物が運ばれても同サイズの荷物が再び運ばれる前にカメラの前に姫崎が姿を現したことから否定された。
アリバイは完璧だったが、警視は未だ疑惑の目を向けていた。姫崎が犯行に関与しているならいずれ自分に行き当たることは充分予想できる。それに備えて鉄壁のアリバイを用意していたのかもしれない、というのだ。
しかし、カメラに映らずにマンションを出入りするトリックを暴けない限りは姫崎に手は届かない。
結局、無理を言ってマンションに密かに見張りをつけることになった。姫崎が犯人だとしても、カメラだけでなく人の目まで欺いてマンションを出入りすることはできない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます