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「おい、また死んだってのかっ?」


 鬼塚が恫喝するように声を荒らげ、疑いようのない事実を問うた。

 忍野が鴉楼五十三階にある自室のキッチンで発見された。

 タッチパネル式の最新冷蔵庫に背をもたれた忍野の手には出刃包丁、頸動脈に凶器と合致する刺創があった。傍らにはまた印字された遺書、そしてスマートフォンがあった。

 サマエルと思われる液体が同時に発見された。鑑定を担っていた忍野が殺された今は亜人がその身を以て試すしか確認する術はない。


「亜人なら、犯行に使ったサマエルを摂取してから自殺したことになります」

「忍野が亜人だという証拠はまだない。あくまで、液体窒素の偽装工作をしたのが忍野で、偽装工作をしたなら犯人という推測を重ねているだけ。

 死んで、忍野が亜人かどうかを確認の仕様がなくなった今、犯行可能だったのかもわからなくなった。つまりは、真犯人が偽装に利用した忍野を口封じに殺したと考えても無理がない。忍野の死体が発見されたとき、玄関の鍵はかかっていなくて、非常ドアの鍵が五十五階と同じように細工されていた」

「真犯人、ですか」

「あの密室トリックを使うには、バスルームに打掛錠があると知ってなきゃいけない。あの老人が、氷妃のバスルームに入る機会があったと思う?」


 忍野と氷妃の関係性は知らないが、バスルームというのは友人でも立ち入ることはないだろう。しかし、バスルームをリフォームしたと彼女が喋っていた可能性がある。反証には、まだ弱い。

 真犯人が別にいるとすれば、どんな人物なのだろう。

 人を操り、騙し、殺める。

 それを平然とやってのける。そいつはきっと人ではない、化け物だ。

 鬼塚はぜえぜえと脂肪のついた喉を鳴らしながらビニール手袋をはめた手で死体の指を摘んだ。そのまま、黒いスマートフォンの液晶に指を触れさせる。ロックが、解除された。


「おいおい、これも、これもだ。犯行時の写真がアルバムにいくつもある。忍野が黒ってのは証明できたが、また」

「見せて」

「おい絶対に壊すなよ、お前デジタル機器はからきしだろ」


 骨刃警視は恐る恐る画面をスクロールして、画像を追っていく。彼女の背後から画面を確認すると、僕らが臨場したときよりも生との距離が近い氷妃の姿が映っていた。

 写真は手足だけが紫色に腫れた姿を撮ったものだけだ。ドアを閉めていたせいで全身を凍らせた被害者の写真を撮ることができなかったのだとすれば、骨刃警視の推理を裏づけるものになる。


「ショートメッセージの履歴って、どうやって見るの?」

「それなら、僕が」


 例のショートメッセージもこのスマートフォンから発信されたとわかった。


「使用履歴があまりに少ないですから、これは忍野が手に入れた飛ばしのスマートフォンなんでしょう」

「忍野は普段ガラケーを使ってた。今日のガサ入れのときもそう。それなのに、どうして事件現場の撮影はスマートフォンでしたのか。飛ばしのガラケーならまだ流通してる。使い慣れた方を入手するんじゃない? もし、このスマートフォンを何者かが忍野の部屋に置いていったんだとしたら?」

「縁起の悪いことを言うな。まるで――いや、口にもしたくない。これで終わりでいいはずだ。先ほど、忍野の部屋からサマエルらしきものが発見された。鑑定を担っていた忍野室長が死んだからな、亜人刑務所の死刑囚に投与して確かめる手筈になった」

「サマエルが見つかったとして、犯行がこれで終わりとは限らない。微量で効果が出るというサマエルなら、数回分ストックしておいて、残った分を忍野の部屋に残す。警察の油断を誘い、残りの犯行を果たす」

「最悪の筋読みだな。逆に訊くが、お前の言う真犯人とやらはどうやって犯行を成立させているんだ。首謀者の計画をもとに実行犯が動く。そして、犯行後は実行犯は死んで見つかる。犯行に与したとして、自殺までするか? 誰だって自分の命は惜しいもんだろう。なぁ、教えてくれよ。これで終わりでなければ、誰が犯人なんだ?」


 哀願するような鬼塚の声が部屋に反響した。忍野のハリのない生活が透けて見えるような部屋が教会の懺悔室のように思えた。いつも過剰な自信に満ち溢れた鬼塚が弱さを曝け出すのを見るのは初めてだった。


「骨刃、考え過ぎなくてもいい。出ている答えが正解なんだ。忍野が犯人だ」

「匙は投げない。私達は納得のいくまで考え続ける義務がある」


 言葉の真っ直ぐさゆえ、心の折れかけた者は傷つく。鬼塚は何も言い返せず、首を振るばかりだった。


「鬼塚さん行きましょう。一度、察庁に戻りましょうか?」

「ああ、縣」


 二人は並んで、部屋を出ていった。


「あんな鬼塚さん初めて見ましたよ」

「皆、疲れてるから。まさかあの二人が意外と上手くやってるとは。ただ隣に立ってるわけじゃないのね」


 鬼塚が取り乱しても、鉄仮面の縣が常に平然としていることでバランスを保っている。

 僕らも警察庁に帰ろうかと考えたが、新たな手がかりが出ないとも限らないということで、そのまま捜査本部で状況整理をすることにした。

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