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 NHLFを制圧して数分経ってから、ヒーローや警察が続々と到着した。被害を免れた機関職員複数名から通報があったとのことだ。鴉楼のゲートを護っていたヒーローは全員殺害されていた。

 現在は到着したヒーロー達が手分けして各フロアを隅々まで確認している。今のところ、残党の発見報告はない。

 ビル付近の防犯カメラ映像によると、NHLFはビル正面の道幅の広い道路からではなく、ビルの裏である北側の道路に三台の車両を停め、非常階段のある東側を通って正面に回り込んだと判明している。配置している警備員の数が少ないルートを事前に知っていたらしい。道中の警備員は皆殺され、虚を突く形でゲートを爆破した。

 現時点で死者数、二十七名。重傷者数、六名。軽傷者数、五名。

 パニックに陥り怪我をした者の他に軽傷者がいなかったことは、奴らが目についた者を一人残らず殺意を持って攻撃したことを語っていた。

 被害者の遺体の損壊が激しいものが多く、身元が判明していない死体も現時点では少なくなかった。

 また、監視カメラの映像データを保存していたクラウドがハッキングされ、今日撮影の映像が全て消去されていた、とのことだ。エレベーターの緊急時制御システムも予想通りハッキングされ、自動停止機能が強制的に落とされていた。NHLFはサイバー攻撃に秀でた者を抱えているという報告がある。逃走できていれば、面が割れずに済む算段だったのだろう。

 十二時三十分、ビルの会議室は臨時の対策本部と化していた。三台のホワイトボードに被害状況が書かれ消され、貼られ剥がされして、共有されていく。数分ごとにペンで『名』と書かれた隣の数字がどんどん増えていくのを見ていると、事前に防げなかっただろうかと無力さが悔やまれた。

 会議室の後ろの壁に背をもたれ、腕組みしながら思案している骨刃警視を見る。車に置いてあったスーツに着替え、血生臭さはだいぶ薄れたがシャワーはまだ浴びていない。

 NHLFを制圧したのは、骨刃警視ただ一人だ。僕は何もできなかった。先輩の背後で、息を漏らさないよう口を抑えていただけ。

 無力さを痛感するのは初めてではなかった。

 怪人討伐も、事件解決も、全て骨刃警視。僕なりにできることを考えてきた。骨刃警視の隣りにいたい、と願うばかりではいけない。隣にいる理由、資格が必要なのだ。もしも、見出せなければ、そのときは――。


「いいか」


 丸刈り頭に白フレームの眼鏡をかけた男が全体に響き渡るよう声を掛けた。警視庁警備部の中堅だった。


「今回国際英雄機関を襲ったNHLFは二十五名と判明。全員死亡。二十五名の中に幹部の飛山を確認。指導者である悪原はいなかった。エントランスの爆弾の他、爆発物なし。以上」


 テロの最終的な鎮圧宣言ということだろう。報告を聞く限り、実際の鎮圧は一時間前に骨刃警視の手によって完了していたようだ。

 しかし、謎は残されたままだ。

 テロリストを手引きした人物は、誰だ?

 僕のスマートフォンにメッセージを送ったのは?

 今後の捜査には亜怪対にも声がかかるはすだ。


「喉渇いた。何か買いに行かない?」


 背中を壁から起こして、骨刃警視が誘った。シャワーを浴び、既にスペアのスーツに着替え終わっている。

 通路にある自販機で骨刃警視が僕の分まで緑茶を買ってくれ、近くのソファーに腰掛けた。

 いただきます、と礼を言って、口をつけた。こんなに苦い味だったか、とラベルを見ても、飲み慣れた商品に違いなかった。


「ねぇ、ミツロウ」


 唇の端についた滴を親指で拭いながら、骨刃警視が呼ぶ。視線は目の前の壁に向いている。


「どうせ馬鹿なこと考えてるんでしょ? 自分にできることはなかったか、とか自分を責めたりして」

 鋭い人だ。こんなときも、全部お見通しなのか。

「責任感じる必要なんてどこにもない。ミツロウはしっかりやってくれてる。私に付き合ってられるのはあんたぐらいよ」


 僕の肩に手を置くと、警視は喉を鳴らして緑茶を一気に飲み干した。



 束の間の休息のあと、会議室に戻ろうと通路を行くと、会議室のドア前で道上が不快そうに眉根を寄せて立っているのが目に入った。

 僕らに気づくとはっと眉を僅かに上げたが、不貞腐れた子供のように視線を斜め下に逸らした。

 なんてわかりやすい。

 用があって捜査本部を訪ねてきたが、何らかの理由で取り合ってもらえなかった。そんなところに丁度僕らが来たが、諸々ごたついている僕らを頼るのは彼のプライドが許さなかった。そんなところだろう。

 いざこざを一旦は水に流して、道上に声を掛けた。


「どうされました?」

「……責任者を呼んでくれ、話にならない。あそこの坊主頭の白メガネに話掛けたが取り合ってすらもらえなかった。私を誰だか知らないらしい」

「何かお話したいことがあるなら我々が聞きますよ。あなたの言う白メガネがこの現場の責任者なので、呼んできても同じ対応をされます。警備部所属の彼らはテロの後始末で忙しいんですよ」


 舌打ちをしてから、道上が事情を話し始めた。

 道上はテロが制圧されてから、居住エリアに住むVIPの無事を確認するために電話をかけるよう部下に命じた。このような状況で外出する者がいるわけもなく、大半は数秒のうちに応答があるか、折り返しがあった。


「だが、一人だけ、まだ折り返しがない。部下を寄越しても時間を浪費するだけだ、とこちらからわざわざ出向いてやったというのに」

 くどくど文句を垂れるので、先を促す。

「その一人というのは?」

「面倒で出ないだけだとは思うが、氷妃と連絡がとれていない」


 骨刃警視の瞳が揺れ、瞼をおろしてから再び眼が露わになったときには理性が瞳を抑えつけて動揺は消えていた。

 マイペースな氷妃が面倒だから折り返さなかったり、電話が掛かってきたことすら気づいていない可能性もある。だが、最悪のケースがどうしても頭を過ぎる。NHLFが居住エリアにも侵入したのか?


「氷妃の連絡先、知ってますよね?」

 既に骨刃警視は耳にスマートフォンを当てていた。電話機能だけは警視も習得していた。

「私からの電話にはだいたい出てくれる、はず」


 スマートフォンの背面に何度もタッチする人差し指の動きが激しさを増す中、警視の耳との間からコール音が漏れてくるだけだった。やがて、無情に機械音声が流れ始める。

 繋がらない。

 偶然だ。そう思えたら、どれだけ楽だろうか。

 僕ら二人は急いで、五十五階に上がった。エレベーターの扉から勢い良く飛び出した僕らを見て、変わらず立っていた若いヒーローがぎょっとした。


「なんすか、血相変えて」

「私達のあとに、誰も通らなかった?」

「え、ああ、はい。あんたらの他は誰も」


 彼の証言を受けても不安は消えなかった。

 自動ドアを抜けて、左手の玄関のインターホンを押す。応答がない。ドアを叩き、呼びかけてみる。応答がない。脳内のサイレンの音量が膨れ上がっていく。

 試しにドアのハンドルを引いてみると、何の抵抗もなくドアが開いた。鍵がかかっていない。テロリストが侵入している最中に鍵をかけわすれるか?


「いたら返事をしてください」


 骨刃警視が帯刀した状態で、腰を屈めながら先導する。呼び掛けに反応はない。

 リビングに至る廊下、右手にある引き戸を開けると、シューズクローゼットがあり、ヒールの高いハイブランドの靴がずらりとならんでいるだけで、人が隠れるようなスペースはなかった。

 シューズクローゼットより少し奥、左手にある引き戸を引いたとき、音が聞こえた。

 氷妃から入らないように言われた洗面所だった。

 空気を吐き出す、コォーという乾いた音。脱ぎ捨てられたワンピースとランジェリーが床に落ちていた。ワンピースは氷妃が今日着ていたものに違いなかった。

 洗面所の右には浴室があった。乾いた音は、浴室乾燥が作動している音だった。磨りガラス製の浴室の扉は閉められていたが、浴室内の電気がついていて扉の向こうがぼんやりと見える。

 浴室の床に誰かが倒れていた。


「嘘……」


 ほとんど空気しか出ていないようなか細い声が骨刃警視からした。

 浴室のドアノブを引くが、鍵がかかっているようで開かない。骨刃警視が血相を変えて強引に開ける。

 変わり果てた姿の氷妃がそこにはいた。

 裸体の彼女は、陶器のように滑らかだった肌から半透明の体液が滲み、腫れるというよりも膨張していた。蝶になる日を待ち望む幼虫のような紫色の姿と氷妃を結びつけたのは、変わらず艷やかな黒髪だった。モザイクタイルの床に、手足をだらんと投げ出すようにして倒れている。

 呼吸はなく、脈もなかった。確認する前から、死んでいることは判然としていた。


「……亡くなっています」

 骨刃警視の美しい顔が悲痛に歪んだ。こんなこと、僕の口から伝えたくなかった。

「私の、私のせいだ」


 気を失った彼女が床にぶつかる既のところで抱き留めた。細い身体、しかし強靭なはずの身体が今は手折ることができてしまいそうなほどに弱々しく感じた。

 スマイルに続けて氷妃が死んだ。恐らく、他殺だ。

 それは、四英傑全員が標的だと示しているも同然だった。

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