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七月六日午後一時、発付された令状を持って、亜怪対の捜査員四名と警視庁から派遣された鑑識官十名余りを引き連れて鴉楼のエントランスへ。
受付の女性に道上を呼び出すよう告げると、多数の警察関係者を前にして女性はやや取り乱しながら受話器を耳に当て、彼を呼んだ。
エレベーターで降りてきた道上に令状を掲げると、彼は驚いた顔をした。しかし、どうにもそれがわざとらしく、嫌な予感がした。
ラボエリアは十五階、十六階にあった。業務上、鴉楼は何度も訪れることがあったが、ラボエリアには足を踏み入れたことがなかった。
道上が十五階でエレベーターを降りたので後に続く。角を曲がると金属製の堅硬なスライドドアが待ち構えていた。道上が顔認証を行った上、六桁の暗証番号を打ち込んでようやくドアは開いた。亜人怪人研究を法的に規制し、国際英雄機関が独占していることを考えれば、本来はサマエルに限らず研究内容はトップシークレット、この程度のセキュリティは最低限必要だ。
いくつもの研究室が左手に見えているが、道上は迷うことなく通路を突き進んでいく。
〈忍野研究室〉
と、薄いブルーのパネルが壁に貼ってあるところで道上が立ち止まった。
道上はパネルの下にあるボタンを荒々しく押した。すると、扉越しにブザー音が聞こえ、少しして白髪混じりの髪と髭を無造作に伸ばした年配の男性が眠たげな様子で出てきた。
道上を見るなり、背筋を伸ばし頭を垂れるのを見ると、さんざんやり込められている道上も機関での地位は高いことが思い出された。
老人は訝しげな視線で僕らを足元から頭まで見た。頭から首の中ほどに視線を戻すと、老人は研究室長の
「何でしょうかね?」
迷惑そうにこちらを見て、口元が微かに緩んだ、ように見えた。
「捜索差押許可状です。今から、坂口朋美さんが何らかの凶悪犯被害に遭ったと疑われるこの研究室を隅から隅まで捜索します。では、失礼しますよ」
「いやぁ、困ったなぁ」
そう棒読み気味に言うと、忍野はさっとドアの横にずれた。
嫌な予感は入ってすぐに的中した。研究室が無菌室のように綺麗に片付いていたのだ。
やられた。
「時間がありましたんで、気が向きましてねぇ」
忍野はしてやったりという顔つきだった。
骨刃警視が奥にある透明なドアまで威圧的な足音を立てて近寄り、舌打ちした。ドアは既に半開きになっている。ドアには暗証番号を打ち込むパネルがあり、サマエルを保管していたとすればここだろうと思われた。
「ご丁寧に余計なことをどうも」
「いえいえ、礼には及びませんよ」
皮のだるついた体型を隠すほど大袈裟に手刀を切り、忍野は一昔前のガラパゴス携帯と揶揄される携帯電話で誰かに連絡をしようとした。
「電話は控えてください」
「失敬」
令状請求が一日止められたのは、隠滅を図るための時間稼ぎ。国際英雄機関と警察庁上層部の癒着は想像以上だ。
この状態では坂口朋美についても、サマエルについても手がかりは得られない。ただ、あからさまに隠蔽を図ったことからして、忍野研究室はやはりサマエルを産み出した場所だと確信した。
不意に骨刃警視が声を上げた。
「これ、血?」
物一つなくなった机の引き出しの、横のレールを指さしていた。
それが、血液なのかどうかは忍野の表情が強張ったことが証明していた。
僕も顔を近づけ、レールを注視した。潤滑剤が塗布されているてかったレールに、僅かに赤黒いものが付着している。
鑑識課から出てきてもらっていた二人に声を掛けて、採取してもらった。ルミノール反応があり、血液だとわかった。完全に水分は蒸発していて、かなり前に付着したものに思える。
「良く見つけましたね」
「この机だけ洗剤の匂いがした。最近になって、ここだけ洗剤で拭き取っておこうと思った。それに、引き出しまで丁寧に。怪しむには充分でしょう?」
この机だけ、洗剤を使って掃除をした。
僅かに付着した血液。
ある出来事が過去に起きたことを否応なしに想像させる。
怒りを抑えて、骨刃警視に耳打ちする。
「ここで誰かが引き出しに入り込む量の血液を出した。そのときにも掃除はしたんでしょうけど、ガサ入れを前に血液の存在をルミノール反応で知られることを恐れて改めて洗剤を使って拭き取った」
「たぶんね。こうまでして掃除をしたなら、忍野自身の血液じゃない。これは、坂口朋美さんの血液でしょうね」
忍野をもう一度見る。
先程までの余裕綽々な態度とは打って変わって、爪を噛み、貧乏揺すりが止まらない。
「これは誰の血液ですか?」
訊くと、長く沈黙した末に「坂口君のものです」と答えた。
「指を切ったりして、たまたまそこを触ったんじゃないですか? その机を拭いたのは私ですがね、たまたま気が向いただけです。変な勘ぐりはよしていただきたい」
たまたま。苦しい言い訳だ。しかし、現時点では反証できない。忍野を引っ張って聴取するには証拠が弱い。
「警察庁でお話を訊けますか?」
「私にはこれから外せない用があるんです。任意同行には応じられません」
殴ってやりたい衝動で胃が熱くなるとともに、彼の罪を確信した。
「それでは、坂口朋美さんの行方に心当たりはありませんか?」
切り出すと、忍野は不機嫌そうに喉を鳴らして、
「ありませんよ。南の島にでもいるんじゃないですかね」
「彼女が辞めた理由については?」
「退職願には何も」
「部下がいきなり退職したわけですから、予兆というかきっかけぐらいは推測できるんじゃありませんか?」
何か返答があるのではと待っていたがいっこうに口を開かない。
「彼女はサマエルについて外部に公表しようとしたのではありませんか? この研究室が禁忌に手を出していると」
忍野は俯いたまま眼球をぎょろりと縦に回転させて骨刃警視を一瞥した。
「あんなものを研究していたのは坂口君だけです。彼女は私に黙って、亜人の力を無効化する研究を行っていたんですよ。発覚してすぐにサマエルを取り上げ、研究を停止させましたがね」
「忍野さん!」
道上が怒鳴ると、忍野は唇の端から小さなあぶくを出した。自身の失言に今更気づいたらしい。忍野は枯れた指で頬をなぞる動作は、自らを落ち着けようと努めているようだった。
「良くわかりました。この借りは近いうちに返します」
言い残すと、骨刃警視は同行者に何も告げずに退出してしまった。僕らは呆気に取られながらも、何とか彼女の後を追った。
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ガサ入れが不発に終わった同日、午後七時から始まった捜査会議は既に二時間が経過していた。議題が転々とし、議題に関する報告、推測できる仮説まで話が及んでいるせいだ。
動機の線から、捜査状況を各組が述べていった。
スマイルに恨みを持つ人物を洗い出し、彼らのアリバイについても整理されてきたものの、特定の人物に焦点が定まるには至っていない。
SNS上の予言の投稿元をサイバー部門が解析したところ、乾の別荘から見つかった飛ばしのスマートフォンから街中のフリーWi-Fiを経由して投稿されたものだと判明した。そのため、現在サマエルを持っているであろう第三者に繋がる手がかりにはならなかった。
焦りが重たい空気を亜怪対の面々に被さっていた。
「少し、時間をいただきたい」
鬼塚は太った指でホワイトボードに地図を貼った。新宿エリアの二箇所に赤いペンで丸が記入されている。
「これは怪人が最初に目撃された地点と、黒焦げになった地点に丸をつけたものです。そして、これが同じ縮尺で、出現から討伐の移動パターンを集計し、グラフ化したものです」
もう一枚、鬼塚とコンビを組む縣捜査員が貼ったグラフと地図を見比べる。グラフは複雑な蜘蛛の巣のような図になっている。
「見てわかる通り、通常は一キロから二キロの範囲で自由に歩き回ります。それがあの日出現した怪人はたかが百メートル程度しか移動していないのです。しかも、ほとんど直線的に。おかしくはないですか?」
「確かに興味深いね。原因は突き止められたのかい?」
宮司が訊くと、残念ながらと鬼塚は首を横に振った。
隣に座る骨刃警視に耳打ちする。
「どう見ますか? なぜ怪人が真っ直ぐにビルの前に向かい、そのまま居座ったのか。また新たな謎が増えましたが」
「考えはあるけど」
彼女はホワイトボードを見たままぼそりと言った。
「骨刃君はどう思う?」
「いや、課長。彼女にわかるはずがありませんよ。気づいたのは私が先なんですから」
鬼塚のアピールを無視して、宮司はほらほらと掌を向けて催促した。
「怪人を誘引することのできる技術があるとしたら、一直線に怪人があのビルに向かったことの説明がつくんじゃないですか? 被害エリアを減らせるんですから機関が研究する意義があります」
夜中に蛾やカナブンが街灯に集るように、怪人を誘引することが可能なら、人気のない場所に怪人を誘導することで被害を抑えられる。機関の体質からして、この期に及んでサマエル以外にも研究成果を秘匿している可能性は充分にある。悪用されたのだとしたら、機関の人間は勘づいても警察に報告しないだろう。
しかし、何のために怪人を誘引する必要があるのだろう。僕より先に宮司が訊いた。
「犯人である乾にとってのメリットが見当たらないね」
「ええ。意図的に怪人を誘引した理由こそが謎です」
「……最後まで面倒の見れない推測なら口に出すんじゃねぇよ」
対抗意識が剥き出しになった鬼塚の呟きに骨刃警視は苦笑した。
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