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容赦ない日差しに肌を傷つけられながら、スマイルの自宅にあった犠牲者達の遺族のリストを元に既に十二人の対象者を訪ねたが、有益な情報は得られなかった。
他のチームの報告を見ても、乾が逃亡してから警察の到着までの時間にアリバイがある人間も、ない人間も多くいた。彼らにはスマイルへの恨みがあり、乾を利用して殺害する動機がある。とはいえ、決定的な証拠は未だ見つかっていない。
残すは最後の一人。
スマイルに手紙を送った田山真美だけだ。
住所は千葉県M市のアパート〈東山パレス〉。再婚もせず、両親とは死別。子供もいない彼女は、怪人による二次被害のせいでとうとう天涯孤独になってしまった。僕の両親は健在で、弟や妹もいる。だから、田山のように繋がりを失った人の気持ちはわからなかった。寂しい、なんて単純な感情ではないのだろう。
M市は都から川を挟んですぐ。夕方には東山パレスに到着した。オートロックがなく、女性一人で住むには心もとない簡素な二階建て木造だった。
二回インターホンを押したあと、猫背気味にドアを開けたのはすっぴんで、髪を後ろで一つに結んだ女性だった。ドアにはチェーンが掛けられ、向けられる視線も訝しげだ。
「何ですか? こんな時間に何度もインターホンを押して」
僕が答えるより前に、骨刃警視が警察手帳を胸元から出すと、田山は僕らが何者か理解したようだった。
「……中にどうぞ。誰かに見られたくないので」
足を踏み入れた部屋は異常に物が少なかった。インテリアも家電も装飾を重視したものではなく、ただ最低限の機能さえ果たせれば構わないという設計だった。単純に装飾的なものを置くほど空間に余裕がないとも言える。
プラスチックの白い天板がついたローテーブルを囲うように座ると、田山はぼそぼそとした声で、
「スマイルとのことですか」と切り出した。「あの事故死で、彼の家を調べたりしたときに私の手紙が見つかったんですか?」
「そうなんですよ。彼からあなたにお金が送られてきていたとか」
「ええ。月に三十万円送られ続けました。一円も手を付けず、全額返金しましたけど……というか、事故死なら警察の方がどうして私のところまで来るんです? 関係ないですよね?」
「後片付けというか、そんなところです」
鋭い指摘に苦し紛れの返答しかできなかったが、田山はそれ以上深く質問することはなかった。
「去年の十二月にあなたが手紙を出してから、彼からの手紙は来ませんでしたか?」
ええ、と頷き、田山は光沢のない爪を見つめていた。夏が近いというのに手肌が白く乾燥していて、彼女の普段の生活の断片を想像した。
「手紙だけでなくメールなども?」
「メールアドレスなんてお互いに知りませんよ。私が知っているのは住所だけ、良くわからない関係性です」
「直接会ったことは?」
「夫が死んだあと彼が謝罪に来ました。もう三年も前になります。冗談じゃないと言って拒否しました。スマイルが戦闘中に起こした爆発に巻き込まれて夫は死に、遺体は下半身が見つかりませんでした。だから、遺骨も半分だけ。私は彼の半分しか弔うことができなかったんです、許せるはずがありません。それから、送金はありましたが直接会うことは一度も――」
言いかけて、僅かに瞳を大きくした。
「何か?」
「三ヶ月ぐらい前、このアパートを遠くから見ている人影があって。そのとき、スマイルに似ていると思ったんです。そういう人影があったのはそれきりだったので忘れていました」
嘘ではないように思えた。直接話しかけてきたのではなく、遠巻きに見ている彼らしき人物を一度見たくらいでは瞬間的に思い出せなくても無理はない。
「そのとき、彼が会いに来るきっかけになるようなことはありましたか?」
「何も。心当たりはありません」
スマイルと思われる人物は田山に会いに来たと考えるのが自然だ。しかし、直接話すことはないまま立ち去った。田山に何のために会いに来たのか、謎がまた一つ浮かび上がった。
念のため、乾がホテルを出てから警察が彼の別荘に到着するまでのアリバイを訊いてはみたが、その時間は近所のスーパーでパートをしていたそうだから彼女にはあの日現場へ向かい何か偽装工作をする余裕はなかったことになる。何かを隠していることを挙動で漏らすこともなかった。無論、完璧に挙動をコントロールできる人間もいるけれど。
そろそろ切り上げようとしたとき、それまで沈黙を保っていた骨刃警視が訓戒でもするかのように、
「あなたはスマイルを恨んでましたか?」
と、訊いた。
田山は一瞬身体を硬直させ、茶色の瞳を冷たくした。
「はい」表情は硬かった。「今も変わらず」
会釈をして僕らは田山の住むアパートを出た。
スマイルが何人救おうが、愛する人を奪われた者達の気持ちが救われることはない。それを目の当たりにした。わかってはいた。直視したくなかっただけだ。
「どうして、あんなことを訊いたんですか? ああいう反応をすることはわかっていたじゃないですか」
「どうして、か」
彼女は僕に焦点を合わせずに呟いた。
「確かめたかったんだよね」
「意図せず危害を加えたとしても当事者からすればそんなことは関係ない。憎しみは和らぎません」
「それでも、確かめたかったんだ。私は誰かを巻き添えにしたことは幸いにして一度もない。でも、ありえないとは言えない」
何も言えなかった。
どんな言葉をかけようと、彼女に響くとは思えなかった。何気ない一言をきっかけに二人の間に取り返しのつかない亀裂が生じる予感がした。
彼女はふっと訪れた向かい風に艶めく黒髪を棚引かせながら身を翻し、再び歩き出した。彼女の拳が握り込まれている。柔らかそうな掌に爪が刺さるのを想像した。痛みで彼女はどんな感情を紛らわせているのか。怒りか、孤独か、僕には思いも依らぬ感情か。
隣りにいるだけで充分だとは思えなかった。
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