6

 ティーパーティーで提供された飲食物は廃棄されていないまま円卓上に残っていた。待機するには広い部屋がいいだろうと鳳凰の間に全員を移動させたのが功を奏した。

 僕らが立ち去ってから戻ってくるまでに待機部屋に立ち入った人間はいないと複数の警備員や従業員が証言していることから、事後に飲食物の隠滅が図られた可能性はない。ただ、スマイルがサマエルの混入した食べ物を食べ切っている場合は、何に混入していたのか迷宮入りだ。

 四英傑になったヒーローと乾は広くはない部屋の中で、一様に頭を肩より下に垂れていた。しかし、道上から得た情報、そして現場から得られた情報を合わせて導かれる仮説を話すとざわつき出した。

 乾が事態の深刻さには相応しくない、ある疑問を口にした。


「我々はスマイルが飲んだものの中にサマエルが混ぜられていなかったか判明するまでずっと待機していなければならないんですか?」

「当たり前でしょう。もし、混入されていたら、この中に犯人がいることになるんだから」


 骨刃警視の言葉に乾は一瞬目を見開き、力なく首を振った。スマイルの死と自分達が結びついていることが信じられないのだろうか。


「もうすぐ鑑定は終わるらしいし、そんなに待たせない。気になるのは、サマエルの存在を誰が知っていたのか。どうなんです、四英傑、いや、もう三英傑の皆さん?」

 彼らは顔を見合わせ、毒公が口を開いた。

「スマイルを含めた四英傑全員が知っていた。どこに保管されているのかも。勿論、乾君と保管していた研究室の人間もだ。それ以外に報せなかったのは効果は短く、リスクは低いと考えていた。公表して、いたずらに世間の混乱を招くことは避けたかった」

「世間だけでなく亜怪対にまで情報を連携していなかったことが問題でしょう?」

「事前に知っていればこんなことにはならなかったと言いたいんだろう。君らだって、自分達の責任はなかったと思いたいのさ」


 毒公が意地悪く笑って言った。今日、僕に優しく声をかけてくれた彼とは別人だ。スマイルが死んだ途端に、卑屈な人間に成り下がったようだ。

 彼らが外に見せる顔だけでなく、もう一つの顔を持っているのなら、今回の事件のきっかけは陳腐なものなのかもしれない。


「あなた方と争うつもりはないです。スマイルは誰に殺されたのか、それを知りたいんです。あなた方もそうではないんですか?」


 やや扇情的に問いかけると、毒公はとびきりの苦虫を噛み潰したような顔になった。

 氷妃がぱんぱんと手を打ち鳴らした。


「正義を駒にしてチェスをしても仕方ないわ。大人しく結果を待ちましょう。もし、サマエルがティーパーティーで使われたのなら、狭霧ちゃん達が犯人を見つけてくれるはず」

 氷妃は微笑み、僕らを見た。

「そうでしょ?」

「それが仕事なので」


 骨刃警視は顎を少し上げて答えた。自信に満ち溢れた態度も彼女ならなぜか似合う。

 数分後、鳳凰の間の扉が開き、道上が入ってきた。僕に近づき、耳打ちする。僕は心臓の鼓動と同時に汗がぶわっと噴き出すのを感じた。


「どうだったの?」

 氷妃が訊いてきた。僕は息を整えて答える。

「出ました。スマイルのコップ――正確に言うならアイスティーの入っていたコップにだけサマエルが入っていたと。間違いないですね?」

「ええ、精度に問題はありません」

「他の人のカップやコップ、ポット、砂糖には含まれていなかった?」

「そうです。残っていたスコーンからも検出されませんでした」


 何者かが人の目を盗み、サマエルという亜人に取っての毒をコップに混入させた。その光景がやけにリアリティーをもって思い浮かぶ。

 未必の故意が適用される、殺人事件だ。

 骨刃警視は参加者をじろりと見渡した。その目には静かな怒りと研ぎ澄まされた理性があった。既に彼女の脳は犯人を割り出すため、高速で動いている。


「ホテルの従業員が混ぜたんじゃないのか?」

 苛立った様子で毒公が指摘した。

「そうだとしても、サマエルの存在を知り、盗み出すことができた従業員がいるでしょうか? 従業員にサマエルを渡した人間がこの中にいるということになります」

 返すと、毒公は苦々しい顔で黙った。

「こっそり入れたなら、誰だってチャンスがあったのではなくて? ここには防犯カメラもないし、それとも誰が何してたか見ていた人がいるのかしら?」


 毒婦の主張は尤もだった。しかし、論理とかけ離れた魔女狩りが始まらないことを僕は知っていた。

 骨刃警視が手をひらひらとさせる。


「テーブルは円形だったから死角はなかった。今日は元々スマイルの警護に来ていたから、パーティーが始まってからスクリーンに近づくまで全員がどんな行動をしたのかは覚えてる」

「冗談だろう?」

 海外のコメディアンのように毒公が嘲笑った。

「可能ですよ。骨刃警視なら」


 しかし、骨刃警視としても記憶しているだけではカメラと同等の証拠能力があるとは考えていない。犯人に見当がついたとき、集中的に捜査することで物的証拠が出るのを期待している。


「ミツロウ、認識を合わせたい。適当に質問していって」

 顎に手を当て、何から訊くべきか考えた。無駄なやり取りが生じないようにするのは骨が折れる。

「何かを混入するような動きをしていた人を見ましたか?」

「見てない。スマイルのカップがテーブルの下に隠されたタイミングはないから、混入するときは目立ったはず。仮に私とスマイルが余所見をしているときを見計らったとしても、同席している人間が多いのに、そんな手法をとるとは思えない」

「同感です。では、はじめからカップにサマエルが塗られていた?」

「否定はできない。だけど、カップやコップは皆ランダムに選んだから、どれを手に取るかは予測できなかったはず。言葉や手振りでスマイルがどれを手に取るかを仕向けるような行為もなかったし。とすると、不確実すぎ」

「スマイルが口にした氷や角砂糖にサマエルが入っていた可能性は?」

「氷も砂糖も任意にスマイルが選び、使用したものだからスマイルだけを狙ったなら不確実性が高い。確率を上げるなら全てに入れておけば良かったはずなのにサマエルは検出されなかった。この可能性は除外していい」

「では、ポットにサマエルが入れられた可能性はどうでしょう?」

「サマエルが出たのはスマイルのコップだけ。パーティーから三時間経っていないのに、私が能力を発動できたことからも否定できる」

 だいぶ絞り込めた。次の質問が核心をつくものになる。

「骨刃警視、視認できなかった瞬間がありますよね?」

「ある」

 やはり、そうか。

「乾さんが誤って照明を消したとき、ですね?」

「そう。遮光カーテンが閉められていたせいで、私は手元すら見えなかった。一メートル以上離れていたスマイルを視認することは不可能」

「となると、犯人候補は絞り込めますね」

「暗闇の中で、カップの位置を把握して用意していたサマエルを垂らすことはリハーサルを重ねれば可能。ただ、立ち上がって移動するのは音が立つから無理。つまり、現時点では毒公、道上の二人が疑わしい」

 彼女の言葉を聞いた途端、爆竹が尻の下で爆ぜたように毒公と道上が立ち上がった。毒公が唾を吐き捨てるように、

「俺が殺すわけないだろう!」

「同感ですね」

 まだ断定したわけではない、と思ってもいない台詞で宥める。

「僕らが戻るまでに鳳凰の間を出た人は?」

「全員何かしらで出て行った。人前で漏らす趣味はないからな」

「となると、サマエルの容器は既に処分されたかもしれませんね」


 つまり、身体検査をして容器が発見されなかったとしても、シロにはならない。それに、容器を氷などの処分しやすいものにしておけば会場から出なくとも処分は可能だ。

 徹底的に捜査をすれば粗が出て、二人のどちらかが黒だとわかるだろう。


「ひとまず、どうかお二人には身体検査のご協力を。そして、毒公と道上さんには事情聴取のため、警察庁まで来ていただきたいです。勿論、任意ですが、疑いを晴らすことにも繋がりますから。その他の方は検査後はホテルに待機していただき、お呼び出しした際には応じてください」


 氷妃が協力を断れば心証が悪くなると言ってくれたおかげで、皆が身体検査と事情聴取ともに従ってくれることになった。元トップヒーローともなれば、聴取する捜査員に加えて、ヒーローの立ち会いも必要となる。この人員は機関に派遣させなければならない。

 普段は骨刃警視が聴取を担当するのだが、スマイルの自宅を調べると言ってきかないのだ。そのため、亜怪対の他の捜査員にあとを任せ、僕らはS区にあるスマイルの自宅に向かった。

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