5
二つの骸はシルエットはそのままに完全に炭化し、直立していた。熱硬直による四肢の屈折がない。じりじりと焼かれたのではなく、凄まじい高熱で筋肉に至るまで瞬時に焼かれたということだ。
真っ黒な身体、その横腹に目が留まった。丸い凹みが三つある。
無精髭を生やした鑑識の男性が応えた。
「それね。普通なら生前の傷を疑うけど、スマイルは亜人だし、怪人の攻撃でもなければ自動的に修復しちゃいますからねぇ。ここまで高温に焼かれると、組織が脆くなるから、剥離しやすい。うちの奴らが触れてしまったのかもしれない」
鑑識がビニールのカバーを掛け、スマイルだと思われる遺体を保存した。ここまで炭化しているとDNAを検出するのが難しい、と鑑識官が言った。骨まで熱が入ると、鑑定ができない。
そもそも、亜人が死亡すると細胞の特異性が失われ、常人になるから、通常の司法解剖でも鑑定不能となると本来かなり厳しい状況だ。
しかし、今回に限っては死因は明らかだ。あの瞬間をほとんどの国民が目撃した。目の前で世界のヒーローが焼け死んだのだ。国民のみならず、世界中の人々の目に焼きついた瞬間だ。インターネットもテレビもこの出来事を報じている。事故か、事件か。それはまだわからないが、目を背けたい出来事には変わりない。
「このデカブツもただの炭になってる。所持品が付着していたとしても同じく消し炭だろうね。怪人化した地点は、防犯カメラの映像を片っ端から確認するしかないけど、それは所轄の手を借りるか」
言うと、骨刃警視は手袋をつけた手でいきなりデカブツを殴りつけた。
みしみしと音を立てて亀裂が入り、やがて瓦解した。
「いやいや、大丈夫なんですか、こんなことして? 皆、呆気にとられてますよ」
「こうでもしなきゃ運べないじゃん。先に解体してあげたの」
彼女は骸の砕片中に足を踏み入れ、掻き分けながらいくつか手に取った。
「やっぱり骨もだいぶ脆くなってる」
スマイルの亡骸を脇に寝かせて、ビルとビルの隙間に足を踏み入れる。倉庫だけが置かれた殺風景な路地裏。念のため、倉庫の中を確認してみたが清掃用具ぐらいしかなく、気になるものはない。鑑識からも現状何も検出されていないという。普段から施錠され、必要時に鍵で解錠するとのことだが、毎週火曜日――今週は昨日が火曜か――は使用者が多いため開錠したままにしているらしい。ただ、今は何者かに強引にこじ開けられ、鍵が馬鹿になっているようだ。気になって、管理人に尋ねると、今日怪人が発生する直前に清掃用具を出し入れするために倉庫を使用したが、その時は鍵は壊れていなかったと答えた。
遺体がある方向とは逆を見てみると、足場とネットがビルを跨ぐようにかけられ、太陽光を遮っていた。ビルの中層階に渡り廊下があり、それに沿うようにしているらしい。ライブ映像でも、ドローンが低空飛行をできないようプログラミングされているため、この足場が邪魔になって、スマイルの姿が確認できなかった。すぐにビルの反対側のドローン映像に切り替わったが。
こんな場所に防犯カメラは設置されているわけもなかった。
つい溜め息が漏れる。
「落ち込んでる時間はない。物証なし、目撃情報も今のところなし。道上は車両内にいたから何か見たんじゃないかと思ったけど、移動中のスマイルにもおかしな様子は見られなかったって。この状況でどんな仮説が立てられる?」
一度軽く咳払いしたあと、こんがらがった脳内を整理してみる。
・亜人の能力によってのみ、怪人にダメージを与えられる。その逆も然り。
・高熱化と低温化能力の場合は能力者の血液を使用する。自らの身体に温度変化を起こして触れても、ダメージは与えられない。
・炎は血液が一定温度に達すると、発生する。炎の最高温度は亜人によって差がある。
・温度変化能力者は自身や他者の体内外に血液を配置してから、血液を操作して影響を与える。仕組みは謎のままだが、遠距離での操作が可能。
・戦闘時は血液を詰めた薬莢を装填したライフルを使用し、中長距離攻撃をすることが多い。スマイルはライフルを持っていなかったため、その場で出血させて闘うか、筋肥大能力での攻撃を行うつもりだったと思われる。
・筋肥大能力の場合、直接打撃した部分のみにダメージが残り、体内のダメージはじきに回復してしまう。
「僕が思うに、スマイルから見て外的影響と内的影響の二つの可能性があるんじゃないかと。
外的なら、一つは、怪人の攻撃によって両者が死んだパターン。今回、怪人が体液を発射した瞬間、両者が燃えました。怪人としては自滅ということになりますが、過去にそのようなケースがなかったわけでもありません。もう一つは、全く別の攻撃によって死んだパターン。どちらも、ひっかかるのは世界最強のスマイルの耐性力を超える攻撃があったということです。
次は内的影響です。スマイル自身の能力が低下していたとすれば、Aランク怪人の攻撃によって燃え尽きたのも納得はできます。あとは、オーバースペックですね」
オーバースペックは、現場に着いて頭が冷えてから思い浮かんだことだった。
過去に人体発火や凍死死体等が発見されたことがあり、原因を調べていくと、亜人の持つ能力が暴走して死亡したことがわかった。今でも年に数回は発生するが、予防法は判明していない。
「戦闘を撮影していたドローンの映像に、他の亜人や怪人の攻撃が飛来した様子は確認できなかった。とはいえ、ドローンにも死角はあった。オーバースペックとどちらが正しいのかはっきりさせたいけど、あんな黒焦げじゃ体の内と外、どっちから熱が加わったのかわからない」
「そうですね。予言の件も放っておけなくなりましたし。内的要因なら、偶然か、予言能力が本物かどちらかになります」
予言能力は魔術的な能力だ。存在するなら系統外亜人ということになる。実在する可能性はまずない。
「私達の思いもよらない何かが起こったのは確か。乾の様子がおかしかったし、一度、揺さぶりをかけてみるか」
現場は他の警察官らに任せて、僕らはホテルに戻ることになった。
路上に停めておいた車に向っていたとき、道上が路地裏でこそこそと電話をかけているのが目に入った。
「どういうことだ! あれほど管理は厳重にしろと言っただろう! 俺以外には黙っていろよ……スマイルが死んだのが我々のせいだと知られれば、俺もお前も首が飛ぶぞ」
道上が通話相手に怒鳴ったあと、筋者のようなおっかないことを言った。僕らがいることに気づいていないようだった。
電話を切り、僕らを目に止めると、みるみる顔が青褪めた。
「何を隠してんの?」
「な、何の、話でしょう?」
「違和感があった。どうして世界最強のスマイルの警護を、悪ふざけとしか思えなかった予言をきっかけに依頼されたのか。まるで……スマイルが死ぬ可能性がゼロではないと思っているような。想像するに、あんたが話していた管理対象の何かがスマイルの死を引き起こすリスクがあった。にもかかわらず、それを私達に知らせなかった」
彼女は静かに怒っていた。
「聞き間違いでは?」
道上は顔を引き攣らせながら、なおもしらばっくれようとした。
「ふざけんな!」
彼女はいつの間にか刀を握っていた。
「駄目です、警視!」
彼女は一閃を放った。斬撃を食らったのは、道上の背後のビル壁だった。コンクリートが深く抉られている。
クールさが跡形もなく消えた道上はずれた眼鏡を直すこともできず、がたがたと震えていた。
「くだらないことに時間をかけている暇ないんだよ!」
「殺人未遂だ。警察官がこんなことをして良いと思ってるのか。クソ、これだから、化け物は」
警視に放たれた侮辱に僕は頭に血が上った。気づくと道上の胸ぐらを思い切り掴んで締め上げていた。
「今ならまだそれなりの協力はしましょう。話を聞く限り、あなたが情報を止めていた。あなたの過ちで世界の英雄が死んだと総長に報告しますか? お飾りとは言え、人事を左右する力はあるはずです」
道上は顔を歪めたあと、果てたように両膝を地面についた。
「……サマエルは、偶然の産物だった。機関に所属する一人の研究者が偶発的に作り上げてしまった。一CC以上、あの液体を摂取すれば、最大で三時間、亜人は能力を失う。あってはならないものだが、破棄をするのもリスクがあるから保管しておくしかなかったんです」
「サマエル、神の毒ってわけ? いつまで神話気分に浸ってんのよ。効力も持続時間もわかってるってことは既に誰かで試している。どんな研究をして、発見されたもの?」
「それは……それは、言えません」
「まぁいい。どうして、サマエルが盗まれたことに事件前に気づかなかったの?」
「サマエルはガラスケースの中に暗証番号つきのロックをかけてしまわれていました。毎日、ケースの外から容器に入った液体が入っていることを視認していたそうですが、さきほど、それらのうち一つがただの水にすり替えられていたと報告がありました」
つまり、盗み出すことができたのは暗証番号を知っている機関内部でもごく限られた人間ということになる。
「盗まれたサマエルとやらの量は?」
「最大で、百二十回分だそうです」
充分過ぎる量だ。
今回の事件に利用されたなら、スマイルは死亡から最大三時間前のどこかの時点でサマエルを摂取したことになる。
「ティーパーティーで提供された飲食物の中にサマエルが含まれていた可能性があります。捨てられる前に、早く保全しないと」
「氷妃に電話する。私達も早く会場に戻ろう」
「待ってください。飲食物の鑑定は我々機関に任せていただけませんか? 警察といえど、これ以上外部にサマエルの詳細を知られるわけにはいかないのです。それに、サマエルの現物が手元にない以上、警察では鑑定に時間がかかるはずです」
「夕方までには終わらせて」
「ご協力感謝します……」
骨刃警視は鼻を鳴らし、この場から立ち去った。
道上の発言を許すつもりはなかった。国際英雄機関に所属する人間があんな侮蔑の言葉を口にしたとは未だに信じられなかった。
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